110、ルーナディアの贖罪と希望
オクルスとヴァランが帰り、1人になった部屋でルーナディアは独りごちた。
「本当に、変わったわ」
ヴァランから探るようにじっと見られていたことに気づきながらも、ルーナディアは口元を緩めた。
ルーナディアが恐れていた未来から、驚くほど変わった。国も、ヴァランも、ルーナディア自身も。
それはきっと、オクルスが作った変化なのだろう。「前」は会話すらしなかった彼を思い出し、ルーナディアは目を細めた。
ルーナディア・スペランザには2つの前世の記憶がある。
日本という前世で生きた記憶と、この世界で生きて国ごと滅亡する記憶だ。
◆
日本に住んでいた頃、ルーナディアはごく普通の人間だった。大学まで通わせてもらい、いくつか内定がでたなかの1つの企業を選んで就職をした。
なぜ、ルーナディアは死んでしまったのかまでは覚えていない。変わらないと思っていた日々の記憶が、途中で途切れている。
この転生と関係あると考えられることといえば、とある小説を読んだことくらいだ。それはこの国に非常に似ている小説だった。もっとも、それを知ることができたのは、一度死んでからだが。
なぜ、ルーナディアが一度目に転生したとき、知らなかったというと単純な話。そこまで、この世界に馴染んでおらず、どこか他人事だったから。
ルーナディアは一般人だった。それなのに。ルーナディアは、いきなり「王女」になった。今までの生活が一変したのだ。
最初は、期待した。日本で生きていた頃とは比べられないような待遇が受けられるのだと思って。
しかし、楽ではないことにすぐ気がついた。王族として生きる上で、責任も伴う。ルーナディアの一挙一動は重視され、失敗は許されなかった。次第に生きにくく感じたルーナディアは、王族としての身分を捨てたいと何十回も考えた。
ルーナディアは王族としての責務は必要最低限で、どこか俯きながら生きていた。
ずっと寂しかった。自分の気持ちを理解してくれる人はいない。兄弟はみんな、生まれ持っての王族だ。中身は庶民のルーナディアとは違って、それを当然として生きている。ルーナディアのこの逃げたいという気持ちを理解してくれる人はいない。ずっと、そう思っていた。
貴族からはどこか王族らしくないと言われている気がして、全てが憂鬱だった。実際に何度か陰口をたたかれている場に遭遇したが、言い返すことも、それをはね除ける力もなかった。
しかし。ルーナディアの補佐官となった男は、頼りないルーナディアの近くにいつもいてくれた。
フィリベルト・コルヴァス。侯爵家の次男であった彼は、ルーナディアを責めることも、非難することもなかった。むしろルーナディアの味方になってくれた。ルーナディアを馬鹿にする人間には叱責をして、罰するかをルーナディアに問うた。ルーナディアが何かに失敗しても、呆れることなく、時には手助けをしてくれた。
彼が近くにいれば、ルーナディアは背筋を正して生きようと思えた。
少しずつ、ルーナディアはこの世界に適応して、前を向いて生きることを決意していた。そのはずだった。
それは、塵となって消えた。国の滅亡によって。
世界から太陽が消えたかと錯覚するほどの闇に覆われたとき、フィリベルトがルーナディアを庇うように立ってくれたことだけは、永遠に忘れない。
◆
再びこの世界で生き始めたとき、ルーナディアは悟った。
これはルーナディアへの罰であり、戒めだと。この国を滅ぼさないことが、自身の生きる意味なのだと思った。
フィリベルトは最後までルーナディアを守ろうとしてくれたことを胸に。ルーナディアは、強く生きることと国を守ることを決意した。
そのためだったら、何だってできた。ルーナディアはこの世界について調べていくうちに、前世で読んだ小説の内容と酷似した世界であることにようやく気がついた。
それが正しければ、ベルダー王国は「ヴァラン」という存在によって滅びる。そのことを認識し、ルーナディアはヴァランが何者かを調べ始めた。
そこで気になったこと。過去に隣国の王の子ども――現国王の弟がこの国に駆け落ちをしようとしたこと。そして、そんな彼が連れていた女性の行方が分かっていないことなどを知った。
なぜかそれが引っかかった。「ヴァラン」という孤児の子どもと、行方の分からない女性に関連があるのではないか、と仮定を立てた。
そうすれば、ヴァランの魔力量や端正な見目に理由がつく。もちろん、平民の子どもで魔力量が多い人みいるし、端正な見目を持つ人がいるため、一概にはいえない。だからそれが合っているのか、確証はないが、孤児院に意識を向けておこうとは決めた。
そして、いろいろ調べる上で、この国の現状を把握していった。自分にできることはないかと考えるようになっていった。そんなルーナディアは、段々自分に力があればと悔やむことが増えていった。
王になれば。そんな考えが次第に浮かぶようになっていき、王を目指すことに決めた。兄、アルシャインからはいい顔をされなかったし、レーデンボークは無関係を貫いていたが、ルーナディアは自分の決意に揺らぐことはなかった。
たまに気が向いたときだけエストレージャは手助けしてくれたが、ルーナディアはそれに頼り切りにならないようにしようと努めた。
前世と同じように、フィリベルトが補佐官となってくれたことは、ルーナディアにとっての最大の幸福だった。彼は変わらなかった。ルーナディアが王を目指し始めたことで、媚びを売ってくる人や蹴落とそうとする人がいる中で、真っ直ぐにルーナディアへ忠誠を誓っていた。
相変わらずルーナディアを助けてくれるフィリベルトに恋心を抱くのは、きっと必然だった。
しかし。ルーナディアはフィリベルトと婚約をする気はなかった。それよりも、ヴァランの闇堕ちを防がなくてはならない。そう思っていたら、たまたま訪れていた孤児院に、「ヴァラン」という子どもを見つけたのだ。
彼は、普通の子どもだった。闇堕ちをして国を滅ぼすとは思えないくらい。孤児院を訪れて、ヴァランと話す。そうやっているうちに、ヴァランが大魔法使い、オクルス・インフィニティの所で生活を始めたという。
それはほとんど小説通りだった。小説の「オクルス・インフィニティ」は各地を旅していたというが、この世界のオクルスはしていないようだった。しかし、大魔法使いであることなどは変わっていないため、恐らく誤差の範囲内だ。
オクルス・インフィニティと会わなくては。そう思ったルーナディアだが、オクルスと話をする機会を得るのは難しそうだった。オクルスはあまり社交的ではないため、城を歩いていて偶々会うなどは考えられない。少し調べたところ、オクルスへの連絡窓口となっているのは主にエストレージャだった。それも、ほとんどの連絡はつながっていないという。オクルスへの連絡をする人はそもそも多くはないというが、その上でエストレージャが弾いているのか、オクルスまで届いた上で返事を書いていないのか。
とにかく、簡単には連絡が取れなさそうであるため、ルーナディアは様子を見るしかなかった。そんな中、ようやく対面をすることができたのは、オクルスがとある事件を解決したことだ。
「アイ・エヌ」という犯罪組織集団は、この国を悩ませている問題だった。それと同じ事件は、小説の中でもあった。読んだときは「アイ・エヌ」で「in」を表しているのかとぼんやり考えていたが、この世界では異様に見える。小説の作者が適当につけたのかもしれない。とにかく、それがある時点で、ルーナディアの日本に住んでいた記憶は気のせいではないのだと裏付けられたようなものだ。
そんなことを考えながらも、ルーナディアは組織の解決方法を考えていたのだが、それをオクルスはあっという間に一掃したのだという。
実際のオクルスは、想像していたような人間ではなかった。勝手に聖人みたいな性格を想像していたが、マイペースで、自由な人。厳格ではなく、それなりに優しい人であることを知った。
ただ、ヴァランの話になるとどこか空気がぴりっとするのだ。それは悪い空気というよりも、ヴァランの周囲を案じてのものだった。彼は、ヴァランを失うことを恐れている。それは、異様という言葉で表してもいいかもしれない。
そんな彼と手を組んで、ヴァランとオクルスを守ることができれば、ヴァランは闇堕ちをしないかもしれない。そう思ったルーナディアは、オクルスに求婚をした。
オクルスは最初、戸惑っているだけで明確な否定はしなかった。しかし、ヴァランに断られてしまったため、それは実現することはなかった。オクルスはヴァランの意思を尊重する形で求婚を断ったのだ。
そこから、オクルスとヴァランの様子には少しずつ変化があった。オクルスはヴァランに冷たく接すようになり、ヴァランはオクルスにどこか遠慮がちだった。
それでも、オクルスがヴァランの様子を案じていることに変わりはなかった。そこでルーナディアは気がついた。
てっきりヴァランの方がオクルスに執着をしているのだと思っていた。しかし、それだけではない。オクルスも同程度、あるいはそれ以上にヴァランに依存している。
それなら、余計に謎なのが、オクルスはなぜヴァランに冷たくし始めたかということだ。
ちらり、とオクルスにも記憶があるのでは、と脳裏をよぎった。日本に住んでいた記憶か、あるいは一度滅んだこの世界の記憶か。しかし、確証は何もない。そもそも、もし前世の記憶があるのなら、ヴァランを引き取らないという選択肢をとれたはずだ。自分があるからといって、人にも期待しない方がいい。その一方で、様子の変わったオクルスに関わって何かをするのは難しいと思った。
それなら、ヴァランの闇堕ちを防ぐために何をしたら良いか。ルーナディアは別の方法を考えた。
いくつか措置はとった。仮に国で異変が生じたときに、迅速に連絡ができるような制度作りであったり、闇魔法や光魔法を詳しく調査する魔法使いの部門を立ち上げたり、被害を小さくする方向へと考えていた。
それに加えて、隣国の聖女と親しくなりたいと思った。国が滅ぶよりも前に浄化してもらえば、国は滅びるまではいかない。最終手段ではあるが、念には念をという言葉もあるため、ルーナディアは聖女との接触を試みた。
その頃は、まだ彼女――レイチェルは聖女として見いだされていなかった。そんな頃、ルーナディアはベルダー王国と隣国、ネクサス王国の国境ぐらいで、レイチェルと出会った。何も知らなかった彼女に様々なことを教えている間に、彼女はルーナディアに懐いてくれた。
彼女が聖女となったときは、個人的に会える最後の時間だと悟った。彼女は「ネクサス王国の聖女」であり、ルーナディアは「ベルダー王国の王女」だ。公的な場でしか会えない。それでも、レイチェルはルーナディアが困ったときはいつでも助けると約束してくれた。それは、ルーナディアの心を軽くしてくれた。
そして、自身が王になれるかどうかの瀬戸際ときに、ルーナディアの補佐官だった、フィリベルトが補佐官を辞したいと言い出したのだ。それはルーナディアにとって青天の霹靂だった。例えルーナディアが結婚しても、子どもを産んでも、フィリベルトとの繋がりは途切れないと信じていたのだ。それなのに、やめたいと言い出したことが、ルーナディアは泣きたくなった。
結局、それはルーナディアがオクルスを好きだと勘違いしたフィリベルトが、自分のルーナディアへの恋心を認識し、ルーナディアから離れようとしたという理由だったらしい。ルーナディアがフィリベルトのことが好きだと口にした瞬間、気がつけば婚約の話をまとめてくるほど、フィリベルトはルーナディアのことが好きだったというのは想像外だった。ルーナディアは諦めていた初恋をいきなり手にすることになり、最初は戸惑っていたが、段々と理解してきて、幸福感に満たされていた。
大切なものを手にしたからこそ、ルーナディアは「平和な世界」を失うことが怖くなった。失わないように努力しようと改めて思うことができ、目の前のことにさらに真剣に取り組むよう努めた。
そうやって取り組んでいるうちに、王太女になったり、結婚をしたり、いろいろあった。
オクルスと会う機会はほとんどなかったが、ルーナディアの結婚パーティーには来てくれたが、ほとんど話す時間はなかった。彼が自分と同じ、転生をした身なのか、あるいは無関係なのかを知る手段はなく、日々は過ぎていった。
そして、オクルスとヴァランの所へ襲撃が起こる。その話を聞いたとき、身体の芯から冷える感覚がした。
オクルスやヴァランの周囲の脅威は、できるだけ気にかけていたはずだった。それでも、ルーナディアの関与していないところで、そのことは起こったという。
しかし、この国は滅びなかった。その理由は、オクルスが死ななかったことだろう。それでは、なぜ彼は死ななかったか。後にレーデンボークから当時の状況を聞いたルーナディアは何となく理解した。
オクルスの周囲を取り巻く環境の変化。エストレージャとの交友関係であり、レーデンボークとの最低限の仲を構築していたこと。そして、彼の塔にいる猫のぬいぐるみの存在。その猫のぬいぐるみが、オクルスが死にかけたことにショックを受けたヴァランを動かしたという。
その全てはオクルスが変えたことなのだろう。そこまで、この世界の元となる小説と話が違うとやはり気になる。「オクルス・インフィニティ」は、何を考えていたのか。あれほど冷たくしていたのに、自分の命を懸けてヴァランを守ろうとしたオクルスは何を目指していたのか。ルーナディアは知らなければならない。
そう思ってルーナディアはオクルスと話をしたが、彼は薄らとしかない小説の記憶を頼りに、ヴァランを守ろうとしていたという。
それがどれだけ大変なことか、ルーナディアには想像ができた。実際、ルーナディアは一度目のこの世界では何もできていなかったのだから、オクルスの今回の生は同じようになっていてもおかしくなかった。それなのに、オクルスは足掻いた。それが正しい方法だったかは分からないが、少なくとも結果を見れば十分だろう。
それと同時に、すぐにオクルスと関わることを止めたことを悔いた。ルーナディアがオクルスの状況を1番理解できただろうに、それをさっさと止めてしまったのだから。オクルスという人間をほとんど知らないのに、離れた。それをしていなければ、もっと上手くいっていたかもしれないのに。
そう考えていたルーナディアだったが、再びオクルスと会話をしたところ、彼自身も納得していなさそうに見えた。ルーナディアが懺悔のように打ち明けた「自分もヴァランの闇堕ちをしっていた」という発言に対し、彼は怒ることもしなかった。むしろ、気がつけばルーナディアが励まされる形となっていた。
先ほどのオクルスの言葉を思い出す。
『それでも……。あなたが変化を望むのなら、これで終わりではないのでしょう? ルーナディア王太女殿下』
ルーナディアの人生はここで終わりではない。ヴァランが闇堕ちすることはなく、国は滅びなかったのだから。
「もっと、頑張らないと」
愛する人を守るために。愛する国を守るために。自分の手が届く範囲以上の世界の安寧を保ているように。
――そして、あの2人の平和も守れるように。
先ほど帰っていった2人のことを考える。オクルスのこと以外は目に入らないかのように見つめていたヴァランと、そんなヴァランを愛おしげに見ていたオクルス。彼らの今後が明るいものになるように、自分に何かができれば良い。それは自分の罪悪感から来る気持ちか、良き友人だからある気持ちかは明確には分からないが、それでも良い。
ルーナディアは軽く息を吐いて、自分の仕事へと戻った。




