111、しばしの別れ
ヴァランが学校へと戻る日となった。ヴァランの休暇中にいろいろあったが、とにかく彼が今後も生きていける、国を滅ぼしたという罪悪感などをヴァランに与えずにすんだ、ということは喜ばしいことだ。
それに、もう嫌われる必要がなくなったため、オクルスは堂々と見送れるのだ。そのことに確かな幸福を感じながら、オクルスはヴァランに笑みを浮かべた。
「学校、頑張ってね」
「はい」
渋々、と言った様子でヴァランは頷く。そうはいうものの、明日から学校は始まるのだ。むしろ、よくこんなギリギリまで塔に残っていたな、とオクルスは呆れを通りこして感心していたのだが、ヴァランは不満そうだ。
ヴァランの休暇中に多くのことがあったからな、と思い出しながら、オクルスは言っておかなければならないことを思い出した。
「ルリエン様と仲直りするんだよ」
「……」
彼の名前を出した瞬間、微妙な顔をしたヴァランに、オクルスは苦笑しながら言った。
「あの子は、関係ないんだから」
ルリエン・ノヴェリス。彼はカエルムの件とは全く関係がなかった。そのことだけは安堵すると同時に、ノヴェリス伯爵は大事な息子を巻き込むことはしないだろうと思っていたため、納得感もある。
カエルム・シュティレがオクルスを殺そうとしたことは、表向きは伏せられている。「大魔法使い」がただの貴族に殺されそうになったということが知られれば、現在のオクルスが魔法を使えていないことまで知られることになる。それはオクルス側も避けたいことではあるから、結果的に公表はなくなった。
もちろん、実際にオクルスを殺そうとしたカエルムと、それに関わったノヴェリス伯爵は咎めなしとはいかない。
カエルムは爵位を取り上げられた上で、幽閉となったらしい。その後裏で処分されるかどうかは知らない。オクルスは自分に教えないでほしいと伝えてある。なお、シュティレ侯爵家には後継者がいないため、今のところ一応の血縁者であるオクルスが預かっているが、手に余っているのが現状だ。
ノヴェリス伯爵は、「伯爵」としての地位から引くことになった。大分早めの隠居、といったところか。ノヴェリス伯爵家自体に直接的な罰が下されたわけではない。爵位の変更なども特にはされなかった。
オクルスは詳しいことは聞いていないが、それを伝えてくれたエストレージャの様子から判断する限り、結構上層部で判断は揉めたらしい。
現在のノヴェリス伯爵領はノヴェリス伯爵の弟が一時的に預かっており、ルリエンが学校を卒業をしたのと共に彼が継ぐことになるそうだ。大変そう、という感想と、オクルスとカエルムの絶望的な仲の悪さにノヴェリス伯爵家を巻き込んでしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
オクルスの言葉に、ヴァランは一瞬、眉をひそめた。その後で曖昧に頷いて見せた。
「……善処はします」
「うん」
ヴァランの返事はやはり曖昧なものだったが、それを決めるのはヴァランだから、オクルスはそれ以上言い募らなかった。結局のところ、ヴァランがオクルスに遠慮してルリエンとの関係を断たなければ良く、彼自身の意思で関係を断ちたいと思ったのなら、それを止める気はないから。
じっとオクルスのことを見つめていたヴァランが、遠慮がちに口を開いた。その青の目には、オクルスから全く逸らされない。
「ねえ、オクルス様」
「なに?」
「キスしても良いですか?」
「良いわけないでしょう。速く行きな」
オクルスは即答したが、ヴァランがオクルスに顔を近づけてきた。驚いたオクルスが動きを止めると、頬に柔らかい感覚がした。
時が止まったような感覚がして、オクルスは身動きがとれなくなった。オクルスから少し距離をとり、悪戯が成功した子どものようにヴァランは微笑んだ。
オクルスが目をぱちぱちさせていると、やはり嬉しそうに笑ったヴァランは、自身の箒にまたがり、こちらに手を振ってくる。
「行ってきます!」
「……あ、え、うん。気をつけてね」
しばらくの間、オクルスは呆然としていたが頬を撫でる風が冷たく感じたことで、やっと我に返った。
「……もう」
ヴァランのペースにばかり飲まれている気がして、少し気に食わない。オクルスは自身の頬を手でぱたぱたと扇ぎながら、塔の中へと戻った。
◆
相変わらず塔にいるエストレージャに、オクルスは話しかけた。
「ねえ、エストレージャ」
「なんだ?」
顔を上げたエストレージャに、オクルスは迷いながらも話を始めた。
「シュティレ侯爵領のことなんだけど」
「ああ。そっちに住むか?」
手元の書類を置いて言ったエストレージャに、オクルスは首を振る。
「私、要らないから。丸投げしたい人がいるんだけど」
「……は? いや、まあ、一応聞くだけ聞こう」
金の瞳を見開いたエストレージャだったが、すぐには否定をせず聞いてくれるらしい。オクルスは、脳裏に浮かぶ人物の名前を出した。
「アルシャイン殿下に丸投げしたくて」
「兄上に?」
アルシャイン・スペランザ。エストレージャの兄であり、王にならないことが決まっている彼に丸投げしたい、というのがオクルスの考えだ。
怪訝そうなエストレージャに、オクルスは言う。
「そもそも、私は領地経営とかできないし。できる人がやった方が良いよね」
「まあ、それは確かに代理を立てるしかないと思っていたが……」
「あ、代理じゃなくて。私は権利を放棄するから」
念を押すように言うと、まだ話の流れを理解していなさそうなエストレージャが顔を顰めながらも頷いた。
「……ああ。それでなんで兄上?」
エストレージャからの質問に、オクルスは彼の方を見ずに言った。
「あの男を野放しにした原因の一端は私にあるけれど、友人としてあの男を許していたアルシャイン殿下にも原因はあるよね?」
アルシャインはカエルムの友人だったという。アルシャインがカエルムの本性を見破れず、近くに置いていたことで、カエルムを思い上がらせていたことは否定できない。だから、その責任の一端として、カエルムの物のはずだった領地経営を上手いことやってほしい。
断じて面倒だから押しつけているわけではない。断じて。しかし、ここでエストレージャに頷いてもらえなければ、話は進まない。祈りながらエストレージャを見つめると、彼は目を伏せてふっと笑った。
「……兄上は喜びそうだが」
「ええ? あの人、プライドが高そうだから、人に渡されるのとか嫌じゃない? 自分で切り開きたいタイプでしょう?」
そうでなければ、王という厄介な役目を担いたいと渇望するとは思えない。オクルスが言うと、エストレージャは目を見開いてこちらを凝視した。
「そう思いながらも渡すのか?」
「だって、誰にとっても適任なのはアルシャイン殿下じゃない? 私にとっても、民にとっても」
オクルスはアルシャインが1番適任だと思う。素直にそう言うと、じっとこちらを見ていたエストレージャが頬を緩めるように笑って頷いた。
「……分かった。お前の言う通りに」
「ありがとう」
とりあえずこれで面倒事は片づいた。オクルスが晴れやかな気持ちで自室へ帰ろうとすると、後ろからエストレージャに声をかけられた。
「オクルス。来週、開けておけよ」
「なんで?」
振り向きながら聞くと、エストレージャがすぐに答えた。
「ネクサス王国から聖女が来る。やっとだな」
「……聖女様?」
そんな話、あっただろうか。オクルスは何も聞いていない気がするが。首を傾げたオクルスにエストレージャが淡々と言う。
「お前が魔法を使えない要因を浄化をしてもらう。それできっと魔法が使えるようになるはずだ」
「ならなかったら?」
「……解決に時間がかかるだろうな」
「分かった、ありがとう」
エストレージャが解決に向けて力を尽くしてくれていることは理解した。礼を言ったオクルスに、エストレージャは軽く頷いた。
魔法を使わない生活に慣れてきたといっても、幼い頃から慣れ親しんできたものがないと、やはり物足りない心地がする。どうにかなると良いなと思いながら、今度こそオクルスは自室へ戻った。




