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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第5章 無垢な少女と気高き聖女
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第94話 触れあう素肌

 既知の他人をその承諾の元に空間を越えて呼び寄せる『法術器』──《召喚の笛》。


 《訪問の笛》は、それをマスターのスキル『ありふれた硝子の靴ノット・オンリーワン』が反転して生み出したものです。


 その効能はと言えば、『知り合いでもない相手の元に、その承諾の有無にかかわらず、空間を越えて押しかけるもの』ということになります。


 効果の対象は、本人及び本人が身体に触れている相手です。今回の場合、それに該当するのはマスター本人のほか、彼に抱きついていたメルティでした。


「な、何奴じゃ!?」


 ベアトリーチェは、いきなり出現した二人の人物を見て、驚きの声を上げました。


「やあ、初めまして、聖女様」


「……な、なんだ、うぬらは? 今のはまさか、空間転移か?」


 警戒するように身構えたベアトリーチェの周囲には、例のノコギリをはじめとするいくつかの『拷問具』が浮かんでいます。


「《転移の扉》も使わず空間転移を行うとは信じられぬが……よほど高位の『法術士』なのか?」


「さあね。そんなことより自己紹介をしようか。僕の名前は来栖鏡也。まあ、キョウヤと気安く呼んでもらって構わないよ」


 いつものとおり、軽い口調で名乗りを上げるマスターですが、ベアトリーチェは露骨に顔を歪めました。


「……気安く名前を呼ぶ? 高貴なるわらわが、下賤なる男を相手に、そんな真似をするとでも?」


「高貴? あははは。まあ、滑って転んで半べそかいてた女の子の言う台詞じゃないけどね」


「なな!? ……まさか、さっきの場面、見ていたのか?」


「まあね」


「ぬ、ぐぐぐ……!」


 殺気を漂わせて、マスターを睨みつけるベアトリーチェ。


「怖いなあ。別に僕は君と敵対するつもりはないってのに」


 わたしには今なお、彼の狙いが理解できません。彼に限って、『聖女の美しさに目がくらんで』ということはない──いえ、ないと信じたいところですが……。


「敵対するつもりはない? だが、現に……うぬには、わらわの能力『世界を観測する者アカシック・ゲイザー』による魔力感知が通じていない。油断させようとしても無駄じゃ。そもそも……男の言うことなど、信じるつもりはない」


「なるほどね。筋金入りの男嫌いってわけだ。……じゃあ、こっちの女の子の言うことならどうかな?」


 マスターは自分にしがみついたままのメルティに、そっと耳打ちをしました。


 するとメルティは、マスターから離れてゆっくりとベアトリーチェに歩み寄っていきます。


「……むお! ず、随分と可愛らしい子ではないか。お前、名は何と言う?」


 なんとなく聖女様の頬が緩んでいるように見えるのは、気のせいでしょうか?


「名前? メルティだよ」


 一方のメルティは、そんな彼女に無邪気な顔で笑いかけました。


「そうか。メルティか。良き名じゃの。うふふ。だが、あんな男に抱きつくようでは、いただけんな。良いか? 男は汚い生き物じゃ。だから、あんなものには近づいてはならん」


 メルティの可愛さに「目がくらんだ」のか、ベアトリーチェはマスターのことなど眼中にないとばかりに、相好を崩してメルティに語り掛けています。


「え? キョウヤは汚くないよ? あったかいし、いい匂いだし、気持ちいいもん」


「……ぬぐぐ! まさか、このような可愛らしき女の子が、ここまで男に毒されていようとはな。嘆かわしいばかりじゃ」


 天を仰ぐようにして嘆息するベアトリーチェ。するとここで、マスターが不思議そうな顔で話しかけました。


「うーん。個人の嗜好として男嫌いになるのは結構だけど、聖女様ともあろう人が他の娘にまでそんなことを言ったりしたら良くないんじゃないかい? 男女の不仲が続けば子供も生まれなくなるし、社会全体が成り立たなくなるでしょう?」


 マスターは、至ってまともな正論を彼女にぶつけています。こんな場面ではどうでもいいとしか言えない話ですが、もしかして彼の目的は、彼女と会話を交わすことそのものにあるのでしょうか。


「知ったことか。汚らわしい男どもが闊歩する世界など、滅びても構うまい。……わらわに言わせれば、教皇の唱える『完全に完成された完璧なる世界』であろうと、男が存在しているという時点で吐き気がするばかりじゃ」


「完璧な世界?」


「うぬに話してやる理由はない」


「手厳しいね。僕が駄目なら、メルティには? そんな思わせぶりな言い方されたら、気になって仕方がないと思うよ。ね? メルティ?」


 マスターが同意を求めるように言うと、メルティはコクリと大きく頷きました。


「う、うん。気になる……かな?」


 いまいちよく分かっていないようですが、それでも彼女が可愛らしく首をかしげる仕草には、ベアトリーチェも心を打たれたようです。胸のあたりを押さえ、何かに耐えるように小さく首を振っています。


「ほら、メルティ。お願いして」


「うん。……ベアトリーチェお姉ちゃん? お願い」


 マスターに促されたメルティは、小柄な聖女の目の前で身体をかがめ、その顔を下から見上げるようにお願いの言葉を口にしました。『お姉ちゃん』などと言ってはいるものの、下手をすればメルティの方が年上の可能性もあるのですが……。


「うう! な、なんじゃ! この反則的な可愛さは! 目がくりくりして……輝いておるではないか! ぬぐぐ……! なんなのじゃ、この薄紅色の唇は! か、神が造り給うた芸術品か? だ、駄目じゃ! くうう! わ、わらわは……わらわは……」


 頭を抱えんばかりに苦悩する聖女様。どうやら、あともう一押しのようです。すると、それを見てとったマスターが、ここで動きを見せました。


「そういえば聖女様。身体に触れると石になるっていう君の力……確か『神聖なる純白の雪花イージス・ブレイク』って言ったっけ? それって、男にしか効かないのかな?」


「……む? あ、ああ、そうじゃが」


 ベアトリーチェは、マスターの突然の問いかけに意味も分からず返事を返しました。


「よし、じゃあこうしよう」


「なんじゃ?」


「もし君が、今の話を詳しく聞かせてくれたら……」


「くれたら?」


 ごくりとつばを飲み込むベアトリーチェ。


「メルティが君に思い切り抱きついちゃう、なんてのはどう……」


「どんな質問でもどんと来るがよい! 世界の秘密から教皇の赤裸々な性癖まで、わらわが知りうる限りのあらゆる知識を、今ここに披露してやろうぞ!」


 マスターが最後まで言い終わるのをまたず、満面の笑みで叫ぶ聖女様。いえ、この人、本当に聖女なのでしょうか? というより、聖職者であること自体が疑わしいのですが……。


「とはいえ、いつまでもこの部屋にいるのもよくないね。血の匂いで鼻が曲がりそうだし……よかったら場所を変えないかい? 君も着替えたり、お風呂に入ったりした方がいいんじゃないかと思うけど……」


「ふん! 男に心配されることではない。……忘れるでないぞ? この女の子さえいなければ、わらわのことを覗き見たうぬなど、百回八つ裂きにしても飽き足らんところなのじゃからな」


「うーん。でも、僕としては、そんなに血でべっとり汚れた君にメルティが抱きつくとか、許すわけにもいかないんだけどな」


「……む、そ、それは。だ、だが、どうするつもりじゃ?」


「もちろん、こうするだけさ」


 マスターはそう言うと、『動かぬ魔王の長い腕マジック・ハンド』でベアトリーチェの首元に軽く触れ、再び《訪問の笛》を使用しました。


「発動対象、エレンシア・ヴィッセンフリート」


 そして、次の瞬間、マスターとメルティ、ベアトリーチェの三人は、グラキエルの屋敷から忽然とその姿を消してしまったのでした。




 ──血で汚れた地味なエプロンドレスは脱ぎ捨てられ、少女は惜しげもなく白い裸体をさらしています。


「ふん。ふふーん。ああ、気持ちがいいのう! くふふふ! 極楽じゃ!」


「……ベアトリーチェさん。いくらわたしの《ステルス・チャフ》と《サウンド・バリア》があるからと言って、はしゃぎすぎです」


 王宮内に設けられた来賓用の大浴場。手軽に湯浴みが可能なこの施設は、『サンサーラ』の技術ならではのものだそうです。聞いたところでは、まれに訪れる国外からの来客たちもこれを見て大いに驚き、実際に使ってみて大いに称賛するのだとのことでした。


 そしてそれは、神聖国家アカシャ出身のこの聖女様も例外ではなかったようで……


「ほれほれ、ヒイロと言ったか? そんなところで控えていないで、はよう湯船に入らんか」


 湯煙の中でほんのりと頬を赤くしてご満悦の聖女様は、たっぷりと湯船に張られたお湯の中で足を組み、満面の笑みでわたしを手招きしています。


「いえ、結構です。わたしの仕事は気配の隠蔽と、あなたに浴場の使用方法をお教えすることだけですので」


「ふむ。それは残念じゃ。わらわとしては、ここで気分を良くしてもらえれば、口の滑りもよくなると思ったのじゃがなあ?」


 湯の中で解いた銀髪をもてあそびつつ、彼女は意地の悪い笑みでわたしに笑いかけてきています。


〈うう……マスター〉


 やむなくわたしは、部屋で待ってくれているはずのマスターに、高速思考伝達を使って呼びかけました。


〈うわわ! あ、えっと……な、なんだい? ヒイロ〉


 応答のあったマスターの声には、なぜか慌てているような気配があります。と、それはさておき、わたしが彼女の要求について話すと、彼はこともなげにこう答えました。


〈いいんじゃないかな? それで本当に彼女の気分が良くなるなら、別にヒイロに危害を加えようってわけじゃないんだろうし……僕もその方が……ありがたいかな?〉


〈え? ありがたい? どういう意味ですか?〉


〈え? ああ、いやいや、彼女の口が軽くなるのはありがたいって話だよ〉


〈そうですか……。わかりました〉


 わたしはやむなく頷くと、衣服を消して彼女のいる湯船へと近づいていきます。しかし、この時わたしは、マスターの様子がおかしかったことを、もっと気にするべきだったのかもしれません。後悔先に立たず、ですが……。


「おお! さきほどのメルティちゃんも素晴らしかったが……なんの、ヒイロ、お前も負けず劣らず、すべすべとした美しい肌をしておるのう!」


 湯船に入るわたしの傍に泳ぐように近づいてきたベアトリーチェは、なれなれしくこちらの手を取り、しげしげと肌の様子を見つめています。


「そんなに見つめないでください。恥ずかしいですから」


 同性とは言え、互いに裸の状態です。わたしはこれまで、こんな状況のまま誰かと近接して話をしたことなどなく、ましてやその相手にじっくりと身体を見つめられては、居心地も悪くなろうというものです。


「むふふふ。ああ、いかんな。思わずヨダレが……」


「出ます!」


 一気に立ち上がり、湯船を飛び出そうとするわたし。


「いやいや! 今のは冗談じゃ! 待ってくれ! 後生じゃ! 後生じゃから!」


 するとベアトリーチェは、必死の形相でわたしの手首をつかみ、湯船に引き戻そうと力を入れてきました。


「……まったく、実はあなた、本当に同性愛者なんじゃないですか?」


 わたしがジト目でそう言うと、聖女様は、にぱっと笑ってさわやかに言いました。


「勘違いするでない。わらわは女の子と触れ合うのは大好きじゃが、そこに嫌らしい気持などないのじゃ」


「……その言葉とその顔で、どうやってそれを信じろと?」


「むう……ヒイロは意外と理屈っぽい女の子じゃな?」


「当然の理屈です」


「ふむ。まあ、そうさな。……先ほども言うたが、わらわは目が見えぬ。耳も聞こえぬ。かわりにわらわの能力『世界を観測する者アカシック・ゲイザー』がそれらの情報をわらわに与えてくれるにすぎん。……そしてそれらの情報は、精度こそ肉体のそれと遜色ないが、やはり『生身のもの』とは違って無機質な気がするのじゃ。だが、その点、触覚は違う。『触れあうこと』は、わらわにとって、この肉体で思う存分世界を感じる数少ない方法なのじゃ」


 彼女はそう言いながら、気持ちよさそうに湯に浸した自らの肌を撫で、光を映さぬ薄紫の瞳を細めて笑いました。


「……そうでしたか。そうとも知らず、無神経なことを言ってしまいました。申し訳ありません」


 身体に障害を持つ人の気持ちは、健常な人には理解しづらいものでしょう。だからこそ、何気ない言葉でも相手が傷つくことがある。わたしはそう思い、彼女に頭を下げて謝罪しました。


「ふふふ。ヒイロは優しい女の子じゃな。わらわにはわかる。形だけではない、心からの謝罪じゃ。わらわを傷つけたかもしれぬと後悔してくれておるその心は、わらわにとって、すごく心地よい」


 そして彼女は、柔らかな笑みをこちらに向けて言葉を続けます。


「だからの、ヒイロ」


「な、なんでしょう?」


「その謝罪を受け入れる気持ちを表す意味でも、わらわは思う存分、お前と触れ合おうぞ!」


「え? きゃああ!」


 突然、覆いかぶさるようにわたしの身体に抱きついてくる聖女様。

 まさに、完全な不意打ちでした。こちらの心がほだされたタイミングを見計らい、回避も抵抗もできない状況を作り上げたこの手口、誰かに似ていると思ったら他でもありません。マスターのやり口そのものではないですか!


「くふふふ! スベスベじゃ! プヨプヨじゃ! ああ、もう、最高!」


「ちょ、ちょっと! く、くすぐったいです! やめてください!」


 ばしゃばしゃと湯をまき散らしながら、抵抗するわたし。しかし、彼女はこうしたことに手馴れているのか、こちらの手をするりとかわし、執拗に抱きつき続けてきます。


 しかし、この時、実際にはもっと大きな問題が起こっていたのです。


 わたしがそれに気づいたのは、マスターに彼女を突き飛ばす許可を得ようか迷ったすえ、高速思考伝達のリンクをつなげた、その直後のことでした。


〈うわ……やば! こ、この絵はさすがに、刺激が強すぎ……〉


 この絵──その言葉の意味を理解した時、わたしの頭の中はこれ以上ないほど真っ白になっていたのでした。

次回「第95話 せめぎあう世界」

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