108、復讐
数日後、オクルスはカエルム・シュティレと会うために城を訪れていた。エストレージャに待っているように言われた部屋で大人しくソファに座っている。
思ったよりも待たされていて、オクルスは少しだけ眠くなってきていた。前日もしっかりと寝たはずなのに。部屋の周囲は人払いをしてあるのか、人の気配がないから気を張る必要もなさそうだ。
がちゃり、と扉の音がしたため、驚いて眠気はどこかに消えた。顔を上げると、予想通りエストレージャが立っていた。
「あ、エストレージャ」
「準備ができたから、案内する。その前に……」
オクルスの前の椅子に座ったエストレージャの表情は、真剣なものだ。それに合わせるように、オクルスは姿勢を正す。エストレージャはゆっくりと口を開く。
「どうする? あの男をどうしたい?」
「好きにしていいの?」
なぜ、オクルスにそんなことを聞くのか。首を傾げたオクルスを見て、少し口元を緩めたエストレージャだったが、彼の金の目は全く笑っていない。金の瞳に鋭さを隠さないまま、エストレージャは言う。
「お前の好きにしろ。父上の許可はとった」
カエルムとは会うだけのつもりだったのだが、エストレージャは「好きにして良い」とまで許可を取ってくれたようだ。だから時間がかかっていたのか、と納得すると同時に、疑問に思う。オクルスのことを信じすぎではないか。
「仮に、間違って殺したとしてもいいの?」
「構わない」
あっさりと言われ、オクルスは苦笑した。「間違って殺す」などめちゃくちゃなことを言っているはずなのに、全く動じないエストレージャは、心配になるぐらい心強い味方だ。
「君、私に甘いんじゃない? それで大丈夫?」
「許可は取れたのだから、別に問題ない」
表情を変えることなく言い切ったエストレージャに、オクルスは彼までぎりぎりでしか届かないくらいに落とした声で言う。
「……もし、あの人の精神を壊したらごめんね」
「必要なことは先に聞いてある」
「それなら教えて」
エストレージャがすでに情報を持っているというのなら知りたい。オクルスが頼むと、頷いたエストレージャは少し視線を揺らした。迷っているのか、沈黙が続いたあと、彼はようやく口を開いた。
「お前が飲まされた薬は力が入りなくなる薬だな。ノヴェリス伯爵がいれた紅茶に混ざっていたらしい」
それはある程度予想していたことだった。それでも、苦い気持ちが広がる。
「……そう。ノヴェリス伯爵はどうして?」
「聞きたいか?」
「うん」
少し目を閉じたエストレージャが、目を開く。その金の瞳は、憂いに満ちていた。
「ノヴェリス伯爵夫人のことは……まあ、お前は知らないよな?」
「少しだけ聞いたよ。ご病気だって」
「へえ。お前が知っているのか」
驚いたように言うエストレージャに文句を言おうとしたが、普段は知らないことが多く、エストレージャに教えてもらってばかりのことを思い出したため、口を閉じた。
エストレージャは言いにくそうに続ける。
「その病気の治療に必要な薬草がシュティレ侯爵領にしかないらしい。それを交渉というか……脅しの材料にされていたらしい」
「……そっか」
なんとなく全貌が見え、やりきれない気持ちになった。
妻の命を助けるための薬草か。息子の友人の保護者であり、国の中でも希少な大魔法使いの殺害に加担をするか。
ノヴェリス伯爵は選ばざるを得なかった。
「今回の件にノヴェリス伯爵を関わらせてしまったのは私が原因だけど、まあいつかは何かをやらされていただろうね」
カエルム・シュティレが貸しをそのままにしておくとは思えない。弱みを握られた時点で、ノヴェリス伯爵は終わりだっただろう。そう考えていると、エストレージャの訝しむ目がこちらを見ていた。
「……妙にノヴェリス伯爵の肩を持つな」
「あの人と、少しだけ似ていると思ったから」
「似ている?」
今までの自分を思い出しながら、オクルスは薄らとではあるが、口元に笑みを浮かべた。
「大切な人を守りたくて、追い詰められていたのが、似てる」
「……そうか。そうだな」
オクルスは勝手に視野が狭くなっていただけだが、ノヴェリス伯爵は違う。オクルスのことを憎むカエルム・シュティレによって、追い詰められたのだろう。
「それに、ヴァランの友人だという事実があること自体もあの男の手の上な気がする。だから、恨んだり非難したりしたら、あの男の思惑通りになる」
オクルスが庇護していた子どもの友人の父親を使う。そんな非道なことでも、あの男なら思いつくだろう。むしろ、好機と捉えたはずだ。
流石、とでも言いたい。オクルスが、ヴァランの友人の父となら、個人的な要件でも会うことを見透かしていたのだから。もちろん、褒めてはいない。嫌悪感をなんとか落ち着けながら尋ねた。
「それで、あの人に会っていいの?」
「ああ。シュティレ侯爵のところに案内しよう」
オクルスは静かに息を吐いた。
さあ。オクルスにできる最大限の復讐を、しよう。
本当は話をするだけのつもりだったが、自分の中に湧いてきた怒りを押さえつけられない気がする。
ヴァランの折角できた友人の父親であり、オクルスが珍しく仲良くなれそうだと思った、ノヴェリス伯爵。彼の妻を人質に取るような形でオクルスを陥れたあの男が、何を嫌うか。
オクルスの嫌がることをカエルムが知っているように。オクルスは、知っている。
◆
案内された場所は想像以上に警備がしっかりしていた。カエルムを「犯罪者」として扱うことは決定しているのか。貴族はなんだかんだお金や爵位でどうにかするケースも多い気がしていたため、少し意外だ。
オクルスはエストレージャの先導により、部屋の中へと足を踏み入れた。すでにそこにはカエルムがいた。一応拘束はされていないようだが、彼が変なことをすればすぐに捕らえられるほどの距離に見張りはいる。
オクルスは表情を変えず、カエルムの正面にある椅子へと座った。カエルムとの間を妨げるものは長机だけ。
もう会話を始めていいだろうか。オクルスは斜め後ろに立つエストレージャに目を向けた。
「ここの中での話も行動も漏れない。いや、漏らさせない。だから、好きにやれ」
エストレージャに囁かれた内容の重さに、オクルスは苦笑した。この男、持ちうる権力を使えるだけ使っているのではないか。エストレージャが折角作ってくれた機会を活かさないわけにはいかない。オクルスは、カエルムに向き直った。
カエルム・シュティレ。オクルスの血縁上の兄。この人の顔をよく見る機会なんて、ほとんどなかった。こんなに弱そうな人だっただろうか。もっと、強くて大きい存在だと思いこんでいた。
オクルスがじっと見ていると、カエルムは口元を歪めるように笑った。
「良いざまだとでも思っているのか?」
「……いいえ。別に」
顔に似ている部分がないことを祈りながら、見ていただけだ。オクルスが淡々と否定すると、カエルムは苛立たしげに眉を顰めた。
オクルスは、表情をあまり変えないようにしていたが、意識的に表情を和らげた。少し目を伏せ、自身の中性的な顔が儚げに見えるようにしながら、呟いた。
「それにしても、残念ですね」
「え?」
虚をつかれたように固まっているカエルムは、何を見ているだろうか。オクルスは、自身の母と目元は似ていると思っているし、どこか儚げの表情は少し似ているんじゃないかと思う。カエルムはそれに気づいているだろうか。
そんな母と似たような面持ちを目指しながらも、口からは絶対に母が言わないことを吐き出す。
「シュティレ侯爵家は没落でしょう? あなたに子どもがいれば、その子が継いで取り潰しを免れたでしょうが」
「……お前のものになるほうが心底嫌だったのだから」
「だから、殺そうとしたんですか?」
「好きに捉えろ」
否定はしない。いや、できないだろう。
オクルスは頬に手を当てて、少しだけ首を傾げた。カエルムに聞こえるかどうかぎりぎりの声で呟く。
「父上は残念がるでしょうね」
「なんで父上が出てくる?」
オクルスは、少しの間口を閉じてから、静かに声を発した。
「なぜ、あの人が私を大魔法使いにしたかったと思います?」
「お前のことが、大切だからだろう?」
そう答えたカエルムの表情には、明確な憎しみと羨みがあった。
そうか。カエルムがオクルスを嫌う理由の1つはそれか。しかし。オクルスは首を振った。
「きっと違いますよ。私のためではない、あなたのため」
「……何を、言って」
オクルスは、机の方へと身を乗り出した。カエルムの耳元で、囁く。彼を地獄に落とす、最後の一手を。
「大魔法使いとあなたに繋がりを作りたかった。そんな父親としての愛だったんじゃないですか?」
オクルスはそれだけを言って、元の椅子へと戻る。正面のカエルムの様子をじっと見つめた。オクルスの言葉で目を見開いたカエルムが、絞り出すように声を出す。
「俺は、その期待を裏切ったということか?」
「そう思うのなら、そうなのでしょう」
「嘘、だ。そんなことは……」
呆然としたカエルムは、しばらくの間瞬きすらしなかった。彼の目に、深い絶望感が浮かんでいるのを見てから、オクルスは席を立ちそのまま退出した。
◆
エストレージャと廊下を歩いていたが、彼が部屋から大分離れたところで口を開いた。
「さっきの、本当の話か?」
「そんなわけないでしょう。全部適当」
ふっと笑ったオクルスは、吐き捨てるように言った。
「それが、最大限の復讐。父上にも、兄上にも」
オクルスのことを道具にしか思っていなかった父。死人に口なしとも言うし、死者の考えを捻じ曲げることは、酷いことだ。だから、敢えてそれをした。
オクルスに意味のわからない憎悪を向けてきたカエルム。父の期待と愛がほしかったようだから、それを裏切ってしまったという罪悪感に囚われていればいい。
それがオクルスの復讐。そして今後は一切思い出さないだろう。
オクルスはエストレージャを見ながら、薄らと笑みを浮かべた。
「エストレージャ。私がひどい人間だと思う?」
ゆっくりと問いかけると、肩をすくめたエストレージャがあっさりと言った。
「お前のされたことに比べれば、甘いんじゃないか?」
「そう? まあ、復讐に思考を割きたくないからこれで終わり。これ以上、私は関わらない。あとは全て任せるよ」
「……そうか。お前がそれで良いなら」
頷いたエストレージャを見てから、オクルスは近くの窓に目を向けた。窓から差し込む、きらきらとした日だまりを見ながら呟いた。
「母上の雰囲気を使ってしまったことだけ、母上に申し訳なく思うけれど」
太陽みたいに明るくて、優しい人だった。
立ち止まったオクルスの隣から、優しい声がした。
「きっと、お前がしたいようにするのが嬉しいだろう」
「そうかな? そうだといいな」
室内にもかかわらず、ふわりと風が吹いた気がするが、それは気のせいだろうか。足を止めていたオクルスだったが、また前へと歩き出した。




