49、出発
何かに肩を踏まれて目を開く。踏んできたのはテリーだ。いつもより、すっきりとした目覚めだ。二度寝をすることなく、オクルスは身体を起こした。
少しだけ頭の奥に鈍い痛みがある気がした。昨日の夜、どこまでが夢で、どこまでが現実だったのだろうか。
「ねえ、テリー」
「はい」
「昨日の夜、ヴァランがこの部屋に来た?」
「夜? 寝ぼけてます?」
怪訝そうな声に、はっきりと理解した。ヴァランが来たのは夢だ。オクルスの脳が作り出した虚構。
「やっぱり夢かー」
自分は変な勘違いをしていたようだ。
ヴァランは冷たく接してくるオクルスを苦手に思っているはずなのだから、部屋に来るはずがない。
まだ、オクルスのことを気にしていたとしたら、それはそれで問題だ。ヴァランがオクルスのことを大切に思っていたら困るのだから。金づるくらいになれるように頑張ったはずだ。
それでどこまでが夢だったのか。この頭痛が残っているということは、暗闇に恐怖を感じたのは現実。
寝る体勢が不味くて、視界から明かりが見えなくなったのだろう。今日の夜から寝るときは気をつけないと。一度恐怖を思い出すと、数日は眠れなくなってしまうから。
明かりが消えた感覚はなかった気がするが、もう少し明かりを近づけて寝た方がいいかもしれない。
ぼんやりと考えていると、テリーに足を蹴られた。
「いつまで考え事しているんですか? 支度が間に合わなくなりますよ」
「あ、そうだね」
ヴァランの見送りをしなくては。冷たい人間でも、見送りくらいはするだろうから、構わないだろう。多分。4年経つ間に、冷たい振る舞いにも慣れてきた気がする。
身支度を始めたオクルスのことを、テリーがじっと見ていた。その視線が気になって、オクルスは尋ねる。
「なに?」
「知らぬが仏ってやつですね」
そのテリーの言葉に、オクルスは思わず動きを止めた。前世でたまに聞いたような言葉。テリーのことを凝視する。
「は? ねえ、流石にその言葉はこの世界にないでしょう?」
「ご主人様が昔言ってたじゃないですか。仏ってなんですか?」
「……」
まあ、確かにテリーが知るはずのない言葉だ。オクルスが使ったのだろう。仏を説明しろと言われてもできない。よく知らない。
「仏は、まあ、なんか……。すごい存在だよ」
「説明が雑ですね」
スマートフォンのように検索できる道具もないから仕方がない。オクルスはそれ以上の説明を諦め、また身支度へと戻った。
「ちょろい……」
「何か言った? テリー」
「何も」
テリーは何か言いたげだが、テリーと遊んでいる暇はない。さっさと支度をしなければ、ヴァランが出発する時間になってしまう。
◆
支度が終わり、ヴァランと共に無言の朝食の時間を過ごした後。塔の門のところで、オクルスはヴァランを見送っていた。
「いってきます」
「うん」
ぶわりと舞う風に、ヴァランの肩ほどの銀の髪がたなびく。きらきらとした髪に、オクルスは目を細めた。
何を言えばいいか。オクルスは迷いながらも口を開いた。
「私の何を利用してもいいし、しなくてもいい。私を師匠だと公言しても構わないし、それを隠してもいい」
「……」
淡々としたオクルスの声に、ヴァランはこくりと頷いた。
「じゃあね、ヴァラン。休暇中は別に帰ってこなくてもいいから」
それが1番伝えたかったことだ。ずっと学園にいた方が、ヴァランの身に何か危険が及ぶことはない。
そう思って伝えたのに、ヴァランは名残惜しそうにオクルスを見たあとで尋ねた。
「……また、帰ってきてもいいですか?」
ヴァランの気持ちは分からない。オクルスは彼から目を逸らしながら伝えた。
「君の好きにして」
「はい!」
明るい返事。その後に黙っていられなくなり、オクルスはぽつりと零した。
「……君の検討を祈っているよ」
オクルスは、感情を声に乗せずに淡々と言っただけだ。それなのに。ヴァランは、何かをプレゼントされたように、頬を緩めた。
やめて。ぐっと首を掴まれたように喉がつまる。そんな顔をしないでほしい。オクルスは、最低限のことしか言っておらず、冷たく接しているのに。
ぐっと拳を握りしめた。荒れそうな感情を抑えこむために。
不思議そうにこちらを見たヴァランが笑顔のまま言った。
「休暇時には帰ってきます」
「……そう」
「行ってきます!」
「……うん」
ヴァランを見送ってオクルスは首を傾げた。もう、ヴァランはオクルスに期待をしなくなったのだろうか。吹っ切れたようだった。いや、オクルスとは関係がなく、学園に行くのを楽しみにしているからかもしれない。
どっちにせよ、彼が楽しい学園生活を送れたら良い。オクルスを忘れるほど、楽しく。
ふっと笑ったオクルスは、塔の中へと戻った。




