21、オクルスの変化
静まり返った部屋の中。外の鳥の鳴き声だけが部屋の中に響いている。
オクルスはちらりと時計を確認した。ヴァランが出かけてから、まだ時間は経っていない。それでも、時計の確認は何回目だろうか。
オクルスは、読んでいた資料を机の上に放り投げた。先ほどから文字が頭に入ってこない。これを続けたところで無意味だろう。
ふう、と息を吐いた。のろのろと立ち上がって、窓の近くまで歩み寄った。しかし、街の様子までこの塔から見えるはずはなく、再び息を吐いた。
ヴァランが無事かどうか。気になって落ち着かない。
自分がここまで人と関わることができるとは思ってもみなかった。
ヴァランと出会う前、友人はエストレージャくらいだった。そもそも関わろうとしてくる人間は、エストレージャを除けば、レーデンボークくらいだ。レーデンボークは敵対視してきているため、関わりたいわけではないだろうが。
一応、もう1人の大魔法使い、ラカディエラとはたまに交流はある。しかし、それは大魔法使いとしてであり、私的な会話はほとんどしない。
静かで、平穏で、波の立たない海のような日々だった。しかし、海に1人で浮かんでいるようで、それは置き去りにされたようで。どこか虚無感が拭えていなかった。
それが一変した。この塔にはいつも人の気配があり、食事を共にする相手がいる。目があえば、微笑みかけてくれる。
オクルスの世界に、鮮やかな色がついた。冷たかった世界に、温かな風が舞い込んだ。
世界から拒絶されているかのような感覚が、薄れてきた。
しかし、これは永遠ではない。そう自分に言い聞かせた。
この温かさ包まれているような感覚に慣れすぎてしまうと、戻れなくなってしまいそうだ。だから必死で言い聞かせるしかない。
見えもしない街を眺めながら、オクルスは目を細めた。
この街の治安は、国の全体で見れば悪くはない。それでも、オクルスの前世の世界よりは圧倒的に悪い。
「大丈夫かな?」
やはり1人で行かせるのは早かったか。自分の席にもどって、頭を抱えた。そわそわとした感覚が心の中に居座り、何度目か分からないため息をついた。
◆
「……」
読むのをやめた資料を片付けた後、やることもなく塔の外ばかりを見つめていた。
窓から空を見上げる。この世界も空は青く、雲は白い。幼い頃は、それだけで前世のことに思いをはせていたが、今ではあまりなくなった。前世のことはぼんやりとしか思い出さない。
ふと思い出す。この世界は、物語の中の世界なのだろうか。物語の中に転生しているのか、あるいは無関係なのか。
「んー」
この国の名前はベルダー王国。魔法が使える国で、王家の姓は「スペランザ」という。「大魔法使い」という存在が貴族とは別にいる。
とんとんと机を指で叩きながら考える。
……駄目だ。こんな情報で何も出てこない。オクルスは頭を抱えるが、それで記憶が蘇ることもない。
前世では暇なときには小説や漫画を読みあさっていた。そのせいで特定ができない。
聞いたことがあるような、ないような。「スペランザ」という単語は、どこかで聞いたことがあるかもしれない。それでも、前世の記憶をしっかり覚えているわけではない。気のせいの可能性もある。
そもそも、オクルスはこの国について詳しいわけでもない。物語の世界なら貴族が関わる話のことが多いと思う。今のオクルスは貴族ではないため、物語と関係がなさそうだ。それなら無理に思い出す必要はないだろう。
思考を止めて、また時計を確認する。先ほどから少ししか針が動いていない。オクルスは金の髪を雑にかき上げた。わずかに三つ編みが乱れる。それを認識しながらも直すことなく、立ち上がった。
「迎えに行くぐらいなら、いいかな?」
1人で街に行きたいとは言われたが、迎えに来ては駄目とまでは言われていない。そんな適当に理由をつけて、オクルスは箒を手に取った。
そのとき。オクルスの固有魔法に反応があり、動きを止めた。
ヴァランに渡したペンダント。それが3回叩かれた感覚。
危ないことがあったとき、もしくは何か問題があったときの合図。
「……」
元から様子を見に行こうとしていたため、出かける準備はできている。無言のままだが、心の中は不安で荒れ狂っている。オクルスは窓から街へと向かった。




