第59話 狂える鏡と怒れる雷帝
周囲の電子を強制的に従属させ、目を焼くほどの激しい雷光に包まれたジークフリード王の姿は、まさに『雷帝』の名に相応しいものです。
「やれやれ、最近のお義父さんってやつは、冗談も通じないのかな?」
しかし、マスターは余裕の表情でそんな言葉を口にします。むろん、電撃の爆ぜる音が鳴り響くこの会場でその声に気づいたものは、ヒイロ以外にはいませんでした。
「キョウヤ様ったら……何を考えているのかしら。あんな風に怒らせてしまっては、余計に命が危うくなるでしょうに……」
エレンシア嬢の心配に満ちた言葉は、恐らくこの会場にいる大半の者に共通する認識でしょう。今や雷帝の頭の中からは、これが『模擬戦』であることなど、完全に抜け落ちてしまっているに違いありません。
「まさか……相手に殺意を抱かせることが狙いなのでしょうか?」
リズさんがそんな推測を口にしますが、それもまた、かつてエレンシア嬢と戦っていた時と同様、あり得ないことです。
「いえ、マスターには、アンジェリカさんのお父上を殺害する気などないでしょう。この会場に彼が殺意を向けるべき対象がいない限り、『世界で一番醜い貴方』は発動しません」
「そ、そうですよね。だとすれば……どうして……」
しかし、考えていても仕方のないことでしょう。観客席にいるヒイロたちは、マスターを信じる以外にできることはないのです。
「死ね! 《ライトニング・ボール》!」
ジークフリード王が雄叫びを上げると、彼の身体からは無数の球電が出現しました。それらの球電は、闘技場内を所狭しと飛び回りつつ、雪だるまのように巨大化していきます。そして、それぞれが人間の身長ほどもある大きさとなったその直後、全方位から一斉にマスターの身体めがけて降り注ぎました。
あれではメンフィス宰相からもらった『小盾』でも防ぎきれません。エレンシア嬢のスキルで強化された電撃耐性だけで耐えきれるものでもないでしょう。
しかし、マスターはその場から一歩も動くことなく、つぶやきます。
「まあ、これなら『空間冷却』の方がよさそうだね。……《フリーズ・バリア》って感じかな?」
ふざけたような呑気な声は、直後に鳴り響いた轟雷の音にかき消されました。
「キョウヤ!!」
貴賓席にいるアンジェリカは、マスターが稲光に包まれるのを目のあたりにして、彼の名前を絶叫しました。そのあまりの大きな声は、会場中のすべての視線を彼女へと釘付けにしてしまいます。
しかし、その直後のことでした。
「なんだい? アンジェリカちゃん。次のデートの行き先でも決まったのかな?」
もうもうと立ち込める『水蒸気』の煙の中から、あまりに場違いな言葉が聞こえてきたのです。
「……おのれ、今のを受けてなお、生き残るとはな」
さすがに今度は、ジークフリード王も驚きはしないようです。忌々しげに晴れていく煙の中から現れた、マスターの姿を見据えていました。
「キョウヤ! 無事だったのね!?」
「もちろんだよ。聞き分けのない親父さんに物事の道理ってやつを叩き込んであげるって君と約束したのに、僕がこの程度で音を上げるわけがないだろう?」
にこやかに笑いを返すマスターの周囲には、半分融けかかった半透明のドームが存在しています。恐らく彼の『魔法』によって生み出された『氷のドーム』なのでしょう。
しかし、この氷自体は、単なる副産物に過ぎません。実際に先ほどのすさまじい雷撃を防いだのは、彼が扱う三種類の『冷却魔法』のうち、指定した空間の『熱』を拡散・解放する『空間冷却』によるものでした。
「さて、お義父さん? 今度は僕の番だ」
マスターは、無造作にポケットへと手を入れると、そこから無数の飛礫を取り出しました。
「《ブルー・ペレット》」
彼はそんな言葉と共に、その手を大きく振りかぶり、飛礫を雷帝に向かって投げつけます。
「なんのつもりだ? そんなものが俺に効くとでも?」
細かい飛礫は広範囲に広がり、さすがのジークフリード王にもそれを避けるすべはありません。しかし、飛礫自体は魔法の道具でも何でもない、ただの石です。当たったところで何の害もない。雷帝もまた、そう考えたのでしょう。特によけようともせず、右手の『槍』と左手で軽く頭をかばったのみでした。
しかし、その飛礫には、マスターの冷却魔法がかけられていました。
「ぬううう!」
細かい飛礫はジークフリード王の腕や身体に当たると同時、その魔法効果を発動させていきます。着弾した場所を始点として、彼の全身を氷が覆い尽くしていったのです。
「うそだろ! 国王様が!?」
「なんだ、あれは? 凍らせる魔法だと? そんなものが……」
会場からは、もう何度目になるかわからない驚愕の叫びが上がっています。しかし、そんな声も、ジークフリード王の全身が余すところなく氷に包まれてしまった時点で沈黙に変わってしまいました。
「あれ? 随分とあっけなかったね」
拍子抜けしたように言うマスター。
彼が使った《ブルー・ペレット》は、三種の冷却魔法のうちのひとつ、『物体冷却』にあたるものです。これは簡単に言えば、マスターが直に触れた『物体』そのものに冷却作用を付加するというものです。
『空間冷却』との違いは、直接的な効果対象が『固体』に限定されているという部分です。言い換えれば『物体冷却』は、『接触した固体を問答無用で絶対零度に冷却する凶器』を生み出す魔法であるということになります。
「こ、これで勝利ですの?」
全身を凍結させたジークフリード王を見て、エレンシア嬢が確認するように言いました。
しかし、ヒイロはその問いかけに首を振ります。雷帝の身体からは、依然としてエネルギー反応が感知できたからです。
「ぬがああああ!」
獣のような咆哮と共に、雷帝の全身を覆っていた氷は、一瞬で蒸発してしまいました。
「ふうん。冷却効果そのものは防げなくても、凍った後の氷そのものなら蒸発させられるってわけかい。細胞そのものだって凍らせるはずなのに、その辺は雷撃魔法の熱量で耐えていたのかな?」
もうもうと立ち込める水蒸気の中、ジークフリード王は全身を襲う震えに耐えるように立っていました。見るからに青ざめた顔色は、彼が激しく体力を消耗していることを示しています。
「…………」
しかし、それでもなお、倒れることなく気力を振り絞って立ち続ける彼は、やはり誇り高き『ニルヴァーナ』の王なのでしょう。
マスターはそんな雷帝を見つめたまま、面白そうに笑みを浮かべていました。
対する雷帝の顔には、すでに怒りの色はなく、静かに言葉を返してきます。
「……どうやら俺は、お前を見くびっていたようだな。怒りに任せて倒せるような相手ではない。そういうことか」
「やっと気付いたの? 君の鈍さは天然記念物ものだね」
挑発するかのように皮肉を返すマスターですが、王が怒りを見せることはありませんでした。
「だが、同じ手は二度は通じぬ。たとえ貴様が『王魔』に匹敵する魔法使いだとしても、俺は最強の『王魔』たるニルヴァーナの族長にして、ドラグーン王国を支配する『雷帝』だ。油断さえしなければ、万に一つの勝機も貴様にはあり得ぬ」
それまで無造作に振るっていた『槍』をあらためて構えなおし、マスターを冷静に見据えるジークフリード王。
「そんな肩書なんて、どうでもいいんだよ。僕が聞きたいのはさ、『アンジェリカちゃんの父親』としての、君の本音なんだからね」
しかし、マスターがそう言うと、王は構えていた槍をわずかに下げ、不思議そうに問いかけの言葉を口にします。
「お前は……自身の命を危険にさらしてまで……いったい何がしたいのだ? ……最初はただの身の程知らずとも思ったが、どうやらそうとも言い切れぬようだ」
「うん。どうやら『頭を冷やして』あげた甲斐があったみたいだね。ようやく聞く耳を持ってくれたみたいで良かったよ。あんまり戦いが長引くようだと、みんなに余計な心配を掛けちゃうからね」
「……だから、手を抜いていたと?」
問い返すジークフリード王の声には、怒りの色が滲んでいました。
「それはお互い様でしょ。君だって最初からここまでの魔法を使ってなかったじゃないか」
「…………」
「とにかく、僕が聞きたいのは君の本音だよ。……アンジェリカちゃんのこと、愛してる?」
「なんだと? なぜ貴様にそんなことを問われねばならん」
「答えてくれないなら、僕はこのまま、のらりくらりと戦い続けるだけだよ」
「……ふん。俺とて、つまらん遊びはもうごめんだ。いいだろう。答えてやる。……もちろん、あれは俺の娘だ。愛していないわけがない」
「おっけー。まずはその言葉が聞けて安心だよ。そうじゃなかったら、対応を考えなきゃいけなかったからね。……じゃあ、次の問いだ」
マスターは言いながら、貴賓席にいるアンジェリカへとその手をかざします。彼女は父の言葉に、少しだけ恥ずかしそうな顔をしているようにも見えました。
「アンジェリカちゃんって、実年齢以上に幼いところがあるよね? まあ、それも魅力的だとは思うけど……でも、なんでだと思う?」
「……ぬけぬけと。ふん。アンジェリカは俺の妻に似て、自由奔放な性格をしているからな。そういう部分が子供っぽく見えることもあるのだろう。それがどうした」
「……やれやれ、やっぱりか。だから君は、いつまでたってもアンジェリカちゃんと仲良くなれないんだよ」
呆れたように肩を竦め、首を振るマスター。
「ぐぬぬ……き、貴様……言わせておけば! 貴様にあいつの何が分かる!」
「わかるさ。だから、教えてやるよ」
「なんだと?」
「……それはね、君が彼女を『子供としてしか扱っていない』からさ」
「なに? そ、それの何が悪い!」
「彼女がもっと小さいうちなら、それでよかった。現に彼女は君やメンフィスさん、使用人の人たちや町中の人々に愛されて、すくすくと健やかに育ったんだろう。……でもさ、彼女だって、いつまでも子供じゃないんだぜ?」
マスターがそう言うと、ジークフリード王は貴賓席でアンジェリカの隣に座るメンフィス宰相に目を向けました。すると彼は、親友に向かって首を振ります。
「……僕は彼に、何も言ってないよ。今の言葉は、それこそ君の耳にタコができるくらいに僕が言っていた言葉ではあるけど……ね」
少し疲れたような声でそれだけ言うと、メンフィス宰相はそのまま沈黙してしまいました。彼がどこか諦めたような顔で目を向けた先には、話を続けるマスターの姿があります。
「君は君で彼女のためを思って、彼女の居心地のいい場所を作り続けているのかもしれないけど……でも、彼女は言ってたぜ。『居心地のいいぬるま湯は、いつか自分を駄目にしてしまいそうなんだ』ってね」
「……アンジェリカが、そんなことを?」
呆然とした顔でつぶやくジークフリード王は、その目を今度は自分の娘に向けていました。その視線を受けたアンジェリカは、彼のことを強い意志のこもった目でにらみ返しています。
「いいかい? ひとつだけ言っておいてやる。君の娘は『君の所有物』じゃない。成長し、変化し、自ら考え、自分の足で歩いていくものだ。それを……『お人形さん』よろしく、毎日毎日当人の意志も確認しないままで、同じ扱いを続けているようじゃ……」
そこまで言って言葉を切ったマスターは、指先をまっすぐジークフリード王に突きつけました。
「君のその『愛』には、『まるで心がないかのよう』だぜ?」
突きつけていた左手の指を広げ、掌を突き出すような姿勢をとったマスター。その手の先には、『空間冷却』によるダイヤモンドダストの輝きが生み出されています。
「……なるほどな。だが、貴様の言うことが仮に正論だとしても、赤の他人の貴様に、ここまで父親としての矜持を踏みにじられて、そのままにしておけるほど俺の器も広くはない。……ゆえに俺は、この一撃にその矜持を乗せてやる。輝け、『魔槍ライトニングジャベリン』」
とうとうジークフリード王は、掛け値なしの本気となったようでした。ヒイロたちが収集した事前情報では、彼の持つ『魔槍ライトニングジャベリン』は、メンフィス宰相が腕によりをかけて作った傑作武器のひとつであり、その真価は文字通り、『投げ槍』として使用するときにこそ発揮されるらしいのです。
現に雷帝は己の魔槍を投擲体勢で構え、その切っ先にすさまじい規模の電撃を集束させています。
「光速にして神速の一撃だ。かわせると思うなよ?」
警告のような言葉を口にするジークフリード王。
「もちろん、僕だって全力だ。かわすなんて真似、するつもりはないさ」
マスターは突き出した掌の先に、銀の輝きを集中させていきます。
「ヒ、ヒイロさん。キョウヤさんは大丈夫なのでしょうか?」
あまりに緊迫した空気に耐えかねてか、リズさんがそんな問いかけをしてきました。それに対し、ヒイロは彼女を安心させるように頷きます。
「確かに、あの『魔槍』の一撃は、覚えたての冷却魔法だけでは防ぎきれないかもしれません。……しかし、それでも間違いなく、マスターは勝利します。だから、ご安心ください」
安心できる言葉ではないでしょうが、ヒイロとしてはそう言うしかありません。
マスターが今も残している最後の『奥の手』。マスター本人を除けば、ヒイロと……おそらくは『彼』以外誰も気付いていないだろう『それ』については、黙っておくに越したことはないでしょう。
「なかなか楽しかったぞ! だが、これで終わりだ! 《ライトニング・ブラスト》!」
まさに一閃。目にも留まらぬ速度で放たれた雷光の魔槍は、マスターの掲げた『銀の輝き』の中央に突き刺さり……そして、それを瞬く間に消滅させてしまったのでした。
次回「第60話 他人の努力は蜜の味」




