表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/115

43、きっと上手くいっている

 自室。オクルスは水魔法でハンカチをぬらし、それを左頬にあてた。人に殴られたことはあまりないから対処は分からないが、大体は冷やしておけば良いだろう。


 ハンカチが左頬に触れた瞬間、ピリッとした感覚がして、オクルスは顔を顰めた。


「いたっ……」


 ルーナディアは本気で殴ったことだろう。鏡を見ると結構腫れている。それはきっと、ヴァランのことを考えた平手打ち。これは、オクルスが受けるべき痛み。


「痛い、ね」


 ヴァランは、きっとこれ以上の心の痛みを味わっていたことだろう。もう、感じなくなっただろうか。ルーナディアと会って、話をして、心が楽になったところだろうか。


 オクルスのことを大切に思わないでほしい。その気持ちは、要らないから。そんなことより、彼が闇堕ちをすることなく幸せに生きていけますように。


「本当に、厄介だ」


 自分自身が面倒で仕方がない。


 ルーナディアと会話をすることではっきりと自覚をした。オクルスはヴァランに嫌われないといけないのと同時に、自分の庇護下には置きたいと思っている。自分の手元からヴァランを手放すことも恐れているのだ。


 理由は単純。自分以外に信用できる人は少なく、ヴァランを守れると断言できる人が少ないから。


 エストレージャなら、ヴァランを預けることはできる。彼は間違いなく強い。しかし、オクルスが頼り切ってしまっているエストレージャに、これ以上頼みたくない。


 他に警備面で信頼できるのは、学園。学園の先生は優秀で手練れが多い。大魔法使いになっている人はいなくても、それに手が届きそうな人間が多い。外からの襲撃などは起こりにくい。


 やはり、学園に行くまではオクルスの近くにいてもらうのが安全なのだ。


 それは「嫌われる」という決意と自分の手元から逃さないという2つの両立を成功させなくてはならない。


 それはできるのか。分からない。それでも、やるしかない。


 オクルスは椅子に腰を下ろした。背もたれに身を預けると、ぎしりと音がなる。そのまま天井を見上げた。


「ヴァランが私のことを、便利な金づるくらいに思ってくれたらいいんだけどね」

 

 ふと、口から出た言葉。悪くは、ないかもしれない。それを目指せば、どうだろうか。


 今でもヴァランに必要な物は渡しており、お小遣いもそれなりの額を渡しているはず。しかし、それでも「金づる」というのには足らないだろう。


 オクルスはそれなりにお金を稼いでいる。大魔法使いを逃したくない国は、それなりの給金を大魔法使いに払う。また、オクルスは少しではあるが国政の一部に、魔法に関する部分で関わっているため、給金はある。


 しばらくは、ヴァランの金づるになるという方向で行こう。

 

「はあ……」


 眠くなってきた。外はまだ明るいはずなのに。エストレージャが帰ってくるまではしばらくかかるだろうし、寝てもいいだろうか。


 一瞬そう思ったが、オクルスが寝ている間にルーナディアへの刺客でも来たら終わりだ。ヴァランも殺される可能性が出てきてしまう。


 目を覚ますためキッチンに向かって、珈琲を淹れはじめた。この世界にも珈琲があって良かった。眠いときに重宝している。


 前世でも、珈琲を飲んでいたんだったか。前世の断片的な知識を掘り起こすと、確かに飲んでいたような気がする。仕事をしていたときに、手放していなかった。それでは、自分の仕事はなんだっただろうか。


 考えても、思い出せない。やはり全てを覚えているわけではないのだ。


 ぼんやりとしていたらしい。気がつけば目の前で珈琲はできあがっていた。それをコップに零さないように入れながら、オクルスはため息をついた。


 この、記憶。それは、信じて良いものなのだろうか。一夜にして記憶に戻ってきたあの小説の記憶。それを指針にして動いていたが、それが蜃気楼であったとしたら。


「そんなはず」


 ない、とは言い切れなかった。だって、他の記憶は曖昧なのに小説の記憶は確実なんて異常。


 血の気が引きそうで、軽く首を振る。今まで指針にしたもの全てが崩れ落ちそうな嫌な感覚がして。


 オクルスはそれ以上考えるのをやめた。考えては、駄目だと思った。


 ◆


 ぐっとこめかみを押さえながら手元の資料を確認した。エストレージャがこの前持ってきた追加の資料を見ながら考える。


 今はこの国のために仕事をしているが、別にオクルスはこの国にこだわりはない。エストレージャと出会わなければ、世界を旅しようかとも考えていたほどだ。しかし、それも世界を見たいのではなく、「どこか、自分を知る人がいないところに行きたい」というほどの気持ち。


 特に未来への望みはない。ヴァランのことがあって、初めて何かのために動き出したような気がする。


 ふと窓の外を見た。こちらに向かってくる馬車が見える。エストレージャはすぐに戻ってきたようだ。そろそろルーナディアに声をかけた方がいいか。


 オクルスがそう考えているところで、扉を叩く音がした。


 エストレージャに気がついたルーナディアが、声をかけに来たのだろうか。オクルスは特に何も考えず、扉を開いた。


 そこに立っていたのはヴァランだった。ルーナディアかと思っていたため、その身長の差に慌てて視線を下げた。

 

 ヴァランが、青の瞳を大きく見開いた。その視線の先は、オクルスの顔だった。ルーナディアに平手打ちをされた、左頬。


 ぶわりと広がる青は、まるで荒れた海のようだった。


 それに気を取られているうちに、ヴァランがオクルスの腕を押さえるように触れた。


「大丈夫ですか!? 痛い、ですか?」


 その蒼白になりかけた顔を見て、オクルスは息を呑んだ。まるで自分が殴られたかのように、ヴァランは悲痛そうな顔をしている。


 まだ、オクルスのことを心配してくれるのか。そう考えた途端、嫌な予感がする。


 もしかして、失敗している? 目の前が真っ暗になった気がした。


 違う。自分は、失敗なんてしていない。ヴァランは自分のことを、嫌いになってきているはずだ。その、はず。そうならないと、いけないのに。


 呼吸が浅くなってきて、息苦しい。


 自分がしていることが無意味だと思えてしまうと、オクルスは全てを失った気分になりそうだ。きっとオクルスは耐えられない。


 オクルスは、自身に触れたヴァランの手を振り払った。


「さわら、ないで」

「大魔法使い、様」


 驚いた顔をしたヴァランが、絞り出すように声を出した。その瞳の寂しそうな色は、まるで置き去りにされた子どものようだった。


 思わず手を伸ばしそうになり、それをどうにか押しとどめた。ぐっと息を吸う。


 2人の間に沈黙が流れた。オクルスがヴァランから目を逸らすと、ヴァランの声が耳に入った。


「その頬は、どうしたんですか?」


 ヴァランの方を見ると、彼が心配げにこちらを見ていた。僅かに水の張った青に吸い込まれそうな心地がしたため、ふいとまた目を逸らす。


「転んだだけ」

「……」


 オクルスの冷め切った声に、ヴァランは何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。黙ったまま目の前から動かないヴァランに、オクルスは尋ねた。


「それで用事は?」

「……ルーナディア殿下が、お帰りになるようです」

「そう。ありがとう」


 オクルスはヴァランを追い越して、ルーナディアのいるであろう方へと向かった。後ろからじっと自分を見つめる視線を感じていたが、それは気づかないふりをした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ