10、外出
オクルスがヴァランを連れてきたのは、仕立屋だ。オクルスがいつも行く店。店に入った瞬間、女性の店員が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。大魔法使い様。お久しぶりですね」
すぐに「物従の大魔法使い」だと把握したらしい。
顔を見たことのある店員だ。オクルスの顔を見た瞬間、何らかの目配せを別の店員にしたようだ。
店内がざわめきだし、人の動きが多くなる。
対応してくれている店員の表情はあまり変わらない。しかし、少し強張っているのは分かる。
それに、オクルスは気がつかないフリをしながら、フードを外した。
「こんにちは」
「本日は、大魔法使い様のお洋服ですか?」
「いや、今日はこの子の」
オクルスの後ろに隠れていたヴァランを見て、店員が瞳を瞬かせる。戸惑うヴァランを定員に任せた。
「じゃあ、お願いします。全部任せます」
「かしこまりました」
サイズを計測するなど、やることは多いだろう。下手に素人が口を出さない方が良い。
理解ができていないのか、何度も瞬きをするヴァランに微笑みかけた。
「いってらっしゃい、ヴァラン」
「……はい」
◆
店全体の空気が重すぎて、オクルスは苦笑した。このような反応をされるのは慣れたものではある。この店に直接害を及ぼしたことはないはずなのに。
そもそも他者に迷惑をかけたことは……。山か。山は確かに。
オクルスは静かに目を逸らす。まあ、心当たりがいくつかあるのは否定できない。
個室へと案内されたオクルスは、出されたお茶をただ飲んでいた。下手に動けばもっと怖がられる。
ドアを叩く音がして、返事をする。先ほどの店員が入ってきた。
「失礼します。大魔法使い様」
「はい」
「お洋服を、何着ご用意いたしますか?」
確かに、それを伝えていなかった。表情を動かさない店員を見ながら、少し考える。
街に出る機会があまりない。そう考えると、今回多めに服を買っておいてもいいかもしれない。
しかし、子どもの成長はあっという間だ。あんまり多く買いすぎても後で困るだろうか。
一瞬そう思ったが。それでも、ヴァランに衣服で困らせるよりは、お金を使った方が良いだろう。
「城にも行けるような服を3着。普段着としても使えるものを、上下10着くらい」
「かしこまりました」
お辞儀をして出て行く店員を見ながら首を傾げる。少ないだろうか。自分の衣服が何着あったか。考えてもよく思い出せない。
「もっと要るかな……?」
子どもはすぐに服を汚すだろうか。ヴァランは今のところ大人しいが、本当ならもっと遊びたいのだろうか。
立ち上がったオクルスは、近くにいた別の店員を呼び止めた。
「すみません」
「はいっ。何か、お困りでしょうか?」
近くに立っていた店員が慌てたように近づいてくる。オクルスはその怯えに気がつかないふりをしながら言った。
「あと10着追加と伝えてください」
「かしこまりましたっ」
これで良いだろう。椅子に戻ったオクルスは再びお茶を飲み始めた。再度扉が叩かれた。許可を出すと、入ってきたのはいつもの店員だった。
「失礼します。大魔法使い様。追加と伺いましたが」
「はい」
この店員はオクルスの担当なのだろうか。そんなことを考えながら頷いた。すると、店員は困った顔をしていた。
「差し出がましいかもしれませんが、流石に同じサイズで20着は多いかと」
「そうですか?」
よく分からないが、そう言うならそうなのだろう。
「そうですか?」
それならどうしようか。予備の服は多くても良いと思うが。考え込むオクルスを見かねたのか、店員が口を開いた。
「それでは、追加は上のお洋服を5着くらい、大きめのサイズにいたしましょうか? 上でしたら、少し大きくても大丈夫でしょうから」
「それでお願いします」
細かいことは分からないから頷いた。そんな適当な反応をしているオクルスに、店員は嫌な顔1つしない。
「大魔法使い様、お選びになられますか?」
「色とか服とか、全然分からないですが……」
「ヴァラン様もお喜びになると思いますよ」
オクルスは教えていないが、ヴァランが名前を教えたのだろう。それにしても、オクルスが服を決めるのを手伝うことで、ヴァランも喜びのだろうか。そう思いながら頷いた。
「分かりました。そうします」
◆
服の購入は終わり、完成次第塔まで届けてもらうことになった。
用事は終わりだ。オクルスはヴァランと共に店から出た。
ヴァランの手を引きながら人目につかない場所へと向かう。行きよりもペースが遅い気がする。
「疲れた?」
「……少し」
採寸などは結構面倒だ。オクルスもあまり好きではない。明らかに疲れた様子のヴァランを見て苦笑した。
「じゃあ、採寸を頑張ったご褒美に、何か君の好きな物を買っていこうか。何がほしい?」
オクルスが尋ねると、ヴァランは少しだけ首を傾げた。
「好きな物、ですか?」
「うん」
そこでオクルスは動きを止めた。ヴァランが「好き」を分からない可能性もあるのか。いや、流石に8歳なら知っているか。しかし、孤児院がどのような環境だったか分からない。
オクルスはヴァランの顔を覗き込んだ。
「好きって知ってる?」
「知っています」
それは流石に知っているか。ヴァランの顔を見ていると、彼は下に視線を向けた。なかなか答えないヴァランを見ながらしばらく待っていると、彼がぽつりと言った。
「昔、誕生日のときに孤児院の先生がくれたものがあって。それが好きだったんです」
「へえ、食べ物?」
「はい」
何の食べ物だろうか。2人で街を歩きながら首を傾げた。ヴァランがしばらく考え込んでいたが、またぽつりと呟いた。
「甘くて、丸かったです」
「甘くて、丸い? キャンディーかな」
オクルスが答えた途端、ヴァランが表情を一気に明るくした。
「多分、それです」
「そっか」
近くに少し高級なお菓子屋があった気がする。ヴァランの手を引きながら、その店に向かう。
そこでは大魔法使いであることに気がつかれずに、購入することができた。瓶の中に、カラフルなキャンディーがころころと入っているものだ。
ヴァランに手渡すと、彼が少し頬を染めて微笑んだ。
「ありがとうございます、大魔法使い様」
その笑みは、まるでこの世の幸福を掴んだような笑みで。オクルスは言葉を失った。
「大魔法使い様?」
「……なんでもないよ」
ただ、キャンディーをあげただけで、こんな顔をするのか。日本の飴玉とは違って少し高価ではある。それでも、たかがお菓子だ。
妙な気分になって、オクルスは黙り込んだ。それを見て、ヴァランがオクルスの顔を覗き込んだ。
「大魔法使い様?」
「あー、なんでもない。帰ろうか」
不思議そうにオクルスを見ていたヴァランがふわりと笑う。
「このキャンディーの1つ、大魔法使い様の目の色に似ていますね」
オクルスはその目を見開いた。薄桃色の瞳。それは確かに、ヴァランに渡したキャンディーの1つに似ていた。苺味だろうか。
「大魔法使い様、今、食べてもいいですか?」
「……うん」
街に置かれているベンチに座ったヴァランが、瓶の中からキャンディーを取り出す。オクルスもその隣に座った。
薄桃色のキャンディーを、ヴァランが嬉しそうに見つめる。
自分の瞳と一緒の色というキャンディーをまじまじと見つめられ、オクルスは少し気恥ずかしい気持ちになったが、ヴァランから目を逸らせなかった。
ヴァランが太陽の光に照らすように、薄桃色のキャンディーを持ち上げた。
「やっぱり、綺麗です」
「そう、かな」
しっかりとそれを眺めた上で、それをヴァランは自分の口に放り込んだ。そして、頬を緩める。
「甘くて、大好きです」
自分の瞳について言われているわけではないのに、妙な羞恥心に襲われる。オクルスは自分の顔を手で覆った。
「大魔法使い様?」
「……なんでもないよ」
しばらくはそうやってベンチで休んでから、塔へと戻った。
塔に戻ってから気がつく。ヴァランと歩いていると、途中から周囲の視線を気にしなくなっていた。それは、いつもより街を歩くのが楽で。
この日の夜、オクルスは明るい気持ちで日記を書いた。




