109、未来を変えたかった2人
城に来たついでに、オクルスは寄りたかった所があった。それは、ルーナディアの所だ。前回、話が中途半端はまま、オクルスは自分の思考に入り込んでしまったため、謝罪がしたかった。そのため、エストレージャに頼み、どうにか機会を作ってもらった。エストレージャは忙しいらしく、すでに仕事へ行ってしまったため、ここにいるのはオクルスだけだ。
案内された応接室でオクルスはしばらく待っていたが、ルーナディアが来た瞬間に立ち上がり、頭を下げた。
「ルーナディア殿下。この前は申し訳ありませんでした」
「いえ。私の方こそ、黙っていて申し訳ありませんでした」
同じように彼女が頭を下げる気配がした。数秒経って頭を上げると、彼女も同じくらいのタイミングで頭を上げたようだ。
ルーナディアと顔を見合わせ、同時くらいのタイミングで思わず笑ってしまう。どこか日本人らしい行動だ。
ルーナディアに座るように促され、オクルスはソファへと腰気蹴る。柔らかいが、沈み込んでしまうほどではなく、ちょうど良い堅さだ。
しばらく沈黙が流れたが、オクルスの方が口火を切った。
「事実の確認をさせていただいても、構いませんか?」
「ええ。私も、そのつもりで来ましたから」
穏やかに微笑んだルーナディアに、オクルスは軽く頭を下げた。前は何を話したのか、途中から全く覚えていない。
確か、ルーナディアには2つの人生の記憶があると言っていた。日本で暮らしていた記憶と、ここと同じ世界で生きた記憶。
そして、彼女は国の滅亡を変えようと動いていたのだろう。それはどこからだろうか。
「……ルーナディア殿下は、ヴァランのことがあったから、孤児院へ頻繁に視察に行っていたのですか?」
「その質問は答えにくいですね。ヴァランのことがなくても、行ったと思うので」
オクルスの質問に、ルーナディアは困ったような表情をしている。
どこか探り探りの会話。もともと、そこまで親しいわけでもないから、余計に話しにくい。オクルスのそんな気持ちを読み取ったのか、ルーナディアが口を開く。
「オクルス様、日本に生きていた頃に、この世界の小説を読んだのですが、あなたもそうですか?」
「ええ」
「そう、ですよね」
迷うように視線を彷徨わせた彼女は、少しずつ話を始めた。
「……私がオクルス様に求婚したのは、あの子の支えになる人がもう1人いれば闇堕ちをしないと思ったからです」
「なるほど」
理に適ってはいる。しかし、それはルーナディアが望まぬ婚姻をするだけだったとは思うが。
「本当に、それで良かったんですか? 私と結婚することが?」
「……分かりません。少なくとも、そのときはどうしたら良いか検討もついていませんでした」
懐かしむように、ルーナディアが遠くを見つめながら言う。それをオクルスは黙って見ていた。
「前は、私は何もできなかった。前世の記憶がありながらも、未来を変えるのは良くないと信じ込むことで、傍観をしていた。他人事だと知らないふりをしていたのです。そうして、結局国は滅んだ」
悲痛そうに悲しげな顔をしながら俯いたルーナディアは、そのまま話を続ける。
「そして今回、また同じ『ルーナディア・スペランザ』として生き始めたとき、悟ったんです。これは、私への罰であり、戒めだと。この国を良いものとすることが、私の生きる意味だと、思って」
しばらくの間、沈黙が流れた。オクルスは、何も言えなかった。
ルーナディアに何を言えばいいか分からない。オクルスに、知ったような口をきくことはできないのだから。
彼女の覚悟も。決意も。オクルスには知り得ないものだ。
オクルスの方を見たルーナディアが、目を伏せながら笑みを浮かべた。その笑みは、風が吹けば消える蝋燭のように儚く見える。
「結局、私は何もできませんでしたね」
「そんなことはないと思います。私が邪魔をしなければ、きっとルーナディア殿下は上手くやれていたでしょう」
オクルスはすぐに否定したが、ルーナディアに伝わったかは分からない。彼女は陰のある表情で微笑んだ。
「そう評価していただけるのは有り難いですが、どうなっていたかは神のみぞ知ることですね」
表情の明るくならないルーナディアに、オクルスはきっぱりと告げた。
「それでも……。あなたが変化を望むのなら、これで終わりではないのでしょう? ルーナディア王太女殿下」
ルーナディアは次期国王に内定しているのだ。これで終わりのような苦しげな表情をする必要はないと思うのだが。
目を見開いたルーナディアは頬を緩めた。その顔に、先程までの思い詰めた色はなかった。
「そうですね……。そうです。オクルス様。ありがとうございます」
「いえ。私はあなたのように行動できる自信が全くないので純粋に尊敬します」
オクルスがそう言うと、ルーナディアは金の瞳を緩やかに細めた。
「大切な人を自分の無力さで失う。そんな経験をしたので、何かを変えたくないとと思ったのです」
「……なるほど」
少しだけオクルスと似ているかもしれない。オクルスの無力さゆえに、猫のテリーはいなくなってしまった。ルーナディアと違うところは、そこでオクルスは逃げたところだろうか。
ヴァランのことも。ヴァランから「嫌われる」という方法をとったのは何か積極的な解決手段を打ち出さない「逃げ」に近い気がする。結局のところ、それがオクルスの本質であるのかもしれない。
自分が情けない気がして、オクルスは目を伏せた。
窓をこんこんと叩く音がして、オクルスは顔を上げた。その窓から箒に乗ったままこちらを見ている彼を見て、ぎょっとする。今日は街に買い物に出かけると言っていた彼がなぜここにいるのか。
ここは城の中でも警備が厳しいはずだ。ルーナディアがいるのだから。それなのに、どうやって来たと言うのか。
オクルスはルーナディアに目を向けた。彼女も驚いていたようだが、軽く頷いてくれたため、オクルスは窓を開けた。
「オクルス様」
「ヴァラン、なんでここに?」
「そろそろ用事が終わるかなと思ったので、迎えに来ました」
するりと窓から入ってきたヴァランは輝かんばかりの笑みをオクルスへと向けてきた。ちらりとオクルスがルーナディアの方を見ると、彼女は困ったような顔をしていた。
それに気がついたのか、ヴァランはルーナディアに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい、ルーナディア殿下。警備すり抜けてきました」
「……分かったわ。ヴァラン。あとで強化しておくから、次はやらないでね」
「はい」
素直に頷いたヴァランだが、ルーナディアは疑わしげに見ている。オクルスが首を傾げると、彼女はこちらを見て誤魔化すようにふわりと微笑んだ。
そこまで気にすることではないと判断したオクルスは、考えるのをやめた。せっかくヴァランが迎えに来てくれたのだから帰ることに決め、ルーナディアに頭を下げた。
「ルーナディア殿下、それでは失礼します」
「ええ。オクルス様。あなたの未来に幸あることを」
「ありがとうございます。ルーナディア殿下も」
挨拶をしたあと、当然のように箒に乗るように促してきたヴァランに笑みを浮かべ、オクルスは素直にヴァランの箒へと乗る。
塔へと戻る途中、ヴァランが聞き取れるぎりぎりの声で呟いた。
「オクルス様、大丈夫ですか?」
「……ありがとう」
そこでオクルスはようやく理解した。彼が城の警備をすり抜けるという非常識なことまでして来たのは、カエルムと話したオクルスが落ち込んでいると思ったからか。
相変わらず優しい子だ。オクルスには勿体ない。頼っては、この子の負担となってしまう。
そう思うのに、その感情を上手く押し殺すことができなかった。箒に横乗りしていたオクルスは、ヴァランの背へと寄りかかった。その途端に、ヴァランの箒が大きく揺らいだ。正面から風が吹いても、真っ直ぐ飛んでいるヴァランにしては珍しい。
「……っ」
「あ、ごめん。嫌だった?」
「そうではなくて。あの……。いえ、なんでもないです。大丈夫です」
ヴァランが問題ないというのなら大丈夫だろう。オクルスはそのままヴァランに寄りかかったまま目を閉じた。
自分の横を流れる風が、いろんな感情を消し去ってくれることを祈って。オクルスは塔に着くまでそのままヴァランに寄りかかり続けた。




