50、調査と招待
ヴァランが学園に行って数日後。オクルスは取り寄せた布を触っていた。孤児院の院長にもらった、ヴァランの子ども用の衣服と比べてみる。
手触りが違うということは分かる。しかし、細かいところまでは分からない。
「オクルス、何しているんだ?」
「ああ、王子様。来てたんだ」
いつの間に来ていたのか。エストレージャがオクルスの触れている布を覗き込んでいた。エストレージャに見えるように布の位置を動かしながら返事をした。
「布を調べているんだよ」
「なんのために?」
怪訝そうなエストレージャに、オクルスは思わず笑みを浮かべながら答えた。
「ヴァランの出自を知るために」
「なるほど……? 手がかりは?」
オクルスの雑な説明に困惑しているエストレージャへ、ヴァランが着せられていたという子ども用の服を手渡した。
「このヴァランが着ていた子ども用の服だけ」
丁寧な手つきでそれに触れたエストレージャがじっくりと子ども用の服を眺める。そして、刺繍を見つけたようだ。
「ヴァランの名前が刺繍されているな」
「うん。名前が分かるようにするためだろうね」
ヴァランの名の刺繍を凝視していたエストレージャがぽつりと呟いた。
「なんか、この文字……」
「なに?」
「いや……。文字の角度から、この国の文字に慣れていなさそうだな」
ここ、ベルダー王国の文字になれていないということは、他国の人間が刺繍したのだろうか。それなら、どのような可能性があるのか。
「この国へ亡命した人? それにしても亡命までして子どもを孤児院に置き去りにするのは意味が分からないよね?」
「まあ、分からない。単に刺繍が苦手という理由かもしれない」
「うん」
刺繍の文字の違和感だけで他国と決めつけるのは早計か。しかし、手がかりのない中ではそのような細い糸のような発見から考えていくしかない。
考え込むオクルスに、エストレージャが説明する。
「孤児院に置き去りにした理由だって、親が病気になってやむなくという可能性もあるな」
「そっか。確かに」
国政に携わりながらも、現場を見てきたエストレージャだからこそ広い視点で考えを言えるのだろう。事情はそれぞれだから、結果だけを見て責めていいものではない。
そもそも、ヴァランのことを置き去りにした事実はあっても、捨てたかは分からない。預けただけで、また迎えにくる可能性もあるのか。
「それじゃあ、尚更探さないと。赤ん坊のときに誘拐された、みたいな事情があるとしたら、親は探しているかもしれないよね。そうしたら、ヴァランも親元に帰れるだろうし」
そう言ったオクルスを見て、エストレージャが金の瞳を細めた。高貴な色を持つその瞳が心配そうにこちらに向けられている。
「……お前はそれでいいのか?」
「なんでそんなこと聞くの? 私に何の権限もないよ」
そもそも、今も学園にいるのであって、すでにオクルスの側にはいない。
もっと早く出自を探すべきだった。そうすれば、オクルスはヴァランに嫌われるように動く必要はなく、親元に帰すだけだった。
しかし、もう後の祭り。ヴァランを手元から離したくないという気持ちがどこかにあって、そのせいでその事実に気がつくのも、出自を探すという行動も遅くなったのだろうか。
本当に、自分は愚かな人間だ。オクルスはふっと嘲笑を浮かべた。
「……そうか」
そう言ったエストレージャは、何かを言いたげに見えたが、結局何も言わなかった。そんな彼を見ながらオクルスは尋ねた。
「そういえば、君は用事?」
「ああ。一応」
そう言ったエストレージャが取り出したのは、1通の手紙だった。やけに華美な装飾の封筒に、高級そうな紙質。オクルスは顔を強張らせた。
「なにこれ?」
「ルーナディア姉上の結婚パーティーの招待状だ」
エストレージャから説明を受けたものの、一応中の手紙を取り出した。ルーナディアが結婚をし、それにあたって祝いのパーティーをする。その招待状だ。
ルーナディアはオクルスやエストレージャよりも1歳上だ。25歳のはず。
「王女様なのに、結婚が遅かったね」
「ルーナディア姉上は王になる意思があったから、相手の見極めも慎重だったらしい」
「へー」
あまり興味はないが、王族も大変なのだろう。感情のこもらない相槌に、エストレージャが呆れた目を向けてきたが、オクルスは気づかないふりをした。
それにしてもパーティー。雑音のような悪評が聞こえることだろう。基本的には大人しくしていたというのに、いつまで経ってもおさまらない。
「えー、行きたくない」
「まあ、お前はそう言うと思った」
エストレージャの笑みに、馬鹿にする気配はなかった。仕方がないな、というように。まるで弟を見るような目で見られ、オクルスは若干気まずくなった。
その気まずさを振り払うように、思考を別の方向に戻す。パーティーで楽しめることはないだろうが、情報を集めることはできないだろうか。
「あー、でもヴァランの出自の情報収集になる? いや、無理か」
「流石に無理だろうな。ヴァランは今何歳だ? 12歳?」
「うん。今年で13歳になるんだけど……。昔の話過ぎて、簡単に集まる情報じゃないね」
何らかの情報は集まるだろう。しかし、それがオクルスの欲しい情報とは限らない。行きたくはない。それでも、僅かでも情報が得られるという点で、無視するのは惜しい。
どちらが良いか。天秤にかけて考えている間に、エストレージャが口を開いた。
「まあ、でも行くことをおすすめする」
「君がそんなことを言うのは珍しいね。なんで?」
いつもはオクルスが嫌だと言えば、分かったというだけだった。それなのに今回は行った方がいいと言う。
「一時期、お前と姉上が恋愛関係にあるんじゃないかと噂になっていたから、お前がパーティーに行かなければ、失恋したからだとか、破局したとか言われるからな」
数秒間黙り込み、エストレージャの言葉を理解したオクルスは脱力をして椅子に寄りかかった。
「……なにそれ。面倒」
「まあ、行かなくてもどうにかなるとは思うが」
恋愛関係。オクルスがルーナディアを塔へと招いたせいだろうか。他に心当たりは……、と考えたところで、1つの事実を思い出した。
「……あれ。そういえば、求婚されたんだっけ?」
ルーナディアに求婚されたような気がする。すっかり忘れていたが、そのときはまだ結婚相手が決まっていなかったのか。
しかし、その情報を知っているのは、オクルスとルーナディアを除けば、エストレージャとヴァランのみ。外に漏れているはずがない。
ぼんやりと思い出していると、エストレージャが苦笑しながら言う。
「そんな忘れるような話か?」
「忘れてた。あれ、結局何だったの?」
オクルスとしてはあまり求婚だったと思っていない。むしろ試されていたと言われた方が納得する。
エストレージャはゆっくりと首を振った。
「さあな。お前に恋心やその後も未練があるようには一切見えなかったから。大魔法使いを味方につけたかったんじゃないか?」
「まあ、そうだよね」
オクルスは基本的に王位継承争いから距離を取りたいため、中立のままでいるつもりだった。ルーナディアは味方を集めたかったのだろうか。オクルスが味方になり得るとは思えないけれど。
「それで、パーティーはどうするんだ?」
「んー。王子様、行く?」
「それは、まあ。姉を祝うパーティーだからな」
まあ、ヴァランの状況を確認するため、ルーナディアを利用してしまったという罪悪感はある。そして塔に呼びつけてしまったことも申し訳なく思っている。
気乗りは全くしないが、行くという気持ちは少しずつ固まってきた。
「……参加するよ。すぐに帰るかもしれないけれど」
「分かった」
オクルスは机の引き出しから上等な紙を取り出して、招待への感謝と参加する旨を書いていく。何度か誤字や脱字の確認をしたあと封筒にいれ、エストレージャに預けた。
それをしまい、オクルスに視線を戻したエストレージャはニヤリと笑った。
「オクルス、エスコートをしようか?」
「ええ? 遠慮しておくよ。王子様、私ばかり気にしていると、婚期逃すよ」
エストレージャが冗談めかして言うものだから、オクルスも冗談で返す。別にエストレージャが婚期を逃すと本気で思っているわけではない。こんな完璧な王子様は、何歳になっても引く手数多だろうから「婚期を逃す」という概念がないだろう。
するとエストレージャは困ったように笑ったあと、首を振った。
「別に結婚するなんて言ったことないだろう」
「そうなの? あ、王族はいろいろあるのか。大変だね」
王になる予定のないエストレージャが結婚をして子を持てば、次代の王位継承が荒れかねないからだろう。好きに結婚もできないとは、王族も大変だ。
そうやって勝手に納得をしていると、エストレージャは微妙な顔をしていた。
「え? なに?」
「……いや、なんでも。返事は確かに預かった。届けておこう」
「ありがとう」




