第87話 対魔法銀の秘密
ようやくメルティの問題が一段落したところで、わたしたちはもうひとつ、別の問題にとりかかることにしました。
『問題』とはいっても、緊急性があるようなものではありません。しかし、重要と思われる情報を入手しておきながら、それを検討もせずに放置してしまうのは得策ではないでしょう。
加えてその情報は、とある『アトラス』の部族の本拠地を襲撃した際に入手したものであるため、メルティの件ともまったく無関係とは言い切れませんでした。
さらにわたしは、ここ数週間の時間を使い、『アトラス』の族長から入手した情報と蛮族領での旅の途中で入手した『サンプル』、そしてメルティの協力を得ながら、ついに『ある結論』にたどり着いたのです。
その結論とは──
「対魔法銀の製造方法?」
「はい、そうです」
ここは、ドラッケン城の会議室。
わたしは、自分の整理した情報を皆に聞いてもらうため、ジークフリード王やメンフィス宰相らにも集まっていただき、話をする機会を得ました。
「何を言っている? 対魔法銀と言えば、『女神』の使徒たちが『祝福』の魔法によって作り出す金属だろう? 原材料の一つにルビーを使うと聞いたことはあるが、それ以外に何かあると言うのか?」
わたしが発した第一声に、会議テーブルの上座に座るジークフリード王が疑問の声を上げました。ちなみにこの会議室には、いつものメンバーのほかに、ジークフリード王とメンフィス宰相、そして二人が信用がおけると判断した数人の幹部たちも同席しています。
「いいえ、その話自体が全くのでたらめなのです」
「でたらめ? どういうことだ?」
「はい。……そもそも対魔法銀の原材料にルビーは必要ありません。あれはおそらく、かの金属が赤みを帯びていることから、信ぴょう性を持たせるために考えられた嘘でしょう」
「では、何が材料なのだ?」
王の言葉に、わたしは一度息を吐くように溜めを作り、それから会議室の全員を見渡しながら言いました。
「──『愚かなる隻眼』です」
「……な!?」
わたしが投じた言葉の一石は、会議室に不可視の波紋を広げていきます。事前に話をしておいたわたしたちのメンバーを除き、王も宰相もその他の幹部も一様に顔を見合わせていました。
「だ、だが、『女神』の使徒たちは『愚者』を世界の敵と呼んで忌み嫌っているはずだ。まさか、そんなものを材料にしているはずが……」
「そうだとも。対魔法銀と言えば、彼らの間では聖なる金属として尊ばれているはずだ。そんな馬鹿なことがあるわけがない」
どうやら幹部の方々は、わたしの見解に懐疑的なようです。しかし、『女神の使徒なのだから愚者の瞳など使うはずがない』というその主張は、わたしの説を否定するには、あまりにも論拠として薄弱でした。
「……だが、もし君の言うことが本当なら、つじつまは合うのかもしれないね。対魔法銀の持つ圧倒的な魔法耐性も……あの金属がすべからく『赤み』を帯びているわけも……」
さすがにメンフィス宰相は、頭の回転が速いだけでなく、考え方自体が柔軟です。わたしの言いたかったことを先回りして言ってくださいました。
「なるほど……そう言われてしまえば、そうかもしれませんな」
彼の言葉に納得したように頷いたのは、『サンサーラ』のナンバー2、青と赤の二色の金属を体に貼り付けたガルシア老です。この場に集まったメンバーの中ではやはり、学者肌の『サンサーラ』の方が理解が早かったようで、いまだに疑問符を浮かべた顔をしている者が多いのは『ニルヴァーナ』でした。
その代表格たるジークフリード王もまた、納得のいかない顔をしたままです。わたしはさらに、彼らの理解を促すべく、言葉を続けました。
「『女神』の教会が『愚者』を世界の敵としている理由。それはおそらく、その方が彼らを『狩りやすい』からなのでしょう。聞いた話では、それなりに大きな『隻眼』をもった『愚者』には懸賞金もかけられていると聞きます」
「ふむ。だが、それでつじつまは合うとは言っても、確証はないのではないか?」
「いいえ。わたしは『アトラス』たちが持っていた対魔法銀を分析しています。その結果、その組成には『愚かなる隻眼』が放つ光と同じ波長が確認できました。実際の『隻眼』とも比較していますので、間違いありません」
もちろん、この場合の『隻眼』とは、現在、客室でリズさんと一緒に待機しているメルティのことです。
「それが本当なら、確かに驚くべき事実ですな。あの『女神』の犬どもが! よりにもよって、『愚者』の力などで我らに対抗しようとしていたとは……!」
苦々しげにそう吐き捨てたのは、金髪碧眼の年若い男性でした。実力主義の『ニルヴァーナ』の世界にあって、この若さで国軍の最高司令官を拝命する彼の名は、ベルハルト・ショック・ナーガ。大きな体躯の国王に比べると、まるで小柄な少年のようにも見える彼ですが、いざ戦闘ともなると国王の右腕に相応しい勇猛果敢な戦いをするのだそうです。
「ベルハルト。気持ちはわかるが陛下の御前だ。言葉は慎みたまえ」
「宰相殿はそうは言うが、『女神』の魔法使いどもは、卑怯にも俺の父を罠にはめて殺したのだ。『ニルヴァーナ』たる俺としては、この怒りを抑えることなどできない。叶うことなら今すぐにでも、全軍を上げて『神聖国家アカシャ』に攻め込みたいくらいなのだからな」
「やれやれ……僕らとしては『ニルヴァーナ』のそういうところは好ましくもあるが、かといって国をまとめる立場としては、そうも言ってはいられないのだけれど……」
この手のやり取りはいつものことなのか、メンフィス宰相も軽く肩をすくめるだけで、それ以上ベルハルト司令官を咎めるつもりもないようでした。
「すみません。皆さん。話はここからが重要なのです。……わたしたちは先般、とある事情で『アトラス』の蛮族と戦闘になり、とある部族の族長を捕虜にして話を聞き出しました。その結果、『アトラス』たちは『人間との取引』に基づいて、『愚者狩り』や『王魔』の子供の誘拐などを行っていたということが判明したのです」
はたしてそれが、何を意味するのか。さすがに今度は、場の全員がわたしの言わんとするところを理解してくれたようです。ジークフリード王が皆を代表するように口を開きました。
「……つまり、『アトラス』どもの国境付近での狼藉は、裏で『女神』の使徒どもが手を引いている可能性がある。そういうことか?」
「はい。ですが、ここでもう一つ重要なのは、彼らが何を目的にして『王魔』の子供を誘拐しようとしているのか……です」
かつてわたしたちは、『神聖国家アカシャ』の街を訪れた際、パウエル司教という教会幹部に狙われたことがありました。その時、彼は『王魔』のサンプルを教会上層部が欲しているのだと語っていたのです。
「『愚者』を狩って魔法耐性のある武具を作り、『王魔』をさらって奴らがなそうとしていること……か。見当もつかないが、放置しておくのもまずいことのような気がするな」
ジークフリード王は思案顔でつぶやきます。考えてみれば、二十年前の戦争の一因ともなった事件のひとつには、『女神』の狂信者が『ニルヴァーナ』の子供をさらって殺害したというものがあったはずなのです。そう考えれば彼らの試みは、はるか昔から行われていたということになるでしょう。
「そういえば、あの司教、本当のところを知っているのは『教皇』か『三大枢機卿』ぐらいのものだって言ってたっけ?」
ここでマスターが、何かを思い出すように言いました。
「そうですね。だとすれば、適当にその辺の『アカシャの使徒』をさらってきて、軽く拷問にかけて吐かせるというわけにもいかなさそうです」
「…………」
わたしがそう応じると、周囲の人々が一斉に奇妙な目でをこちらを見ました。どことなく呆れているような、そんな視線です。いったい、どうしたというのでしょうか?
「……やれやれ、この主人にして、この従者ありか。だが、面白い。ますます俺は、ヒイロのことが気に入ったぞ」
そんな中、わたしに好意的な視線を向けてくるのは、先ほどのベルハルト司令官です。彼はここのところずっと、城内でわたしに会うたびに口説き文句を口にしてくるので、わたしとしては少し苦手な相手でした。実際、このことをマスターどう思っているのでしょう?
わたしがちらりとマスターに目を向ければ、彼はようやく自分が思い出そうとしたことにたどり着いたのか、掌をポンと拳で打ちつけているところでした。
「そうだ。思い出した。パウエル司教に指示を出してたのって、教皇とか枢機卿じゃなくってベアトリーチェって名前の聖女様だったよね?」
……まったくこちらを気にした様子はありませんでした。
まあ、それはともかく──
「では、その聖女とやらをさらってきて、拷問にかけるんですね?」
「うん。……相手が女の子だけに、えっちな拷問に……って、かけないよ! っていうか、ヒイロ。なんでそんなに機嫌が悪そうなの?」
「別に悪くなんてありません。とはいえ、あの時の司教の口ぶりでは、聖女とやらも『理由』は知らないのではないかと思いますが」
マスターが調子に乗ってとんでもない言葉を言いかけていた件はさらりと受け流し、わたしは素っ気なく言い返しました。
「……うーん。まあ、それはそうだね。まあ、そもそも僕が考えることじゃないんだろうけど、それこそ教皇だとかに聞いてみるかい?」
ほとんど投げやりな調子で言うマスター。どうやら先ほどの聖女についての発言も、単なる思いつきだったようです。どこまでも彼にとって、この国の行く末など他人事なのでしょう。
「それは無理だな。『女神』の使徒は、『王魔』や『法学』の魔法使いたちに比べてはるかに数が少ないが……その分、強力な力を持つものも多い。中には『王魔』を凌駕するものもいるはずだ。教皇の周囲ともなれば、そうそう近づけるはずもない」
ジークフリード王がそう言えば、
「じゃあ、お手上げかな? とりあえず放っておいたからって、すぐにどうにかなるわけじゃないんだしね」
と、同じくどうでもいいとばかりに、そんなことを言い放つ始末です。
ですが、そんな彼の態度に対し、この場の面々は特に怒りを見せることもありません。
その理由は、ここ最近のマスターの『活躍ぶり』にありました。メンフィス宰相の娘、メルティの件についても彼らには知れ渡っているところですが、その点を差し引いても、彼がめざましい活躍を見せていることがあるのです。
それは、以前からマスターが参加している『産術院』の警護でした。
蛮族領から帰国して以降、彼は以前にもまして積極的にこの任務に参加するようになりました。とはいえ、彼が国を守る意識に目覚めたということではなく、単に人々に自分の顔を売る──否、『姿を覚えさせる』ことを目的にしているようです。
その証拠に、彼はこうした国の中枢に位置する人々の会議や社交場に顔を出したり、街に出かけたりするたびに、常時『全てを知る裸の王様』を発動させ続けているのです。
まさか、この国を滅ぼすつもりではないでしょうね?
実際のところは、怖くて聞けませんが……。
それはさておき、『産術院』の警護において、何が最も困難かと言えば、敵が持つ『愚かなる隻眼』のために、魔法が使いづらいという点です。かつては程度の差こそあれ、マスターもこの点については苦労しており、装備品やスキルで補う形で戦っていました。
しかし、不思議なことに『アトラス』の蛮族領から帰還して以降、彼の魔法は『愚者』に対しても高い効き目を発揮するようになっていたのです。
実のところ、同様のことは、対魔法銀製の武具を持った蛮族との戦闘時にも感じました。だとすれば、理由として考えられるのは、その戦闘前に【因子干渉】を行ったことぐらいでしょうか?
しかし、実際のスキル内容を見ても、その結果として彼のスキルに『愚かなる隻眼』に対抗できるものが増えたようには思えませんでした。
とはいえ、そのことも今回の『女神』の教会の目的を探る話と同じく、現時点で追及しようとしても結論の出る話ではなさそうです。
わたしは思考を切り替えて、会議室の皆を見渡します。
「とにかく、『女神』の使徒が子供たちを狙うことは今後も十分にあり得る話です。最低でも国中に注意喚起を行った方がよろしいのではないですか?」
「ぜひ、そうしよう。子供がさらわれる親の気持ちは、僕にも痛いほどわかる。もう二度と、そんな事件が起きないように東方国境の警備の増員も検討する。対魔法銀対策も考えないとならないだろう」
結局、この日の会議はメンフィス宰相のこの発言を最後に、具体的な対応策も出ないままにお開きになったのでした。
しかし、マスターが『女神』の使徒と取引をしていた『アトラス』の部族を潰し、わたしがこうして彼らに『王魔』の子供たちを護ることを進言したことは、間違いなくこの国の今後にも影響を及ぼしていくことになるでしょう。
次回「第88話 いびつに歪む線条痕」




