第54話 修行編?:エレンシアの場合
恥ずかしい思いをお互いに我慢した甲斐があってか、【因子干渉】は成功し、リズさんのスキルには変化が起きていました。
○リズの通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『眠りは最良の教師』※ランクC(EX)(ランクEから進化)
活動能力スキルの派生形。睡眠時に発動。就寝前の一定時間に習得した知識については、決して忘れなくなる。
「な、なるほど。寝る前に勉強をするといいということですね?」
納得したようにリズさんは言いますが、少し違います。【因子干渉】が成功したことにより、スキル以外にも彼女はヒイロの【因子演算式】の直接的な影響も受け入れやすくなっているはずなのです。
「いえ、リズさんの頭に本に記載された情報を直接流し込むことが可能です。寝る前に時間をいただければ、それが一番効率的かと。とはいえ、あまりに膨大な情報を流し込むのは危険ですから、情報を取捨選択して適量ずつにしましょうか」
「そうですね……」
リズさんは何かを思案するように目を閉じています。
「あれ? ってことは、僕にも同じく情報を流し込めるの?」
替わって問いかけてきたのは、マスターでした。
「はい。ただし、情報を記憶として定着させるのは、あくまでマスター自身の記憶力です。リズさんほど効率よくはいきません。とはいえ、『王魔』の魔法に関する知識を少しでも覚えておくことは、今回の戦闘に大いに役立つのではないかと思います」
「そっか。……そうだね。その辺は任せるよ」
「リズさんも、マスターと同じ内容の情報で良いですか?」
ヒイロがそう尋ねると、リズさんは閉じていた目を開け、首を振りました。
「いえ、ヒイロさん。この図書館には『法学』の魔法に関する文献もありましたか?」
「はい。魔法関連の書籍の棚を検索した限り、関連する書籍の数は数百冊に上ると思われますが……」
「じゃあ、それでお願いします」
「理由をお聞きしても?」
「……『法学』の魔法は、この世界の人間なら誰にでも使用できるようになる魔法です。ただ、習得するには気の遠くなるほどの時間を『知識』の習得に費やさなければならなくて……とても時間に余裕のない一般人が修得できるようなものではないんです」
「なるほど。つまり、知識の吸収と定着が効率的にできれば、短時間でも『法学』の魔法が使えるようになるというわけですね?」
「そこまで上手く行くかはわかりませんが、できる限りのことは試してみたいんです。少しでも皆さんのお役に立ちたいですから……」
確かに、ヒイロが図書館の蔵書から調べた情報によれば、『法学』の魔法は、当人が得た知識の量によって形作られる『知識枠』が、そのまま『法力』の強さにつながるもののようです。
ましてや、彼女にはこの場で伝えていない、もう一つのスキルがあるのです。試してみる価値はあるでしょう。
○リズの特殊スキル(個人の性質に依存)
『陰に咲く可憐なる花』
常に発動。心に決めた相手に対する支援行動に関してのみ、自身の不可能を可能にする。可能にできる不可能の程度は、相手に対する愛情の深さに依存する。
そのほかにも、ヒイロはこの図書館の蔵書から、この世界の様々な情報を一気に大量に仕入れることができるようになりました。情報の真偽はあるでしょうから、すべてを鵜呑みにはできませんが、後々ゆっくりと解析してみたいところです。
その日は結局、昼食を挟んで一日を図書館で過ごす形になりました。二人とも魔法については『情報の注入学習』があるため、それ以外の雑学系の本を好んで読んでいたようです。マスターには『言葉は友情の始まり』の翻訳スキルがあるとはいえ、まだまだ完全ではなく、時折リズさんに読み方を教えてもらったりと、それはそれで充実した時間となったのでした。
ヒイロもまた、この時間を利用して膨大な情報の整理に努めたところです。
──そして翌日には、早速、リズさんの知識の定着具合を確認しました。すると、彼女自身が驚くくらい、あらゆる文言を正確に覚えていることがわかりました。どうやら、このやり方は成功のようです。
一方、昨日は別行動をしていたエレンシア嬢は、朝食の席でのそんなやり取りに、目を丸くしていました。
「驚いたわね。リズ、あなた、いつの間にそんなに頭が良くなったの?」
聞いたところによればこの二人、かつては同じ教師から勉強を習っていたこともあったそうです。ヒイロが事情を説明すると、彼女は複雑そうな顔でつぶやきを漏らしました。
「……なんだか、ますます差をつけられたような気分ですわね」
「そういえば、エレンの魔法の練習はどんな感じかな? 今度、見に行ってもいい?」
「え? あ……い、いえ、その……」
何気ないマスターの問いかけに対し、それまで物思いに沈んでいたらしいエレンシア嬢は、慌てふためいて瞬きを繰り返しています。
「秘密にしないと、まずい特訓だったりする?」
「いえ、そんなことはありませんわ。ただ、上手く行かないものを見られるのは恥ずかしい気がするだけで……」
「でも、アンジェリカちゃんに初歩の手ほどきを受けてた時は、そんなの当たり前だったでしょう? どうせ僕だって魔法が使えるわけじゃないんだし、気にしなくても大丈夫だよ」
「わ、わかりましたわ。それでは朝食が終わった後にでも、まいりましょう」
マスターの言葉に押されたように了承したエレンシア嬢は、小さく諦めの吐息を吐いてから、再び食事に取り掛かったのでした。
──それから、エレンシア嬢に連れられてヒイロたちが向かった場所は、城の南側の敷地に所狭しと花壇が並んでいる庭園でした。
「綺麗ですねえ。この国には魔力が豊富なせいか、植物も生き生きとして見えます」
うっとりと花壇に咲いた花々を見つめるリズさんの声。一方、マスターはエレンシア嬢の姿に目を向けていました。
「それでは……始めましょう」
彼女がそう言って向かった先は、整然と並ぶ花壇のひとつでした。しかし、その花壇は何が原因なのか、生えているはずの花が残らず枯れてしまっているようです。
「今度は……ここね」
彼女がそう言って目を閉じると、緩やかに波打つ新緑の髪の先が『動く茨』に変化し、ざわざわと揺れながらその長さを伸ばしていきます。よく見れば、花柄のドレスに身を包む彼女の身体もほのかに発光しており、庭園の中に妖精が舞い降りたかのような錯覚さえ抱いてしまいそうです。
「うわ……妖精みたいだ」
マスターもどうやら、まさにヒイロと同じ感想を抱いたようでした。
それはさておき、これが彼女の魔法なのだとすると、はたしてここから、いったい何が起きるのでしょうか?
「……《リーンカーネイト》」
エレンシア嬢のつぶやきに合わせて、緑色の淡い輝きが彼女の『動く茨』から放たれ、目の前の枯れた花壇を覆っていきます。
「おお、すごい。光ってる……」
マスターが息をのんで見守る中、ごくわずかではありますが、花壇に変化が生じていきました。
「……枯れた花が、息を吹き返した?」
リズさんが驚きに震える声で言いました。彼女の言うとおり、花壇の中でわずか一本だけですが、緑の葉と赤い花の色を取り戻し、みずみずしく咲き誇っているものがあるのです。
つい先ほどまで枯れた花しかなかった花壇に生み出されたこの光景には、さすがにヒイロも言葉を失うしかありません。どれだけ細胞を再生する【因子演算式】を駆使したとしても、あそこまで枯れ果てた草花を蘇らせることなどヒイロにも不可能です。
「これが、エレンの魔法? すごいじゃん! これってつまり、回復魔法ってこと?」
「正確には、生命力を操る魔法ですわね」
マスターの問いかけに、少し疲れた顔のまま応じるエレンシア嬢。
「生命力を操る? どういうこと?」
「今のも厳密には、この花を蘇らせたのではありませんわ。周囲に咲き乱れる草花やその他の生き物たちから少しずつ分け与えてもらった生命力を『枯れた器』に注ぐことで、新たな命を生み出したのです」
「……よくわからないけど、それって実は、とんでもなく凄いことのように聞こえるよ?」
『生命を生み出す魔法』まであるとは、ヒイロとしても驚くばかりです。
「そうかもしれませんわ。アンジェリカさんが魔法の手ほどきをしてくださった際も、このことに気づいた彼女はとても驚いていましたから。もっともその分、繊細で扱いが難しい魔法でもあるみたいで……」
どうやらエレンシア嬢の魔法の習得がなかなか進まないのも、そうしたところに原因があるようです。
「なるほどね。生命力を操るってことは、回復だけじゃなくて、相手からそれを奪うこともできるってことかな?」
「どうでしょうか。あくまで『王魔』の魔法は、周囲の魔力を従属させるものです。わたくしの場合は、生物が普段から自然に発散している生命力を世界からかき集め、魔力と同化して操作しているだけです。他者の生命力を強引に『奪う』となると、少なくとも相手に接触する必要があるかもしれませんわね」
この言葉の内容自体は、アンジェリカの受け売りだとのことですが、それでも淀みなくこうして話ができること自体、彼女がいかに魔法を使うための努力をしているのかが窺えます。
「とはいえ、この程度の魔法では、キョウヤ様の役には立てそうにありません……」
エレンシア嬢は目の前に咲いた花を見つめ、残念そうにつぶやきました。
「そうかい? とっても素敵な魔法じゃないか。花を生み出す魔法だなんて、可愛らしくてエレンにはよく似合ってると思うよ」
「だ、だから! そういう恥ずかしいことを……! もう……どうしてこの人は……」
顔を赤らめ、ぶつぶつと独り言を口にするエレンシア嬢。そんな彼女のことをリズさんがくすくすと含み笑いを漏らしながら見つめています。
一方、マスターはエレンシア嬢と彼女が生み出した花に交互に目を向けながら、思い出したように口を開きました。
「……そういえば僕、エレンに聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいことですか? なんでしょう?」
「答えたくなければ答えなくていいけど……君のご両親のことだよ」
マスターがそう言うと、エレンシア嬢の顔に悲しみの影がよぎります。
「キョウヤさん、それは……」
「いいえ、リズ。大丈夫よ。……それでキョウヤ様? わたくしの両親の何をお聞きになりたいのですか?」
エレンシア嬢は気遣いの言葉を挟もうとしたリズさんをさえぎり、マスターの目をまっすぐに見つめています。
「正確には、両親のことを聞きたいわけじゃない。……エレン、どうして君は、自分を殺そうとした両親に復讐を考えないんだい? 君の力なら、遠く離れたところにいる彼らにだって、攻撃できたはずだ。君がやらないなら、僕がやろうかとも思ったのだけど……君の考えが第一だからね」
マスターの物騒な言葉に、リズさんが息をのむ気配がしました。しかし、エレンシア嬢はそんなマスターに、困ったような微笑みを向けました。
「……駄目なんです。自分を殺そうとした人たちなのに……もう二度と、会うことなんてできないはずの相手なのに……それでも、わたくしは……あの人たちのことを……」
翡翠の瞳を悲しげに揺らしながら、小さく声を震わせるエレンシア嬢。するとマスターは大きく息を吐いてから、彼女に向かって頭を下げました。
「ごめん。変なことを聞いたね。……本当にごめん」
「い、いえ……そんな頭を下げていただくほどのことじゃ……」
いつになく神妙な顔で謝罪するマスターに、エレンシア嬢は戸惑い気味に首を振りました。
「君は……君は本当に……」
マスターは熱を帯びた目で彼女を見つめ、何かを言いかけたようですが、途中で口をつぐみ、そのまま黙り込んでしまいました。
「……そもそも、他ならぬ貴方が気に病むようなことではありませんから」
エレンシア嬢は、そう言いながらゆっくりと花壇に近づき、一輪だけ咲いたその花をそっと手折りました。
「キョウヤ様。……これを」
淡い緑色の光に包まれたその花を、マスターに差し出すエレンシア嬢。
「え? この花、僕にくれるのかい?」
「はい。特別な魔法をかけましたから、その状態でも枯れることはありませんわ」
「へえ、すごいね。でも、やっぱり花瓶とかに活けた方がいいんでしょう?」
「……いえ、で、できれば、その花はキョウヤ様に肌身離さず持っていていただきたいのです。そのための魔法ですから」
「肌身離さず?」
「はい。駄目……ですか?」
エレンシア嬢は、上目づかいで懇願するようにマスターを見つめています。すると、ヒイロにも明らかにわかるほどに、マスターの頬が緩んできているのが見てとれました。もっとも、あれだけの美人に至近距離から見つめられれば無理もありません。
「いや、駄目じゃないよ。じゃあ、僕はこの花をエレンだと思って、いつでも大事に持ち歩かせてもらうよ」
「は、はい……」
相変わらず極端なマスターの言葉に、エレンシア嬢は見る間に頬を赤くしてしまいました。
「でも、これって何の意味があるんだい? お守りとか?」
不思議そうな顔で聞くマスターですが、エレンシア嬢は顔を真っ赤に染めたまま口ごもるばかりで、はっきりした答えを返しませんでした。
しかし、ヒイロには、彼女がなぜ、赤面してしまっているかの理由も含め、彼女の考えはよくわかりました。
エレンシア嬢の特殊スキル、『開かれた愛の箱庭』が主な原因でしょう。周囲の植物から芳香を生み出し、それをもとに対象者に様々な効果をもたらすスキル。そのうちの一つに『自分が恋愛感情を抱く相手の体内にあらゆる環境耐性を強化する薬を生み出す』というものがあります。
エレンシア嬢にしてみれば、この効果が発動した瞬間、『自分は貴方に恋をしています』というのにも等しい結果になってしまうのです。
それを思えば、彼女はかなりの勇気を振り絞って、これを渡してくれたことになるでしょう。もし、この効果が発動するのであれば、雷撃の使い手であるジークフリード王に対しても、環境耐性の力で多少は対抗できる見込みも出てきました。
次回「第55話 修行編?:アンジェリカの場合」




