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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第5章 無垢な少女と気高き聖女
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第83話 再会の時間

 ドラグーン王国宰相、メンフィス・ヴァリアント・ウロボロスは、『サンサーラ』という種族の持つ勤勉・実直といった美徳を体現するかのような生活を送っています。


 細かいことを考えるのが苦手な国王を補佐する立場として、国内の各領主から寄せられる陳情に耳を傾け、国外の情勢に気を配り、必要に応じてそれらの対策を講じるなど、早朝から夜遅くまで、彼はほとんど休む暇なく公務を遂行しているのです。


 そんな彼ではありますが、どんなに忙しくても必ず同じ時間に足を運び、一人になる場所がありました。


 その場所とは、彼の屋敷のすぐ裏手にある『サンサーラ』のための霊園です。

 その日もメンフィス宰相は、霊園内に設置された小さな石碑の元を訪れていました。


「メルティ、僕は……君の仇を討ってあげられそうにない。キョウヤ君たちにも頑張ってもらったけれど……結局、『アトラス』からは有益な情報は得られなかったようだ。……もっとも、最初から雲をつかむような話だったし、無理もないけどね」


 石碑に花を供えながら、小さく首を振るメンフィス宰相。


「この石碑の下に……君はいない。笑われてしまいそうだけれど、僕はまだ……君が死んだなんて信じられない。だって、僕は君が死んだところを見ていないんだ。君の亡骸を見ていないんだ。……なのに、君が死んだなんて……納得できない」


 石碑の前に膝をつき、顔を押さえて嗚咽をこらえるメンフィス宰相。その姿には、さすがにわたしも胸を痛めてしまいます。ましてや、つい先日、彼には『情報が得られなかった』という嘘までついてしまっているのですから。


「……もう十五年だ。我ながら女々しい限りだよ。世の中、愛しい誰かを亡くした人なんて山ほどいるって言うのにね。……それでも僕は、駄目なんだ。どうしても……あの頃の君の笑顔が忘れられない。記憶力が良過ぎるのも、考えものだね」


 泣き笑いのような表情を浮かべ、メンフィス宰相はゆっくりと立ち上がります。


「じゃあね。また来るよ」


 しかし、彼が石碑にそう語り掛けた、次の瞬間でした。


「……おじさん。寂しいの?」


「え?」


 背後からかけられた声に、驚いて振り返るメンフィス宰相。


 するとそこには、この世のものとは思えない美しい少女が一人、長い黒髪を風になびかせながら立っています。


「……君は?」


 いつの間に背後を取られていたのかわからない──そんな思いからか、メンフィス宰相は驚きと警戒の色を声に滲ませながら、彼女に問いかけます。


「大丈夫? すごく、寂しそう……」


「君は何者だ? 一体、いつの間に……ここに来た」


 警戒したまま構えを取り、メンフィスは彼女に問いかけました。相手の外見に油断することなく、不測の事態にも冷静に対処することができるあたり、彼は武官としても十分に優秀なようでした。


 しかし、黒髪の少女メルティは、彼の質問などまるで無視して言葉を続けます。


「悲しいの? 寂しいの? それなら……」


「いいから、僕の質問に答えるんだ!」


 メンフィス宰相は、ここでついに痺れを切らしたように叫びます。彼の周囲には、虹色の波紋が音もなく揺らめいています。


 まさに一触即発……といった空気になりかけた、その時でした。


「……なんで? どうして怒るの? 寂しそうだったから、心配だっただけなのに……」


 メルティは大きな黒い瞳から、ぽろぽろと水晶のような涙をこぼして泣き始めてしまいました。


「え? な……」


 これにはさすがに、メンフィス宰相も毒気を抜かれてしまったらしく、唖然として彼女に目を向けています。


「うわああああん! ううー! 寂しい人がいたら……優しくしてあげなさいって……うう、ひ、ひっく!」


 両手の甲で目元をぬぐいながらも、激しく泣きじゃくるメルティ。


「……あ、い、いや、その……すまない。急なことだったものだから、驚いただけなんだ。その……ごめん」


 泣き止まない彼女に対し、おろおろと謝罪の言葉を繰り返すメンフィス宰相。すると、それまでしゃくりあげるように泣いていたはずの彼女は、ぴたりと動きを止めます。次いで、うつむかせていた顔を勢いよく上げました。


「えへへ! うん。許してあげる!」


 そう言って笑う彼女は、すでに満面の笑みを浮かべていました。そんな彼女の姿に、しばらく呆然としていたメンフィス宰相も、徐々にその表情が和らいできたようです。


「……不思議な娘だな」


 彼はここで脱力したように息を吐き、それから彼女に微笑みかけました。


「君の言うとおりだよ。僕は寂しい。大切な人を失って……今でもなお、心に穴が開いたようなんだ」


「……うん。じゃあ、おじさん。メルティとお話しましょ?」


「え? 今、なんて……」


「寂しい人がいたら、傍にいてあげるの。一緒に、お話をするの」


 メンフィス宰相の問いかけに対し、明るく返事するメルティ。


「……いや、そうじゃなくて。今、メルティって……君の名前かい?」


「うん。メルティ。ほんとの名前なんだって」


「……そうか。嘘を言っているようには……見えないし……偶然かな」


 不思議な偶然に首をかしげつつも、あまりにも無垢な瞳で自分を見つめるこの少女に、メンフィス宰相も疑いを抱くことをやめたようでした。


「お話といっても……何を話すのかな?」


「え? ……えっとね、うーんと……えっと……」


 メルティは頑張って頭を捻っているようですが、何を話すかはまるで考えていなかったらしく、次の言葉が出てきません。


「……ははは。まあ、いいか。それより、立ち話もなんだし、座ろうか?」


「うん!」


 メンフィス宰相は、霊園の中に設けられた四阿あずまやに彼女を案内し、テーブルを挟んで向かい合うようにベンチへと腰を下ろしました。


「さてと……それじゃあ改めて、君のことを教えてくれるかな? さっきはきつい言い方をして悪かったけれど、ここは僕の一族の私有地だ。君が何者で、どこから来たのかくらいは確認する必要がある」


 今度は努めて穏やかな口調で問いかけるメンフィス宰相。


「メルティはメルティだよ。どこから来たかは……えっと……どこかな? よくわかんない」


「わからない? 自分がどこにいたのかが、わからないのかい?」


「キョウヤに連れてきてもらったから、どっちから来たのか、よく覚えてないの」


 ああ、メルティ……早くもその名を口にしてしまいましたか。

 わたしは《ステルス・チャフ》で隠れたまま、二人のやり取りを見守っていたのですが、

彼女の発言に思わず肩を落としてしまいました。

 一応彼女には、『寂しそうなおじさんがいるから、話し相手になってあげてほしい』とだけ伝えたのですが、その際、『わたしたちの話は、なるべくしないように』とも伝えてあったはずなのです。


「キョウヤ? そうか……なるほど、君はキョウヤ君の知り合いだったのか。道理で変わっているわけだ」


 メンフィス宰相は、納得したように大きく頷きを見せました。


〈なんか随分と失礼な言われようだね〉


 わたしの隣で話を聞いていたマスターが、『早口は三億の得スピード・コミュニケーション』で話しかけてきました。


〈自業自得です。それより、随分と早くマスターの名前が出てしまいましたが、大丈夫でしょうか?〉


〈うん。予想通りだよ。これでメンフィスさんもさらに警戒を解いてくれるだろうしね〉


〈なるほど……〉


 この《ステルス・チャフ》の効果範囲内には、わたしたち二人のほかに、アンジェリカやエレンシア嬢、とリズさんも一緒にいます。彼女たちは固唾を飲んで、『親子』の姿を見守っているようでした。


「おじさんのお名前は?」


「メンフィス・ヴァリアント・ウロボロスだ」


「えっと……めんふぃすば……めんばす……めんふぃばろ?」


 長い名前が上手く言えず、何度も言い直そうとするメルティを見て、メンフィスはくすりと笑いを漏らしました。


「メンフィスでいいよ。……君は、外見の割には……それこそアンジェリカよりも幼く思えるけれど……いったい、いくつなんだい?」


「さんさい!」


 彼女は、元気よく右手の指を三本立ててメンフィス宰相に示しました。


「……え? い、いや、いくらなんでもそれは」


 ありえない。そう言おうとして、彼は驚いたように目を丸くしています。


「なんだろう? 君のその仕草、その喋り方……昔、どこかで……」


「どうしたの? メンフィス」


「いや……なんでもないよ」


 首をかしげて聞いてくるメルティに軽く言葉を返した後、彼は思い直したように彼女に声を掛けました。


「ああ、メルティ。いいかい? 僕はこれでも君の年長者だ。少なくとも、君の見た目は立派なレディーなのだから、目上の人を呼び捨てにするのはどうかと思うよ」


 すると今度は、メルティの方が不思議そうな顔をします。


「……あんまり、はしたない女の子は、立派なレディーになれない?」


 どこを見ているのか、はっきりしない顔でつぶやくメルティ。


「え? そ、その言葉は……」


「ん? なあに?」


「……い、いや、気のせいかな」


 メンフィス宰相は青い髪に片手を差し入れ、頭を掻きながら首を振ります。


「ちなみに君はキョウヤ君と、どういう関係なんだい?」


「キョウヤ? うん! キョウヤは大好き!」


「ははは。彼は相変わらず、よくモテるね。君の場合、彼のどこが好きなのかな?」


「ん? うん。遊んでくれるところ!」


「そうかい。それは良かったね」


 元気いっぱいに笑うメルティ。対するメンフィス宰相の頬も、大分ゆるんできているようです。ところが……その直後のこと。


「他にもあるよ。えっとね……一緒に寝てて、気持ちいいところ!」


「え?」


 唖然とした顔で固まるメンフィス宰相。

 しかし、驚愕に包まれたのは彼だけではありません。わたしも含め、マスター以外のメンバー全員が同じようにあんぐりと口を開けた後、関節が錆びついた人形のように首だけを巡らせ、彼に白い目を向けています。


「あはは……や、やだなあ。僕、本当に何もしてないよ?」


 乾いた声で笑うマスター。

 

「…………」


 もちろん、冷静に考えればメルティの『気持ちいい』の意味が『そういうもの』ではないのは明らかなのですが、この時点において、そこまで冷静になりきれる人物はいないようでした。

次回「第84話 遊びの時間」


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