1、オクルス・インフィニティ
こちらはBL作品です。
静まり返った塔の中。オクルスは目の前の本を夢中になって読んでいた。本を読んで、メモをする。地面にも紙が散らばっているが、後で片付ければいい。オクルスは水の中に浸かっているような感覚で、目の前の思考に集中していた。
「邪魔するぞ、オクルス。朝早くから熱心だな」
「ん? 朝? ああ。朝か」
声をかけられ、オクルスは顔を上げる。
確かに外を見ると、太陽の光で世界が輝いていた。さっきまでは真っ暗だったはずなのに、おかしい。
その燦々とした光の眩しさに、少し顔をしかめる。
「さっきまで、夜だったのに」
「お前な……」
呆れを隠さない男から小言が飛び出す前に、オクルスは話を逸らすことを決めた。
「それで、王子様が何の用?」
この男、エストレージャ・スペランザはこの国の王子だ。そのわりに、定期的にオクルスの様子を見に来る。暇なのだろうか。
いや、本当は知っている。この面倒見の良い男がオクルスを心配してくれているなんて、とっくに気がついている。
紅色の髪を雑な仕草でかき上げながら、エストレージャが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「大魔法使い様の様子を見に来るのも、仕事だ」
「みんな、怖がるからでしょう?」
「ああ」
エストレージャは迷うこともなくあっさり頷き、オクルスも文句を言わずにその言葉を受け入れた。自分が怖がられているのは、とっくに自覚済み。
オクルスは部屋の鏡に目を向け、そこに映る自分を見ながらため息をついた。
「こんなに綺麗な顔しているのに」
「おい、自分で言うなよ」
今の自分の顔だという贔屓目を抜きにしても綺麗だと思うが。別にオクルスは自己愛が強いというわけではない。ただ、この顔は前世の自分の顔と比べると雲泥の差があると断言できる。
オクルス・インフィニティには、前世の記憶がある、はずなのだ。それでも前世の自分のことは、あまり覚えていない。成長するにつれて、どんどん薄れている気がする。
それはそうだろう。本来なら、その記憶は残っていたらいけないはずだ。なぜ、記憶があるのか。この世界で20年ほど生きているが、答えはない。
前世の記憶を思い出した子どもの頃は混乱をした。しかし、混乱したところでもう、オクルス・インフィニティとしての生活は止まることもなく進んでいき、記憶は薄れていく。
自分に前世があると認識しながらも、オクルス・インフィニティとして生きている。それはきっと、これからも変わらない。
自分の記憶を振り返りながら、オクルスは首を傾げた。
「私、怖がらせたつもりないのになあ」
「お前の存在を怖がっているんじゃないか?」
「それはどうしようもできないよ」
これからも、オクルスは遠巻きにされながら生きていくのか。オクルスはフレンドリーに話しかけているのに。解せない。
人と話したいが。現状、人間で話してくれる人はエストレージャしかいない。
「それで大魔法使い様は、書類できたのか?」
「書類? できあがっているのあったかな?」
床に散らばっている紙を適当に漁るが出てこない。自分だけでは探すのが難しそうだ。オクルスは、助っ人を呼ぶことにした。
「テリー。来てー」
テリー。それは、猫のぬいぐるみだ。オクルスの声で動き出したテリーがトコトコとこちらに来る。
「なんですか? ご主人様。寝てたのに」
「別に君は睡眠なんて必要ないでしょう。ほら。終わっている書類探して」
「嫌です」
「拒否権、ないから」
渋々、と言った様子で床に散らばっている書類を集め始めたテリーを見て、オクルスは黙り込んでいるエストレージャにちらりと視線を送る。
猫のぬいぐるみと会話をしていたオクルスに、エストレージャが嘆息を零した。
「お前……。自分の固有魔法で動くようになった猫のぬいぐるみしか手伝ってくれる存在がいないって……。本当に可哀想だよな」
「そんなしみじみと憐れまないでよ」
正直オクルスも虚しくなることがある。その気持ちから必死に目を逸らしていたというのに。
魔法の中には、誰でも使用可能な普通魔法以外に、自分だけが使える固有魔法がある。オクルスの固有魔法は「物体を操る」ことができる。
それだけではなく、長時間1つの物体に固有魔法を使い続けると、魔法を使っていないときも物体が動くようになった。自我を持ち始めた、とでもいうのか。
おかげで、この猫のぬいぐるみ、テリーはオクルスが魔法を使っていなくても勝手に動き出す。さっきも勝手に寝ていた。許可していないのに。
憐れんできたエストレージャをオクルス睨み付けるが、エストレージャは諦めたようにまた息を吐いた。
「お前を怖がらずに、家に入ってくれる人もいないのだろう?」
「いない。まず、テリーを見られた時点で、逃げられる。まあ、そんな人を雇うつもりもないけど」
テリーは、オクルスにとっては大事な家族だ。自分が生み出した存在。子どものように思っており、オクルスの魔法使いとしての価値の証明でもある。その時点で、テリーを拒絶する人に家を任せるつもりはない。
それだけではない。どっちにしろ、テリーを怖がったあと、オクルスに恐怖の目を向けるのだ。テリーのような存在を生み出せるのだから、いろんな悪用が可能だと考えて。
「お前、人の話を聞くように見えて、頑固だからな」
「君だって。どうせここに来るのを止められているのに、来てるんでしょう?」
「は。俺の行動を制限なんて誰にもさせないからな」
傲慢な言葉にも聞こえるが、この男――エストレージャ・スペランザは冗談ではなく本気で言っているし、それをして周囲を納得させるための実力がある。
どちらが頑固だか。大魔法使いと呼ばれるオクルスに彼自身が会いに行こうとするのは止められているはずなのに、彼は高頻度で会いに来る。
それはきっと、オクルスと友人であるという理由のみならず、オクルスを完全なる孤独にしないため。ただでさえ孤独になりかけているオクルスを不憫がっているのだ。
そう。オクルスは、エストレージャがいなければ孤独になる。ぬいぐるみのテリーはいても、人との関わりはほぼなくなる。
孤独、なのだ。
ぐっと胸に苦い感覚が広がり、気を逸らすためにオクルスはテリーの方を向いた。
「テリー、書類あった?」
「ないです。ご自分で確認しては?」
「えー」
テリーが足で集めてきた書類をぱらぱらとめくるが、確かに見つからない。そのとき、机の上に無造作に置いてあるのが目に入った。
「あ、ごめん。あった」
「しっかりしてください、ご主人様」
「ごめんごめん」
書類を確認し終わったオクルスはエストレージャに手渡した。
「はい、これ」
「お前、仕事は早いよな」
「魔法の研究をするためにはね」
無駄な時間、と言ったら怒られるだろうか。とにかく、魔法の研究が楽しいため、時間を取られるような仕事はさっさと終わらせる。
オクルスは学校の長期休みに出される宿題も、初日に終わらせるタイプだった。
書類にざっと目を通したエストレージャが、軽く頷く。
「確かに預かった」
「うん、よろしく」
突如。
どん、と外から激しい爆発音がした。オクルスとエストレージャは、同時に窓から外を見る。
音のした方角に目をこらした。爆発音がした先で充満しているのは、魔力。ごくたまにある。幼い子どもや成長とともに魔力が増加した人が魔力を暴走させてしまうことはたまにある。
その中でも、稀に見る魔力量だ。オクルスには及ばなくとも、この国でトップレベルになるほど。
「これは、すごい魔力暴走だね」
「オクルス」
「うん。行ってくる」
エストレージャに名を呼ばれただけで、彼の言いたいことは伝わった。オクルスは箒を手にして、窓の外に身を投げ出す。落下をしながら箒にまたがり、オクルスは魔力暴走の発生地へと向かった。




