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15・5

閑話の予定でしたが、幾つか後話に影響する情報が入りましたので、15.5話になりました。

「最近、アスレイドが運動不足だから、少し走らせるか……」

「お供いたしましょうか?」


 ファルマーク邸の主人と家令が、廊下の片隅でそんな会話を交わしている。そうだな頼む、とクラウスが返事をする前に、私は「はいはいはい!」と挙手しながら二人の間に割って入った。


「私が行く! 行きたい! 立候補!」


 クラウスはものすごく嫌な顔をした。普段から私の味方をしてくれるロディが、主人の苦り顔を無視して「それは良いですね」とにこやかに背を押してくれた。

「せっかくお二人で外出されるなら、料理長に言ってお弁当も用意しましょうか」

「それいい! さすがロディ!」

「お前ら……」

「たまには自然の中で遊ぶのも良い気分転換になりますよ。クラウス様は城に詰めすぎです。馬よりもご自分のお体の方を大事にして頂かないと」

「ほらほら。ロディもそう言ってるし」

 アスレイドはクラウスの愛馬だ。四歳の黒毛の牡馬で、恐ろしく気性が荒いが素晴らしく速い。主人と認めているのはクラウスだけで、普段世話をしている厩舎係すらその背に乗せない気位の高いヤツである。

 当り前の話だが私など眼中にも入れてもらえない。無理やり目を合わすと歯を剥き出して威嚇される。

 主だけではなく馬にまで馬鹿にされるってどうよ!? と常日頃思っている私としては、クラウスとの遠乗りはまたとない絶好の機会だった。

 これを機に、馬と、そしてあわよくばその主人と親密になるのだ。将を射んと欲すればまずは馬から! って昔の偉い人も言っているしね!


「なんか張り切っておられますね。アラナ様」

「ちょっと色々心を入れ替えることにしたの」

「お前の頑張りはいつも方向性がおかしいからな……。今回もそうでないことを祈る」

「失礼ね。私はアスレイドと仲良くなりたいだけよっ」

「無理だな」

 

 即答されたがめげるもんか。

 私の最終目標はクラウスだ。クラウスに、ちゃんと手を出したくなる奥さんと認めてもらうんだ!


「……なんか妙なこと企んでないか、お前……」

「気のせいよ」

「やっぱり一人で遠乗りに……」

「前言撤回なんて男らしくない!」

「前言も何も、お前を連れて行くなんて一言も言っとらんわ!」

「はいはい。お二方。犬も食わない喧嘩は遠乗りに行った先でお願いいたします。一時間後に弁当をお持ちしますから、それまでお部屋で仲良くしていて下さいね」


 微笑みながらも有無を言わさぬ調子で、ロディは私たちをその場から追い払った。

 頭痛を必死に抑えているような渋い表情のクラウスの腕に、私は思わずしがみついた。お弁当ができる前に逃げられたら大変だ。確保しておかなければ。

「……っ。抱き付くな」

 容赦なく腕を引っこ抜かれた。

 仕方ないので背中の服を掴んだ。クラウスは諦めたみたいで今度は逃げなかった。私を引きずって歩く方がよほど恥ずかしいという事実に気付いたらしい。

「ついでだから、このまま野生馬の狩りでも行っちゃおうか」

「野生馬はお前一匹で十分だ。これ以上いらん」

 相変わらず失礼な言い草である。

 この無礼な男と匿名の楽器の寄贈者が同一人物なんて、今でも信じられないほどだ。何かの間違いじゃなかろうか。


「仕方ない。動きやすい服に着替えてこい」


 着替えている間に私を置き去りにする気ではないかと危惧したが、クラウスはちゃんと私を待っていてくれた。

 着替え終わってから、弁当に添える飲み物はワイン以外で、とロディに伝えるのを忘れていたことを思い出し、こっそりと落ち込んだ。

 私は酒が極端に弱い。グラス一杯でふらふらになってしまうほどだ。イグナーツでは水代わりに飲む者も多い中、こんなに酒が駄目な人間もいっそ珍しい。

 周りに知られるのが恥ずかしく、普段の食事時などは形だけ口付けて上手く誤魔化してはいるが、弁当にまで持ち込まれたら飲む物がない。今からでも走って行って、料理長に頼もうか……。


「お前の分は茶と果汁にしてもらった。馬上でひっくり返られてはたまらんからな」


 その必要は無いようだった。ちゃんとクラウスが手を打ってくれていた。


「ありがと、クラウス。……嬉しい」

「妙に素直だな。薄気味悪いぞ」


 クラウスは優しい。口は悪いけど。

 こんな風に……いつも私のことを気にかけてくれている。











 小麦の見事な黄金の穂が揺れている。時折吹き渡る風に、麦穂は波のようにさざめき光の粉を散らしていた。夏の空は青く、そして高い。

 広大な畑の所々に、農作業中の人影が見て取れた。

「今年の出来は?」

 せっかくの豊かな実りを馬蹄で踏み潰さないように、大分離れた位置からクラウスが大声を張り上げた。

「上々でさぁ!」

 農夫たちが上機嫌にそれに応える。


「雨も、太陽も、今年は全部が最高さ! ついでに騎士様、あんたもね!」


 一年前、北方蛮族を国内に入れることなく国境で撃退した軍の功績は大きい。

 十八年前と同じくまた草の根も残らないほど蹂躙されるのではないか、と恐れ戦いていた国民は、悲劇が繰り返されなかったことに心の底から安堵した。

 私たちが北方蛮族と呼ぶ彼らは遊牧民である。馬を手足のように操り、徒党を組んでイグナーツに襲いかかる。

 遥か昔、私たちと彼らは一つだった。が、一方は草原を捨て定住を選び、富を手に入れた。一方は伝統を重んじ草原に残り、自由を守った。

 根が同じだからこそいがみ合う。奪い合う。延々とそれを繰り返してきた。

 そんな歴史があるからこそ……民が軍に寄せる信頼は厚い。

 騎士様、と、呼ぶ声には、確かな親しみと敬意が込められていた。


「守ってやらんとな」


 クラウスは金色の海原に目を細める。そうだねぇ、と相槌を打ちながら、でも私は別のことを考えていた。


 戦争なんて大嫌い。

 クラウスが遠くへ行ってしまう。兄様も。

 起きなければいい……この先も、ずっと。永遠に。


 並んで馬を走らせた。

「黒い騎士様と、別嬪な奥方様に万歳!」

 後ろから陽気な声がついてくる。


 彼らの目に、私はちゃんと奥方様に見えたのだろうか。

 ……見えたのならいいな。






 森に入って間もなく、私の騎乗する馬に疲れが見え始めた。

 アスレイドに変化はない。私よりも遥かに体重のあるクラウスを乗せているにも関わらず。

 ()は本当にただの馬なのだろうか。そのうち翼が生えて空に駆け昇って行ってしまいそうな気さえする。


 私たちは無理せず休憩することにした。もともと馬の運動不足解消のための遠乗りだ。急く必要もないので気楽なものである。

 クラウスが、一息入れるにはちょうど良い小さな湖畔に連れて行ってくれた。

 王都からさほど離れていない付近の森に、こんな佳景があるとは驚きだった。周りをぐるりと丈高い木々に囲まれ、ちょっとした秘密基地の様相を呈している。

「少し早いが飯にするか」

 クラウスの言葉に従い、私はいそいそと持参したお弁当を取り出した。

 籐の籠の蓋を開けると、鮮やかな色彩が目に飛び込んできた。トマトの赤、卵の黄。何種類もの葉野菜の、おもむきの違う緑。こんがりと焼き目の入ったパンが、贅沢にそれらを包んでいる。

 持ち上げると、挟みきれなかった大きな生ハムがぺろんと端からぶら下がった。あ、落ちる、と思った瞬間、考えるよりも早く口が出ていた。

 食いついた瞬間、それを見ていたクラウスから、

「……まだまだ子供か」

 大袈裟なくらい溜息を吐かれた。なぜクラウスががっかりするのだろう。訳がわからない。確かに淑女らしくない行動だったことは認めるが……。

「相変わらず食べ方も下手だし」

 生ハムは死守したが、代わりに炒り卵が落ちた。……料理長さん、これ美味しいけど、明らかに詰めすぎだと思う。

「お前が不器用なだけだ」

 クラウスは上手に食べている。先程からナプキンを豪快に汚しているのは私だけだ。

 と、クラウスの手が籠の中の鶏肉の香草焼きに伸びた。私はその手を押し止めた。クラウスが訝しげに首を傾げる。

 子供、と言われた事への、ちょっとした仕返しのつもりだった。私は鶏肉を一つ摘まむと、それをクラウスの目の前に差し出した。にっこりと微笑んで、


「はい。あーん」


 どうだ。

 硬派な軍団長様にはとんでもなく恥ずかしい仕打ちだろう。……言い出しっぺの私はもっと恥ずかしいけどね!

「……」

 クラウスはしばし無言だった。馬鹿娘! と叫んですぐに押し退けられると思っていただけに、この沈黙が何だかとても居た堪れない。

 おもむろにクラウスが動いた。押し退けるどころか、目の前に差し出された鶏肉を何ら躊躇いもなく食べた。……私の手から。

「美味い」

 そしてにやりと笑った。私をいじめて楽しんでいるときの、あの意地の悪い笑い方だった。

「こっちにもタレが付いているな」

 手首を掴まれた。ものすごく嫌な予感がした。引っ込めようとしたけど、力で敵うはずもない。

 妙に緩慢な動作で、クラウスは私の手を自分の口元に運び……舐めた。ぺろりと。タレなんてほとんど付いていないはずの、私の指先を。


 ふにゃああぁぁぁ!?


「お前もついでにここで食ってやろうか」

「ひっ。いいっ。いいですっ!」

「いいのか。じゃあ遠慮なく……」

「そのイイじゃなくて……!」

「確か、仲の良い妻の役を演じるとか何とかほざいていたよな。根性見せてみろ」

「ムリムリムリ! そんなはしたないこと外でなんか絶対無理!」

「……外でなければいいのか?」


 想像していたこととは微妙に違うが、いずれにせよ恥ずかしい恰好をさせられる羽目に陥った。

 座っているクラウスの膝の上に乗っかるという、ええ、それはもう、顔から火が出そうなほど恥ずかしい恰好をね!


 逃げようとして藻掻くと、お腹に後ろから手を回され固定された。何だこの抱き枕仕様は。

 というか、微妙にクラウスの腕の上に私の胸が乗っかっているような。

 はーなーせー!


「いいから少し大人しくしろ」

「クラウスのいじめっ子!」

「可愛がってるだろ、この上もなく」

「どこがよ。可哀そうな私は毎日神経すり減らしているわよっ」

「それこそ俺の台詞だ」

「きゃー! お腹に回した手動かすのやめてー! 笑う! 笑い死ぬ!」

「お前に人並みの色気を求める俺の方が間違っているのか……」






 遠乗りから帰ると、ロディにこっそりと耳打ちされた。

「旦那様、妙に機嫌が良いですが、何かございました?」

「私を膝の上に乗っけていじめ倒したのよっ」

「……聞くだけ野暮でしたね。申し訳ありません」

 他にもこんな嫌がらせを受けたとロディに切々と訴える予定だったのに、すみません忙しいので、と執事は逃げた。仕方なくユミナに愚痴りに行ったら、素敵なおしどり夫婦ですね、と清々しく一蹴され会話は終わった。


 ちょっとひどいじゃないの。女主人に対してこの扱い。

 誰か聞いてよー!




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