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42、平手打ち

 オクルスはちらりと侵入者に目を向けた。このような場合、どうするのが良いか。先ほどのエストレージャが殺気を向けて以降は特に大人しくしているが、ずっとこうやって見張るわけにもいかない。


「この侵入者たち、どうする?」

「あー、そうだな。俺が先にこいつらを連れて城に戻るか」


 エストレージャからの提案に、オクルスの頭には疑問符が広がる。エストレージャが城の侵入者を連れていくこと自体は問題ないが、ルーナディアはどうすれば良いか。


「ルーナディア殿下と同じ馬車で来たでしょう?」


 オクルスの混乱とは別に、エストレージャの中では考えがまとまっていたようだ。


「ああ。だから、城に行ってからもう一度戻ってくる。少し時間がかかるが、それまでルーナディア姉上を頼む」

「うん」


 侵入者を放置しておくわけにもいかないから、それが最善だろう。オクルスの家に空き部屋は一応あるが、この侵入者を塔に入れたいとは思えない。


「ルーナディア姉上は、ヴァランと一緒にいるだろうから……。少し俺が用事で外すとか適当に言っておいてくれ」

「うん」


 ヴァランの前で、侵入者の話をしない方が良いという配慮だろう。オクルスは辺りを見渡した。塔の前まで2人を送ってきた馬車が、今は近くになさそうだ。


「護衛はつれてきてるの?」

「塔の近くで待機させていた。お前は、自分の塔の敷地に人が多いと管理が大変だろう?」


 オクルスの固有魔法による管理を想定しての配慮だったらしい。いつもエストレージャが1人で来る理由も、そうだったようだ。知らなかった。


「気遣いありがとう。でも、君がいない間は近づけた方が良いかも」


 エストレージャほどの武力の持ち主がいたときは、気にしなくても良かったが、流石に彼がいないときに護衛が遠いという状況は避けた方が良いだろう。ルーナディアに何かがあれば、全てオクルスの責任問題となるから。


 そんなオクルスの考えをすぐに理解したのか、エストレージャも頷いた。


「分かった。門よりは外に配置しておく。敷地の中には入らないように厳命しておくから」

「助かるよ。ありがとう」


 ◆


 エストレージャが城へと戻ったあと、オクルスはヴァランの部屋の扉を叩いた。扉を開けずに声をかける。


「ルーナディア殿下。少しお話が」


 そう言うと、中から足音が近づいてくる。オクルスが待機をしていると、ゆっくりと扉が開かれた。


 ルーナディアの金の瞳が、オクルスを見る。その金には、どこか厳しい色を含んでいた。しっかりと扉を閉めたルーナディアが、オクルスに向き直った。


「オクルス様。覚悟を、お願いします」


 にこり、と笑った彼女の目は全く笑っていない。彼女が思いっきり手を振り上げたのが見えた。


 あ、不味い。彼女のしようとしていることを、本能的に理解する。


 ルーナディアの手が振り下ろされ、オクルスの頬に鋭い痛みが走る。彼女に平手打ちされたことは分かった。


 一瞬、視界が揺れる。脳に衝撃を受けたのか、頭がぼうっとした。


 ぼんやりとしたまま、左頬に手を当てる。少し切れたのか、ピリッとした痛みがする。だんだんじんわりと痛みが広がり、顔を顰めていると、ルーナディアの声がした。


「正気になりました?」


 その声で、オクルスはルーナディアの方を見る。彼女の表情は、やはり険しい。オクルスのことを訝しむように見ている。


「……何がですか?」


 状況が分からない。なぜ、オクルスは正気を疑われているのだろう。訝しむオクルスに、ルーナディアは困ったような顔をした。


「ヴァランに、あなたがあの小瓶を開けてから様子がおかしくなった、あの小瓶の中身は何だったのかと聞かれたので」

「ああ……。なるほど」


 ヴァランがそう思うのは仕方がない。オクルスがヴァランに嫌われようと動き出したのは、あの小瓶を貰った次の日だったのだから。


 あの小瓶により、気が狂ったと思うのは自然。


 しかし、ルーナディアに平手打ちという労力を使わせて申し訳がないが、事実は違う。

 

「残念ながら、私は元々正気ですよ」

「え?」


 ルーナディアが目を見開いた。


 正気だ、とは言ったものの。自分で言っておきながら、そのことが疑わしく思えてきた。


「いや、正気、なのかな……?」


 本当にオクルスは、正気なのだろうか。前世とかいう変なものを覚えており、ここが小説の世界だと思い込んでいる。ただ、それに近しい記憶があるというだけ。前世について覚えていることは断片的。


 もしかしたら、とっくに正気ではないのかもしれない。しかし、それを確かめる術もないのだから、突き進むほかない。


 オクルスが俯くと、ルーナディアの真剣な声が耳に入った。


「殴ったのは謝ります。ですが、あの子を引き取っておいて、なぜ先ほどのような態度を? この前はもっと柔らかい対応だったと思いますが」

「……」


 何も答えられず、オクルスは顔を上げなかった。そんなオクルスに、ルーナディアはさらに言葉を重ねる。


「もし、何か事情があるのでしたら、お力になりますが」

「……」


 オクルスは顔を上げたが、何も言わなかった。言えなかった。


 ルーナディアに事情を説明する? そんなことをしたら、本当に「正気を失った」と思われるだろう。


 やはり、何も言えない。そんなオクルスを見て、ルーナディアが軽く首を傾げた。


「あなたがヴァランを大切にしないなら私が……」


 それに続く言葉はすぐに予想できた。ルーナディアがヴァランを引き取る、と言いたいのだろう。

 それを遮って、オクルスは言い放った。


「あなたは駄目です」

「え?」


 動きを止めたルーナディアに、オクルスはたたみかけるように続ける。


 ルーナディアは、駄目だ。


「そちらの方が正気を疑います。王位継承権で荒れている今、城にあの子を送り出す? 婚約者のいないあなたのところに? ヴァランがどんな目で見られる、と? 冗談でも、あり得ない。絶対に駄目です」


 つい、苛立ちから口調が荒くなった。


 まず、王位継承者が決まっていない間、城の空気は殺伐としているはずだ。そんな城に送り出すのは危ない。


 また、婚約者がいないルーナディアが目をかけた少年、というように見える。人は勝手に噂をする。ルーナディアがヴァランを婚約者にしたい、未来の王配かと考えるだろう。


 すると、どうなるか。ルーナディアが王女になることを想定し、王配の座を狙っていた貴族からのやっかみ。下手をすれば暗殺。


 絶対に、駄目だ。


 オクルスの顔を見たルーナディアは、また困ったような顔をした。


「私には、分かりません。オクルス様。そんなにあの子のことを大切に思っているのに、なんであんな態度を?」


 どくり、と自身の鼓動が妙に響いて聞こえた。ヴァランは何も聞いてこなかったし、エストレージャも問わなかった。


 ルーナディアに聞かれるのが、初めて。


 それでも答えようとは思えず、オクルスはゆるゆると首を振った。


「……あなたが知る必要のないことです」

「そう、ですか」


 オクルスとルーナディアの間に沈黙が流れる。彼女からの質問を拒絶したのだから、何を言えば良いのか分からない。


 オクルスの顔を見たルーナディアが、丁寧に頭を下げた。


「殴って申し訳ありませんでした」

「……いえ」


 ルーナディアは細身で非力そうに見えるが、意外と力は強かったのだなあ、と腫れてきた頬に触れながら考える。


 いや、よく覚えていないが、もしかしたら風魔法を使いながら平手打ちをしたのかもしれない。


 ルーナディアが慌てたように言った。


「ヴァランに殴るように頼まれたわけではないので、誤解なさらないよう」

「……そうですか」


 てっきり、ヴァランがルーナディアに助けを求めたのかと思ったが。この様子だと、ルーナディアがヴァランから聞き出したのだろう。


 オクルスのことを気づかわしげに見たルーナディアが、不思議そうに尋ねた。


「光魔法で、治療なさらないのですか?」

「私は平凡な人間ですので、自身の治癒をできないのです」


 光魔法の中には、治癒魔法が含まれている。

 治癒魔法を自身にかけるのは、相当な技量がないとできない。オクルスは、残念ながらその領域には達していない。


 可能なのは、レーデンボーク。きっと彼を知るからこそ、オクルスもできると思ったのだろう。


 まあ、正直必要だと思ったこともないが。


 オクルスの言葉を聞いてハッとしたルーナディアが、気まずそうに目を伏せた。


「あ……。申し訳ありません。てっきり、可能なのかと」


 だからこそ、手加減なく殴ったということか。大魔法使いの、オクルスを。


 口元を緩めながら、オクルスはまた首を振った。


「私が無力なだけなので構いません。それに殴られて当然ですから」


 自身の治癒をできないのはオクルスの問題であるから、謝られる必要はない。


 それに加えて、殴られて、当然のことなのだ。オクルスは、非道なことをしているのだから。傲慢にも人の感情に干渉しようとしている。一発では足りないくらい。もし、この計画が成功すれば、ヴァランにオクルスを殴る許可を与えるべきかもしれない。その時点ではオクルスはこの世にいないかもしれないが。遺書にでも書いておこうか。


 なぜか驚いた顔をしているルーナディアをちらりと見て、オクルスはきっぱりと言った。


「あなたのお怒りはもっともです。ですが、行動を変える気はないです」


 それでも、今回の行動でルーナディアを少し信頼できると思った。


 ヴァランのために、「怖い存在」であるはずのオクルスを殴ったのだから。それほどヴァランのことを考えてくれる人だ。なぜかは知らないが。


「オクルス様、そういえば、まだ時間はあると思いましたが、何かご用事でしたか?」


 オクルスは考え込んでいたが、ルーナディアの声で彼女に視線を移した。忘れていた。オクルスはエストレージャのことを伝えにきたのだった。


「ルーナディア殿下。エストレージャ殿下は少し用事で外しております」

「用事、ですか?」

「ええ。ルーナディア殿下への『お客様』を、もてなしたので」


 彼女にこれで伝わるか。ルーナディアの顔色を窺っていると、一気に表情を強張らせた。しっかり伝わったらしい。


 ルーナディアが丁寧に頭を下げてきた。


「……申し訳ありません。ご迷惑を、おかけしました」

「構いません。呼びつけたのは、こちらなので」


 ルーナディアに謝られたが、逆に申し訳なくなってしまう。オクルスが呼びつけなければ、ルーナディア目当ての侵入者は来なかったはず。あぶり出せたという意味では良かったのだろうか?


 ルーナディア側の事情は分からない。知る必要は、ない。


「エストレージャ殿下が戻ってくるまで、しばらくかかるでしょう。ヴァランといてください。私は自室にいますので、何かありましたらお声かけください」


 オクルスからの提案に、ルーナディアも頷いた。話が終わり、急に頬の痛みが気になりだした。それをルーナディアに気づかれないよう、オクルスは自室へと戻った。

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