35、唯一の友への頼み
その日から、オクルスはヴァランと接する時間を減らした。できるだけ目を見ず会話をし、できるだけ無表情で1日を過ごす。
最初の方、ヴァランはたくさん話しかけようとしていたようだった。
「大魔法使い様」
「……なに」
「……今日、天気が良いですね」
「うん」
ヴァランからの会話を簡単に終わらせる。そのたびに彼が浮かべる悲しそうな顔に息ができなくなりそうだった。
しかし、ここでオクルスが失敗をすれば。ヴァランの闇堕ちにつながってしまうかもしれない。
次第に諦めたのかヴァランはあまり話しかけなくなった。
ヴァランとしっかりとした会話をするのは、勉強や魔法を教えるときだけ。勉強や魔法、日常の知識などを教えておくことで、彼が独り立ちできるように。
数週間経って、その状態にたどり着いた。
オクルスは自室で深く息を吐いた。ヴァランに対して最低限に接することにも慣れてきた。慣れてしまってきた。そんな自分に嫌気が差しながらも、やめるという選択肢はとれない。
きっとそのうち、ヴァランはオクルスに愛想を尽かす。塔を出て行きたいと思うはず。そのときに、生きる力をもっていなければ、彼はオクルスから逃げられない。
だからこそ授業はしっかりしないといけないのだが、オクルスだけで足りているのか分からない。
オクルスの苦手な分野もやらないといけないだろう。学生時代に使っていた資料を探して学習し直した方がよさそうだ。
ずきずきとしている頭を押さえる。あの誘拐事件があった日のヴァランを抱き枕にしながら寝た感覚が忘れられない。明かりがあっても夜の闇が暗く感じられる。また、寝ようとしてもヴァランの悲しそうな顔がよぎって、上手く眠れない。
いつまでこの生活を続けるか。先が見えないと絶望的だが、一応目安の時間があるのだ。
国が運営する学園に入るとしたら、その入学年齢は13歳。大魔法使いの弟子だったら、学園に入る資格は簡単に手に入る。
あと5年程度。彼が学園に行けば、顔を合わせる機会は格段に減る。そして、それまでの間にオクルスを嫌いになっていれば、休暇期間中も帰ってくることはなくなるだろう。
国が運営している学園はそこそこの厳しい警備があるから、ヴァランの身の安全を守れる。
いつものように手帳に書きながら思考を進めているとき、外の門を人が通る気配がした。この塔に来る人間は限られている。恐らくエストレージャだ。
オクルスは手帳を机の引き出しにしまった。日記としてよりもメモ帳として使う頻度が増えてしまっている。
机の引き出しをしっかりと閉めたところで、ドアを叩く音がする。やはりエストレージャの声だった。
「オクルス、入るぞ」
「うん」
今は夕方だから、自身の仕事が一段落してから来たのだろう。オクルスは終わらせた書類をエストレージャに押しつけた。
「王子様。仕事、ちょうだい。前のは終わったから」
「……最近は特に速いな」
オクルスからの書類を確認しながら、エストレージャがちらりとこちらを見てきた。
「お前、最近ヴァランと喧嘩したのか? 俺が来るとき、前まではヴァランもこの部屋にいたのに、最近はいつもこの部屋にいないじゃないか」
「……そういうわけではないけど」
オクルスは目を伏せた。エストレージャに説明できるわけがない。
しかし、ここでエストレージャからヴァランの話が出てきたのは良かった。
真っ直ぐにエストレージャを見つめながらオクルスは口を開いた。
「エストレージャ。頼みが、あるんだ」
「……なんだ?」
僅かに目を見開いたエストレージャが、オクルスへと真剣に問いかける。いつもは「王子様」と呼ぶオクルスが、呼び捨てにしたから。
王子であるエストレージャに頼んでいるのではない。友人であるエストレージャに頼んでいるのだ。
「もし、私が死んだら。ヴァランのことをお願い。君しか、頼めない」
ルーナディアもヴァランに目をかけているようだったが、現状は信頼に値するかどうかの判断がついていない。
エストレージャなら信頼ができる。
彼は呆然としてオクルスを見つめていた。それもそうだろう。突然、死ぬとか言われても困るだけだ。
しばらく、エストレージャは黙り込んでいた。オクルスは何も言わなかった。俯いたエストレージャから出てきたのは、いつも堂々としている彼にしては弱々しい声だった。
「俺には、お前が何を考えているか、さっぱり分からない」
「うん」
それはそうだ。オクルスはちゃんとした説明をしていない。急に友人からこんなことを言われても困るだけだ。オクルスが言われる立場だったら、もっと取り乱していたはず。
「お前の考えを、教える気は?」
「ないよ」
「そうか」
顔を歪めたエストレージャが頭を押さえた。しばらくは考え込んでいたようだったが、オクルスに向き直ったエストレージャの表情は覚悟の決まったものだった。
「分かった。お前からの頼みなら」
「ありがとう」
ほっとした。これで、心残りはなくなった。仮に自分が死んだあとも、ヴァランの平穏は保たれる。
「オクルス」
「なに?」
名前を呼ばれて、そちらを見る。オクルスの目の前でエストレージャが膝をついた。
ぎょっとしたオクルスが何かを言う前に、エストレージャがオクルスの手を握りしめた。高貴さに満ちた金の瞳がわずかに揺れている。
「その代わり、死のうとはしないでくれ。何かあっても、なりふり構わず生き延びようとしてくれ」
「……」
自分は選択を間違えたのだろうか。唯一の友人が、こんなにも不安がるとは思ってもみなかった。
エストレージャにとって、オクルスは大勢いる友人の1人に過ぎないはずなのに。なんで。
「なあ、オクルス。助けが必要なら、俺に頼れ」
ああ。そうか。エストレージャはいつだって、誰にでも優しいのだ。オクルスにだって優しくしてくれるのだから。
「ありがとう。王子様」
きっと、この世界の理想的な王子様。それがエストレージャなのだ。オクルスだけに向いた優しさではない。
もしオクルスがヴァランの闇堕ちを防げなければ、この男は死ぬのだろうか。それとも、持ち前の身体強化の固有魔法を使って、生き延びるのだろうか。
エストレージャにも生きてほしい。やはり、ヴァランの闇堕ちを防がなくてはならず、このまま嫌われる行動を続けるしかない。




