第92話 女神の拷問具
清らかで美しく、気高い『聖女様』による拷問。
詳しく描写することは躊躇われますが、『グラキエルだったもの』は現在、全身の肉を失い、その体重を著しく『軽く』して血だまりの中に転がっています。彼女の拷問による責め苦が続いている間、ひたすら絶叫を上げ続けていたその『物体』は、今や手足の形さえまともに判別できない有様になっていました。
ショック死か失血死か、死因も定かではありませんが、彼女は彼が簡単には死なないよう、傷つける場所を選んでいたようです。
あまりにも残酷なこの光景に、危うくエレンシア嬢が気絶しかけてしまいましたが、わたしがとっさに気付け用の【因子干渉式】使ったことにより、どうにか事なきを得ました。
どんなにおぞましい場面であれ、実体のはっきりしない『アカシャの使徒』とその魔法について、情報を掴むチャンスなのです。エレンシア嬢には気の毒ですが、頑張ってもらうほかはありません。
『汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい……』
部屋の中央に血だまりが広がる陰惨な光景の中、それでも彼女の身に着けたエプロンドレスには、返り血ひとつ付着していません。
ぶつぶつと言いながら、彼女は何度もグラキエルに触られた頬を服の袖でぬぐい、最後には自身の『魔法』でその袖を引きちぎると、そのまま血だまりの中に放り投げてしまいました。
一方、同じ部屋にいるもう一人の人物、ウルバヌス司教は、グラキエルの死によって身体の自由を得たようです。足元こそふらついてはいますが、とっさにソファから立ち上がった彼の周囲には、虚空から出現した様々な形の『槍』が無数に浮いています。
『く……この狂人めが! よ、よくもここまでおぞましい拷問を……到底、『女神』に仕える司教のすることではないぞ。やはり貴様は危険分子だ。俺がこの場で葬り去ってやる』
『汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい……』
虚ろな瞳でつぶやき続けていたベアトリーチェは、ここでようやくウルバヌス司教へ目を向けました。
『わらわを葬り去る? いくら相手が「王魔」だとはいえ、こんな豚にも劣るクズごときにしてやられる無能の分際でか?』
不思議そうに首をかしげる彼女の頭上には、一本の『錆びたノコギリ』が浮かんでいました。
『ぐ……そのような醜い刃物しか「召喚」できぬ程度の輩に、「槍の意志」の二つ名を持つ俺が無能呼ばわりされる謂われなどない! 我が槍をもって、貴様は俺が貫き殺してやる! 奇跡よ! 我が信仰に応え、我が敵を貫け! 《女神の銀槍》』
ウルバヌス司教が叫ぶと同時、彼の周囲に無数に浮かんでいた槍が一斉に銀に輝き、そのまま彼女めがけて襲い掛かりました。
『醜い刃……か。愚か者めが。相手の力の本質さえ見抜けぬとはな。所詮は形だけの「七大司教」など底が知れておるわ』
余裕の表情で語るベアトリーチェの身体には、無数の槍が次々と突き刺さっていきます。しかし、彼女の身体を突き抜けた槍には、一滴の血も付着していません。どころか、彼女の衣服には、穴一つ空いていませんでした。
『な……無傷? 貴様、何をした!』
『何を言っておる? うぬの《槍》は、うぬの意志じゃ。うぬが貫きたいと思うものしか貫けぬであろうが』
『なんだと?』
ここでウルバヌス司教は、何かに気付いたように呻きました。
『ば、馬鹿な……これは、我が《銀槍》が……?』
『そのとおり。その槍は、わらわを貫くことを拒絶した。「神器の召喚」は、使用者の意志を具現化する力でもある。ならば、うぬの意志に反した結果を世界に刻むことはできぬのが道理じゃろうて』
ベアトリーチェはここで、頭上に浮かぶ錆びたノコギリを掴みとりました。先ほど、グラキエルに『切れない刃物で肉を切る』という拷問を行うのに使った凶器です。
『まさか……精神支配? 馬鹿な……それこそありえん! 姿をごまかす程度ならまだしも、「貫く意志」を有するこの俺が……他者からの支配に屈するなど……』
『くふふ! だが、現に身体は動かない。そうじゃろう?』
『何故だ! い、いったいなぜ……』
ウルバヌス司教は再び体を硬直させ、驚愕のうめき声をあげています。
『「女神」の魔法は「精神世界」への干渉媒体たる「意志」の強さが力の源泉。例えばうぬの場合、初志貫徹──いったん決めたら最後まで貫くというのがその「意志」。だが皮肉なことに、「最初の決定」自体を操作されれば、徹頭徹尾──うぬはわらわに逆らえなくなる』
『う、嘘だ! そんなことができるわけが……』
信じられないとばかりに叫ぶウルバヌス司教に対し、彼女はちらりと『こちら』に視線を向けた後、そのまま言葉を続けました。
『わらわが七大司教に任命されてから初めて、うぬにあいさつに行った日のことを覚えておるか? くふふ! 当時のうぬは、この外見に騙され、随分と頬を緩めておったではないか』
『ま、まさか……あの時からすでに?』
『聖職者の身でありながら、初対面の少女にわずかたりとて劣情を抱いたうぬの「罪」、わらわはそこに付け込ませてもらったのじゃよ』
いつの間にか、彼女の左手には黄金の天秤が乗せられていました。
『そ、それは?』
『わらわの「第二の神器」──《女神の天秤》。うぬの言う「醜い刃物」とは対をなす力じゃな』
『「第二の神器」……だと? そ、そんなものが……』
『世界を読み解くしか能のないうぬには、理解できぬであろう。これは「世界を観測する者」にのみ与えられる力なのじゃからな』
相変わらずの柔らかな笑み。しかし、その口調からは明らかな侮蔑の念が感じ取れます。
『……貴様とわたしとでは、格が違う。そう言いたいのか?』
ウルバヌス司教は、低く絞り出すような声で問いかけました。
『言わせるな。と、まあ……それはさておき、うぬには二つの選択肢がある』
ベアトリーチェは、ウルバヌス司教の眼前に、白くしなやかな指を二本、立てて見せました。
『降伏して貴様に従うか……死ぬか、そのどちらかを選べと?』
『いやいや、まさか。そんなわけがなかろうよ』
『で、では、なんだ?』
『ノコギリで死ぬか、乙女に抱かれて死ぬか……どちらかじゃ』
ベアトリーチェは楽しげな笑みを浮かべたまま、無情なる死刑宣告を告げました。
『そんな! ま、待て! お、同じ七大司教のわたしを殺すというのか? 待ってくれ! お前に従う、協力する! 枢機卿になりたいのならば、力を貸す! だ、だから、待て!』
錆びついたノコギリを手に、ゆっくりと歩みよってくる彼女を前にして、ウルバヌス司教は半狂乱になって叫びました。彼は実際に、グラキエルがあのノコギリでいかに凄惨な死に方をしたのかを見てしまっているのです。
『協力する? それこそ身の程を知るがいいぞ、ゴミ屑が。そもそも、汚らわしい男どもの手を借りるつもりなど、わらわには毛頭ないわ』
そうしている間にも彼女の手にしたノコギリの刃が、鈍く輝きを放っています。
『さあ、選ぶがいい』
『……ノ、ノコギリは嫌だ』
『では、乙女に抱かれて死ぬ方を選択するのじゃな?』
『……あ、ああ』
ウルバヌス司教は他に答えようがないのか、とりあえずそう言って時間を稼ぐつもりのようでした。
『……くふふふ! では、しっかり抱きしめてもらうがいい。奇跡よ。我が信仰に応え、我が敵に相応しき罰を──《女神の拷問具》』
しかし、ベアトリーチェがそう言った、次の瞬間でした。ウルバヌス司教の周囲に光の粒子が収束していったのです。
『え? こ、これは……』
『アイアン・メイデン。鉄の処女と呼ばれる幻想の拷問器具じゃ。人の形に造られた鋳型の中に、致命傷を避ける形で棘を作り、その中に人間を閉じ込め、串刺しにする』
『ご、拷問具? ま、まさか、それが貴様の……』
『くふふふふふ! わらわが「使用人」を装っている間、服の上からとは言え、うぬは何度かわらわに触れてくれたのだぞ? 男の分際であることを考えれば、その罪、万死に値する。罪には罰を、そして罰には、拷問をもってよしとする。それがわらわの「罰する意志」じゃ』
彼女がその言葉を言い終えたころには、立ち尽くすウルバヌス司教の身体を囲むように、凶悪な突起のついた鉄の鋳型が実体化していました。
『言っておくが、自戒や告白は必要ないぞ。ただ、叫べ。これは単に、うぬに苦痛を与えるためだけの拷問なのじゃからな』
『う、うあ……ま、待て! 待ってくれ! い、いやだ! イヤダああああ!』
『では、ごきげんよう』
ガシャン、と鋳型が彼を挟んで閉じられました。しかし、その中にあって、彼はすぐには絶命していないのでしょう。身の毛もよだつ絶叫が聞こえ続けています。
これまで事の推移を見守っていたわたしたちにとっても、まさかこんな展開が待ちうけていようとは、夢にも思いませんでした。
〈ヒイロ〉
〈マスター? どうかしましたか?〉
さすがに思うところがあったのか、マスターがこのタイミングで声をかけてきました。
〈どうしよう、あの聖女さん、めちゃくちゃ怖いんだけど……。中世ヨーロッパよろしく、人のことをノコギリで切り刻むとか、拷問具でメッタ刺しの刑にするとか、正直ついていけないよ〉
『どの口がそれを言うのか』と言いたくなりましたが、わたしはそれをぐっとこらえ、別の言葉を口にしました。
〈とはいえ、互いにつぶし合ってくれているようで、良かったですね。結果的には、『王魔』の子供を略取しようというウルバン……いえ、ウルバヌスの試みは防げたことにもなりますし……〉
そんな会話を続けている間にも、『乙女』に抱かれた哀れな司教の苦しみうめく声は、断続的に続いています。
『くふふ! 苦しいかえ? 痛いかえ? あははは! ならば、喉も張り裂けんばかりに叫ぶがいい! わらわの耳に、その甘美なる苦痛の声をもっと聞かせよ! この世のすべての汚らわしい男どもは、悶え苦しんでのたうち回って死ぬべきなのじゃ! くはははは!』
閉じられた鋳型の隙間から漏れる血の流れを見つめたまま、気高く清らかな『聖女様』は、狂ったような笑い声を上げ続けています。
それから彼女は、愛おしげに『アイアン・メイデン』に抱きつくと、その表面に耳を当て、中から聞こえてくるであろう男の苦痛の声を聞きながら、恍惚の表情を浮かべていました。
しかし、それも長くは続きません。やがて、聞こえてくる声が弱くなったせいなのか、彼女はつまらなそうに『アイアン・メイデン』から身体を離すと、小さく指を鳴らしました。
すると一瞬で『アイアン・メイデン』が消失し、描写するのも躊躇われるような酷い有様のウルバヌス司教の身体が、血だまりの中に倒れ伏します。
『もう終わりか? まあ、十分に堪能させてもらったがな』
その声と同時、ぐちゃり、と──虚空から出現した巨大な鉄球がその身体を押しつぶし、ようやくウルバヌス司教は苦痛から解放されたのでした。
立て続けに繰り広げられた凄惨きわまる光景には、気絶してしまったリズさんは別として、かろうじて意識を保っているエレンシア嬢はもとより、アンジェリカまでもが顔を蒼くしてしまっています。
平気な顔をしているのは、マスターと彼にしがみついたままのメルティぐらいのものでしょう。ちなみにマスターはメルティとも『感覚の共有』をしているようなのですが、彼女はと言えば、あまり共有された視界の景色には興味がないようでした。
〈……どうやら、これで終わりのようですね〉
聖女を除く全員が死んだ今、これ以上意味のある会話が交わされることはないでしょう。
しかし、そう考えたわたしが、マスターに『意識の共有』を外すことを提案しようとした、その時でした。
『……くふふふ! 気づいていないとでも思っておるのか? お前たちも……「女の子」なら「覗き」のようなハシタナイ真似は、するものではないぞ?』
聖女ベアトリーチェは、『こちら』を向いて天使のような笑みを浮かべてみせたのでした。
次回「第93話 気高さとは何か?」




