第75話 巨人の尋問
「さて……これで一応、片付いたね。アンジェリカちゃん、エレン、大丈夫?」
マスターはそう言って、冷却魔法を解除しました。
「ああ、大丈夫だ。少し足を痛めたが、もう治った。……油断したつもりはないが、やはり対魔法銀製の武具を『アトラス』が持っているというのは、かなり厄介だったな」
上空を飛んでいたアンジェリカが、ゆっくりと降下してきます。実際、マスターがいたから何とかなったものの、今回の敵は魔法使いの『ニルヴァーナ』にとっては天敵とも言うべき相手のようでした。
「うん。これじゃあ、いくら『ニルヴァーナ』がいるとはいっても、国境警備隊ぐらいじゃ相手にならないわけだよ」
乱立する氷の彫像を無造作に蹴倒しつつ、マスターは宙を飛ぶアンジェリカに両手を差し出します。
「な、なに?」
低空飛行で浮かんだまま、不思議そうに首をかしげるアンジェリカ。しかし、マスターはにっこり笑って言いました。
「足、怪我してるんでしょ? だったら僕が抱き上げて運んであげようかと思って」
「んな!? な、治ったって言ったでしょ! だ、だだだ、大丈夫よ!」
マスターの言葉に慌てふためいて叫ぶアンジェリカですが、その言葉とは裏腹に、宙に浮かぶ彼女の身体は、パタパタと背中の羽根を羽ばたかせつつ、徐々にマスターの元に近づいていきます。
「ちょ、ちょっとだけなんだから……」
結局、怪我の有無にかかわらず、アンジェリカはマスターの腕の中に収まることにしたようです。
「ははは。相変わらず、アンジェリカちゃんは軽いね」
「むー! 何よう! 発育が足りないって言いたいの?」
「え? い、いや……そうは言ってないけど……」
「もう、いい! 降りる!」
頬を膨らませて拗ねたように言うアンジェリカ。
「うーん。やれやれ、かといって重いなんて言えばもっと機嫌を損ねるだろうし……女の子って難しいね」
マスターは困ったように言いながら、アンジェリカをゆっくりと地面に降ろしました。どうやら怪我が治っていることは本当らしく、彼女の足取りには問題なさそうでした。
「……エレン? どうしたの?」
続いてマスターは、エレンシア嬢の方へと歩み寄りながら彼女に心配そうな声を掛けました。見るからに落ち込んだ様子の彼女は、下を向いたまま力なく首を振っています。
「うう……今回も、あまりお役に立てませんでした。肝心な時にパニックになって……わたくしは……」
しかし、マスターはそんな彼女に優しく笑いかけました。
「エレン。誰だって、『はじめて』は怖いものだよ。でも、君は頑張った。それこそほんの一か月前まで戦いなんて知らないお嬢様だった君が、世界でも最強の魔法使いたちを相手に、大立ち回りを演じたんだぜ? 十分すごいじゃないか」
「でも、わたくしは……キョウヤ様のお役に立ちたかったんです」
マスターの慰めの言葉にも、彼女は顔を上げることなく答えています。
ところがその直後、
「うん。だから、ありがとう。すごく助かったよ」
「え?」
思いもよらない言葉を掛けられ、驚きに顔を上げるエレンシア嬢。
「僕だって、エレンにキスさせてもらえなかったら、こいつらをここまであっさり全滅させることなんて、きっとできなかったよ」
マスターはそう言って、周囲に立ち並ぶ氷の像を指し示します。
アンジェリカから得た冷却魔法、エレンシア嬢から得た冒命魔法。二つの魔法の凶悪な組み合わせによって、彼らはなすすべもなく凍りついていきました。
それはもちろん、マスターという規格外の存在があって初めて為し得る業なのでしょうが、エレンシア嬢やアンジェリカの存在を抜きにして語ることもできないでしょう。
「……キョウヤ様」
「それに、君は誇っていい。少なくともヒイロたちが荷車の子供たちを救助する際、周りの連中に邪魔されないで済んだのは、間違いなく、奴らが君に引きつけられたおかげなんだ。君の勇気ある行動が、この子たちを救ったと言ってもいい」
次にマスターが指示したのは、わたしとリズさんが荷車から連れ出した10人ほどの『ニルヴァーナ』の子供たちでした。
助け出した当初、子供たちは皆、対魔法銀製の鎖に巻かれ、身動きを封じられていました。しかし、今では鎖も解かれ。互いの無事を喜ぶように抱き合っています。特に小さな子については、リズさんが甲斐甲斐しく世話をしてあげているようです。
「……よかった」
エレンシア嬢は、そんな子供たちの姿に大きく安堵の息を吐いたようでした。
「……さて、それじゃあ、エレンもリズさんを手伝ってあげてくれるかな? 僕らの方は、アイツに尋問を始めなくちゃだからね」
──マスターの言う『アイツ』とは、もちろん、一人だけ生き残った蛮族のリーダーのことです。
「う、ああ……な、なんだよ、これ……い、いったい、どうなってやがる……」
ぺたりと地面に座り込んだまま、呆然と仲間の氷像を見つめるリーダー。地獄もかくやという光景を目の前にして、彼は逃げ出そうともしなかったようです。
「お、おい! 俺に、俺に何をした!」
自分の元に歩み寄ってくるマスターとアンジェリカ、そしてわたしの三人の姿を見つけ、リーダーは狼狽しきったような声で問いかけてきます。
「えらいね。逃げないで、ちゃんと待ってたんだ?」
マスターはわざとらしく言いながら、彼に手を振りました。
「……すごいな。これがキョウヤの魔法か? こんな魔力の流れは初めて見る」
アンジェリカは目を丸くして、リーダーの姿を見つめています。
「うん。アンジェリカちゃんの《クイーン・インフェルノ》にならって、《キング・コキュートス》って名付けてみたんだ。お義父さんも言っていたけど、君のあの魔法も、もっといろいろな可能性があるんじゃないかな?」
「うーん。難しいことを考えるのは嫌いなんだが……でも、これを見せられると頑張ろうかなと思えてくるな!」
などと、二人は哀れな捕虜をそっちのけで楽しげに会話を続けています。
「ふ、ふざけるな! いいから言え! 俺に何をした!」
ふざけた態度の二人に対し、怒りをぶつけるように叫ぶリーダー。しかし、その直後のこと。
「え? 君、自分が人に命令できる立場だとでも思ってんの?」
ぞくり、と背筋を震わせるような冷たい声で言いながら、彼を見下ろすマスター。
「な……ひ、ひいっ! な、なんだよ、その目は!」
それまで威勢の良かったリーダーは、マスターの底知れない深淵のような瞳に見詰められ、たちまち怯えた顔になりました。
「まあ、いいや。それより君にはいくつか聞きたいことがあるんだ。全部くまなく話してもらうよ」
しかし、マスターがそう言うと、とたんに彼は表情を引き締めます。
「はっ! 拷問でもしようってのか? 無駄だぜ。俺らは仲間を売ることだけは絶対にしねえ。殺すならさっさと殺せ!」
「やだなあ、僕、そんな野蛮なことはしないよ」
などと言いながら、マスターは『マルチレンジ・ナイフ』をオリハルコンの短剣形態にして彼の傍に屈みこみました。
「ぐ……」
軽くナイフを一閃し、リーダーの頬のあたりに切り傷を作るマスター。
「はっ! びびってんのか? こんなかすり傷で何が……」
「……《キング・コキュートス》。『嘘を吐くこと』と『質問に沈黙すること』に関する概念を冷却する」
マスターの手から、禍々しいまでの魔力がリーダーの頬の傷口を経て、その体内に流れ込んでいくのが分かりました。
「な、何を……」
「言っただろう? 『概念冷却』だって。……それじゃあまず、君の名前は?」
「ギアガ・フット・ギガントって……え? な、ななな!」
彼、ギアガは自分の言葉に自分で驚愕したように、口元を押さえました。
「じゃあ、ギアガさん。君たち、なんで対魔法銀なんて持ってるの?」
「な、なんでと言われても……族長たちから支給されただけだ」
意外なほど素直に答えるギアガ。彼の顔の困惑はますます度合いを増していきますが、マスターは気にすることもなく畳みかけるように質問を続けます。
「じゃあ、族長たちは、なんでそんなものを持ってるのかな?」
「詳しくは知らん。だが、俺たちの部族は人間どもと『取引』をしている。きっとそれで手に入れたんだろう」
「人間と取引? それってよくあることなの?」
「さあな。他の部族のことは知らん。だが、闇雲に警備の厳しい『ドラグーン王国』の村から略奪を続けるより、よほど儲けになるのは確かだ。それで族長たちが始めたんだろうよ」
「ふーん。儲けって何?」
「金だよ。決まってるだろう?」
「金? でも、君たちは蛮族なんだろう? まともな経済活動なんかしてないって聞いたけどな」
マスターはそこまで言ってから、同意を求めるようにアンジェリカに目を向けました。
「ああ、そうだな。そんな話は聞いたことがない。こいつらは所詮、自らは何も生み出さず、他人から奪って己の欲を満たすしか能のない連中だ」
アンジェリカは汚物でも見るような目でギアガを見下ろしています。すると、当のギアガは嫌らしい笑みを浮かべました。
「ひゃはは! 悔しいぜ。目の前にこんな極上の女がいるってのに、指をくわえて見てなきゃならねえとはなあ? ええ? お前、そいつの女か? もうヤッタのかよ? 胸は使い物になりそうもねえが、引き締まったいいケツしてやがるぜ!」
「な! こ、この……!」
下卑た声で下品な言葉を吐くギアガにアンジェリカは激昂し、掌に炎を生み出しました。しかし、それを止めるようにマスターが割って入ります。
「アンジェリカちゃん。気持ちはわかるけど、押さえて。……ギアガ、『僕の質問以外に、余計な返答をするな』」
「あ、が……」
マスターの魔力が再び彼の傷口に流れ込むと、それきりギアガは黙り込んでしまいました。
「さて、それじゃあ、続きだ。君らにとって、お金とはどんな価値があるのかな?」
「……お、俺たち『アトラス』は、うまいもんを食い、いい女を犯し、むかつく奴をぶっ殺して、よわっちい奴を力づくで蹂躙することで快楽を得る。そうやって欲望を満たすことで『力』を蓄え、たまった『力』がそのまま『新たな子』となって生まれる種族だ。だが、それには危険も伴う。……でもよお、人間どもの世界じゃ、『金』さえありゃあ、大した危険もなくそれが手に入るんだ」
「なるほどね。じゃあ、君らと取引している人間が何者なのか、わかるかい?」
「さあな。人間どもの考えることはわからん。何を好き好んで『愚者』どもの死体だの、『ニルヴァーナ』のガキどもだのを欲しがるんだか……」
ぶつぶつと呟くように言うギアガ。
「じゃあ、その人間たちが君たちに対魔法銀の装備を与えて、あの子たちを誘拐させたってことでいいんだね?」
「そういうことになるな……」
ギアガはなおも、何かを言いたげな顔になりましたが、マスターの『概念冷却』により、『余計なことを話す』というイメージそのものを失っているのか、具体的な言葉を口にすることができないでいるようでした。
「……仕方がないなあ。少し解除してやるから、言いたいことがあるなら言ってごらん。 でも、もしさっきみたいな言葉だったら、二度としゃべれなくしてやるけどね」
マスターの冷たい瞳で睨みつけられ、再び身震いしたギアガは、恐る恐る言いました。
「族長たちは、『おかしく』なっちまったんだ。確かに金があれば、いい思いはできる。……でも、そのために『黒騎士アスタロト』を敵に回すなんざ、正気の沙汰じゃねえ」
ここでまさか、ギアガの方から『黒騎士アスタロト』についての話が出てくるとは驚きです。しかし、マスターは特に驚いた顔もしないまま、何気なく問いかけの言葉を続けます。
「『黒騎士アスタロト』? それって何者なんだい?」
「……ここ四、五年の間に各部族の間で知れ渡った『悪魔』だよ。正体は不明。わかっているのはただ、誰も歯が立たない化け物で……各部族の『愚者の参集』の時なんかに、何度か目撃されていたってことだけだ。こっちから攻撃しない限り、襲われることはないって話だったが……たぶん、『愚者狩り』がまずかったんだろう。現に俺らの部族でも、いくつかの出先拠点が潰されてる」
やはり、『黒騎士アスタロト』は、この蛮族領付近を主な行動範囲にしているようです。エレンシア嬢の時はおそらく、彼女があまりに特異な存在だったがゆえの例外的な遠出だったのでしょう。
ちらりとわたしがマスターに目を向けると、彼は頷きを返してくれました。
「それは怖いね。それで、その『黒騎士』ってやつは何処から来るんだい?」
「さあな。何度か目撃した奴はいるみたいだが、俺は見たことがない」
「そうかい。役立たずだね」
「……ぐ!」
どこまでも冷たいマスターの言葉に、唸るような声を上げるギアガ。
「まあ、いいや。……他にも『ニルヴァーナ』の子供をさらってる連中はいるのかな?」
「……いや、うちの部族では、俺たちだけだ。対魔法銀製の装備品は高いらしくて、大した数が支給されてないんだ」
「ふうん。君らの本拠地には、以前さらった子供とか残ってるの?」
「い、いや……前にやったのは、もう何か月も前の話だからな。とっくに引き渡し済みだ」
「それは良かった。じゃあ、今度は人質の心配なく、皆殺しにできるね」
さりげなく、マスターは物騒な言葉を言い放ちます。
「え? キョウヤ?」
「ん? なんだい、アンジェリカちゃん」
「今、皆殺しって……」
「うん。言ったけど?」
「そ、そうか……」
にっこりと笑い返すマスターに、アンジェリカは言葉を失います。すると代わりに、ギアガが笑い出しました。
「ぶははは! 無理に決まっているだろうが! 俺たちの部族は、『アトラス』の中でもでかい方だ。千人以上はいるんだぜ? てめえがいくら化け物じみた力を持っていようと……」
しかし、彼は最後までその言葉を言い終えることはできませんでした。
マスターの黒々とした鏡の瞳が、彼をしっかりと見据えていたからです。
「う、うあああ……」
「君はさ……人間に引き渡されたあの子たちがどんな目に遭わされるかとか、考えたことがあるかい?」
「な、な……」
「ないだろうね。きっと君だけじゃなく、部族全体も同じだろう? 欲望に忠実に生きる? いいじゃん。大いに結構だよ。でもさあ……考える頭があるくせに、考えることをあっさり放棄しちゃうとか……そんなんじゃ君ら、『まるで心がないかのよう』だぜ?」
そしてマスターは、ギアガに対し、これから起こる惨劇の幕開けともなる『スキル』を発動させたのでした。
次回「第76話 深淵を覗くモノ」




