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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第5章 無垢な少女と気高き聖女
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第82話 教育の時間

「べ、別に見惚れていたわけではない!」


 むきになって否定するジークフリード王ですが、娘のアンジェリカは、なおも白い眼を彼に向けています。


「本当? あとでお母様に言い付けちゃおうかな」


「な! よせ! そんなことをされたら、俺の首が飛ぶ!」


 ジークフリード王は、なぜかアンジェリカの軽口に顔を青ざめさせています。聞いた話では、一夫一婦制の方が珍しいこの国において、彼が側室を一人も持たない理由は、彼の正室たるシルメリアさんの意向(嫉妬)のせいなのだそうです。


 それはさておき、元気よく王様にあいさつをしたメルティは、返事が返ってこないことに不思議そうな顔をしていました。


「あれ? 聞こえなかった?」


「……いや、聞こえたぞ。なるほどな。確かに意識して見なけれ気づかないが、見れば見るほど若い頃のアリアンヌによく似ている」


 懐かしい物でも見るような目で、彼女を見つめるジークフリード王。それから、彼は表情を柔らかくして彼女に言いました。


「……もう覚えていないかもしれないが、『はじめまして』ではないぞ。俺は小さい頃のお前に何度か会ったことがある。……もっとも、それ以上にあいつに可愛い娘の自慢話を何度聞かされたことか……」


「ふーん。そっか。じゃあ、お久しぶり?」


 首をかしげて笑うメルティ。王も同じく笑いながら頷きを返しました。


「ああ、久しぶりだ。……また会えてうれしいぞ。本当に……本当に、よく生きていてくれた。俺は……これまでずっと、あの日のことを後悔し続けてきたのだ。あいつは決して俺や妻を責めることなどしなかったが……それでも俺たち夫婦の子が生まれようというときに発生した災難である以上、責任を感じるなという方が無理な話だ」


 涙こそ見せませんでしたが、彼の声は小さく震えているようでした。それを見て、メルティは心配そうに彼の顔を覗き込みます。


「王様も、寂しいの?」


「いや、寂しくはない。嬉しいのさ。……できれば早いところ、お前の両親に会ってやってくれ。きっと喜ぶはずだ」


「両親? だれ?」


「なに? 誰も何も……メンフィスとアリアンヌだろう?」


「……知らない」


 首を振るメルティに、ジークフリード王は愕然とした顔になりました。


「まさか、ここまでまったく覚えていないとは……」


「だから言ったでしょ? それと、これも見てもらわなきゃね。……メルティ、その額の眼、開いてもらっていいかい?」


「え? これ? うん」


 彼女の額にある『愚かなる隻眼』は、普段は閉じており、よく見なければ縦長に入った眼窩の閉じ口も確認しづらいものです。しかし、ひとたびそれが開けば……


「……う。これは……『愚かなる隻眼』か」


 ギョロリと開かれた紅い眼球からは、血のように真っ赤な光が零れています。魔力を減衰する魔法の源。ある意味、『王魔』の天敵とも言える力です。これにはさすがに、ジークフリード王も顔をしかめてしまいました。


「ほらね。君でさえ、そんな反応になるんだ。この国の他の人なら、もっと大変だろうね。まあ、それは隠せばいいだけだけど……実の親には隠すってわけにはいかないでしょう?」


「……昔の記憶もなく、憎き『愚者』の証を額に刻んだ相手を娘と呼べ……か。確かに、簡単なことではないな」


「まあ、後者は娘が『愚者』に殺されたと思っているからだろうけど……それでもすぐに受け入れるのは難しいんじゃないかな」


「……だが、それでもだ。この子はあいつの娘なのだ。生きて、ここに帰ってきてくれたこの子を、あいつに会わせないなど考えられない」


「うん。何か方法を考えないとね」


 方針は明らかです。けれど、そのための方策が難しい。

 その日は結局、ジークフリード王の公務の都合もあり、そのまま解散となってしまったのでした。




──それから数日間、わたしたちはメルティに様々な一般常識を教える作業に追われました。

 特に優秀な教師となったのは、何と言ってもリズさんです。彼女には、幼い子供に好かれる才能でもあるのか、メルティも一番よく懐いたようです。


「リズのお姉ちゃん、大好き!」


「あら、嬉しいことを言ってくださいますね。他の皆さんのことは好きじゃないのですか?」


 リズさんは本当に嬉しそうな顔で笑います。美しくも愛らしい彼女に好かれて、喜ばない者など皆無でしょう。わたしでさえ、リズさんが羨ましくなってしまうくらいなのですから。


「ううん。みんな、好き。アンジェリカは『ともだち』だし、キョウヤはいっぱい遊んでくれるし……ヒイロはお洋服とか玩具とか、作ってくれるし……」


 指折り数えるように言葉を続けるメルティ。どうやらわたしは『物を作ってくれる人』という認識になってしまっているようです。少しがっかりですが、彼女が力任せにいじっても『壊れない玩具』を作れるのは、何と言ってもわたしだけなのです。えっへん。

……いえ、調子に乗り過ぎましたね。


 一方、そんな中、一人だけどんよりとした顔で肩を落としている女性がいます。それは、先ほど名前を挙げてもらえなかったエレンシア嬢でした。


「うう……メルティは、わたくしのこと、好きじゃありませんのね?」


 エレンシア嬢は、すがるような目をメルティに向けて言いました。するとメルティは小首を傾げ、少し考えるような顔をしてから首を振ります。


「えっと……好きだよ?」


「どうしてですの?」


 そこで理由を問わなくても……と思わなくはありませんが、エレンシア嬢の顔は真剣でした。


「えっとね……」


「ええ……」


 ごくりとつばを飲み込むエレンシア嬢。それに対するメルティの回答はと言えば……


「面白いから!」


「くうう! あんまりな理由ですわあああ!」


 ハンカチでも噛みそうな風情で叫ぶエレンシア嬢。


「あはは! エレンって、面白い!」


 そんな彼女を指さしながら、メルティは上機嫌に笑うのでした。


 一方、マスターはどことなくげっそりとした顔をしています。


「リズさん。僕としては、彼女に真っ先に教え込んでほしい『常識』があるんだけどな」


「あはは……わ、わたしも、頑張って言い聞かせてはいるんですけど……」


 マスターの絞り出すような言葉に、乾いた笑いを浮かべるリズさん。ここ数日、マスターはメルティの『非常識』の被害を最も大きく受けているのです。


 とはいえ、わたしたちにしてみれば、マスターがそれを『被害』だと感じることの方がかなり意外なことなのですが……。


 そのことをマスターに言うと、彼からはこんな答えが返ってきました。


「いやいや、考えてもみてくれるかな? 毎晩毎晩、自分が寝ているベッドに裸の女の子が潜り込んでくるんだよ? それも恐ろしく魅力的で生唾ものの身体つきをした女の子が! ほとんど一糸まとわぬ全裸で、息がかかるほどの距離で寝てるんだよ? メルティって、ものすごくいい匂いはするし、ベッドはあったかくなるし……って、あれ? なんか、とんでもなく良いことばかりのような気がしてきたけど……」


 自分で言っておきながら、自分の言葉に疑問を感じたように首をかしげるマスター。そんな彼の様子は少し可笑しくもあり、わたしたちは思わず笑いを漏らしてしまいました。


「こらこら、笑いごとじゃないんだって。目のやり場には困るし、追い出そうにもなかなか目を覚ましてくれないし……ああいうのが正真正銘、『蛇の生殺し』って言うんだろうなあ……」


 マスターは、なぜか遠い目をして、つぶやいています。


「……要するに、手を出せない相手に刺激的な恰好で迫られても、手が出せないだけに困る。そういうことか?」


「アンジェリカちゃん。君ってホント、身も蓋もない言い方するね? まあ、まったくもってそのとおりなんだけどさ」


 以前も彼自身が言っていたとおり、自覚のカケラもないままに『身体は大人、頭脳は子供』な女の子に迫られたとして、マスターがそんな彼女を襲ってしまえるわけもないのでしょう。


「……まったく、わたしの時は、遠慮もなく人のスカートをめくった挙句、下着を散々覗き見ておきながら……どういうことなんでしょうね」


 それは、誓って独り言のつもりでした。いえ、そもそも人工知性体たるわたしに、『独り言』などそうそうあるはずもないのですが……しかし、それははっきりと他の女性陣の耳にも届いてしまったようです。


「え? ヒイロさん? キョウヤさんにスカートの中を覗かれたんですか? それも、めくられて?」


 リズさんが心底驚いた、といった顔でわたしを見つめてきました。


「あ……い、いえ!」


「そうですか……」


 慌てて否定しましたが、逆に彼女に確信を抱かれてしまったようです。リズさんは何というか……虫けらでも見るような目でマスターを見ています。


「あはは……そんな目で僕を見るリズさんも新鮮だなあ……」


 すでに開き直っているのか、マスターはそんな風に乾いた笑いを漏らしています。

 一方、負けず嫌いの熱血暴走姫はと言えば……


「どういうことだ? まだ、わたしのだって覗いてくれたことないくせに!」


 と、少し間違った方向で憤慨しているようです。直後に自分の失言に気付いて顔を赤くしていますが、実のところ、彼女も『模擬戦』二日前の夜、『赤と白の縞々パンツ』をしっかりとマスターに目撃されているのです。まあ、それは言わぬが花でしょう。


「……どういうことですの? まさか……彼女が従者であることをいいことに、嫌がる彼女に無理やり……」


 なかでも一番ひどい想像(少し違っていますが、弱みを突いたという点では正解です)を口にしたのは、エレンシア嬢でした。


「いやいや、エレン。それは誤解だよ」


「本当ですの?」


 こともなげに否定するマスターに、疑いの眼差しを向けるエレンシア嬢。するとマスターは、大きく頷き、わたしに目を向けてきました。


「もちろん。僕が嫌がる女の子に無理やりそんなことをするわけがないじゃないか。いわばあれは、同意の上だよ。ね? ヒイロ」


 ウインクするように同意を求めてくるマスターですが、わたしにどんな答えを期待しているというのでしょうか? 確かに余計な口を滑らせたわたしのミスですが、こんな時でもマスターは情け容赦がありません。


「……うう。そ、その……半分は……」


 抵抗しようと思えばできる程度の状況だったことは事実です。『覗き見』の事情を説明できない立場のわたしとしては、そう答えざるを得ませんでした。すると……


「…………」


 メルティを除く女性陣三人は、顔を真っ赤にしてお互いの顔を見合わせ、それからわたしに何かを言いたげな視線を向けてきました。笑っているような、呆れているような、微妙な視線です。


「うう……」


 そんな彼女たちに、同じく何とも言えない視線を投げ返すわたし。


「どうしたの? みんな。新しい遊び?」


 ただ一人、メルティだけが不思議そうに首をかしげています。


「ははは。ほら、みんな、メルティを仲間外れにしたら可哀想じゃないか」


「……はあ」


 ある意味、諸悪の根源たるマスターがしれっとした言葉を言うものですから、私たち四人は一斉に肩を落としてため息をついたのでした。


「……それはさておき、彼女と『遊ぶ』のも、なかなか大変だよね。毎回、アンジェリカちゃんに『禁じられた魔の遊戯ダンス・ウィズ・ザ・デビル』で特殊空間を作ってもらわなくちゃなんだから」


 これを丁度いい頃合いだと判断したのか、マスターは話題を変えるようにそんなことを言い出しました。


「そうだな。まあ、キョウヤのスキルのおかげで、わたしのあのスキルも大分使い勝手は良くなったが……それにしても、彼女に力加減と『正しい遊び方』を教えるのは急務だぞ」


 アンジェリカも同意するように頷きます。メルティも日常生活の中で力加減を誤ることはめったにありませんが、『遊び』に関してはどうしても『乱暴』な部分があるのです。ここ最近は連日のように特殊空間にこもり、彼女にそうしたことを教えているとのことです。


 ちなみに彼女のスキルの『勝利条件』などを変更し、メルティの教育にも使用できるようにしているのは、マスターのスキル効果を歪めて変質させるスキル──『いびつに歪む線条痕イリーガル・レンズ』でした。


「でも、メンフィス宰相とひきあわせる日までに、ある程度の一般常識を身に着けてもらうわけですよね? この調子で大丈夫でしょうか?」


 先生役を自任するリズさんですが、面会まであと一週間を切っていることに焦りを感じているようです。


「仕方ないさ。娘さんの手がかりをつかんで帰ってくると約束した以上、僕らがここに戻って来て、彼と接触しないままでいる時間が長くなるのは不自然だ。多少は彼の多忙を理由にできるとはいってもね」


「とはいえ……彼女の正体を伏せたまま会わせるだなんて……いいのだろうか」


 アンジェリカは、釈然としない顔でつぶやいています。


「ですが、アンジェリカさん。以前お話しした通り、まずはメルティがご両親に会ってみて、何かを思い出す可能性にかけた方が良いと思います。そうでなくても、互いに接するうちに親近感でも抱いていただいてからの方が、事実を伝えた時の衝撃が少なくて済むでしょう」


「それはわかってるけど、上手く行ったとしても、後でメンフィスに怒られるぞ? 彼はああ見えて、怒ると怖いんだ」


 アンジェリカは、身震いをまじえてそう言いました。


「あはは。心配ないよ。だからこそ、先にお義父さんに相談したんじゃないか。だから責任は全部、彼にあるってわけさ」


 マスターはしれっとした顔で笑います。どうやら、丸投げ気味にジークフリード王を頼ったのは、そんな狙いがあったようです。


「うん。それもそうだな!」


 これ以上なくさわやかな笑顔で返事するアンジェリカ。

 わたしはそれを見て、娘と婿にぞんざいな扱いを受ける国王陛下に同情してしまったのでした。

次回「第83話 再会の時間」


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