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48、深夜・夢か現か

 ヴァランが学園に行く日の前日へと迫った。すでに準備は終わっている。あとは明日行くだけだ。


 国が運営する学園は閉鎖的な空間だ。基本的に寮制となっていて、ヴァランも寮で生活することになっている。


 学園は外部からの侵入はほとんどなく、安全な場所だ。だからこそ、オクルスは安心してヴァランを預けられる。


 ヴァランに学園に通うように言ったとき、彼はただ頷いただけだった。自分の意見を言うこともなかった。彼自身の意見を言いにくくしたのはオクルスだという自覚はある。


 それでも、オクルスの簡易的な教育だけでは不安であるため、学園で学んでほしかったというのも本音だ。ヴァランが嫌がらなかったことにほっとしている自分もいる。


 這い上がるような眠気に、オクルスは早々に寝ることにした。明日、ヴァランの見送りができなくなると不味い。休暇中に帰って来なくていいということをしっかりと伝えないといけないから、明日の朝、しっかり起きなくては。


「明日、寝坊しないようにしないと……。テリー、起こしてね」

「いつも起こしているじゃないですか」

「んー」


 眠れない日が続いていたためか、その眠気の渦にのみ込まれるのは早かった。まるで布団に沈んでいくかのように、眠った。


 ◆


「大魔法使い様」


 声が聞こえた。オクルスの意識はゆっくりと浮上する。火魔法を使い、明かりを灯しながら寝ているが、それでもいきなり目を開けたところで、すぐに周囲は見えない。


 少しずつ目が慣れてきたところで、闇の中でヴァランが立ち尽くしているのが見えた。しかし、その事実を理解するのに、少し時間がかかった。


 オクルスがヴァランに冷たく接し始めてから、ヴァランはこの部屋に来ることはなくなっていた。そんなヴァランの、深夜の訪問。


 ぼんやりとした頭で必死に考える。ヴァランは何をしに来たのか。


 寝台から半分起き上がったまま固まったオクルスに、ヴァランが近づいてきた。それにより、オクルスは思わず後ろへと身を引こうとした。


「逃げないでください」


 ヴァランはオクルスの手を寝台に縫い付けるように押さえつけた。


 オクルスを逃がす気がない、というヴァランの強い気持ちが伝わってきて、オクルスは顔を強張らせた。


 育ち盛りの彼は、すくすくと成長している。そのため、強い力でオクルスを押さえつけており、振り払うことができない。

 

 すうっと息を呑む。いつの間にこんなに彼は成長したのだろうか。そんなことを考えている間に、ヴァランがオクルスの顔に自身の顔を近づけた。彼の瞳が揺れる。端正な顔を歪めたヴァランは、苦しそうに言った。


「……結局、どうしてなんですか? 僕が何かしましたか? 僕が悪いことをしたんですか?」

「……」


 ヴァランの中で、まだ疑問として残っていたのだろう。なぜ、オクルスがヴァランに冷たく接し始めたかを。


 オクルスは答えない。いや、答えられなかった。ヴァランは悪くない。何も。


 悪いのはオクルスだ。前世の記憶通りなら、ヴァランを預かっておいて、彼の目の前で死ぬという無責任な最期になってしまう。


 それにしても、まだヴァランが気にしているとは思わなかった。もう、諦めたのかと。どうでも良いと忘れたのかと考えていた。


 何も言葉を発しないオクルスに、ヴァランが顔を歪めた。


「大魔法使い様! まだ、教えてくださらないんですか?」


 ヴァランの目からぽろぽろと涙が流れている。それに手を伸ばそうかと身じろぎをすると、ヴァランがオクルスを押さえる力をさらにこめた。


「僕はどうしたら、いいんですか? どうしたら……」


 言葉を詰まらせたヴァランを見て、オクルスは声を絞り出した。

 

「……きみは、何も悪くないよ」


 そう言うと、ヴァランの顔がもっと苦しそうに歪んだ。涙の跡が消えきらない目元が赤くなっている。オクルスはそれから目を逸らした。


「それじゃあ、なんで!?」

「……」


 ヴァランの方を見ることができない。ここまで声を荒げながら問うてくるとは思ってもみなかった。


 オクルスがこの場の切り抜け方を考えていると、オクルスが動かないように押さえているヴァランの手に力がこめられた。


「学園に行った方が良いっていうのも僕を追い出したいからですか?」


 その言葉に驚いてヴァランの方を見る。どこか不貞腐れたような顔をしている彼に、オクルスは首を振った。


「……それは、違う」

「え?」

「1人の人間がずっと教え続けるのは良くない。思想が偏るし、世界が狭まる」

「……」


 冷たくするにしても、それくらいは説明するべきだった。オクルス自身が分かっているからといって、彼は分かっているとは限らないのに。


 オクルスは諭すように言った。


「学園で、学びな。この世界の狭さに気がついたら、戻ってこなくていいから」

「戻ってこなくていいって、なんで……!」


 薄暗い部屋の中、ヴァランがオクルスの顔を覗き込んだ。彼の肩ほどまである銀の髪がするりと流れる。


 まるでカーテンのように彼の髪が流れ、オクルスの視界が暗くなった。


 闇の中にいるように。オクルスの大っ嫌いな真っ暗な世界。


「……あ」


 ガンガンと頭が痛くなってきた。バクバクと心臓がうるさい。世界がぼやけているように感じられ、呼吸の仕方が分からなくなる。


 ――音がする。扉を獣の鋭利な爪が引っ掻くような音。獣の鳴き声。ドン、と扉を蹴破ろうとする魔獣の音。


 分かっている。これは、自身の脳が作り出した幻影。暗闇から引きずり出された忌まわしい記憶。


 ここは、大丈夫。オクルスの安全地帯。


 そう理解しているはず。それでも、平常心を保つことは不可能だった。


 自分が座っているのか横たわっているのかも分からないほど、平衡感覚が消え失せた。先ほどまで、ヴァランに押さえられていたはずの手は自由となっており、痛みの治まらない頭に手をあてた。


「大魔法使い様?」


 心配そうなヴァランの声がする。しかし、それは妙に遠くから聞こえた。


 ここでオクルスは疑問を抱いた。本当に、これは現実なのだろうか。深夜に、ヴァランがオクルスの部屋にいる? 本当に?


 ああ。きっと。全部夢だったんだ。だって、オクルスへ苦手意識を持ち始めたヴァランがオクルスの部屋に来るはずがないのだから。


 引きずり込まれるように思考が回らなくなる。それもそうだ、夢なのだから。


 夢の中で、ヴァランに懇願した気がする。


「……お願いだから。私のことを、嫌ったままでいてね」

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