第57話 吹き鳴らされる魔笛
ジークフリード王との謁見から、ちょうど一週間後。
驚いたことに、模擬戦の会場は王と面会した『謁見の間』となりました。ヒイロの入手した情報によれば、玉座の背後にある巨大な『四色の水晶柱』には、『サンサーラ』による回復魔法の効果を高める力もあるとのことです。
これから始まる戦いは、表向きこそ王女アンジェリカの旅先での恩人であるマスターとジークフリード王との親睦を深めるための『模擬試合』という形をとっていますが、それを事実として受け止める者は皆無です。
『王女を嫁に貰い受けに来た無謀な人間が、それを認めない雷帝との決闘に臨む』
まるで物語のような展開に、国民の関心は否が応にも高まっていたのでしょう。広大な『謁見の間』には貴族階級や城の使用人と思われる人々が詰めかけています。
国王自身が戦うことは少ないようですが、もともとこうした模擬試合は頻繁に行われているらしく、この国の人々にとっては一種の娯楽にもなっているようです。
すでに室内は余計な調度品が片づけられており、部屋の中央には完全武装に身を包むジークフリード王の姿があります。獅子は兎を仕留めるのにも全力を尽くすという言葉を実践するつもりなのか、手には青白く輝く『槍』を握っており、その巨躯には銀の鎧をまとっています。自国の王のあまりの臨戦態勢ぶりに、周囲の観客たちが驚きの声を上げていました。
「……キョウヤさん。大丈夫でしょうか」
ヒイロの隣で観客席に座ったリズさんは、そんな国王の威容を見て、不安げにつぶやきました。
「大丈夫です。準備は万端ですから。……リズさんからも、『法術器』の護符をお渡ししたばかりじゃないですか」
「で、でも……急ごしらえでしたし……気休めにしかなりませんから」
謙遜したことを言うリズさんですが、睡眠学習が可能なスキルとヒイロによる情報の『インストール』があったとはいえ、この短期間で『法術器』を完成させてしまった彼女は、実際大したものです。
ヒイロが仕入れた『知識』によれば、通常なら、まともな『法術器』を作れるようになるには、一年以上の歳月をひたすら勉学に割かねばならないとのことです。
不可能を可能にする彼女の特殊スキル『陰に咲く可憐なる花』がどの程度効力を発揮していたかはわかりません。しかし、いずれにしてもこの一週間、夜の『睡眠前学習』があるにも関わらず、昼間も図書館に通い詰め、黙々と独学での勉強を続けていた彼女の努力には頭の下がる思いでした。
「どうか、わたくしの差し上げた『花』がキョウヤ様の身をお守りできますように……」
祈るように目を閉じ、両手を胸の前に合わせているのは、リズさんのさらに隣に座っているエレンシア嬢でした。見れば彼女は、特殊スキル『開かれた愛の箱庭』を発動させています。
この謁見の間には、ほとんど植物の類はありませんが、マスターには彼女が魔法で生み出した『枯れない花』が手渡されているのです。
「……お二人とも、そろそろマスターの登場のようですよ」
ヒイロは努めて平坦な声で彼女たちに呼びかけます。もちろん、マスターのことは心配ですが、それ以上にマスターならどんな化け物が相手でも勝利してしまいそうな気がするのです。ここまでの準備において、それだけの要素は揃えてきたはずでした。
ちらりと視線を貴賓席に向ければ、そこには自分の唇を指でなぞるようにしながら、広間の扉を見つめるアンジェリカの姿があります。
こうした模擬戦では、しきたりとして『挑戦者』の側が後から入場することとなっているらしく、重々しい音を立てて開かれた扉からは、マスターが姿を現しました。
「客人、クルス・キョウヤ。闘技場中央へ!」
審判役の兵士の声を受け、マスターはゆっくりと歩いていきます。
「……なんだと?」
堂々と歩く彼の姿に、ジークフリード王を含めた会場の面々は、驚きを隠せない顔になりました。彼らが驚いたのはおそらく、マスターが身に着けている装備品のせいでしょう。
「その盾……まさか『ミュールズダイン』か?」
ジークフリード王が口にした言葉は、とある鉱石の名称でした。
メンフィス宰相の話によると、『ミュールズダイン』には、電撃を遮る絶縁体としての強い力場を生み出す力があるとのことです。
「まあね。急ごしらえだったから、それほど大きなものは用意できなかったって話だったかな?」
言いながら、マスターは手首の部分に装着した小さな盾を軽く振ります。あたかも磨き抜かれた銅鏡のように見える、小さな盾です。
マスターがちらりと目を向けた先には、貴賓席でアンジェリカの隣に座るメンフィス宰相の姿があります。金属質な肌のせいでわかりにくいですが、彼は少しばかり疲れたような顔をしていました。
「……なるほどな。メンフィスめ。余計なことを。だが、まあいい。あまりに一瞬で決着がついてしまっては、国民にとっても興ざめだろうからな」
親友のちょっとした裏切りに腹を立てるでもなく、不敵に笑いながら言い放つジークフリード王。その姿には、絶対的強者としての矜持が感じられました。
「どうした、審判? 試合開始の合図をするがいい」
「あ、は、はい! 試合、開始!」
二人のやり取りを唖然とした顔で見つめていた審判役の兵士は、王に促されて慌てて試合開始を宣言しました。
とはいえ、開始と同時に相手に突っ込むような真似は二人ともする気がないようです。
「まずは小手調べといこう。貴様が俺と戦うに足る相手か確かめてやる」
そう言ってジークフリード王は、己の特殊スキルを発動させます。
○ジークフリードの特殊スキル(個人の性質に依存)
『吹き鳴らされる魔笛』
任意に発動可。自身を中心とする半径数メートルから数百メートルの任意の範囲において、大気を帯電させる。
このスキルの存在は、前もってアンジェリカからも聞かされていました。一見、大したことのないように見えるスキルですが、あらゆる生物にとって、これほど厄介なスキルはないでしょう。
帯電した空気の中では、わずかに身動きしただけで静電気が起こります。そんな空間にいること自体がかなりの苦痛ではありますが、ただ我慢すればいいというものではありません。おおかたの生物は、生体活動を電気信号によって行っているのです。絶えず肉体が電気にさらされるということは、不随意筋まで含めた全身の筋肉を緊張させられ、その自由を奪われることにもつながります。
「ん? なんだか、急にバチバチと騒がしくなったね」
しかし、マスターはそんな中、平然とした顔で立っています。脇の鞘から『マルチレンジ・ナイフ』を引き抜く時も、それを正眼に構える動作をとった時も、時折彼の身体からは火花が散っているはずなのに、痛みはおろか、電気刺激による痙攣さえ起きてはいないようでした。
「……俺の魔笛に耐えるとはな。人間にしては大したものだ。『ミュールズダイン』もその大きさでは全身までは防げぬだろうに」
そんなマスターに、わずかに感心した顔を向けるジークフリード王。過去に彼と戦った相手の中には、このスキルだけで敗北した者も多かったという話でした。
「まあ、日ごろから鍛えてるからね」
気づいているのかいないのか、マスターはそんな言葉と共に笑います。もちろん、マスターが帯電した空気の中で平然としていられるのは、彼が鍛えているからではありません。
その理由は、今もリズさんの隣に腰掛け、祈るようにマスターの姿を見つめているエレンシア嬢のスキル『開かれた愛の箱庭』にあります。
彼女が味方と認識する者の思考速度と反射神経を強化し、彼女が『愛する男性』のあらゆる『環境耐性』を強化するスキル。マスターは懐に忍ばせた『花』から立ち上る『芳香』の恩恵により、それらの効果を得ているのです。
ちらりとヒイロがエレンシア嬢を見れば、彼女はその視線に気づいたのか、こちらを見てわずかに顔を赤くしてしまいました。少なくともヒイロが『気づいている』ことはわかったようです。
それはさておき、彼女の恋愛感情の強さに応じて変わる『環境耐性』の強化率がどの程度かは今の時点では不明ですが、少なくとも雷帝の『吹き鳴らされる魔笛』には十分な耐性を得ていたようでした。
「じゃあ、次は僕の番だね。……《レーザー》」
マスターは『マルチレンジ・ナイフ』を真っ直ぐにのばすと、ジークフリード王めがけて不可視の熱光線を放ちました。
「なに? ぬぐ!」
放たれた《レーザー》は王に回避する暇さえ与えず、その胸元に命中しました。しかし、王は軽く呻いただけで、大したダメージになっていません。どうやら、銀に輝く彼の鎧によって、防がれてしまったようです。
「熱耐性の強い鎧か。それもメンフィスさんに作ってもらったのかな?」
マスターが感心したような声で問いかけますが、王はそれには答えず、油断なくマスターを見据えていました。
「今のは『法学』の魔法か? それにしては魔力の動きがよくわからなかったが……面妖な術を使うものだ。だが、間合いを詰めればその意味もあるまい!」
言うや否や、ジークフリード王は帯電する空気の中、一瞬でマスターとの間合いを詰めてしまいました。敵には不利に働くこの空間も、彼にとっては移動速度を底上げする効果があるようです。
○ジークフリードの通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『疾きこと雷霆の如し』 ※ランクA(EX)
活動能力スキル(身体強化型)の派生形。電撃に触れた時に発動。触れた電撃の強さに応じて、肉体を動かす速度を加速する。
『ニルヴァーナ』としての高い身体能力だけではなく、電撃に触れることで発動した加速スキルによる高速移動は、『空気を読む肉体+』を発動したマスターにとっても、そう簡単に対処可能な速度ではなかったはずでした。
しかし、マスターは電撃をまとわせた槍の一撃を手首に着けた小盾で危なげなく受け流すと、反対に長剣形態に変えた『マルチレンジ・ナイフ』の斬撃を繰り出します。
「ちっ!」
ジークフリード王は、舌打ちと共に身体を捻ってそれを回避しました。すると今度は、電撃をまとわせた蹴りを繰り出してきます。マスターの左手の盾では回避できない角度を狙っての攻撃です。
「おっと、危ない」
マスターはその攻撃も難なく後方に飛び下がって回避すると、牽制するように立て続けに《レーザー》を発射しました。しかし、彼が狙ったその地点には、すでにジークフリード王の姿はありません。恐るべき速度で彼の背後に回り込んだ王は、そのまま手にした槍を恐ろしい勢いで突き出しました。
「背後をとるときの足運び、アンジェリカちゃんとそっくりだね」
ですが、これもまた、マスターは振り向きもせずに身体を横にずらすだけで回避してしまいました。さすがにこれには、会場に集まった観客たちから驚きの声が上がっています。
「う、嘘だろ……。人間が陛下と互角に戦ってやがる」
「い、いくらなんでも今のをかわすか? 後ろに目でも付いてるんじゃないだろうな……」
がやがやとざわめく観客席。一方、闘技場となっている部屋の中央では、お互いに距離をおいた二人が、油断なく構えをとっています。……いえ、マスターはだらりと両腕を下げた体勢で立ち尽くしているようでした。
「貴様……何者だ? 『吹き鳴らされる魔笛』に耐える程度ならともかく……俺と近接戦闘で、ここまで渡り合うとは異常にもほどがある。まさか、『王魔』だというのではあるまいな」
「僕は人間だよ。君たち『王魔』には同族の魔法の力なら感じ取れるんだろう? それでわかるだろうに」
肩をすくめて言うマスターに、ジークフリード王はそこで初めて表情を緩めて見せました。相手が強敵であることに、少なからぬ喜びを見出している。そんな顔です。
「ああ、『王魔』でないことはわかる。だが、先ほどの攻撃に至っては、それこそ本当に背中に目が付いていない限り、回避などできるはずのないタイミングだったはずだ」
観客と同じ疑問を口にする王に、マスターはにっこり笑って応じます。
「その通りだよ。僕には背中にも目がある。……僕の相棒からプレゼントされた『目』がね」
速度において自分を上回る相手との戦闘で、マスターがこうも敵の攻撃を回避し続けていられる理由。それは、マスターが考案し、ヒイロが形にして作り上げた、新たな『装備品』の力によるものでした。
次回「第58話 虚構の瞳と愛の結晶」




