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34、拒絶の始まり

 次の日の朝。そうは言っても一睡もしていないため、あまり朝という実感はない。外から照らす太陽の光の眩しさに、顔をしかめた。


「ご主人様」


 急にテリーの声がし、オクルスは肩を揺らした。いつからテリーはいたのか。全く覚えていない。恐る恐るオクルスは尋ねた。


「独り言、聞いてた?」

「はい」

「そう」


 取り繕うか迷ったが、すぐにやめた。今さら何かを言ったところで、オクルスが今から何をしようとしているか、テリーには全部バレただろう。


 オクルスはテリーに淡々と告げる。


「テリー。命令だ。絶対に昨夜から今朝にかけての私の独り言を漏らすな」

「かしこまりました」


 あっさりと言われ、オクルスは瞬きをした。いくらオクルスの命令には背けないとしても、もう少し何かを言うかと思った。


「止めないの?」

「あなたを止めたところで無駄でしょう」

「まあ、確かに」


 テリーやエストレージャに言われたことを素直に聞いたかと言われるとそうでもない。自分にとってはどうでも良いことなら素直に聞いていたが、自分で決めたことを覆すことはあまりしなかった。


 特に今回は、一晩かけて決意したのだ。いつからテリーがいたかは分からないが、それだけオクルスが悩んだ結果ということを知っているだろう。

 くしゃりと前髪をかき上げたオクルスは、テリーに向かって囁いた。


「テリー」

「はい」

「……あの子が落ち込んでいたら、慰めてね」


 オクルスだって分かる。今までそれなりに優しかった人間が、急に冷たくなったとしたら、落ち込むだろう。


 そう。ヴァランが落ち込むと分かっていても、オクルスは実行する。ヴァランを傷つけるという罪を背負って生きていくと決めたのだから。


 テリーの漆黒の目が、真っ直ぐにこちらを向いている。少し居心地が悪く、オクルスは目を逸らした。


「それは命令ですか?」

「ううん。ただのお願い」


 これは自己満足だ。テリーに頼んだところで、オクルスの罪は軽くならない。それでも、ヴァランに寄り添う存在が欲しかった。


「気が向いたらそうします」

「ありがとう」

 

 息を吐きながら、背もたれに身を預ける。徹夜したからか、頭が痛くなってきた。ヴァランに合わせて生活をしていたため、昼夜逆転していた生活も通常へと戻っていた。


 ずきり、と胸が痛い。オクルスの生活や人生に、ヴァランは強く根付いている。それを手放したくないと心のどこかで叫んでいる。


 それでも。ヴァランに生きてほしいという願いは忘れることがない。


「ご主人様。今なら、引き返せますよ」

「引き返せる?」


 薄らと口元に笑みを浮かべたオクルスは、否定の言葉を絞り出した。


「もう無理だよ。知らなかった頃には戻れない」


 その声は酷く震えていた。自分でも驚くほど。


 それでも、オクルスには恐れる資格もない。


 自分は被害者じゃない。加害者だ。ヴァランから大切にされておいて無様に死んだ小説の中のオクルス・インフィニティも、ヴァランに嫌われると決めた現在の自分も。


 ヴァランを傷つける悪。そこを間違えてはならない。


 立ち上がったとき、ぶわりと長い髪が揺れた。昨日の夜、三つ編みを解いたから勝手に広がっている。


 ふと思った。髪を切ろうか。今までの自分を捨てるために。極悪な人間となるために。


 引き出しからハサミを取り出し、髪に手をかけた。ハサミの刃を髪へと通そうとしたところで、部屋の扉をこんこんと叩く音がした。


 その音に手を止めたオクルスのもとに、部屋の外からヴァランの声が届いた。


「おはようございます、大魔法使い様。起きていらっしゃいますか?」

「……うん」

「朝ご飯はどうしますか?」


 ヴァランの声がする。昨日までと何も変わらない彼の声が。


 しかし。オクルスは昨日までとは違う。


「私が用意するから。1人で食べて」

「なんでですか?」


 ヴァランの声から感情を読み取ることはできない。

 目を合わせれば、彼を完全に拒絶できなくなってしまう。扉を開くこともなく、できるだけ冷たい口調でオクルスは言った。

 

「……人と食事をする気分じゃないから」

「……」


 しばらくヴァランは何も言わなかった。扉越しに気配を感じるのに。オクルスが返事を待っていると戸惑ったような声がした。


「わかり、ました」


 ヴァランが遠ざかる気配の後、オクルスは静かに息を吐いた。


 これをオクルスは今後も繰り返さないといけない。ヴァランとできるだけ必要最低限の会話しかせず、オクルスとの関係を希薄にする。そうすれば、きっと。冷たいオクルスのことを、ヴァランは嫌いになるだろうから。


 ぱりっと心にひびが入ったかのような気がした。しかし、それは気のせいだ。気のせいでなくてはならない。


 そしてこれはオクルスが抱えるべき痛み。


 手にしていたハサミを机の上に置く。ヴァランが来たことにより少し冷静になり、髪を切る気はどこかへ消えた。


 もともと、魔法を中心に生きている人間は、髪を伸ばす傾向にある。魔力は身体に巡る。それは髪も例外ではないため、髪を長く保つ方が短いよりも魔力を多く保有できるからだ。


 その事実を放置して、短絡的に髪を切ろうとするなんて。自分の愚かさに苦笑いしながら、長い髪をいつものように三つ編みにしたオクルスはキッチンへと向かう。


 その髪をとめるリボンは、もちろんヴァランにもらった物ではなかった。

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