19、薄れる孤独感
連絡もなしに訪ねてきたエストレージャに、オクルスはお茶すら出さない。しかし、それに対してエストレージャが怒ることもない。
勝手にオクルスの部屋の椅子へと座ったエストレージャは、自室にいるかのような気の抜きようだ。足を組んでから口を開いた。
「ヴァランはお前の固有魔法を扱えそうか?」
「うん。できると思うよ」
ヴァランの固有魔法の確認をしたあの水晶がある部屋――水晶の間。そこには、「オクルスが塔に子どもを引き入れた」という噂を聞きつけた人、特に魔法の分野に長けた人々が集まってきていた。
その中でオクルスは、自身の固有魔法をヴァランに使わせると宣言をした。だから、エストレージャはヴァランの状況を気にしていたのだろう。
オクルスはヴァランの魔法の利用に関して、全く心配をしていない。その気持ちが返事に滲み出ていたのだろうか。それを聞いたエストレージャが、にやりとした笑みをこぼしながら言う。
「ヴァランが魔法を使えそうで良かったじゃないか」
エストレージャの笑みに含まれる感情が、ヴァランへの祝福だけではない気がする。オクルスはエストレージャの金の瞳を覗き込んだ。
「なんか、王子様、嬉しそうだね」
僅かに目を見開いたエストレージャだったが、すぐにその目を細めた。窓の外の太陽の光により、金の瞳がすっと濃い色を帯びる。朗らかなエストレージャにしては珍しく、どこか暗い笑みだ。
「あの固有魔法の特異性至上主義の連中の、驚いた顔は見物だったからな」
エストレージャの固有魔法は「身体強化」だ。このように身体の一部、もしくは全部を強化するのに類似する魔法を持つ人は多い。
そうは言うものの、エストレージャは身体強化に近しい固有魔法を持つ人の中でも、強い力を持つ方だ。しかし、そんなエストレージャの固有魔法も、「そこまで特異性は高くなく、平凡」と評される。
そんな彼だからこそ、あの場の空気を面白がっているのだろう。
ふと、オクルスのことを睨み付けてきた男のことを思い出す。
「君の弟も?」
「レーデンボーク? あいつは別にそんなこと考えてないだろう?」
あっさりとしたエストレージャの返事に、オクルスは瞬きを何度かする。
「そう?」
「ああ。もし気にしているなら、俺の言葉をまともに聞かないはずだ」
確かに。レーデンボークは、エストレージャの言葉を聞き、オクルスに文句ばかり言おうとしていたのをやめた。
それは、エストレージャの言葉を聞き入れているからであり、固有魔法が「平凡」とされるエストレージャのことを軽んじていないのに他ならない。
「じゃあ、なんで私はあんなに嫌われてるの?」
「それは、まあ」
じっとオクルスのことを見たエストレージャは、黙り込んだあとに目を逸らした。
その意味ありげな視線に、オクルスは首を傾げた。
「え? なに?」
「……あいつはまだ子どもなんだ。許せとは言わないが。大目に見てやってくれ」
「……子ども? 国政に関わる人間が子ども?」
「あー……」
オクルスやもう1人の大魔法使い、ラカディエラは国政にはほぼ関わらない。オクルスは、与えられた仕事をこなすくらいはする。しかし、積極的に会議に参加することはないし、国の運営にも関わらない。
それに対し、レーデンボークは違う。王族として生まれた彼は、幼い頃から国政に関わることを期待されていたのか、大魔法使いとなってからも積極的に補佐をしているようだ。
だからこそ、エストレージャの言うような「子ども」というのにすんなり納得ができない。オクルスよりも、ずっとしっかりしていると思うが。
「あまり人の事情は勝手に言えないが。そうだな……」
顎に手をかけて考え込んだエストレージャは、なぜかオクルスのことをまじまじと見つめてきた。オクルスが首を傾げても、その視線は剥がれることはない。
彼の脳内では様々な情報が巡っているのだろうか。そんなエストレージャを待っていると、彼はぽつりと言葉を落とした。
「少し似ているな、お前と」
「私と?」
「そうだな」
そう言われ、レーデンボークのことを考える。
国では英雄視されている。強大な力を持ちながら、怖がられることもない。
オクルスとは、全く違う。似ているところなんて、ない。
「どこが?」
「……」
一度口を開こうとしたエストレージャだったが、その口から言葉は零れてこなかった。しばらく待っていたが、彼は緩やかに首を振った。
「いや……。まあ、レーデンボークのことはいい」
「うん」
結局のところ納得することはできなかったが。それでもオクルスは考えるのをやめた。どうせ、レーデンボークと関わる機会なんて多くない。
「それでオクルス」
「ん?」
エストレージャが口元に笑みをのせながら、口を開いた。
「俺の固有魔法も、ヴァランに使わせるか?」
「え?」
「練習材料は多い方がいいだろう?」
「あー」
確かに、いつまでもオクルスの魔法だけを使わせるわけにはいかない。ヴァランはオクルスの手元から離れていくのだ。オクルスの固有魔法だけに慣れさせるのは良くない。
「確かにね、うん」
「……」
「もうちょっとヴァランが私の魔法に慣れたら、お願いしようかな」
ヴァランにとって、その方が役立つ。だから、エストレージャの申し出を素直に受け取ろう。
そう考えていたオクルスをエストレージャが凝視してきた。
「……ははっ」
「なに?」
驚いたオクルスは、エストレージャの顔を見る。エストレージャは笑いながら右手を振った。
「別にお前が嫌ならいい」
「そんなこと、言っていないけど」
「不満げな顔をしておいて、よく言う」
エストレージャに言われ、オクルスは自身の顔に手をあてた。自分がどんな顔をしていたというのか。
そんなオクルスを見て、エストレージャはくつくつと笑うばかりだ。
「別にお前からヴァランを取る気はない」
「……心配してないけど」
「どうだか」
自身の言葉を全く信じていなさそうなエストレージャを見て、オクルスは眉をひそめた。
「そもそも、あの子は私が預かっているだけだし」
「俺としてはお前が人を世話出来ていることが驚きだが」
「そう? テリーのお世話もしているのに」
「お前がテリーに世話をしてもらっている、の間違いじゃないか?」
オクルスが睨み付けると、口角を上げたエストレージャが立ち上がった。その動作で肩ほどの長さの紅色の髪がふわりと揺れる。
彼の話は終わったのだろう。扉に触れる前に、エストレージャが振り返った。
「まあ、俺が必要ならいつも通り連絡をしろ」
「ありがとう」
ひらりと手を振ると、軽く頷いたエストレージャはそのまま部屋から出て行った。
1人になった部屋。どことなく空虚な心地になり深く息を吐いた。妙に部屋が広く感じる。
「大魔法使い様!」
窓の外からヴァランに呼ばれ、オクルスは窓から顔を覗かせた。こちらを見上げたヴァランが、庭の隅で花を指さしながら、手を振っている。
「見てください! 花が咲き始めてますよ!」
その花は、ヴァランが植えたものだ。オクルスの管理外のもの。ヴァランが植えたいと言って、彼自身が世話をしている。今も水をあげていたようだ。
こちらを見上げるヴァランは、満面の笑みを浮かべてきた。オクルスはそれを見ながら、頬を緩めた。
そう。オクルスは、今だけだとしても1人ではない。
間違いなく、オクルスの孤独感は薄れていた。
平穏。それをはっきりと自覚しながら、オクルスは笑みを深めた。




