第48話 暴走姫の帰郷
国境の街道沿いに設けられた関所は、柵や扉で道を塞いでいるわけでもなく、ただ兵士たちが駐留するための施設が道の脇に立っているだけのものでした。魔法が使えるニルヴァーナたちにとっては、そうした物理的な防御など大して重要ではないのかもしれません。
関所にたどり着いたヒイロたちは、ここで驚愕の事実を知らされることになります。
……いえ、なんとなく予想していた部分もあったのですが、あらためて聞かされると、やはり驚かざるを得ないでしょう。
「アンジェリカちゃんが、この国のお姫様?」
関所を護るニルヴァーナの兵士から、うやうやしく『姫』と呼ばれたアンジェリカを見て、マスターもまた、驚きを隠せないようです。
「と、ところで、姫様……そ、そちらの方々は?」
兵士たちは、アンジェリカにうやうやしく頭を下げつつ、慎重に言葉を選びながら尋ねてきました。さすがに王女が相手では緊張するのか、恐る恐るといった顔をしています。しかし、彼らはどちらかといえばアンジェリカより、マスターのことを気にしているようにも見えました。
兵士とはいっても、彼も『ニルヴァーナ』であることには変わりがありません。強靭な肉体と魔法を武器としているせいか、槍や鎧といった装備品はごく一般的なもののようです。
やはり、アンジェリカが持つ『魔剣イグニスブレード』のような魔法の道具は、高級品に分類されるのでしょう。
アンジェリカは彼らの言葉に軽く頷きを返すと、同行するメンバーの紹介を始めました。
「と、いうわけだ。つまり、彼らはわたしの友人だな。それから……お父様に会わせたい奴もいる」
「え? で、ではまさか……こ……」
「ああ! もう、騒ぐな! 関所の番兵である貴様らだからこそ、事情を明かしているのだ。一般の国民に知らせるには時期尚早だろうが」
何かを言いかけた兵士を素早く制し、意味の掴みづらい言葉を返すアンジェリカ。
「と、とにかく! わたしたちは長旅で疲れた。城までは『乗り物』を用意してくれるんだろう?」
アンジェリカがそう言うと、兵士たちは心得たようにひとつ頷くと、「準備をしてまいります」と言い残し、そそくさと建物の裏手に回っていきました。
「アンジェリカちゃん……」
「……まあ、その、なんだ。黙っていて悪かったとは思うが……」
マスターに声を掛けられ、ばつが悪そうに頬を掻くアンジェリカ。
「凄いじゃないか。まさか本当のお姫様だったなんて!」
「え? あ、そ、そうか? うん。どうだ! すごいだろう!」
なぜか先ほどまでの申し訳なさそうな顔を一変させて、得意げに胸を張るアンジェリカです。しかし、マスターはと言えば……
「いやあ、でも、そう考えると僕、お姫様に初対面でいきなり抱きついたあげく、服の中をまさぐるとか、随分と大胆な真似をしてたもんだよなあ」
早口でまくしたてるような言葉の中に、さらりと爆弾発言を混ぜていました。
「ふ、服の中をまさぐるですって!?」
顔を赤くして叫ぶエレンシア嬢。どうやらマスターは、あの『禁じられた魔の遊戯』の決着時に行われた『くすぐり』のことを言っているようですが、その言葉の言い回しには悪意しか感じられません。
「な、ななな! なんて言い方してんのよ! 誤解を招くじゃない! このばかあああ!」
動転して涙目となったアンジェリカは、マスターへと勢いよく詰め寄り、彼の胸をポカポカと叩いています。
「……なんだか、癒される光景ですねえ」
「リズさんは、さっきのマスターの言葉、驚かれないんですね」
いつの間にか傍に近づいてきていたリズさんは、ヒイロの問いかけに微苦笑を浮かべて応じます。
「まあ、さすがにキョウヤさんの言動にも、そろそろ慣れてきてしまいました」
どうやらリズさんも、マスターと行動を共にするうちに、精神的にだいぶ鍛えられてしまったようです。
そんなやり取りを続けていると、建物の陰から兵士たちが戻ってきました。彼らが用意してくれた『乗り物』は、驚いたことに四輪の自動車にも見えるものでした。
「え? なにこれ? 馬とかいないし……これ、このまま走るの?」
マスターの言うとおり、四角い車体には四つの車輪こそついているものの、それを牽引すべき動物の姿はありません。かわりにそこにあるのは、他の車輪とは一線を画する巨大な石の玉のようなものでした。
「そうか。みんなはこれを見るのは初めてだったな? これはわたしの国では比較的よく使われる乗り物だ。サンサーラが創ったもので『玉行車』と言う。その名のとおり、動力源はこの大きな石の玉だ」
そう言ってアンジェリカが指をさす石の玉は、その直径が人間の身長ほどもあるでしょうか。ほんのりと光り輝いているのは、やはり魔法の効果なのかもしれません。車体だけを見れば馬車にも似ていなくはありませんが、車高はそれより少し低く、車輪はヒイロにも解析できない素材でできているようでした。
「よし、それじゃあ、わたしが運転してやるから、皆は後部座席に乗るがいい」
アンジェリカがそう言うと、色めき立ったのは関所の兵士たちです。
「お、お待ちください! 姫様! な、なにも姫様が運転されることは……! せめて、我らの中から運転手を!」
「うるさいぞ! お前たちには大事な関所の防衛の任務があろうが。それに……くふふ! 『玉行車』は魔力の豊富なこの国でしか動かないから、久しぶりに運転することも楽しみにしていたのだ。さあ、行くぞ! みんな、早く乗れ!」
うきうきと声を弾ませ、ヒイロたちの乗車を促すアンジェリカ。
「なんか、楽しそうだね。じゃあ、早速乗ってみよう!」
マスターもまた、楽しそうに声を張り上げ、いそいそと扉を開けて中に乗り込んでいきます。
「あ、ああ。なんてことだ……」
がっくりとうなだれる兵士たち。やはり、お姫様本人の希望とはいえ、王族に車を運転させたなどと知られれば厳罰ものなのでしょうか?
などと思っては見たものの、たまたまヒイロと目があった兵士の様子からすれば、それはどちらかと言うと……『憐れみ』や『同情』の視線にも見えてしまいました。
そして、その視線の理由は、全員が車に乗りこみ、アンジェリカが張り切って運転を開始したところで明らかになるのです。
「……ああ、可哀想に。また『暴走姫』の犠牲者が増えたか」
出発間際、ヒイロの集音センサーは、そんなつぶやきを聞き取ったのでした。
──それから、二時間後。ひときわ大きな城壁に囲まれた街の入り口にて。
「う、うう……き、気持ち悪いです」
車を降りたリズさんがふらふらと覚束ない足取りで歩いています。
「し、死ぬかと思いましたわ……」
同じくよろよろしながら、ゆっくりと『玉行車』のステップを踏んで降りてきたのは、エレンシア嬢でした。並外れた生命力をもつ彼女も『車酔い』には勝てないようです。
「……《リフレッシュ》を展開」
気の毒になったヒイロは、皆さんに体調を整える【因子演算式】を使ってあげました。とはいえ、車から降りてきた最後の一人には、それは不要かもしれません。
「いやあ、すごかったね。アンジェリカちゃんってば、まさかのスピード狂なんだもんなあ。びっくりびっくり。大変だったねえ!」
青ざめた顔で降りてきた二人とは異なり、乗る前よりも血色のいい顔で上機嫌に出てきたのはマスターです。それもそのはず、車の中で三人掛けの中央の席に座り、右と左をエレンシア嬢とリズさんに囲まれるという『両手に花』の状態であったことに加え、激しく揺れる車内において彼女たち二人にしっかりとしがみつかれ、その体の柔らかさをも存分に堪能していたのですから。
「ヒイロ? どうしてそんなに怖い顔をしているのかな?」
「な、なんでもありません」
いけません。またしても、顔に出ていたようです。……ですが、ヒイロはいったい、どうしてこんなにも余計な感情を表に出してしまうようになったのでしょう?
マスターはそれを喜んでくれているようですし、そうであるならば、ヒイロとしてはそれでもかまわないとは思うのですが、それでも不思議なことには違いありません。
「あー! 楽しかった! みんなも楽しかったでしょ?」
マスターを除く二人の女性をグロッキー状態に追い込んだ諸悪の根源は、元気いっぱいに笑いながら運転席から飛び出してきました。
「うん、楽しかった! 最高だね」
「そう? よかった! じゃあ、また乗せてあげるね!」
マスターの言葉に嬉しそうにはしゃぐアンジェリカは、どうやらいつになくハイテンションなようで、一向に言葉遣いが改まる気配がありません。
「……で、できれば次は、もっとゆっくり運転していただけると」
リズさんはヒイロの【式】の効果もあって、ようやく体調が整ったのでしょう。そんな風に返事をしていましたが、それでも無邪気に喜ぶ彼女を前にして、「もう二度と乗りたくない」とまでは言えないでいるようです。
「……それはさておき、ここがこの国の首都なんですね?」
あまりにも気の毒になったため、ヒイロは話題を変えることにしました。
「え? うん。そうよ。この街の中心には、わたしのお父様……ジークフリード・エレク・ドラグニールが本拠を構える城もあるんだから」
胸を張ってアンジェリカが指し示す先には、青い石を積み上げて作られた城壁とその中央にある巨大な門があります。城壁が高すぎて中の街は見えませんが、門の脇には関所と同じく兵士たちが常駐するための建物があるようでした。
そこでアンジェリカは、再び自分の帰還を告げると、『玉行車』をそこに預けて門の開放を命じました。
「ようこそ。ドラグーン王国の首都、ドラッケンへ!」
故郷への帰還を果たした『暴走姫』は、そう言って芝居がかった仕草で笑ったのでした。
次回「第49話 王魔の街」




