40、招待
会議が終わって数日後。オクルスは自室で手帳を広げていた。いつものように思考を整理しながら日本語の文字を書いていく。
ヴァランから嫌われているかどうかを確認するために何ができるか。しばらくの間考えていた。
普段、ヴァランの様子を見ていても、嫌いになっているか分からない。表情はコロコロ変わる子だが、そこまではっきりと負の感情を見せるタイミングが少ない。
そもそも、ヴァランが嫌いなものは何だろうか。ヴァランが何かを嫌いと言っているところはあまり見たことがない。
「あ」
そこで思い当たる。ヴァランが「嫌」だと言ったことが1つだけあった。
それは、ルーナディアがオクルスへとよく分からない求婚をしたとき。ヴァランはオクルスがルーナディアと結婚をするのが嫌だとはっきり言った。
あれは、ヴァランの初恋がルーナディアということだろうか。
あのときの言葉を思い出そうとしたが、その後に前世の小説の話を思い出してしまったせいであまり記憶がはっきりしない。
ヴァランは、「オクルスが結婚することが嫌」だと言ったんだったか。それとも「オクルスとルーナディアが結婚することが嫌」だと言ったか。
「どっちだったかな……」
そのどちらかで大分変わる気がする。それにしても、ヴァランが「オクルスに結婚してほしくない」という方の意味合いの場合、やはり居場所がなくなるという理由だろうか。
そこで思い立った。
ルーナディアの名を出したときの反応を見るというのはどうだろうか。彼女の名が出たときに、ヴァランの表情がどのように変わるのか。それを見ながら探ってみようか。
◆
「ヴァラン」
「はい!」
無言の食事中、いきなりオクルスが声をかけると、ヴァランは青の瞳を大きく見開いた。それに気がついていながら、オクルスは素知らぬ顔で続ける。
「ルーナディア殿下に会いに行きたくない?」
ヴァランの青の瞳を見ていられず、目を逸らした。そんなオクルスに、ヴァランの弾んだ声が届いた。
「会いたいです!」
オクルスはヴァランに視線を戻した。即座な返答。ヴァランの明るくなった表情。きらきらとした瞳。
流石に今のヴァランの気持ちは分かる。彼は、喜んでいる。
やはりルーナディアが初恋相手と考えるのが自然。
「……そっか。王子様を通じて、ルーナディア殿下にお願いしておくね」
ずしりと胸に重しが乗った気がする。しかし、間違いなくオクルスはほっとした。自分の存在が、ヴァランの中から少しずつ減っていることに。
上手くいっている。このままで大丈夫。大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、オクルスは立ち上がった。目の前の皿は空であり、それを手にキッチンへと向かう。
「大魔法使い様、あの……」
「じゃあ、先に部屋に行くから」
「……はい」
何か言いたげだったヴァランを置いて、さっさと片付けまでを済ませて部屋へ戻る。
自室でオクルスは、ヴァランが何を言いたかったのかを考えて、ぽんと手を打った。
「そっか。城に行くなら、ルーナディア殿下に手土産が必要か。準備しないと」
ヴァランはそれを言おうとしたが、オクルスが冷たいから、言い出しにくかったのだろう。
それにしても、王族への手土産で下手な物は渡せない。「オクルス自身が選んだ」という事実がなければいけない。
「買いに、いくか……」
オクルスから提案しておいてだが、ルーナディアと会うのにはそれなりのリスクがある。王位継承について注目されている今、ルーナディアの周囲は目が多いだろう。
最初は城にヴァランを連れて行くつもりだったが、オクルスはふと思い立った。
「この塔に招く方が安全かな?」
城だと、特にルーナディアを見張る目が多そうだ。前回、オクルスと接触をしたのも見られていただろう。それで第1王女派として見られること厄介だ。オクルスの領域に招いても誤解はされそうだが、会っている間の人目は避けることができる。
オクルスの塔に、許可なく立ち入らせることはしないから。この塔は、オクルスの身体のようなもの。
「まあ、どこで会うかについては、こちらから手紙を書いて、向こうに決めてもらえばいいか」
オクルスが勝手に考えているだけで、そこまで王位継承争いは荒れていないかもしれない。どちらか裏では決まっている可能性すらある。それもエストレージャに聞かないと分からない。
すらすらとエストレージャに手紙を書いて、オクルスはそれを窓の外に放り投げた。魔法を使っているため、エストレージャの部屋に届くことだろう。
手紙を出したオクルスは、また考え事へと戻った。
現状、ヴァランからルーナディアへの好感度が高いとして。
「うーん、難しいところだね」
仮にヴァランがルーナディアの所で生活をしたいと言い出したとき、それは止めるつもりだ。もちろん、オクルスに権限があるわけではないが。ルーナディアのところに行くくらいなら、エストレージャの方に行けというつもりだ。ヴァランに、王位継承争いの道具になってほしくはない。
「難しいね」
オクルスの近くにはいてほしいが、嫌われてほしい。なんて面倒なことを考えているのか。
◆
ルーナディアと会う日はすぐに決まった。場所もあっさりと決まり、オクルスの塔で会うことになった。
ルーナディアにわざわざ来てもらう礼と、この前のもらった香りのする液体の入った小瓶をもらったお礼として、街で買ってきたクッキーを渡すつもりだ。
オクルスが居間でソファに座ってルーナディアが来るのを待っていると、ヴァランも自分の部屋から出てきた。
ヴァランの青の瞳が、オクルスに注がれている。そんなヴァランに、オクルスは何も言わなかった。青を揺らしたヴァランだったが、オクルスの隣に黙って座った。
その距離は遠いものではない。手を伸ばせば余裕で届く距離だ。
その距離にいることを、ヴァランはまだ許してくれるのか。少し嬉しく思ってしまった自分を呪った。この期に及んで、そんな甘い考えを捨てきれない自分が憎かった。
嫌われる。嫌われるのだ。そうすると、決めた。
オクルスは、ヴァランに手を伸ばすことはしなかった。ヴァランも、触れてこなかった。
外から馬車の音がする。オクルスが立ち上がると、それにヴァランもついてきた。塔の部屋へと続く階段を降りたところで、馬車が目に入った。
そして先に降りたエストレージャが、ルーナディアに手を差し伸べている。それを待機していると、紫の髪を揺らしながら降りたルーナディアが、こちらに気がついてにこりと笑った。
「お招きいただき、ありがとうございます」
オクルスは、ルーナディアに軽く頷いた。できる限り丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそ、ありがとうございます」
口元だけに笑みを浮かべて挨拶をする。その後、オクルスはヴァランの方を振り返った。
「ヴァラン。君の部屋にルーナディア殿下を案内しな。エストレージャは借りるね」
その青の瞳は、じっとオクルスを見つめていた。ヴァランが何を言おうとしたのか、一度口を開きかけた。しかし、そこから声はこぼれてこなかった。
もうヴァランへの用事は伝えたとばかりに背を向けて塔の扉を開こうとしたオクルスに、後ろから声がかかった。
「大魔法使い様」
「なに」
オクルスを呼び止めたヴァランを振り返る。自分の表情は、冷たいものになっているだろうか。
「……なんでも、ないです」
俯いたヴァランは、結局何も言わなかった。この場の空気が、異様なものになっているのを気がつきながら、オクルスは塔の扉を開いた。




