100、罠
ノヴェリス伯爵からの話は、本当に何の目的もなさそうな雑談だった。最初は緊張して何も話せなかったオクルスだったが、次第に会話ができるようになってきた。
ルリエンとヴァランの学校での授業や寮生活の話。そして、ノヴェリス伯爵の領地の話など興味深い話も多かった。パーティー会場の隅っこで時間を潰しているよりは断然楽しい。
しばらく4人で話をしていたが、ノヴェリス伯爵が何かを思いだしたように目を閉じてから、ルリエンに声をかけた。
「ルリエン、ヴァランくんと隣の部屋に行ってきてくれないか?」
「なんで?」
「大魔法使い様と2人で話したいことがあるんだ」
2人で話したいこと。オクルスが疑問に思っている間に、不思議そうにしながらもルリエンは頷いて立ち上がった。ルリエンがヴァランに目を向けるが、ヴァランはオクルスの服の裾を掴んだ。
「オクルス様……」
「大丈夫だって。ちゃんと会話できていたでしょう?」
「……でも」
ヴァランは納得していないようで、そのまま俯いている。オクルスは少しだけ考えてから、ヴァランの耳元に口を寄せる。
「じゃあ……」
オクルスはヴァランにだけ聞こえる声で、一言だけを伝えると、ヴァランは心配そうにしながらも頷いた。
「……分かりました」
◆
ルリエンとヴァランが出て行ったあとに扉が閉まるまで見届けてから、オクルスはノヴェリス侯爵へと向き直る。
ノヴェリス伯爵が、紅茶を淹れてくれたようで、オクルスは礼を言ってそれを口にする。甘やかな香りが広がり、オクルスは少し頬を緩めた。
ルリエンとヴァランを別室に移動するように提案をしたのはなぜだろうか。少しだけノヴェリス伯爵の表情が強張っているように見えたため、姿勢を正して尋ねる。
「なにかお話ですか?」
「いえ、大魔法使い様に改めて感謝を伝えたくて」
紅茶を口にしたノヴェリス伯爵は、伏し目がちに微笑んだ。
「妻が病気になってから、ルリエンは元気がなかったので、ヴァランくんと友達になれて本当に良かったです」
「そう、なのですか」
ルリエンは明るい青年だと思っていたが、それは空元気だったのだろうか。母親が病気だというとは苦労もしているのだろう。他人事ながら、同情心が湧いてきた。
「苦労なされているんですね」
「そうですね。私はともかく、ルリエンには苦労をかけたでしょう」
普通に会話をしていた、だけのはずだった。
ふっと身体の力が抜けた。ぐらりと視界が揺れる。
「……は?」
気がつけば身体がソファに倒れ込んでいた。何があったのか、自分でも分からない。咄嗟に目を動かして、ノヴェリス伯爵へと視線を向ける。
「……ノヴェリス、伯爵?」
「申し訳ありません、物従の大魔法使い様」
その謝罪は嘘には聞こえなかった。だからこそ、余計に疑問が残る。
「なぜ、ですか? 私が何かしました?」
「……申し訳ありません」
どこか苦しそうに謝罪をしてすぐ、彼は部屋を出て行ってしまった。ばたん、と扉の閉まる音が妙に大きく聞こえた。
部屋に残されたオクルスは、起き上がろうとするが、ほとんど動かない。目は動くし、声も出たが、手や足は動かない。
机に目を向ける。そこには先ほどまで飲んでいた紅茶。これに何かが混ぜられていたのだろう。
「不味い、かな」
ノヴェリス伯爵が自発的に行った可能性も考えたが、先ほどまでの雰囲気からそれは低い。それを巧妙に隠していた場合も一応はあるが。そうなると、裏で誰が手を引いているのか。
ここが「物語」の世界であるのなら、これは物語通りになるような強制力――神など人智を超える存在の影響かと考えただろう。しかし、ルーナディアは言っていた。
『日本という国で生きた記憶。そして、この世界で一度生きた記憶。その2つですね』
つまり、この世界も「現実」であることは疑いようもない。だからこそ、ちゃんと「犯人」はいる。
オクルスに明確な悪意をもち、ノヴェリス伯爵を利用して陥れようとした人がいる。
どこまで、ノヴェリス伯爵が関わっているかは分からない。オクルスと会話をした全てが嘘だったのかもしれない。ルリエンがヴァランと友人になったことすら仕組まれていた可能性もある。彼自身が主体的に動いていたのか、あるいは脅されているのかすら分からない。
「うーん……」
とりあえず、考えても無駄そうなことを考えるのは止めた。別に彼ら、ノヴェリス伯爵家の意図を考えたところで、黒幕との関係をオクルスは知り得ない。
そんなことよりも、これを誰が仕組んだか。薄らと誰だか予想がついている。黒幕は、きっと。
「あの人、だろうね」
がちゃり、と扉が開かれる音がした。




