25、贈り物
こんこんと扉の音がした。
オクルスが返事をすると、ヴァランが入ってくる。それに気がついてすぐ、オクルスは手帳を引き出しにしまった。
部屋着であるヴァランは、寝ようとしていたのは一目瞭然。そんな彼は少し申し訳なさそうにオクルスの顔を窺ってきた。
「大魔法使い様」
「どうしたの、ヴァラン。眠れない?」
こくりと頷いたヴァランに、オクルスは少し考え込んだ。
ヴァランの目は、嵐の中の海のように不安定だった。迷いながらもオクルスは部屋の中へと手招きをした。
「おいで」
おずおずと入ってきたヴァランは一度机を見た後、心配げにオクルスを見上げた。
「お仕事中でしたか?」
「ううん。大丈夫」
手帳は片付けてあったが、机の上はいつも通り荷物が散乱している。それを見てヴァランは心配していたのだろう。
ヴァランがこの部屋に来ることは何度もある。そのときに使う椅子へ腰掛けた彼は、少しの間俯いていた。
オクルスはそれに対して何かを言うこともなく、ヴァランの様子を見ていた。ぱっとこちらに青の瞳を向けたヴァランが、躊躇いがちに口を開く。
「大魔法使い様」
「ん? どうしたの?」
ヴァランが手に持っていた何かをオクルスへと差し出した。驚いたオクルスは、ぱちりと桃色の瞳を瞬かせた。
「これ、どうぞ」
「これは?」
「リボンです。大魔法使い様、いつも髪の毛を三つ編みになさっていますよね? 髪を結ぶのに使えると思ったので」
オクルスはヴァランから渡されたものをじっと眺めた。
ただのリボンには見えない。刺繍がされていて美しい物だ。
ヴァランの髪のような銀の布地。オクルスの瞳のような薄桃色の刺繍が入っている。花のような模様が繊細に縫われており、上質そうな手触りだ。
「これ、を。買いに行ったの?」
「はい」
オクルスは、ただ呆然としていた。
「なん、で?」
自身の声はみっともなく震えている。それでも、問いたかった。ヴァランがどんな想いを持っているのか。
オクルスに向かって、ヴァランがふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
「大魔法使い様は、僕にたくさんのものを与えてくれた。服や食事のような物はもちろん、魔法の使い方など実用的な手段も。僕も、何かを返したかったんです」
そんなこと、ないのに。
オクルスは心の中で即座に否定をした。
だってそれらの行動はオクルスの自己満足に過ぎず、勝手にやったことだ。しかも、オクルスに与えられるものは少ない。他の人の方がもっと与えられるはずだ。
ヴァランに嫌がられることはともかく、そこまで感謝をされるほどのことはしていない。
「もちろん、このリボンだけでは返せていないと思いますが」
「……いや、嬉しいよ。ありがとう」
どくどくと心臓の音がうるさい。今、何が起こっているのかが理解できないほどの喜びを感じている。
「この、ために、街に?」
「はい」
オクルスの声はやはり震えている。
わざわざ。オクルスのために。それだけのためにヴァランは街へと向かった。
その事実に、ぎゅうっと心が締め付けられる心地がする。
オクルスのために危険なことをしなくて良いのに、とか。何かを渡すことがなくとも良いのに、とか。
オクルスの心には様々な言葉が浮かぶが、それは口から出ることはなかった。
オクルスの顔を見て、ヴァランが眉尻を下げた。
「……不快でした?」
「え?」
「涙、が」
ヴァランの申し訳なさそうな声に、オクルスは自分の目元に手を当てた。冷たい水が手にあたり、オクルス自身が驚いた。
心配そうに顔を覗き込んでいるヴァランに、ゆっくりと首を振った。
「違うよ」
「え?」
「今までもらった物の中で、1番嬉しい」
オクルスの言葉にきょとんとしたヴァランは、おかしそうに笑った。
「大袈裟ですよ」
「……」
彼は冗談だと思ったのだろう。それでいい。構わない。
涙を雑に拭ったオクルスは、ヴァランへと微笑みかけた。
「ありがとう。大切にするよ」
「喜んでいただけたなら嬉しいです」
花がほころぶように笑ったヴァランだったが、すぐにしょんぼりとしてしまう。話の流れで、誘拐されたことを思い出したのだろう。
そんなヴァランの様子を見ていたオクルスだったが、唐突に対処法を思いついた。
「ヴァラン。眠れないなら、一緒に寝る?」
「……え?」
ぽかんと口を開けたヴァランを見て、オクルスは首を傾げる。何か変なことを言っただろうか。
「眠れない時って、温かいものがあった方が寝やすいでしょう?」
「……ですか?」
「え? ごめん、もう一度言って」
ヴァランの言葉が聞き取れず、オクルスはすぐに聞き返した。少し俯いていたヴァランが、オクルスの瞳を見つめた。
「大魔法使い様も、誰かと一緒に寝たことがあるんですか?」
唐突な質問にオクルスが固まる番だった。そんなオクルスの表情はどんな風だったのか。
ヴァランはどこか不満げでありながらも、怯えているようだった。彼は懇願するように声を出した。
「教えてください」
しかし、オクルスにはヴァランの表情の意味を考える余裕はなかった。
一気に身体が冷える感覚。喉が渇く感覚がして、唾を飲み込んだ。一度口を開くが、そこからは空気しか出てこない。無理矢理絞り出すように声を出した。
「ねこ」
「え?」
ヴァランに聞こえたのかどうか。目をぱちぱちとさせるヴァランを見ていると、先ほどよりは声が出やすくなり、するりと言葉が出てきた。
「昔飼っていた猫と一緒に寝たときが、1番よく寝られたよ」
オクルスはどうしてもテリーの方を見ることができなくなった。
「ねこって……」
「寝ようか。ヴァラン」
ずきりと頭が痛んで、オクルスは思わずヴァランの言葉を遮った。ヴァランをオクルスのベッドへと急かす。
驚いた様子のヴァランだったが、こくりと頷いてオクルスのベッドへと向かった。
オクルスは軽く息を吐いた。
――オクルスのせいで、本物の猫は死んだ。
その事実を思い出すだけで苦しくなる。息をゆっくりと吸い、そして吐く。胸の奥に蔓延る黒いもやを振り払うように。
オクルスもヴァランと共にベッドへと向かった。




