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113/115

113、敗北

 日々は流れていき、気がつけば花が咲き誇る季節へと移ろっていた。前回の休暇から半年くらいが経ち、もう少しでヴァランが帰ってくる時期だ。


 そんなことを考えているうちに、ヴァランから一通の手紙が届いた。帰ってくる日程の話かと思ってオクルスは開いたのだが、そこに書かれていたのは予想外の内容だった。


「卒業式に来てください……?」


 ヴァランが卒業する年は今年ではなく、3年後のはず。だから、今年にオクルスが呼ばれる理由がすぐには思いつかない。


 ぴょんと肩に飛び乗ってきたテリーに手紙が見えるように角度を少し変えてから、オクルスは尋ねた。


「テリー、なんでだと思う?」

「ヴァランが考えることなんて、わかりませんよ」

「まあ、そうか」


 頭がよく、行動力もあるヴァランの考えていることを知るのはむずかしそうだ。オクルスと考え方の基準などが違うだろうから。


 うーん、とオクルスは考えてみるが、なんだか嫌な予感がする。気のせいだと良いのだが。


「これ、恋人紹介されるやつ? 恋人の卒業式?」


 ヴァランは年上の人が好きなようだから、それはあり得る気がする。卒業生にヴァランの恋人、あるいは婚約を約束をした人間がいるとしたら、オクルスを呼ぶのも何となく理解ができる。


「また変なことを考え始めて……。すぐ暴走する……。ヴァランはご主人様が好きって言っていたじゃないですか」

「うん。でも、あのくらいの年齢ならすぐに変わるよね」


 やはりオクルスを好きだというのは、一時の気の迷いだったのだろう。そうじゃないと、わざわざ来てほしいとヴァランが言ってくるとは思えない。ヴァラン自身がオクルスに頼んでくることなんて、ほとんどないのだから。


 心の中に、空洞ができたような気がした。しかし、それはそんな大きな隙間ではない。今ならまだ、見なかったことにして放置したとしても、ダメージは少ないはず。


「うん。まだ、大丈夫。まだ逃がしてあげれるし、今なら軽症で済む」

「……」


 ヴァランがどこかにいってしまうというのは寂しいが、それでも当然とも言える。そもそも、それはオクルスが祈っていたことだ。ヴァランが自分以外の人間と幸せになってくれるのが、1番良い。


 オクルスが自分に言い聞かせるように言うと、テリーが可哀想なものを見る目で見てきた。それを無視して、オクルスは続ける。


「婚約破棄みたいなのされるのかな? 前世の小説によくあったようなやつ。まあ、別にヴァランと婚約はしていないけど。正直、1回他人事としてなら見てみたいよね。もちろん誰かが没落エンドじゃなくて、なんだかんだハッピーエンドになるやつが良いけど」

「急に早口……」

「でも、みんなの前でする必要はないよね」


 テリーの言葉をオクルスは無視して考える。


 そう。本当にヴァランから「好きな人ができた」等の話を切り出される場合、別に卒業式でする必要はない。オクルスの塔に連れてくるか、それこそ手紙で言えば良いことだ。わざわざ呼び出す意味はない。


「私が怒らないか、怯えているのかな? それで人前で言質を取りたいとか?」

「……どうでもいい妄想をしている暇があったら、さっさと支度したらどうですか?」


 テリーに冷たく言われて、オクルスは苦笑した。オクルスだって、ヴァランのことを疑いたいわけではない。ただ、怖いだけ。


 最悪な状況になったときに自分が傷つかないように、想定を重ねているだけ。ヴァランがオクルスを呼んだ理由が、「何となく」でも良いし、気が向いたから、というだけでも構わない。


 ただ、怖い。


 手が震えそうになるのをどうにか堪えて、できるだけ軽い口調でテリーに返事をする。


「はいはい。正装だね。どこに片付けたかな……」


 オクルスは自分のタンスを漁りながら、静かに言った。


「まあ、真面目に他の可能性を考えると、もっと社交的になれってヴァランは言いたいのかもね」

「……あの子は逆だと思いますが」

「え?」

「なんでもないです」


 手を止めてテリーの方を見るが、テリーはきょとっと首を傾げた。聞き間違いか、独り言か。オクルスは再び正装探しに戻った。


 見つけた服を風通りがよさそうなところに干しながら、オクルスはテリーに尋ねた。


「テリー。君も行く?」

「気になるので行きます」

「まあ、気になるよね」


 嫌な予感だけがして、考えてもどれだか分からないのだ。怖すぎる。まるで断頭台に立たされている気分だ。


 オクルスはその場でじっとしているのも気が散って、ふらふらと部屋の中を歩き回りながら、テリーに尋ねた。


「ヴァランにふられたら、気まずいからこっそり旅でもいこうかな。君は行く?」

「……どこまでもついていきましょう。あなたを1人にすると危ないですから」

「そんなことないはずだけど……。ありがとう、テリー」


 ◆


 ヴァランに来るように言われた卒業式が終わったあと、オクルスは呆然としていた。状況がのみ込めない。理解ができない。


「……は?」


 本当に理解が追いついていない。


 だって、「ヴァランが今年卒業をする」と言い出したのだ。いや、言い出したどころではない。実際に卒業証書をもらっているのを見たし、卒業者氏名で名前が入っているのだから、事実としてあるのだ。


 しかし、オクルスは何も聞いていない。


「なんで……。え? なんで?」

「ご主人様が何か言ったんじゃないですか?」

「私は別に……」


 何も言った記憶はないと、鞄の中からこっそり顔を覗かせているテリーに言おうとしたが、唐突に過去の自分が言ったことが脳裏によぎる。


『学校を卒業して、シレノル殿下のもとで少し過ごしてみて。それでも、私を選ぶと言ったら、受け入れるよ』


 言った。確かに言った。


 しかし、それにより、ヴァランが卒業してしまうなんて、思ってもみなかった。


 オクルスは頭を抱えて呟いた。


「ああ、もう……。私の、完敗だ」


 オクルスが「卒業をしてあと」とか不用意なことを言ったせいで。ヴァランはさっさとその権利を手にした。


 オクルスは当たり前のように18歳になってからと言いたかった。たまに留年する人もいるため、卒業が「18」だとは限らないと思ったため、「卒業後」という言い方をしたのだが、それが悪かったのか。


 いや、でも。そんな軽く言ったことにより、卒業の年を早める人がいるなんて。そもそも、そんなことが可能なのか。


「卒業って、年齢決まってなかった? なんで?」

「まあ、あの子は手段を問わない感じがありますからね……」


 オクルスは呆然としながら呟いた。現実を認めないといけないのに、全く認める気にならない。


 卒業式に来てほしい理由が、年齢的にはまだのはずのヴァランが卒業するから、なんてどうやって予想をすればいいのか。


 式が終わっても、しばらくオクルスはその場から動けなかった。


 ◆


 しばらくして、オクルスは卒業式の会場から外に出た。混乱している気持ちを静めるのに心地良い風が吹いている。目を閉じて深く呼吸をした。そろそろ、受け入れなくては。


「オクルス様!」


 名前を呼ばれて、オクルスは目を開いた。にこにことしながらこちらに走ってくる人を見て、オクルスはじとっとした目で見つめた。


「ねえ、ヴァラン。どういうこと?」


 上機嫌なヴァランを見て、オクルスは表情を和らげることなく聞く。


「何がですか?」

「何がどうなっているの? 卒業?」


 オクルスが聞きたいことを把握したのか、納得をしたように頷いたヴァランが、口を開いた。


「少し大変だったんですよ。前例がないとか言って反対された先生方のために、飛び級制度の前例を探してきたり。主席卒業なら認めるとか言われたから、主席をとったり」

「少し……?」


 甘えるような口調で言われたが、上手く理解ができない。凄いことを言われている気がするが、とりあえず理解するのとヴァランに怒るのは未来の自分に任せることにしよう。


「まって。まって。いろいろ言いたいけれど、卒業するなら教えてよ。花束とか用意できなかったでしょう?」

「そこですか?」


 くすりと笑うヴァランを、オクルスは恨めしく思いながら見つめる。オクルスはこんなにも焦っているというのに、ヴァランは余裕に満ちている。


 オクルスの顔を覗き込んだヴァランがゆっくりと言う。


「オクルス様。ちょっとは信じてくれました?」

「……」


 黙ったまま、首を縦に振る。


 もう、疑うことすらできない。だって、ヴァランは。オクルスのために、どれだけのことをできるのかの答えが出てしまっているのだから。


 オクルスの首肯を見て、ヴァランは口元をほころばせた。オクルスの手をとったヴァランは、手の甲に優しく口づけてきた。


「愛してますよ。この世で1番」

「……」


 まるで、世界に2人しかいない感覚だ。目の前のヴァランしか、視界に入らない。


 もう、無理だ。オクルスは、ヴァランから離れられなくなる。彼がいないと、生きていけなくなってしまいそうな妙な予感に、オクルスは顔を手で覆った。


「あと何でしたっけ? シレノル殿下のところで少し仲良くなれば良いんでしたっけ?」

「……もう、いいよ」

「え?」


 自身の顔を覆っていた手を外す。じーっとこちらを見ているヴァランに、笑みを浮かべた。


「君に、タスクをこなすように行ってほしかったわけではないから。ただ、君の選択肢を広げたかっただけだから」

「じゃあ、ずっと。ずーっとオクルス様の近くにいて良いんですか? 僕がオクルス様を愛しているっていう気持ちを受け入れてくれるんですか?」

「うん」


 ヴァランがオクルスのことだけを考えてくれるのが嬉しい。そう思ってしまった段階で、オクルスはすでに負けていたのだろう。


 ぱああ、と嬉しそうに微笑んだヴァランが、オクルスにぎゅうっと抱きついてきた。またヴァランは身長が伸びたのか、少しオクルスの方が低い気がする。ついに身長まで負けたのか、と思いながらオクルスは抱擁を返した。


 しばらくしてオクルスから離れたヴァランが、上機嫌に言う。


「そういえば、オクルス様。大魔法使いを止めたいって言ってました? じゃあ、僕が代わりになりますね」


 まるで、買い物に行くかのように言う。しかし、ヴァランなら簡単にそれを成し遂げてしまいそうな気がして、オクルスはもう否定の言葉も出てこなかった。

 

「……もう、君の好きにして」

「はい! 好きにします!」


 にこにこ、としているヴァランは、いつのまにこんなに打たれ強くなったのか。もしかして、オクルスが冷たく接したせいで……、いや、考えるのを止めよう。


 オクルスと目が合うと、にこっと笑みを深めたヴァランが言う。


「オクルス様がまた魔法を使えなくなったとしても、今度こそ僕が守ります」

「いや、まあ、あれは……」


 暗殺者の剣に薬が塗られていたことと、聖女により浄化できたことから、その薬に魔の成分が入っていたことから、調査が進んだらしい。


 そして、その薬の材料の一部にシュティレ侯爵領の薬草が使われていたことまで判明し、カエルム・シュティレの関与が発覚した。


 カエルムは、オクルスが魔法を使えなくなっていることを分かってて、殺そうとしていたのだ。それをオクルスが聞いたとき、本当に恨まれていたんだな、と呆れを通り超して感心した。


「オクルス様」

「ん?」

「大丈夫です。全部から、僕が守ります」


 オクルスの顔に、何か出ていただろうか。ヴァランが心配そうにこちらを見ていることに気づき、オクルスは笑みを作った。

 

「私だって、守られたいわけではないんだけれど」

「僕、がんばります」


 オクルスは断ろうとしたが、彼は聞く気がなさそうだ。まあ、仕方がないかと思いながらも、どこかくすぐったい気持ちになったのは気のせいではない。

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