第46話 目に見えない万華鏡
○特殊スキル(個人の性質に依存)
『目に見えない万華鏡』
『知性体』と十秒以上目を合わせ、恐怖を与えた場合にのみ発動可。発動後、対象が世界に与える影響は、すべてが『無』になる。なお、この効果は絶対に解除できず、対象の生死を問わず永続する。
マスターが三千人の虐殺の際に得た三つのスキルのうち、最後のものにして、もっとも禍々しいスキルです。とはいえ、実際にこれがどんな事象となって表れるのかは、見てみないとわかりませんでした。
「ぐ……ぶ、不気味な奴め……。わしは気分が悪くなった。『王魔』のお二方には悪いが、会談はこれで終わりにさせてもらおう。……ルヴァン! 皆様方をお送りしろ」
既に二人と会話を交わした以上、自分のスキルである『世界を読み解く者』でいつでもこちらを捕捉できるとの考えなのでしょう。パウエルは、あっさりとこちらを解放するつもりのようでした。
ところがです。
「ルヴァン? どうした? 早くしろ」
パウエルの言葉に、ルヴァン司教兵長は一切反応を示しません。彼の周囲にいる兵士たちには聞こえているようですが、彼にだけは、その言葉が届いていないようでした。
一方、声が聞こえているはずの兵士たちはと言えば、自分に向けられたわけでもない言葉に反応する必要はないと考えているようです。
「おい! ルヴァン! ボケっとするな!」
ついにパウエルは、怒鳴り声をあげました。しかし、その声量にも関わらず、その言葉は誰の心にも響くことはありません。様子を見守るヒイロにとっても、意味こそ理解はできますが、どうでもいい雑音程度にしか感じられませんでした。おそらく、アンジェリカやエレンシア嬢などの面々も同様に感じているのでしょう。リズさんでさえ、張り上げられた大声にまったく驚いた様子はありませんでした。
「なんだ? どうなっている?」
ようやく異変に気付いたパウエルは、勢いよくソファから立ち上がると、ルヴァン司教兵長に詰め寄っていきます。
「おい! いい加減にしろ! 司教たるわしの言葉を無視する気か、貴様!」
彼はそのまま、無言で立ち尽くすルヴァン司教兵長の胸元を掴もうとします。しかし、直前で足を滑らせ、盛大に転んでしまいました。転ぶ際に壁際の花瓶に手をぶつけ、甲高い音と共に床に落ちたそれが粉々に砕け散ります。
「ぐぐ……、い、いったい、何が……」
頭を振って起き上がろうとしたパウエルは、信じられない光景を目にしていました。
「ど、どういうことだ? 今、この花瓶は……」
呆然とつぶやく彼が見つめる先には、先ほど落ちて砕けたはずの花瓶があります。壁際の台に置かれたそれは、なめらかな表面に淡く光を反射しており、いかにも高級感に溢れています。さらに言えば、元の位置から変わることなく、活けられた花もそのままでした。
「どうだい? 自分のしたことが『無』になる気持ちって奴は」
マスターは、絶句したまま固まっているパウエルに気軽な調子で声を掛けました。その声はルヴァン司教兵長にも聞こえているはずなのですが、彼は少し顔をマスターに向けたきり、ほとんど反応らしき反応を示しません。
「な、ま、まさか……貴様が、何かをしたのか?」
「どうだろうね?」
「ふざけるな! 答えろ! ルヴァンたちに何をした!」
彼の手には、割れた花瓶によるものと思われる小さな傷がついています。つまり、花瓶が割れたという事実自体は、なくなってはいないのです。『なくなった』のはただ、彼が世界に与えた『花瓶が割れたという結果』のみでした。
「人聞きが悪いことを言わないでほしいな。彼らには何もしてないよ。……『した』のは、君に対してだけさ」
「なんだと? それは、どういう……」
やっと気付いたとばかりに、周囲の異常な光景に目を向けるパウエル。
この時点でもなお、周囲の兵士たちは自分たちの崇拝する司教だった人物に、何の関心も示してはいません。
一方、アンジェリカやエレンシア嬢は、ここでようやく状況を理解したらしく、マスターのすることを黙って見守っているようです。唯一、リズさんだけがおろおろと戸惑っていますが、そんな彼女でさえ、パウエルの異常な状況そのものには大して関心を抱いていないようでした。
「わけのわからないままじゃ、可哀想だからね。種明かしをしてあげるよ」
そう言って、自分のスキルの効果について語りだすマスター。『可哀想だから』などと言いながら、その行為は確実に彼をさらなる絶望の淵へ追い込むものでしょう。
「そ、そんな、まさか……そんな馬鹿なことができるはずがない!」
「まあ、信じられないのも、無理はないよ。僕も使うの初めてだしさ」
「だ、だったらなぜ! 貴様はこうしてわしと話ができるのだ!」
「決まってるじゃん。君の言葉なんかで、影響を受けるような僕じゃないからさ。どうやらこのスキルの発動前に、すでに対象から強い影響を受けている人物ほど、スキル発動後は対象との関わりを持とうとしなくなるみたいだね。これもまた、世界に対象の影響を残さないための現象なのかな?」
こともなげに言い放つマスターですが、パウエルは弾かれたようにルヴァン司教兵長の姿に目を向けました。
「ぐ……だから、司教兵長だけが……?」
ほかの兵士たちの反応には個人差があるようですが、マスターの仮説が確かならば、それはパウエルからの『影響の受けやすさ』に起因する違いなのかもしれません。
「な、ならば! 元凶である貴様を殺せば! 奇跡よ、我が信仰に応え、我が前に顕れよ! 《女神の鉄槌》」
パウエルがそう叫んだ次の瞬間、何もない空間から光り輝くハンマーが出現しました。そしてそれは、ほとんど間をおかずマスターの頭部に叩きつけられ、純白の床に血と脳漿をまき散らします。
「ふははは! 思い知ったか! 神聖国家アカシャにおける七大司教の一人にして、『槌の意志』の二つ名を持つわしの魔法に、砕けぬものなどない!」
「ふうん。それはすごいね」
「な、なに?」
頭蓋骨を粉砕されて絶命したかに思えたマスターですが、次の瞬間には傷一つない姿のまま、平然とパウエルの前に立っていました。
「無駄なことはしない方がいいよ。君は『世界に対して』は何もできなくても、『君自身に対して』は影響を与えることができるんだ。どんなに汗水垂らしても願いは叶わず、どれだけその身を削っても努力は実を結ばない。けれど、君の汗や涙、削った身体は間違いなくそのままなんだからね」
「う、うるさい! うるさい! うるさい!」
パウエルは叫び声を上げながら、連続で《女神の鉄槌》を放ちます。そのたびにマスターの身体は打ち砕かれ、鮮血が噴き出すのですが、そこに意味はありません。マスターは顔色一つ変えず、その場に平然と立ち続けているのですから。
「うわあああ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」
滅茶苦茶に、そして闇雲に放たれる魔法は、すでに敵味方関係なく猛威を振るっています。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ねええええ!」
半狂乱になったまま、部屋全体へと破壊の魔法をまき散らすパウエル。
しかし、全方位に猛スピードで放たれ続ける《女神の鉄槌》は、応接間の家具を打ちこわし、周囲の人間を一人残らず血の海に沈め、惨憺たる破壊を振りまいているはずなのに、それらはほとんど間をおかずに元の形を取り戻してしまうのです。
徒労に次ぐ徒労。
無駄に次ぐ無駄。
何をどうあがいても、すべては元の木阿弥のまま。
最後には、何一つ変化のない部屋の中で、体力(魔力?)を消耗しすぎて、肩で息をするパウエルの姿がありました。彼の身体から滴り落ちる汗すら、床を濡らすことができずに一瞬で乾いていきます。
「な、なんで……。どうして、こんな……」
ついにパウエルは、途方に暮れたような顔のまま、へなへなとその場にへたり込んでしまいました。
「もう気が済んだかい?」
再び気楽な調子で声をかけるマスター。すると、パウエルはほとんど縋りつくように懇願の言葉を叫びました。
「た、頼む! 金ならいくらでも払う! だから、もう許してくれ!」
「許す? うーん、そうだね。僕からの質問に答えてくれたら、いいよ」
「ほ、本当か!?」
目を見開いて身を乗り出してくるパウエル。
「僕らをここに呼んだ、本当の目的は? 言っとくけど、君の『世界を読み解く者』のことは知ってるから、変に隠し立てしても無駄だよ?」
「な……」
マスターのこの言葉に、彼は小さくうめき声を上げました。それから周囲を改めて見渡し、最後には諦めたように大きく息を吐きました。
「その二人を捕えるためだ。まだ年端もいかない少女の『王魔』なら、不意さえつけば抑えこむ手段は考えられた」
「まあ、そんなところだろうね。でも、いくら二人が可愛いからって、それだけじゃここまで大仰な真似はしないだろう?」
さらに踏み込むように問いかけるマスター。その目は、些細な嘘も見逃さないとばかりに、鋭くパウエルに向けられています。
「……教皇猊下と三大枢機卿は、『王魔』の《サンプル》を欲している。だが……目的は我ら七大司教にさえ明らかにされていないのだ」
「七大司教とか言われてる割には、あんまり信用されてないんだね。でも、本当にそれだけ? それじゃあ、君がここまでの行動を起こす理由としては、弱いと思うんだけどなあ」
「ぐ……」
マスターのさらなる問いかけに、パウエルは苦しそうな顔をします
「答える気がないなら、いいよ。僕としては別に困らないしね」
「ま、待て! ……せ、聖女様のご命令なのだ」
「聖女様? 誰だいそれ? 教皇とか枢機卿とかとは違うの?」
「……今はまだ、わしと同じ司教の地位にある御方だ。だが、たぐいまれなる女神の寵愛を受けたベアトリーチェ様のお力なら……枢機卿……いや教皇の位ですら夢ではない」
「ふうん。その聖女様とやらが『王魔』を捕えるよう命令したっていうのは……上役の人が欲しいものを持っていけば、評価が上がって出世できるって考えからなのかな?」
「馬鹿を言うな。あの、清らかで美しい聖女様が……そのようなことをお考えになるはずがない!」
憤慨したように叫ぶパウエル。彼の目は、ルヴァン司教兵長がパウエル自身のことを語るときに似た、狂信的な熱を帯びているようです。
ヒイロはここで、アンジェリカたちの様子を確認しましたが、彼女たちは依然としてマスターの尋問を見守っているだけでした。これもまた、パウエルが他者の心に影響を与えられなくなった結果なのでしょう。
「……なんだ。君もルヴァンさんと『同じ』か。なんだか、その『聖女』って人の方が気になるね。まあ、それはそれとして……少なくとも『僕ら』が『僕ら』だから狙ったってわけじゃないのか。それなら少し、安心だね」
「だ、だったら、もういいだろう! いい加減、許してくれ! こ、こんな、こんな状況には耐えられない! 気が狂ってしまいそうだ!」
ほとんど泣きそうな顔で叫ぶパウエルに向けて、マスターはにっこりと満面の笑みを浮かべて見せました。
「うん。じゃあ、僕は君を許してあげよう。……これでいいかい?」
「お、おお! よ、よかった……。助かった……ルヴァン! ルヴァン! 聞こえるか?」
肩の力が抜けたように息を吐いたパウエルは、再びここでルヴァン司教兵長に呼びかけます。しかし、結果はまたしても同じ。彼は全くと言っていいほど反応を示しません。
「な、ど、どうなってる! 約束が違うじゃないか!」
血走った目を向けてくるパウエルに、マスターは軽く首をかしげて答えます。
「約束? うん。だから、許してあげたでしょう? でも、僕が許すとか許さないとかと、君のその状態は関係ない」
「騙したな! くそ! ほかには何が望みだ! 金か? 金なのか!?」
「……あれ? 最初に言わなかったっけ?」
にたり、と笑うマスター。
「う、あ……」
悪魔のような笑みに、パウエルは一瞬で顔を青ざめさせて震えあがりました。そんな彼に、マスターは無慈悲な言葉を楽しそうに口にします。
「『目に見えない万華鏡』は、対象者が死亡してもなお、その効果が永続するんだよ。僕自身にだって、もう二度と、絶対に解除なんかできない。……わかるかな? 『間違い』ってやつはさ。いつだって取り返しが利かないものなんだぜ?」
「嘘だろう? い、一生このまま……だと? そ、そんなことが……! だ、誰か……聖女様! ベ、ベアトリーチェ様! 助けてください! い、いやだ! こ、こんな……頼む! お、おい! お前たち! 返事をしてくれ! わしを見ろ! わしの声を聞け! 無視をするな! こ、こんな、こんなことが……うああああああ!」
絶望のあまり絶叫し、再び崩れ落ちるパウエル。そんな彼の姿に、その場の全員が『路傍の石』でも見るかのような目を向けていたのでした。
次回「第47話 規則違反の女王入城」




