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22 二人の黒騎士(※クラウス)

 手に入れたと思ったら、たちまち掌をすり抜ける。夢や幻に喩えられるほど儚い娘でもないくせに、どうしてああも掴みにくく、捕らえどころがないのだろう。

 いつだって振り回されるのは俺の方だ。しかもあの馬鹿娘に振り回している自覚はなく、いたって大真面目に俺の身を案じているのだからタチが悪い。

 残された手紙には、純粋に感謝の言葉のみが綴られていた。


「何が立派な公爵様になって下さい、だ……!」


 実家ヴェルトナーには戻っていなかった。別荘に立ち寄った形跡もなかった。ランカスターにも問い合わせてみたが、そこにも無論いなかった。

 練習用の刃を潰した細剣と、母親の形見のペンダントと、一か月ももたない少ない路銀のみ持って、アラナは忽然と姿を消した。

 途方もなく嫌な予感を覚えてイザベラを問い詰めると、案の定、二人きりで話をしたという。

 公爵位継承の件は俺自身決めかねていることも多く、保留にしておいたのだが、どうやらそれが裏目に出たようだった。

 姉の口ぶりから察するに、アラナは俺とイザベラの仲を疑った挙句、自分がその邪魔をしたと思い込んで去ってしまったようなのだ。何をどうすればそこまで激しく勘違い出来るのか、いっそあいつの頭をかち割って中を覗いてやりたいとすら思ったが、本人がいないのではそれも叶わない。

 にしても、姉との不本意な噂が立ち消えてから一年も経つのに、今になって何故アラナがそんな話を蒸し返してきたのかがわからない。

 誰かが根も葉もない嘘を吹き込んだのか……。アラナは頭は悪くないが、若干単細胞な面があるのは否めないので、十分にその可能性は考えられる。

 王弟が囚人塔に幽閉され、必要もなくなったので、俺は姉と公式の場以外で会うことを控えるようにした。一度、いつもランカスターに連れて行く従者が倒れたという事でやむなく代わりを務めたことがあったが、まともに話をしたのはその時だけである。


 今、姉を精神的に支えているのはランカスターの神聖騎士であり、俺ではない。


 脆い硝子細工のように頼りなく見えたイザベラが、今では堂々と風格すら漂わせている変わり様を目にして、俺は彼女が女公爵として立つのが最善の道ではないかと思うようになっていた。

 姉は嫁いで周りの思惑に苦しめられてきた。ならば、嫁がず信頼のおける伴侶を迎えて自らの領域でどっしりと身構えていた方が、かえって良い結果をもたらすのではないか……、と。


「クラウス様」


 遠慮がちなロディの声が、扉の向こうから掛けられた。

「どうした?」

「ランカスター教会のルース神父がお見えです。いかがいたしましょう?」

「ルース殿が?」

 応接室ではなく、少し考え、遊戯室へと通した。ビリヤードを楽しむつもりは全くなく、この部屋が防音の仕様になっているからである。ロディに言いつけ、更に廊下の人払いもさせた。

 室内を一瞥し、ルース神父は微かに笑った。

「私が何の用件で来たか、既に察しておられるようですね」

「アラナが見つかったのですか」

「はい。手紙が来ました。今、フラーマの町にいるそうです」

「フラーマ? ラングレンのそばの?」

「ええ。やはり彼女はラングレンに向かっていたようです。どうも思い込みが激しいと言いますか……困ったものですね」

 思わずこめかみの辺りを押さえたのは、気のせいではなく頭痛を感じたからだった。

 王とても手出しできない女たちの聖域ラングレン。もっと穿った見方をすれば、女から男へ堂々と絶縁状を叩きつけることの出来る唯一の公的機関でもある。

 そんな所に妻に駆け込まれでもしたら、男としては救いがたい大恥になると、なぜあいつは気付かないのだろう。本当に嫌われて逃げられたのなら諦めもつくが、一度でもこの手に彼女を抱いた今、自分は決して夫として不適格と見なされたわけではないと確信できる。


(大好き)


 幾度となく耳元で繰り返されたその言葉。

 あの夜、忌々しい兄の名は一度たりとも出て来なかった。熱に浮かされたような嬌声と共に紡がれたのは、間違いなく俺の名のみだった。


(クラウス……)


 ルース殿が持参した手紙を受け取った。

 俺には笑えるほど短い書き置きしか残さなかったくせに、手紙は結構な長文になっていた。

 取り留めなく綴られている内容を見て、我ながら甘いと思うが怒りも萎んだ。自然と口元が綻んでくる。

 アラナの馬鹿は健在だった。本当に信じられないほどあいつは鈍い。

 俺がお前に惚れていることなんて、誰が見ても一目瞭然だろうに……。気付かないのは当の本人くらいのものだ。

 

「どうされますか?」


 ルース殿の問いに、俺は明確に答えた。


「迎えに行ってきます。まったく世話の焼ける……」

「お手柔らかに」

「今回ばかりは加減できないかも知れませんね」

「アラナさんも多分に自業自得な部分はありますが……。まだ十七の子供だということをお忘れなく」

「十七は子供ですか。既に子を産んでいる女性もいる年齢ですよ」

「子供ですよ。あの子は中途半端な仮面を被ってきたせいで、人との関わり方を上手く学べないまま成長してしまったのでしょう」


 去り際、俺は以前から気になっていた疑問をルース殿にぶつけてみた。


「貴方はアラナの父親ですか」


 十分に切れ味の鋭い質問のつもりだったが、神父はやはり動じることなく、平素のままだった。


「何故そう思われたのですか」

「アラナが持っているロケットです。あれに嵌め込まれてある絵は、驚くほど貴方によく似ています」

「それはそうでしょうね。あれは私ですから」


 ……この神父は、やはりとんでもない食わせ者らしい。さらりと返された答えに、俺の方が不覚にも一瞬言葉を失った。


「……では」

「アラナさんがどうしても父親について知りたいと言うのであれば、構いません。私の名を挙げておいて下さい。あの子の母親のこともよく知っていますし、大方の疑問には答えられるでしょう」

「……それはどういう意味ですか」

「可能なら、あの子が親のことなど眼中にもなくなるくらい、貴方が大切にしてあげて下さい。それが恐らく一番あの子のためになります」


 屋敷の門付近で、俺たちは別れた。

 俺はその足でアラナを取り戻しに行き、神父はいつも通りにランカスターに戻った。

 

 実際のところ、ここで交わされた会話の中身を誰に漏らすつもりもなかった。……アラナにも。

 神聖騎士が子持ちの場合、どういう罪に問われてしまうのか。宗門官ではない俺には想像もつかなかった。調べることは出来るが、知りたいとも思わない。

 いや、そもそも、本当にルース殿はアラナの父親なのか……?

 聖籍にある身なのに、なぜか彼には闇と過去がほの暗く纏わりつく。聖騎士はしばしば白騎士などと呼ばれているが、ルース殿に限っては、俺は白い印象を全く持てそうになかった。むしろ黒く、底が知れない。

 正しいが、決して清くはない……それが、俺の神父殿に対する揺らがぬ像だった。


「まぁ、どちらでも構わんが」


 親のことなど眼中にもなくなるくらい、貴方が大切にしてあげて下さい。


 言われなくてもそうするつもりだ。


 今までもそうしてきた。

 これからも……一生、それは変わることはない。




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