12、猫のぬいぐるみは知っている
この塔をとことこと歩き回る存在。それはオクルスにより生み出された存在、テリーだ。猫のぬいぐるみであるが、ある程度勝手に動き回ることができる。
窓の外には闇が広がっている。この塔の近くに家はないし、そもそも人々が寝ている時間だ。
しかし、この塔の一部屋は明かりがついている。
てくてくと歩いていたテリーは、その部屋へと向かった。オクルスが何やら作業をしている。テリーはその机の上に飛び乗った。オクルスは何かを紙に書いている。
その紙を覗き込みながら、テリーは尋ねた。
「また日記書いているんですか?」
「それは、まあ。日記ってこまめに書くものでしょう?」
オクルスがどこか遠い目をして、ぽつりと呟いた。その表情は非常に暗い。
「それにしても……」
「なにに引っかかっているのですか?」
テリーは机の上を歩こうとして、オクルスが文字を書いた紙を踏みそうになり、慌てて避けた。
机の上は紙が散乱している。魔法に頼り切りのオクルス自身に物を片付ける能力はない。テリーはその紙を踏まないように気をつけながら、もう少しオクルスに近づいた。
彼の薄桃色の瞳は暗然とした色に満ちている。そんなオクルスがペンを回しながら呟く。
「ヴァランが部屋に逃げちゃったでしょう?」
「はい」
テリーにしてみれば、ヴァランの反応は仕方がないと思うが。
知らない場所に連れてこられて、いきなり大量の服を買われても意味が分からないだろう。特に、孤児であるヴァランは、今までの人生で「彼だけに与えられるもの」が少なかったはずだ。そんな中、一方的な親切は恐ろしいはず。
しかし、それはオクルスがどうにかしたのではなかったのか。テリーもあとでこっそり部屋を覗いたが。その後の空気が悪くなかったはずだ。
軽く息を吐いたオクルスがそんなに大きくない声で言った。
「ヴァランの魔力がたいして揺らいでいなかったんだよね。それって、私の行動に何も思うところがないってことだよね」
「……」
孤児院では、何かに感情を大きく動かしたであろうヴァランだが。オクルスの行動では、そんなに魔力が揺らいでいなかった。それは「オクルスの行動」でたいして心が動いていなかった。オクルスはそう言いたいのだろう。
テリーは何も言わなかった。オクルスの瞳は、テリーを見ていない。彼は別に答えを求めていないことが分かっているから。
オクルスが何もない空間を見たまま、言葉をこぼす。
「まあ、あの子にとって別に救いとなる必要はないから。うん。私はあの子の通過点でいい」
「……」
「それに魔力暴走を起こさないことに越したことはないよね」
テリーは、その紙を覗き込んだ。そして、心の中でため息をつく。
『ヴァランの未来を縛り付けている』と日本語で書いてあるのをみて、テリーはそれを知らないふりをした。
魔力が揺らがなかった理由が、ヴァランがオクルスに「怒られない」という確証を得ているからだなんて、思い当たっていないのだろう。
オクルスが厄介な人間であることをテリーはもちろん気がついているが。ヴァランも面倒そうだなあ、と思う。もちろん、テリーはまだヴァランのことを理解できていないと思うが。
迷子の子どものように、拗ねた表情をしているオクルスを見て、テリーは笑いそうになった。
「難儀な人ですねえ」
「君、難儀なんて言葉、知っているの?」
「ご主人様が使っていたじゃないですか」
「そうだった?」
テリーもよく覚えていないが。オクルスはどうせたいして気にしない。実際、オクルスは興味なさそうに紙に目を戻した。
「身勝手に家まで連れてきたあの子のことを大切にしないといけないけれど。それと同時にあまり、情を移しすぎたら駄目なんだよ」
「……」
顔を手で覆ったオクルスを見ながら、面倒な人だな、と思う。そんなに苦しむくらいなら、何もしなければいいのに。それでもこの人は、それができない。
自分に少し似ている子どもを放っておけないし、無下にもできない。
「身勝手に連れてきた」とオクルス自身が考えていても、それが全てではないことに彼が気がついていない。ヴァランにとっては、きっと別の意味を持つだなんて、オクルスは考えもしないのだろう。
「……難儀ですね」
「そんな繰り返さなくても」
不満げにしているオクルスを放置して、テリーは机の上から飛び降りた。彼が続きを書き始めたのを見てから、テリーはソファに向かっていき、その上に飛び乗った。
眠いわけではない。そんな感情はない。しかし、意識をぼんやりとさせることはできる。テリーはソファの上で丸くなった。
猫はこたつで丸くなる、というらしいし。まあ、テリーは本物の猫でもなく、この世界にこたつはないが。




