第76話 深淵を覗くモノ
ほうほうのていで逃げていくギアガを見送った後、わたしたちが次にしなければならないことは、子供たちを元いた村に帰してあげることでした。
「ありがとう、お姉さん!」
「わたし、大きくなったらメイドさんになる!」
囚われていた間の恐怖をすっかり忘れ、彼らがなついている相手は、リズさんです。彼女の世話好きな一面がプラスに出たのか、最初は警戒心をむき出しにしていた子供たちも、今やすっかり打ち解けているようでした。
「さすがはリズさん。すごいね」
感心したような目でそれを見守るマスターですが、少し可笑しそうな顔で笑っています。実を言えば、彼の目にはもう一人、新緑の髪を長く伸ばした『お嬢様』が悪戦苦闘している姿も映っていたからです。
「こ、こら! あなたたち! 髪で遊ぶのはおやめなさい!」
「あはは! おっかしい! ウネウネ動いてる! もっとやって、もっとやって!」
「綺麗なお洋服! わたしもほしい!」
「ああ、こら! 服を引っ張っては駄目ですわ!」
周囲を駆け回る子供たちに大声で注意しながらも、エレンシア嬢は困り果てた顔をしています。実際、彼女がむきになればなるほど、子供たちは面白がって騒ぎ立てているのですが、彼女はそのことに気付いていないようでした。
「エレンもお子様たちに人気みたいで、良かったよ」
「わ、笑いごとではありませんわ!」
「きゃははは!」
そんな彼らの姿を見つめ、アンジェリカはマスターの隣で大きく息を吐いています。
「……良かった。あの子たちを助けることができて。……キョウヤ。この国の王女として、わたしからも礼を言わせてほしい」
「王女としての礼なんていらないよ。僕はエレンやアンジェリカちゃんが望むからやっただけで、あの村のことも、子供たちのことも、全然考えてなかったからね」
マスターが軽い調子でそう言うと、アンジェリカは柔らかな笑みを返しました。
「ふふ。しらを切らなくてもいい。きっとお前なら……誰に言われなくても同じことをしたはずだ」
「そんなことはないよ……と言いたいところだけど、そうかもね」
「む? 自分で言っておいてなんだが、まさかそんなにあっさり前言を撤回するとは思わなかったぞ」
マスターの返事に、意外そうな顔で笑うアンジェリカ。しかし、マスターはそんな彼女に、小さく首を振って答えました。
「同じことはしたけど、やっぱり子供たちのためじゃない。もっとずっと、酷い動機によるものさ」
「酷い動機?」
アンジェリカが聞き返すと、マスターは虚空を見上げてつぶやきました。
「……困っている人を助けるのは、『心ある人間』として当然のことだ」
「え?」
「だから……『心ある人間』として当然のことをする僕は、きっと『心ある人間』なんだ」
それだけ口にすると、彼は黙って視線を子供たちへと戻したのでした。
ちなみに解放したギアガについては、わたしが《スパイ・モスキート》で追跡しているほか、エレンシア嬢の生み出した小さな植物を彼の衣服に紛れ込ませていますので、逃げ帰ったアジトの場所ならすぐに判明するでしょう。
急ぐ必要もありません。子供たちを村に送り返した後、ゆっくりアジトに向かえばいいだけでした。
「僕のスキルの効果を最大限に発揮するためにも、なるべく時間をおいてから行った方がいいだろうしね」
もっとも、マスターのそんな言葉を聞いてしまうと、これからギアガの部族に待っているであろう悲惨な運命を想わずにはいられませんでした。
──それから三日後。
わたしたちは子供たちを元の村に送り返した後、ギアガが帰還した『アトラス』の部族集落に向けて出発しました。
わたしの《スパイ・モスキート》とエレンシア嬢の『世界に一つだけの花』の植物による情報収集で確認したところ、ギアガは自分の部族の本拠地となっている砦に帰還したことがわかりました。
どうやら彼らの部族が蛮族領内に設けていた活動拠点は、本拠となっている砦を残してすべてが『黒騎士アスタロト』に攻め滅ぼされていたようです。攻撃を受けた拠点の蛮族たちも今では本拠地に逃げ込んでいるようなので、実質、ギアガの部族はほぼ全員がその砦にいるということになります。
その数、およそ800人強といったところでしょうか。しかし、この数は……そのまま『犠牲者』の数になる。かつてヴィッセンフリート家の軍勢が辿った運命を考えれば、その可能性は十分にあります。わたしとアンジェリカは顔を見合わせ、二人揃って諦めたように息を吐いたのでした。
「もう間もなく、砦が見えてくるはずです」
《レビテーション》で移動することしばらく、わたしたちはついに『アトラス』の蛮族が拠点とする砦の全容を目の当たりにすることとなりました。
その砦は、蛮族が造ったにしては随分と立派なものでした。小高い丘の上に建つ、巨大な石造りの建造物。簡素ながらも城壁のようなものがめぐらされた敷地は広大で、恐らく内部には蛮族たちが寝泊まりするための宿舎なども設けられているのでしょう。
よく見れば門番のつもりなのか、城門の前には二人の大男が立っています。しかし、武装などは特にしていません。恐ろしく発達した筋肉の上には、みずぼらしい簡素な衣服をまとっているだけで、まともに防具さえ身に着けていないのです。ほとんど裸だと言ってもいいほどでした。
「どうやら彼らには、もともと装備を身に着けるという発想がないようですね。あそこまで肌を露出してしまうとは……よほどに肉体に自信があるのでしょう」
彼らの姿を観察したわたしは、他のメンバーに語り掛けるように言いました。しかし、女性陣は何とも言えない微妙な顔をしています。それから少し間をおいて、ようやく口を開いたのはアンジェリカです。
「……ヒイロ。お前、よくあれをまじまじと見ていられるな?」
「え? い、いえ、別にまじまじと見ていたわけでは……」
思わぬ指摘を受けたわたしは、そこではじめて、自分が見ていたものについて意識してしまいます。そう、『アトラス』という種族は、ギアガの説明が本当ならば『男』しかいない種族です。そして彼らの肉体は例外なく筋骨たくましいものであり、それでいてほとんど衣服を身に着けていません。
「あ、そ、その……」
実に微妙な空気が漂う中、わたしは言葉を失ってしまいました。すると、それを見かねたのか、マスターが助け舟を出すかのように言いました。
「確かに気持ち悪いよね。僕だって男の裸なんか見たくないってのに……」
『助け舟』というより、本当に気持ち悪さを感じているだけのようです。マスターは珍しく顔色を青ざめさせたまま、大きく首を振っています。
しかし、よく見渡せば、この中で一番蒼い顔をしているのは、マスターではなくエレンシア嬢でした。この話題で彼女が顔を蒼くしてしまう理由──それは……
「わたくしも……いったい何度、見たくもないものを見せられてしまったことか。……もう、お嫁に行けませんわ」
顔を両手で覆い、しくしくと泣くような仕草をするエレンシア嬢。彼女のスキルは、植物を通じて視覚情報・聴覚情報を得るという性質上、砦内のあらゆる場所を確かめることができます。あらかじめ間取りの把握をするのにも大いに役に立ったのですが、植物というものは、大概が地面などの『低い場所』に生えているのです。
「大丈夫だよ。エレンなら僕がお嫁にもらってあげるから」
マスターが軽口を言いますが、エレンはじろりと彼を睨みます。
「そういう冗談はやめてほしいですわ」
「ははは、随分な言われようだね」
楽しげな顔で笑うマスターは、その後に彼女が続けた小さなつぶやきを聞き逃してしまいます。
「……冗談ではなく、本気なら……嬉しいのですけど」
それはさておき、この砦を攻撃するにあたっては、作戦を考える必要があるでしょう。わたしがそうマスターに伝えると、彼は軽く首を振りました。
「作戦ならもう考えてあるよ。三日もあれば、族長とかの偉い連中への報告はもちろん、一兵卒の間にだって『僕の噂』はそれなりに広まっているだろうからね」
……やっぱり、マスターは『あのスキル』を使うおつもりのようです。
「アンジェリカちゃんには、上空から敷地内の宿舎に向かって、できるだけ派手な攻撃をしてもらえるとありがたいかな? 話を聞いてない連中にも、『僕の姿』をなるべく見せておきたいしね」
「わかった。あの時は人質のせいで手加減せざるを得なかったが、今度こそ全力でわたしの魔法を叩き込んでやる」
嬉々として声を弾ませるアンジェリカです。太陽が沈み、空に星が輝き始めたこの時間、アンジェリカの背中には竜の羽根がパタパタと羽ばたいていました。
「エレンには……敵が逃げ出さないように、麻痺毒のスキルでも使ってもらえるかな?」
「はい。先に空から種子をまいて敷地中に花を咲かせれば、十分全体に『芳香』を行き渡らせることができると思いますわ。……息を止める暇なんて与えません」
エレンシア嬢は、決意を込めて頷いています。彼女には、マスターのように見えない相手にまで無差別な殺意を向けることはできないでしょうが、『敵意』ぐらいであれば十分に可能でしょう。それをわかっていて、マスターはこんな指示を出したのかもしれません。
「ヒイロは皆を砦の上空に運んだ後、アンジェリカちゃんの攻撃で敵が焼け出されたら《ステルス・チャフ》を解除してほしい。ついでに奴らの注目が僕に集まるような【因子干渉式】でも使ってくれるとありがたいかな」
「はい。お任せください」
あの恐ろしいスキルの下地作りだと思うと少し気乗りはしませんが、とはいえ、手加減が必要な相手でもないことは確かでしょう。わたしは彼の要望にあった【式】の構成を考えました。
「リズさんは、待機。でも戦いが終わったら、真っ先に紅茶の用意をお願いしたいな。できれば膝枕なんかをしてもらえると嬉しいかも」
「え? ……は、はい!」
リズさんはマスターの言葉に、一瞬だけ呆気にとられたものの、すぐに頷きを返しました。どさくさに紛れて膝枕の了承もしてしまっているのですが……それでもよかったのでしょうか?
──それから間もなく、作戦はスタートします。
宵闇の中、砦の上空に浮かぶは、金色の髪をなびかせ、黒き翼をはためかせる竜種の王女。炎熱の支配者にして、世界に業火の雨を降らせる天使。
「……これがわたしの全力だ。食らえ! 《スカーレット・ストーム》!」
自らの血液で生み出した『炎の鞭』。彼女は長く伸ばしたその鞭に、《クイーン・インフェルノ》の超高熱を宿らせると、広大な敷地内を一振りで薙ぎ払いました。鞭そのものは城壁を焼き溶かし、いくつかの建物を破砕しながら反対側まで振り抜かれただけですが、それと同時に敷地内には、すさまじい熱風が巻き起こりました。
それこそ建物を発火させるほどの熱量が千人を収容可能な砦内で荒れ狂ったのです。相手が人間であれば、この時点で一人残らず息絶えていたことでしょう。
しかし、相手は曲がりなりにも強健な肉体としぶとい生命力を備えた『アトラス』です。彼らは悲鳴と怒号を上げながら燃え上がる建物から飛び出してはきましたが、命を落としたのは直撃を受けたいくつかの建物にいた者たちだけのようでした。
「……芽吹きなさい。猛火の中に生きる花よ。《ライフ・メイキング》」
事前にばらまかれていた種は、エレンシア嬢の魔法に合わせ、一気に発芽していきます。未だ熱気が残留する砦内にあって、力強く咲き誇る草花からは強い『芳香』が立ち昇り、たちまち『蛮族』たちの身体の自由を奪ってしまいました。
「さて、それでは……《クラクション》を展開、《ブルーライト》を展開」
わたしは《レビテーション》でマスターとリズさんを連れて宙に浮かびながら、彼らの注目を集めるための【式】を展開します。一つは大きな音を立てて空に顔をあげさせるもの、もう一つは人の気を引きやすい『青色の光』で、マスターの姿を視界に収めさせるためのものです。
「うん。みんな、ありがとう。じゃあ、行くよ。……『全てを知る裸の王様』」
極めて禍々しいそのスキルは、特に音もなく、静かに発動しました。
『全てを知る裸の王様』
任意に発動可。ただし、下記3)は1日に1度まで。
1)自分を視界に入れたすべての『知性体』の記憶に、自分の姿を永遠に刻み込む。
2)記憶を刻まれた『知性体』が他者にその記憶について語った時、その記憶は伝染する。
3)相手との距離を問わず、記憶の中の姿を利用して複数同時に対象と視線を合わせ、語り掛けることができる。
「な、なんだ?」
熱風に焼かれた身体を回復魔法で癒しつつ、空を見上げる蛮族たちの目に映るモノ。それは、『深淵』そのものを具現化したような少年の姿です。
「やあ、こんばんは。『まるで心がないかのよう』な君たちには、それにふさわしい末路を用意してやるよ」
──深淵を覗く者は、忘れえぬ記憶を刻まれる。
「畜生! あいつがやったのか! 降りてきやがれ! ぶっ殺してやる!」
しかし、彼らは依然として、自分たちが致命的な状況に陥っていることに気付いていません。マスターは続いて、ニタリと悪魔のような笑みを浮かべて笑います。
「さて、何人耐えられるかな?」
──深淵を覗く者は、同じく深淵から覗かれている。
たった一人の人間が、数百人の『王魔』と視線を合わせる。記憶の中の姿を通じてとは言え、そんなことが本当に可能なのかと疑いたくなってしまいます。
しかし、現に彼らは自分の前に『黒々とした鏡の瞳』を見ているらしく、それぞれが驚き、狼狽え、そして……怯えていました。突然の奇襲によるパニック状態に加え、理解できないものが唐突に視界に飛び込んできたのです。
中には知恵が足りず、感受性に乏しいがために恐怖を感じなかったり、運良く十秒以内に『記憶の中の彼の瞳』から視線を外すことができた者もいるかもしれません。しかし、大半の者は恐怖に身体を硬直させずにはいられないはずです。
そして、この『恐怖』こそが彼らを『真の絶望』に導くものでした。
「さあ、君らと『世界』とのお別れの時だ」
最後に発動したスキルは、『目に見えない万華鏡』
この瞬間、数百人の『アトラス』たちは、この世界から『存在意義』を抹消されたのでした。
次回「第77話 運命の搾取」




