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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第5章 無垢な少女と気高き聖女
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第86話 夕食の時間

 その日の夜は、今回の件の『関係者』だけを集めたささやかな夕食会が催されました。ジークフリード王やアンジェリカが参加するということもあり、本来であればささやかなりと言えど、王宮の一室で行われるべきものではありましたが、昔話に花を咲かせてのアットホームなものにしたいという当人たちの要望もあり、会場となったのは城壁内に居を構えるメンフィス宰相の屋敷でした。


「家族水入らずのところにお邪魔させていただいているようで、申し訳ない気もするね」


 アリアンヌさんが久しぶりに腕を振るって用意してくれた料理に舌鼓を打ちつつ、マスターはそんな言葉を口にします。


「何を言うか! このたびのことはすべて、お前のおかげではないか。まったく、さすがは俺がアンジェリカの婿に決めた男だな!」


 豪快に声を上げながら彼の言葉を笑い飛ばしたのは、ジークフリード王です。『ニルヴァーナ』としての彼の姿は、頭部が竜のものに置き換わるという大変恐ろしいもののはずなのですが、力を使わない分には、変身が起きないように制御することもできるようでした。


 それはさておき、十五年以上前には、彼と彼の妻であるシルメリアさん、メンフィス宰相とその妻であるアリアンヌさんの四人は仲の良い親友同士でもあり、こうして食事を共にする機会も多かったのだそうです。


「それにしても、久しぶりにアリアンヌの料理を食べたが……相変わらず美味いな! くくく! シルメリアの生ごみを思わせるアレとは大違いだぞ?」


「あー! お父様、お母様がいないからって調子に乗って! 後で言い付けてやるからね!」


 上機嫌で笑い続けるジークフリード王に、アンジェリカは咎めるような視線を向けています。すると、途端に彼の顔が蒼くなっていきました。


「んな!? ちょ、ちょっと待て! 今のはだな……アリアンヌの料理を褒めるために引き合いに出しただけで……」


「いやいや、ジーク。それはまったく何の言い訳にもなっていないぞ? シルメリアの愛情のこもった料理をよりにもよって『生ごみを思わせるアレ』とは、随分と酷い言い様じゃないか」


 クックッと笑いながら、上品に食事を続けるメンフィス宰相の顔は、ここ数日の悲しみに満ちた表情からは考えられないくらいに朗らかなものでした。


「む……だったらお前、アレをちゃんと食えるんだな? 一口残らず平らげられるんだな? 俺は聞いたぞ? 男に二言はないな? シルメリアにも連絡は取った。今日には間に合わなかったが、近々帰還するはずだぞ。その日が楽しみだな」


「え? い、いや、ちょっと……それはいくらなんでも大人げないんじゃないかい? 酷いよ。僕は君のことを親友だと思っていたのに!」


 メンフィス宰相は、いつもの上品さをかなぐり捨ててて、声を荒げて言い返しています。


「シルメリアさんの料理って、そんなにすごいのですか?」


 世界最強の『ニルヴァーナ』と『サンサーラ』の二人をここまで戦慄せしめるもの。

 わたしはその『存在』が気になって、近くにいるアンジェリカに問いかけました。するとアンジェリカは、少し苦笑いのような表情を浮かべて頷きを返してきます。


「ま、まあ……『生ごみ』というのは違うと思うけど……『生』には違いないかな? お母様って……料理に火とか使わないし、調味料とか理解してない人だから……」


「……そ、それは『料理』とは言わないのでは?」


 メイドとして、料理には一家言あるのでしょう。リズさんが信じられないとばかりに口を挟んできました。


「うん。でも、仕方がないのよ。わたしが『熱』を感じにくい能力を持っていることもあって、『冷たくてもおいしい物』を考えてくれてたみたいだから……」


「なるほど……そういう事情がありましたか。アンジェリカさんのお母様も、優しい方なんですね」


 そう言ってリズさんが目を向けた先には、料理を上手く食べられずに悪戦苦闘するメルティに甲斐甲斐しく世話を焼いているアリアンヌさんの姿があります。彼女はこちらの会話に気づいたのか、軽く顔を上げて笑いかけてきてくれました。


「ふふふ! そうねえ、でもシルメリアの料理音痴は貴女が生まれる前から変わらないわよ? 彼女、肉食系というか……血の滴る肉とか大好きな子だったから……ジークも大変よね……」


 しみじみと頷きを繰り返すアリアンヌさん。


「あう……」


 どうやらアンジェリカは、自分の大好きな母親のことをフォローしようとしていたらしく、身も蓋もないアリアンヌさんの言葉にがっくりと項垂れてしまいました。


「ははは! 本当にアンジェリカちゃんのお母さんって楽しそうな人だね。もうすぐ帰ってくるってことだけど、今から会うのが楽しみだなあ」


 しかし、マスターがそんな風に言って笑うと現金なもので、


「うん! すっごく面白いのよ。お母様。わたしも早く、キョウヤと会わせてあげたいな」


 と満面の笑みを浮かべて笑うのでした。


 一方、引き続きメルティの食事の世話を続けるアリアンヌは、がっつかんばかりの勢いで食べようとする彼女を軽くたしなめ、その口の周りを布巾で拭ってあげているようです。その顔には、とても幸せそうな笑みが浮かんでいました。


「ほら、落ち着いて食べなさい。御飯は逃げたりしないから……」


 呆れたように言いながらも、優しく食事のマナーを教え続けるアリアンヌさんですが、ここでメルティが首をかしげて言いました。


「ふーん……そっか。この御飯も逃げないんだ?」


「え? この御飯も逃げないって……メルティ? あなた……御飯は普通、逃げるものじゃないでしょ?」


 突拍子もない彼女の言葉に、目を丸くして言葉を返すアリアンヌさん。


「ああ……メルティさん。それを聞いては駄目です……」


 わたしの視界の端では、これまで彼女の『再教育係』を自任していたリズさんが頭を抱えているようです。とはいえ、彼女たちのやり取りを遮るわけにもいかず、わたしたちは『親子』の会話を黙って見守り続けました。


「ううん。逃げるよ? 『他のみんな』の真似をして食べるんだけど、時々上手く行かなくて逃げられちゃったの」


「……えっと、メルティ? あなたは、何の話をしているのかしら?」


 まばたきを繰り返しながら問いかけを返すアリアンヌさんは、恐らく、理解していないのではなくて、理解したくないのでしょう。とはいえ、メルティにそんな母親の心情が分かるはずもなく、この上なく正面から彼女は答えを返します。


「うん。だから……御飯の話。羽とか毛とかを剥がして、血とかを洗ってからじゃないと、やっぱり、おいしくないよね?」


「……あら、そう。……ふふふ。うふふふ。何だかあなた、シルメリアと気が合いそうねえ?」


 魂の抜けたような声で笑うアリアンヌさん。あらためて自分の娘が潜り抜けてきた『サバイバル』な状況を肌で感じ、それ以上は言葉もないようでした。


 しかし、こちらも同じく現金なもので、


「……でも、やっぱり、ママが作ってくれた料理が一番おいしいね!」


 とメルティに満面の笑顔で言われると、途端に相好を崩してしまうのでした。


「うふふ! そうでしょう? 今日は貴女の好物だったものを思い出しながら、腕によりをかけて作ったんだもの。たくさん食べてね」


「はーい!」


 和やかに続く『親子』の食事風景。

 それを見て、マスターは小さく息を吐きます。そして、ちらりと隣の席に座るエレンシア嬢に目を向けました。彼女はいつもと変わらず、上品に貴族としての作法を護って食事を続けていますが、先ほどから一言も発していません。そんな彼女に、マスターはゆっくりと話しかけました。


「なんだか、こういう雰囲気も悪くないよね」


「え?」


 驚いて顔を上げ、マスターを見つめるエレンシア嬢。


「だってほら、皆、幸せそうだろ? この『幸せ』は、僕らの頑張りがもたらしたものなんだぜ。僕たち自身は、こういう『幸せ』を掴み損ねてしまったのかもしれないけれど……それでも、そんな僕らにだって『幸せ』は創り出せる。だから、悪くない、よね?」


 マスターはそう言って、エレンシア嬢に優しく微笑みかけています。


「……そう、ですわね。キョウヤ様。ごめんなさい。こんなに『幸せ』なんですもの。笑顔でいなくては駄目ですわね」


「そうそう、エレンは笑顔が一番、魅力的なんだからさ」


「……もう、キョウヤ様ったら」


 エレンシア嬢は、翡翠の瞳を潤ませて、うっとりとした顔をマスターに向けています。


 するとここで、マスターから見てエレンシア嬢と逆隣りに座っているアンジェリカが、頬を膨らませて割り込んできました。


「こらこら、わたしを差し置いて、何を二人だけで良い雰囲気になっているのだ」


「え? あ、いや、そういうわけじゃないけど……」


「誤魔化しても無駄だぞ。しっかり見つめあっていたではないか」


「うーん、まあ、そう言われればそうかもしれないけどね」


「まったく……そういう時はわたしにもちゃんと、同じことをしてくれないと……」


 拗ねたように頬を赤くしながらも、マスターを潤んだ金色の瞳で見上げるアンジェリカ。


「同じことって言われてもなあ……ほら、アンジェリカちゃん。お義父さんが怖い顔で見ているよ?」


 マスターが指示した先では、ジークフリード王が苦虫を噛み潰したような顔で唸っています。彼を婿に認めたとはいっても、娘を持つ父として、その心境には複雑なものがあるのでしょう。


「……婿殿。悪いが、そういうことは後でしてもらえるか?」


 ジークフリード王は、感情の乱れで変身の制御が甘くなってきたのか、半ば牙が生えかかったような顔になっています。


「いや、だから何にもしてないのに……」


 釈然としない顔でつぶやくマスターですが、話はここで終わりではありませんでした。


「……そうそう、そういえば、僕の方からも、一点だけどうしても確認しておきたいことがあるんだが……」


 穏やかでありながら、背筋が凍りつきそうな声で割り込んできたのは、メンフィス宰相です。ただならぬ彼の雰囲気に、メルティを除くその場の全員が彼に注目していました。


「最初に会った時、メルティが言っていたんだ。キョウヤ君。君、メルティと一緒に寝ているのかい?」


「え? あ、いや、その……」


 突然の質問に、しどろもどろになるマスター。『寝ているか』と問われれば、そうだとしか答えようがありません。


「そうなんだね? ちなみに彼女は、君のことを、『一緒に寝ると気持ちいいから好き』とも言っていた。……どういうことだか、説明してくれるね?」


 グサグサと、見えない刃がマスターに突き刺さっているような錯覚さえありました。


「えっと……ヒイロ」


 なぜかすがるような目をわたしに向けてくるマスター。


「わたしに助けを求められても……」


 思わずそう言い返しましたが、無理もありません。今やわたしを除く全員が、彼に厳しい目で見ているのです。まるで幼女暴行犯を咎めるような視線にさらされれば、さすがにマスターもいたたまれないのでしょう。


 事実、この中ではわたしだけが唯一、マスターとメルティの間に『何もなかった』ことを『目』で見て知っているのでした。


 ……仕方がありませんね。ここはわたしが一肌脱ぐとしましょうか。


「少しよろしいですか? わたしは従者という立場上、マスターの寝室の状況も警護しています。ですので断言いたしますが……お二人の間に、その……『そういった行為』はないものと考えます」


 わたしがそう言うと、ようやく場の緊張感が和らいだようでした。


「……ふう。良かったよ。僕はてっきり、彼女が性的に無知なのをいいことに何かされているんじゃないかと心配だったからね。いや、済まない、キョウヤ君。恩人でもある君のことを疑って悪かった」


 それどころか、メンフィス宰相は申し訳なさそうに頭まで下げてきたのです。


「でも……メルティがキョウヤ様のベッドに潜り込んでしまうのは本当ですわよね? それも裸で……。それは何か、理由でもあるのかしら?」


 エレンシア嬢が不思議そうに首をかしげて言うと、アリアンヌさんが目を丸くしてメルティに問いかけました。


「は、裸で!? そうなの? メルティ。それはさすがに……せめて、服は着てなくちゃ……」


「寝るときは服、邪魔なんだもん」


 どうやら彼女、世の中に一定数はいると言われる『寝るときは全裸』な人のようでした。


「で、でも……そもそもどうして、キョウヤさんのベッドになんて入るの? 寂しいなら、ほら、アンジェリカとか他の人でもいいでしょう?」


「でも……キョウヤが一番、気持ちいいの。そばにいるだけで、胸の奥がぽかぽかあったかいの。……キョウヤは、メルティと初めて遊んでくれた人だから。ずっとずっと寂しかったメルティのことを、怖がったりしないで、笑ってくれた人だったから……」


 エレンシア嬢の屋敷の前でのことです。すべてを破壊せんばかりに凶悪な力で暴れてい黒騎士に対し、マスターは「いくらでも付き合ってあげたいところだ」と言って笑ったのです。

 それまで『触ると壊れるニンゲン』や『自分を恐れて魔法を叩きつけてくるオウマ』にしか会ったことのない彼女にとって、それは大きな衝撃だったのかもしれません。


「……そう、良かったわね。できれば服は着てほしいけど……あなたがそれで安らげるなら、仕方がないかもね」


「アリアンヌ……。君は随分、寛容だね。僕としては、彼女が男と同衾しているだなんて、それだけでも十分ハラハラさせられてしまうんだけどな」


「ふふふ。でも、彼は紳士みたいじゃない。大丈夫よ。あなたは心配し過ぎだわ」


「うーん。そうかな……」


 なおも心配そうな顔でため息を吐くメンフィス宰相。するとアンジェリカが笑って言いました。


「大丈夫よ。ね、メルティ? キョウヤは紳士だもん。どうせ指一本触れてなんかいないんでしょうし」


 しかし、彼女のこの言葉がまずかったようです。メルティは呼びかけられたことで、この言葉を自分への確認と受け取ったらしく、きょとんとした顔で小さく首を振りました。


「触れてない? ううん。キョウヤの身体、あったかいもん。くっついて寝ると気持ちいいんだよ? それに、優しく撫でてくれるし……」


「あ、ちょ、メルティ?」


 焦って彼女の言葉を遮ろうとするマスター。しかし、時すでに遅し。


「キョウヤ?」


「キョウヤ君?」


「キョウヤ様?」


「キョウヤさん?」


 各人がそれぞれ様々な呼称で彼の名を呼ぶものの、共通しているのは、それらの声が一様に氷のような冷たさを宿しているということでした。


「や、やだなあ……撫でると言っても頭だけだよ? ははは……」


 マスターは乾いた笑いとともにそう言いますが、こればかりはわたしも庇いようがありません。マスターが手を出せない葛藤に苦しみながらとはいえ、役得とばかりにメルティにさせるがままにしていることも、彼女の頭を撫でるふりをして、すべすべとしたその肩や背中を撫でることがたまにあることも、わたしにはお見通しなのですから。

次回「第87話 対魔法銀の秘密」

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