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46、孤児院

 気がつけば4年の年月が流れ、ヴァランが学園に入学するのが数ヶ月後となった。


 オクルスは何も変えなかった。できる限り、冷たく接しながら、必要そうな物は多めに買って渡した。


 最初は戸惑って、困惑していたヴァランもすっかり慣れてきたようで、文句を言うこともなくなり、疑問を呈すこともなくなった。


 ただ、淡々と受け入れているヴァランは、適応能力が増したことだろう。慣れない環境でも上手くやっていけそうだ。そうさせてしまったのはオクルスだという事実は忘れるつもりはない。


 ヴァランがそのように適応してきたからといって、オクルスは、罪の意識を忘れることはない。ヴァランを傷つけた。苦しめた。その責は、オクルスが負うべきもの。


 そうはいっても、どのように償いができるかまでは分かっていない。オクルスが死んだとしても真実を伝える気はないから、それを気づかれそうなことは何もできない。


 今のところ、遺産を渡すくらいしか思い浮かんでいないが、それだけで足りるのか。足りないだろう。許される必要はない。オクルスがヴァランのためにできることは何があるのか。あと何年生きられるかは知らないが、考え続けなくてはならない。


「私に、何ができるんだろうね」


 現状、オクルスに残せる物は何もない。持つ物もない。


 なんて無力で何も持たない人間なんだろう。ため息をついたが、それは誰にも届くことなく部屋へと沈んだ。


 そもそもヴァランにとって、オクルスから何かを残されるのは、苦痛ではないか。それなら、綺麗さっぱり何も残さない方が良い。


 ◆


「ヴァラン。明日、出かけるよ」


 オクルスが唐突に言うと、ヴァランは不思議そうにこちらを見てきた。


「どこにですか?」

「孤児院」


 そう言うと、ヴァランは分かりやすく顔を強張らせた。ここに来てから、一度も孤児院に行きたいと言ったことはない。


 ふっと影を帯びた表情のヴァランが、オクルスを青の瞳で見つめながら尋ねた。

 

「なんでですか?」

「君ももうすぐ入学だから。少しくらい顔を見せないと」

「……」


 オクルスの説明に考え込んでいるようだ。どこか難しい顔をしたまま、ヴァランは黙り込んでいる。


 その様子を見て、オクルスは別の提案をした。


「君が行きたくないのなら、私だけで行くけど」


 別に「オクルスが嫌われたい」のであって、「ヴァランに嫌な思いをさせたい」わけではない。ヴァランが嫌だというのなら、オクルス1人でも構わない。近況報告だけなのだから。


 一応、今までもたまに手紙は送っていた。それでも生まれた時から孤児院にいるヴァランは、孤児院の職員にとっては子どものようなものだろう。4年経つ前に顔を出させるべきだったとは思うが。


 しかし、ヴァランにとってはどのような場かは分からないから強制もできない。


 俯いていたヴァランだったが、ぱっと顔を上げた。その目には、先ほどまでの迷いはなかった。

 

「行きます」


 そうはっきりと言ったヴァランを見て、オクルスはただ頷いた。


 ◆


 もう一緒の箒に乗ることはない。ヴァランはすでに1人で乗ることができるからだ。オクルスが箒で飛ぶ後ろをヴァランもついてきている。


 ちらちらと後ろを確認しながら、スピードを調整する。


 事前に孤児院へ連絡はしておいた。オクルスという「大魔法使い」に会いたくない人は別の場所や部屋にいるだろうし、会っても問題ない人だけがその場にいればいい。


 しばらく上からの景色を眺めていると、孤児院が見えてきた。上から見える景色に懐かしく思う。ヴァランと初めて来たときに見た光景が思い出され、思わず頬を緩める。


 あのとき、あんなに怖がっていた少年は今では大分魔法を使えるようになっている。魔力の制御もできているから、大きく感情を動かしても魔力を暴走させることはもうないだろう。


 ちらりとヴァランの顔を見る。彼もどこか懐かしそうな顔をして、孤児院を見ていた。そこで、視線に気がついたのかヴァランがオクルスの顔を見る。


 もっと、感情に溢れた表情をしているかと思っていた。しかし、ヴァランはどこか凪いだ目をしていて、落ち着いた表情をしていた。


「どうしました? 方向に迷いました?」

「いや、見えているから分かるよ」


 ヴァランの中で、オクルスはどう思われているのか。頼りなく、意味が分からない人間であることだろう。


 オクルスは苦笑しながら、地面に向かって高度を下げていき、ふわりと降り立った。


 ◆


 到着したあと、オクルスは院長室へと案内されたが、ヴァランは別の先生や子どもたちと話に行くと言っていた。4年も経ったのだから、子どもの入れ替わりもあるだろう。しかし、養子に望む家が少ない場合、知っている子も残っているのかもしれない。


「お久しぶりです。物従の大魔法使い様」

「お久しぶりです」


 オクルスはにこやかに返事をした。ヴァランが幼い頃から面倒を見ていただろう院長は、ずっと口元に笑みを浮かべている。親しみやすそうな人だ。


「あの子は元気にやっているようですね」

「はい」


 嬉しそうに頷いた院長は、笑みを絶やさないまま言った。


「ヴァランに何か変わったことはありますか?」

「前より大きくなりましたし、魔法の扱いには困らないでしょう。あの子が1人で生きていけるくらいの技術は教えたと思いますし、仕事を見つけるのにも困らないでしょう」


 ヴァランの将来について話したところでふと考えた。


 そういえば、オクルスが死んだあと、ヴァランは1人になってしまうのだろか。彼の親はヴァランを孤児院に捨てるように置いてあったようだから両親がいたところでヴァランの力にはなってくれないだろう。


 そうだとしても、情報があるのなら欲しい。オクルスはカップを置いて姿勢を正した。


「そういえば、院長先生はヴァランの出自などご存じないですか?」


 驚いたように瞬きをした院長だったが、ゆっくりと首を振った。


「存じておりません。あの子は孤児院の門のところに置き去りにされていたので」

「そうですよね」


 それが分かるのなら、すでに何らかの連絡はあっただろう。駄目元で聞いたため、落胆もしない。


 黙ったオクルスを見て、院長が尋ねてきた。

 

「あの子がこの孤児院に来たときに着ていた服をご覧になりますか?」

「いいんですか?」

「はい。いつか渡そうと思って倉庫に保管しています。取ってきますのでお待ちください」


 院長がいなくなった部屋の中で、座った状態のまま部屋の中を見渡した。院長室が特に華美なことはなく、普通の部屋だ。国からの補助金の着服などはしていなさそうだから、問題のない孤児院なのだろう。


 ヴァランが置き去りにされたのが、この孤児院だったことは幸いだったのではないか、というのがこの部屋を見た感想だ。


 4年もあったのだから、ヴァランの出自についてもっと早く調査をしておくべきだった、と言われればそれはそう。苦笑しながら、またお茶を口に含んだ。


 ◆


「こちらです」


 手渡された赤ちゃん用の服にオクルスは触れた。思った以上にふわりとした手触りに目を見張る。洗濯はしたのだろうが、それ以上に質が良い。


「え? これですか?」

「……はい」


 院長も分かっているのだろう。この高級そうな布の服を使っていたということは「普通の家」ではない。


 どこかの金持ちの商人の子どもか、あるいは貴族の子どもか。王族の可能性すらも考えてしまい、オクルスは頭を抱えた。


「あー……。だから、私が預かると言ったとき、すんなりと話が進んだんですね」

「はい」


 ヴァランが何か「訳あり」であることを察していたから。オクルスの所で魔法を鍛えた方が、彼の身を守ることに繋がる。そう考えたということか。


「物従の大魔法使い様、あなたを利用して申し訳ありませんでした」

「利用?」

「あなたの所だと、あの子が安全に生きられる。そう思ったから、この秘密を隠したまま、あなたに預けましたから」


 それなら確かに「利用」だと思う人間もいるだろう。しかし、オクルスは首を振った。


「いえ。元々、私からの提案でしたので」


 ヴァランを預かるという提案自体はオクルスから出たこと。院長が申し訳なく思う必要もない。ヴァランが何か事情がありそうな子どもという情報を言われなかったことも、理解はできる。それを伝えてオクルスが預かるのを断ったとき、さらにヴァランや孤児院が窮地に立つ可能性があるから。


 もっとも、それを隠したことでオクルスを怒らせる可能性があったという点では、危ない綱渡りのようにも見えるが。結果的に悪い方へと転がることはなかっただろう。


「ありがとうございます」


 そう言う院長に、オクルスは罪悪感を抱く。


 オクルスはヴァランに嫌われる行動しかしていないのだ。お礼を言われるようなことはできていない。


 オクルスにヴァランを託してくれた人のためにも、ヴァランを生かさなければ。それにあたって、ヴァランの出自を調べることも必要になるだろうか。

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