114、日常
結局、ヴァランの卒業という異例な措置を反対することもできず。オクルスはヴァランと共に塔へと帰ってきた。
ずっとにこにこしているヴァランに、オクルスはもう拒絶もできず、笑みを返した。
そんなオクルスの衣服を、ヴァランが引っ張った。
「オクルス様」
「なに?」
彼の方を見ると、少し悪戯めいた表情をしたヴァランが、服を握っていた手をオクルスの手へと移す。
「キスしても良いですか?」
「え? それは駄目。君、まだ20になってないでしょう」
甘えたように言われたが、オクルスはきっぱりと断った。すると、不満そうなヴァランが、わざとらしいほど頬を膨らませて言う。
「なんで20ですか? 別に10代で結婚している人もいますよね?」
「まあ、そうだけど……。私の感覚の問題。君、前世だと未成年みたいなものだし」
オクルスの中で、未成年の子に口づけるなんてしていいと思わない。正確には成人年齢は18だが、オクルスの感覚だと20でも似たようなもの。年上が未成年者にキスをするなんて犯罪レベルだと思う。オクルスを犯罪者にしないでほしい。
少し黙ったヴァランが首を傾げた。
「……オクルス様は、何人の人と付き合ったことあるんですか?」
「え、ないよ」
「え? 前世も含めてですよ?」
「だから、ないって」
オクルスの覚えている限り、一度もない。この世界では、忌避されていて、そもそも友人すら少ない。前世では残念ながら仕事が忙しかった記憶しかない。
オクルスが説明したのに、ヴァランは納得していなさそうだ。
「え、一度くらいはありますよね?」
「いや、ないってば」
そう答えると、彼の表情が一気に明るくなった。先ほどまでの不満げな表情が嘘みたいに明るい。
「じゃあ、僕が初めての相手ですか?」
「言い方……。まあ、そうなるね」
「えへへ」
前に、ヴァランから口づけをしてきたときのことを言っているのだろう。それが初めての口づけであることはまさしく事実であるから、オクルスは一応頷いた。
すると、ヴァランが照れたように、嬉しそうに笑う。オクルスは軽く眉をひそめる。
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「オクルス様のことなら、何でも嬉しいですよ」
「……」
この素直な返事に慣れない。自身の頬がじわじわと赤くなっている感覚に、オクルスは目線を落とした。
自身の心が荒らされる。それは間違いなくヴァランのせいで。
目の前のヴァランが愛おしくて、不意に泣きそうになった。オクルスは、もう後悔などしない。たとえ手段が間違っていたとしても、この愛する子を守るために何かができたのなら、それで良い。
オクルスがそう思っていると、ヴァランがじっとこちらを見ていることに気がついた。軽く首を傾げると、ヴァランが口を開いた。
「ねえ、オクルス様。こんな日が続けばいいと思いませんか?」
「え?」
「僕がいて、テリーがいて。穏やかに、暮らしましょう」
それが、すとんと落ちた。そうだ。オクルスは、ヴァランとテリーと穏やかに生きたい。それが、1番幸せに思える。
「確かに。うん」
オクルスは頷いたあとではっとした。オクルスが年上だという事実は変わらないのだから、これは言っておけなければ。
「ヴァラン。その代わり、約束してね。私が死んでも、後を追ってこないで」
「分かりました」
諭すような口調で言ったオクルスに、あっさりと頷かれて、オクルスは目をぱちぱちとさせた。ヴァランがオクルスの気持ちを考慮してくれるのは有り難いが、少し怪しい。
「……妙に、聞き分けがいいね」
「だって、死なせなければ良いですよね?」
「え、怖いんだけど」
その言い回しがすでに怖い。「死なせなければいい」って。引っかかる言い方だ。オクルスがヴァランを軽く睨むと、彼はきょとんとした顔で言う。
「後を追わなければ、なんでもしていいんですよね?」
「いや、そんなことは言ってない」
「魂を……あ、何でもないです」
「いや、怖いんだけど!?」
怖い。その言葉も、どこか暗く見える青の瞳も怖い。ヴァランがふわりと笑って言う。
「大丈夫です。後を追うことはしません」
「……もう、いいよ。それで」
ヴァランを止めても、手遅れだろう。彼は自分で選べる子だし、自分が良かれと思えば勝手に動く。それなら、「後を追わない」と言質を取れただけでもマシだろう。
「オクルス様。愛しています。この世で、1番」
「私も、君のことが大好きだよ」
諦めたオクルスが素直に認めると、ヴァランが嬉しそうに笑った。今まで見たことがないほど、眩しい笑みだ。
オクルスの腕を掴んだヴァランが、顔を近づけてくる。オクルスは慌てて言った。
「キスは駄目だって」
「大丈夫です。誰も見ていないです」
「そうじゃなくて。それにテリーが……」
「見ていないですよ。大丈夫です」
結局、ヴァランを制止できなかったオクルスは、彼からの口づけを受け入れた。柔らかい感覚に、心臓がばくばくとうるさい。
ヴァランが離れてから、オクルスはじとっとした目を向ける。
「駄目って言ったのに」
「えへへ。でも、僕だってもう学生じゃないので」
「いや……。まあ、いいや」
とろけそうな笑みを浮かべているヴァランを見ていると、怒る気にもなれなかった。むしろ、ヴァランが幸せそうならそれで良いか、とい気持ちになってくる。
この日常が続きますように。それも、できるだけ長く。オクルスは祈りながら、ヴァランの頬に口づけを落とした。
目をぱちぱちとさせたあと、真っ赤になったヴァランを見て、オクルスは笑みを浮かべる。それも愛おしくて仕方がない。
できるだけ、長く。ヴァランの側にいられますように。オクルスが先に死ぬだろうが、それでも今ある幸せをしっかりと味わいたいと思った。
「孤独者の残光 ~預かった子どもを闇堕ちさせないため、嫌われることにした~」は完結となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
また機会がございましたら、お会いしましょう。




