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 私は自他ともに認める猫かぶり娘である。今さら誤魔化しても仕方ないので、それは認める。

 猫を被り続けるための極意は、何と言っても適度に息抜きをすることだ。私の場合、クラウスとやり合うことが唯一無二の気分転換だった。

 何だかとっても妙な具合に夫婦になってしまったが、私としては今までの関係を崩したくないのである。クラウスには相変わらず運命の天敵でいて欲しい。


「お前、馬鹿だろ……」


 という私の忌憚なき意見を述べたところ、大きな溜息とともにまたも馬鹿呼ばわりされてしまった。

 子供の頃から「小さなレディ」などと素敵な二つ名を欲しいままにしてきた私に、ここまでバカバカ言えるのは、世間広しと言えどもクラウスくらいのものだ。

 今度、一日に何回くらい言われているのか、こっそりと数えてみようと思う。


「クラウスのこと巻き込んでしまって、悪かったって思ってる。新婚早々不仲とか、変な噂立てられたくないのは私も同じだし。ちゃんといい奥さん演じるよ。色々協力する。とりあえず熱々でいちゃいちゃのふりしとけばいいんだよね?」

「……」


 私としては、ものすごく殊勝な申し出のつもりだったのに。クラウスは執務机の上で頭を抱えてしまった。

 やっぱり早まった……とはどういう意味だろう。らぶらぶな妻の役、私では物足りないということか。失礼な。

 猫かぶり令嬢たる私ほど、この大役に相応しい女優はいないだろうに!

「わかった。わかったから。頼むから、これ以上俺を落ち込ませないでくれ」

「え? クラウス落ち込んでるの? 何か嫌なことでもあった?」

「あり得ないくらい手強い野生馬を手懐けそこなってな。手に入れたつもりが、実はさっぱりだったという……」

「野生馬! クラウス、野生馬の狩なんて行ったの!? ずるい、私も行きたかった……!」

「狩り……ああ、そうだな。確かに狩りだろうよ」

「ね、クラウス。今度連れて行って? いいじゃない。二人でお出かけなんて仲良しっぽくて」

「……人の話を聞け!」

 聞いているから頼んでいるのに。

 膨れっ面を作っていると、クラウスの手が伸びて来て、むに、と私の頬肉を掴んだ。そして、結構容赦なく引っ張った。

「い、いひゃいいひゃい~!」

「さすがに若いだけあってよく伸びるな」

「いたいけな乙女の頬になんてことすんのよ、この野蛮人っ」

「その通り。騎士団棟なんてのは野蛮人の巣窟だ。わかったらとっとと帰れ。というか、一応人妻がこんな場所をウロウロするんじゃない」

「やだ。今日はクラウスに剣術教えてもらう日だもん」

「まだ続ける気か……」

 一年ほど前から、私は一週間に一、二度の割合で、クラウスから剣の指南を受けている。

 クラウスは初め猛烈に嫌がったけど、じゃあ一人で何処かで勝手に練習すると言い張ると、しぶしぶ引き受けてくれた。目の届かない場所で怪我をされるよりはマシと考えたらしい。


 教え方は……一言に言うと容赦が無かった。


 とにかく基本重視で、柄の持ち方から構え方、足の運び、姿勢、諸々を徹底的に叩き込まれた。一年経ってもそればかりなのだから、私のか弱い心はポッキリと根元から折れてしまいそうだ。

 しかし、クラウスの魂胆など見え透いている。壮絶につまらない基礎訓練で、私が音を上げるのを待っているのだ。

 その手には絶対に乗るまいと天地神明に誓った私である。もはやただの意地でしかないが、今更引けない。


 私はクラウスに連れられて旧訓練場へと向かった。


 広大な敷地を、私の身長の三倍もありそうな高い壁がぐるりと囲っている。そこに穿たれた鉄扉が唯一の出入り口で、他に侵入の手段は無い。

 足掛かりもない壁を垂直に登る自信のある、蜘蛛のような人物以外は。


 新しい訓練場が騎士団棟の直近に整備されてから、この古い訓練場は閉鎖された。自由に出入りできるのは、扉の鍵の管理を任されているクラウスだけだ。

 正確には、鍵の真の管理者は軍総帥たる兄である。しかし兄は有能な副官に綺麗さっぱり丸投げした。私だと鍵を失くしそうだから、と。

 こんなお茶目な兄が私は大好きだ。


 旧訓練場跡地に入ると、早速、長いスカートを腰までたくし上げた。


 いつもは乗馬服を持参して衝立の裏で着替えるのだが、今日はもっと動きやすい小姓の普段着をドレスの下に着込んできた。おかげさまで脱ぐだけで身支度完了。手軽でいい。

「この馬鹿娘……! いきなり人前で脱ぐ奴があるか!」

 クラウスに怒られた。

 ちゃんと下に着ているんだから、目くじら立てることでもないと思う。それに、さすがの私でもクラウス以外の人前でやる気はない。

「お前は俺を何だと……」

 脱いだドレスをぐるぐる巻きにした時、たっぷりとした布地の間から、いつも身に付けているペンダントが転がり落ちた。

 着替える際に変に引っ張ってしまったのだろうか、鎖が切れていた。


「危な……」


 顔もろくに覚えていない母親の、唯一の形見。他は金の亡者の親戚が全部売り払ってしまって、何も残っていない。

 このペンダントは卑金属製で高価なものではないので、かえって目を付けられなかったようだった。

 先端はロケットになっている。蓋が壊れて開かないため、中を見たことはなかった。

 クラウスが拾い上げ、表面に付いた土を指で拭った。その瞬間、ぱちんと音がして、開かずの蓋が跳ね上がった。


「あーっ!?」


 私はクラウスの手からロケットを奪い取った。長いこと固く閉ざされていたその中身を、どきどきしながら覗き込んだ。

 若い男の人の肖像画だった。思わずクラウスを振り返る。


 え? なんか……。似ている?


「誰だ? この男」

 クラウスが当然の疑問を口にする。眉間に盛大に皺が寄っているのを見て、はっとした。

 弁明しないと、私が見知らぬ男の絵を持っていると勘違いされてしまう!


「お、お父さんなの!」


 私は叫んだ。

 叫んでから、どんなに貧乏をしても母が絶対に手放さなかった物なのだから、その可能性は高いと思った。


「お母さんの形見なの。たぶん、お父さんじゃないかって。私が生まれる前に亡くなったらしいけど……」


 ぱっと見た印象は、やはりクラウスに似ている。癖のない黒の髪色が同じだからだろう。

 年はクラウスよりももっと若い。二十歳前後か。絵が古いうえに小さいので、それ以上の特徴を拾うことは出来なかった。


「騎士だな」


 と、クラウスが言った。

 首から上の顔絵なのに、どうしてそれがわかるのか。その疑問に答えるように、クラウスが辛うじて描かれている襟の部分を指した。


「騎士服だ。しかも、これは……神聖騎士だ」

「神聖騎士?」

「普段は神殿や大教会に仕え、司教を守っている。が、有事の際には軍人として参戦もする。かなり上位の騎士だぞ」


 私はまじまじとペンダントの絵を見つめた。

 そんな上位の騎士が父なら、私と母が日々の暮らしにも困るほど困窮するとは考えにくい。

 それに、どことなくクラウスに似たこの人が私の父であるなら、私はもう少し美人に生まれついているはずだ。可愛らしいと言われることはあっても、美しいという呼称にはとんと縁が無かった私である。


 うん。決まり。

 この人はたぶん父ではない。

 なんだかなぁ……。

 お母さん、お父さんじゃない人の絵なんか持ってたら駄目じゃない。


「神聖騎士は神に奉仕の誓いを立てている。妻帯は出来ん。妻はもちろん、娘がいるはずがない。彼らは生涯独身だ」




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