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112/115

112、積み重ねてきたこと

「はじめまして、物従の大魔法使い様」

「はじめまして、聖女様。お目にかかれて光栄です」


 オクルスは失礼にならない程度、彼女を観察しながらも、お辞儀をした。


 レイチェル・ルクセリア。隣国、ネクサス王国の聖女。


 そして、オクルスが前世で読んだこの世界を描いた小説の主人公。まさか、彼女と会う機会に恵まれるとは思わなかった。


 小説の中だと、闇堕ちをしたヴァランに「最後の救済」を与える人物。闇に染まりきったヴァランを浄化した人。ヴァランが世界まで滅亡させるのを防いだ人。


 そう考えると複雑だが。感謝をしなければいけない相手に失礼なことを考えていると、レイチェルはオクルスの方に手を差し伸べてきた。


「早速ですが、お手を貸してください」

「はい」


 彼女はすぐに試してくれるらしい。オクルスは素直に手を差し出した。


 オクルスの手をとったレイチェルが、祈るように目を閉じた。少しして彼女を中心に光が広がり始める。


 それは幻想的な光だった。通常の光と何かが違う。ただ、光っているだけではない。清らかで、目映い光。


 オクルスがじっとしていると聖女の長いまつげがゆっくりと開いた。彼女の銀の瞳がこちらを不安げに見ている。


「これで、魔法は使えそうですか?」


 そう言われて、オクルスは適当に風を起こす魔法を使ってみた。


「あ」


 ふわりと風が舞う。自身の感覚がどこか研ぎ澄まされたように、はっきりと鮮明になった。久方ぶりの魔法を使う感覚。


 オクルスが思わず頬を緩めていると、レイチェルの明るい声がした。


「使えたみたいですね」

「ありがとうございます、聖女様」


 まるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだレイチェルに、オクルスは丁寧に頭を下げた。オクルスが顔を上げると、どこか困ったように微笑むレイチェルが視界に入った。


「いえ、御礼を言うのはこちらの方です」


 レイチェルの気になる言葉に、オクルスは首を傾げた。彼女から礼をされることは何もないはずだ。まだ会って数分。


「……なぜですか?」

「この件がなければ、私はネクサス王国から出られなかったでしょうから。旅行だとしても、何だとしても」


 そこでオクルスは理解した。


 この人は、聖女だ。国の宝。オクルスのような大魔法使いも希少ではあるが、それよりもさらに貴重な存在。


 国から好きなように出られるほどの自由は与えられていない。仮に国外でその身に何かあれば、国としての損失の大きさだけではなく、外交問題に発展するから。そう考えて、目の前にいる彼女をまじまじと見つめた。


「むしろ、今回はよく出られましたね?」


 思わずオクルスはこぼした。オクルスが隣国にいく方が楽なくらいでは、と思ったが、それは今度こそ国からの許可が難しかっただろう。この前、一度ネクサス王国へ旅行の名目で行っているから、そんなに何度も行けば国の貴族から怪しまれる。


 小説の中だと、ヴァランの闇堕ちによりベルダー王国は滅び、ネクサス王国も危機にさらされた。そこまでの異常事態になれば、国から出られるわけだが、ヴァランは闇堕ちしなかったため、この世界では機会が得られなかったわけだ。間接的にオクルスが彼女の機会を奪ったのか。


 そんなことを考えていると、レイチェルが微笑みながら言う。


「多分、大魔法使い様のおかげですね」


 思っていたことと逆のことを言われ、理解をするのに時間を要した。納得したオクルスは頷きながら答えた。


「……ああ。私が弱かったから」


 単純な話、オクルスが暗殺者に負けていなければ、このような状況にはなっていない。強ささえあれば、聖女である彼女を呼びつける事態にははっていなかった。


 そして、その原因の一部はネクサス王国にある、というのは聖女がこの国に来ることを許された理由なのだろう。確かに広義で見ればオクルスのお陰か。


 オクルスは納得をしていたのだが、レイチェルは首を振った。


「あの、そうではなくて。大魔法使い様の人望ですね」

「……じんぼう?」


 オクルスから1番遠いところにある気がする言葉だが。戸惑うオクルスを見て、レイチェルは微笑んだ。


「ベルダー王国のエストレージャ第2王子殿下が積極的に申し出をしてくださったと言いますし。ルーナディア様も、連絡をとってくださったと聞いています。ネクサス王国ではシレノル殿下も賛成の立場でお話を進めてくださいましたし、リベル様も『オクルス様には借りがある』と仰って、最終的には承認なさいましたから」

「……」


 ほとんど初耳なのだが。


 エストレージャは分かる。彼なら、積極的に動いてくれそうだと思う。それは良い。


 ルーナディアはなぜだろうか。そもそも、聖女と面識があるなど聞いていないし、王太女となった彼女がそこまで動いてくれるのは想定外だ。


 シレノル殿下は、オクルスのためにそんなことをして大丈夫だろうか。彼自身の立場が悪くならないのか。ヴァランのために、安定した周囲との関係を築いていてほしいのだが。


 それから聖女の言う「リベル」はネクサス王国の王太子、リベル・オフテントのことだろう。彼とはネクサス王国を訪れたときに少し会話をした程度。少し大魔法使いの話をしたと思うが、そんな貸しを作ったと言えるような話はした記憶はない。後に彼が大魔法使いとなった話は噂で聞いていたが、それだけだ。


「じんぼう……。人望……?」

「はい」


 やはり自分とはどう考えても遠いものだ。にこにこしているレイチェルを見ながら、オクルスは納得できなかった。


 レイチェルが挙げた名を思い返して、オクルスはふと気がついた。


「もし、私に人望があるとするなら、全部ヴァランのお陰……」

「え?」


 オクルスだけだと、何もしていなかった上、人に感謝されるようなことをしなかっただろう。ヴァランがいたからこそ。人との繋がりが濃くなり、誰かに感謝をされているのだろう。きっと、オクルス自身の力ではない。ヴァランによって生じた変化だ。


 そう考えると、オクルスの積み重ねてきたことの全てが無駄ではなかったのかもしれない。誰かにとっては何らかの意味を持つようなこともあったかもしれない。なんとなくそんなことを思った。


「とにかく聖女様、ありがとうございます」

「いえ。こちらこそ」

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