第34話 その本物を否定する
「……リズ。この無礼者は誰なの?」
マスターの言葉に反応して、『茨の壁』の向こう側から冷たい声が返ってきました。
「クルス・キョウヤさんです。旅先でわたしのことを助けてくれた方で……」
「そう……。リズを助けてくれたことには礼を言うわ。でも、屋敷の外にあれだけの『愚者』たちが集まっていたというのに……よりにもよってリズをこんな危険な場所にまで連れてくるだなんて、馬鹿な真似をしてくれたものだわ」
「大丈夫です。こちらの皆さんは、すごい力をお持ちなんです。……『愚者』たちだって全部やっつけてくださったんです。だから……お、お嬢様のことも助けてくださると……」
必死に言い募るリズさんでしたが、エレンシア嬢からの反応は、やはり冷たいものでした。
「わたくしを助ける? 馬鹿なことを言わないで! そんなこと、できるわけがないでしょう? 何? わたくしのことを元の人間に戻してくれるとでも? できもしないことを言わないで! ありもしない希望を……わたくしの前に見せないでよ!」
『茨の壁』の向こうから聞こえる声は、すでに半狂乱と言うべき激しさとなっています。しかし、マスターは全く動じず、再び馬鹿にしたような言葉を繰り返しました。
「だったら、なんで生きてるの? 本当に希望がないなら、自殺でもすればいいのに」
今回の言葉は、さらに辛辣でした。皆が驚いてマスターに視線を向けますが、彼は平然とした顔で笑っています。
「……自殺しろですって? ヴィッセンフリート家の一人娘たるこのわたくしに、よくもそんな口が利けたものね」
エレンシア嬢の声からは、高貴な家に生まれ、他者にかしずかれることに慣れきった、貴族としての矜持が感じられました。しかし、マスターはそんな言葉をせせら笑います。
「おやおや、自分で言った言葉を忘れたのかい? 君は両親から『いないもの』扱いされているんだろう? なら君は、貴族でも何でもない。ただの小娘じゃないか。そんな君が……」
「うるさい! 貴方なんかに、何がわかるのよ!」
エレンシア嬢は、マスターの言葉を遮るように一声叫ぶと、堰を切ったように激しい言葉を続けました。
「わたくしは十七年間、ずっと大貴族ヴィッセンフリート家の令嬢として生きてきたわ。なのに……こんな化け物みたいな身体にされて……だからって、どうして今までの人生をすべて否定されなきゃいけないの? どうしてわたくしばっかり! こんなに不幸な目にあわなくちゃいけないの?」
「……エレンお嬢様」
悲痛な主人の叫びに、リズさんはその茶色の瞳から大粒の涙をぽろぽろと流し、嗚咽を漏らしています。それを横目で見つめた後、マスターは静かに言葉を続けます。
「うん。そうだね。世の中にいる君と同じような御令嬢は、きっと美しいドレスで着飾って、華やかなパーティーに出席して、素敵な殿方に巡り合って、結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築いて、最後は家族に看取られながら、安らかに眠るんだろう。……それは今となっては、君には絶対に手の届かない幸せだ」
「……う、うう」
この上なく残酷な現実を突きつけるマスター。彼はここで、脇の下にぶら下げた鞘から、『マルチレンジ・ナイフ』を引き抜きました。
「いい加減、顔の見えない相手と話すのは疲れちゃったな。……《ソード》アンド《ヒート》」
一瞬でナイフを長剣形態に変化させたマスターは、そのまま一歩前へと進み、無造作に『茨の壁』を焼き切ります。
その奥に見えたのは、美しく手入れされたバラの庭園でした。あたり一面が青い月の光に照らされて、真っ赤なバラが咲き乱れています。綺麗に生垣状に剪定されたバラが、その一帯を四角く囲い、内部も同様にバラの生垣によって通路状に仕切られています。訪れた人間はバラのアーチをくぐり、中央のベンチへ辿り着くようになっているようでした。
「な、何を……!」
ベンチに腰掛けたまま驚きに目をみはり、こちらを見つめるエレンシア嬢。彼女の『化け物』としての姿が、ヒイロたちの目に飛び込んできました。
「うわ……なんていうか、ここまで来ると、むしろ引くよね」
のんきな口調でそんな言葉を吐くマスター。しかし、ヒイロもリズさんも、アンジェリカですら、その光景を前にして言葉が出ませんでした。
「……み、見ないで!」
大きく首を振るようにして叫ぶ彼女の身体のまわりでは、その動きに合わせるかのように、淡く輝く新緑の髪が揺れています。新雪よりもなお白い肌。翡翠の輝きを宿す瞳。身にまとう薄紅色のドレスには、可愛らしい花模様があしらわれており、周囲に広がる薔薇園の景色と相まって、幻想的な絵画を思わせる姿でした。
しかし、よく見れば『動く茨』は彼女の新緑の髪の毛先が変化して生まれているらしく、波打つ髪が動いているのも、彼女が首を振っているからとばかりは言えないようです。
「う、うう……こ、これで分かったでしょう? わたくしは……化け物なのよ。あはは……見てよ、この『茨』。今では自分の意思で自由に動かせるようになったのよ?」
もはや自暴自棄になったのか、自嘲気味に笑うエレンシア嬢。
「なんだ。安心したよ」
ぽつりと、つぶやくように言うマスターの声。
「え?」
「正直言うとさ。君の姿がそれこそ目も当てられない醜悪な化け物になってた日には、『それでも君は君だ』とか『十分綺麗じゃないか』とか、その手の言葉も嘘っぽく聞こえるかなと思ってたんだ。でも、そんなこともないみたいだしね」
「な、何が言いたいの?」
「え? ああ、えっとね。……エレンシアさんって、すっごく美人だなって」
「…………は?」
呆けたように声を漏らしたエレンシア嬢は、確かに美人でした。一般的な人間の感覚でいえば、『絶世の美女』と呼んでもいい域にあるでしょう。ともすれば、間の抜けたような今の表情でさえ、稀代の名工が作り上げた至高の彫刻のように見えてしまうのですから。
「な、何を言ってるのよ! わ、わたくしは化け物で……」
「君が何者かなんて、僕が知るもんか。少なくとも、君は君の外見を誇ってもいいと思うよ。顔立ち自体、美人のお手本みたいに整ってるし、目の色も髪の色もすごく綺麗な緑だし、その可愛いドレスもよく似合ってる。体つきも一見細身に見えて、出るところはちゃんと出ていて、色っぽくて素敵だし……それこそ非の打ちどころなんてないと思うけどな」
「な、な……」
立て板に水の勢いで美辞麗句を口にするマスターに、エレンシア嬢はたじろぎながらもわずかに頬を赤くしています。
「……なあ、ヒイロ。あいつ、やっぱり天然の女たらしだぞ?」
「……ノーコメントでお願いします」
こちらの袖を引っ張るようにして、呆れたような声をかけてくるアンジェリカとは、同じ気持ちを共有できそうではありました。が、マスターのことを悪く言うわけにもいきません。首を振ってそう答えるヒイロでした。
「が、外見の問題じゃないわよ! どれだけ見た目がよかろうが、わたくしはこの世の誰とも違う、化け物になってしまったのよ。こんなの、どうしろって言うのよ!」
「君が化け物? どうかな? 君の大事なメイドさんには、違う意見があるみたいだぜ?」
そう言って、マスターは隣に立つリズさんの背中を軽く押しやります。
「……リ、リズ?」
「お嬢様は……化け物なんかじゃありません。お嬢様は……今もわたしにとって、たった一人の大切な御方です」
「……リズ」
「お嬢様は……わたしのような身分の低い娘にも優しくて……下級貴族の娘たちにわたしが虐められていた時も、体を張って助けてくださいました。大貴族なのに少しも驕ったところがなくて……行儀作法のお勉強の後なんかには、教師の物まねをしてわたしと一緒に笑ってくださいました」
「……そんなこともあったわね」
「他にもあります。時々わたしを連れてお屋敷を抜け出しては、一緒に野山の草花を摘んできて屋敷の庭で育てたりもしました。……それと、覚えていますか? お嬢様を品定めするような目で見る嫌らしい貴族の来客があった時のことを。あの時なんて、脱いであった外套にこっそり毛虫を仕込むのに、二人で随分と悪戦苦闘しましたよね?」
「……ええ、そうね。うふふ、まさか本当に気づかずに着ちゃうとは思わなくて、大騒ぎになっちゃったのよね。……でも、すごく楽しかったわ」
エレンシア嬢は遠い昔を思い出すように、ベンチに腰掛けたまま夜空の月を見上げています。
「お嬢様。こんな言い方は無礼かもしれませんけど、わたしはお嬢様と過ごした日々の中で、ずっと思っていたんです。……わたしに妹がいたら、きっとこんな感じだったんだろうなって」
「うん。わたくしもよ。わたくしもずっと、こんなお姉ちゃんがいたら良かったのにって、思ってた……」
涙をこぼしてうつむくエレンシア嬢。
「だから、エレンお嬢様は化け物なんかじゃありません。他の誰がそう言っても、わたしはエレンお嬢様のことを誰よりも大事な人だと思っているんです!」
同じく涙を流したまま、精いっぱいの声で叫ぶリズさん。そしてその声を最後に、夜のバラ園には静寂が訪れ、ひんやりとした空気だけが頬をなでるように流れていました。
しかし、沈黙はいずれ破られます。エレンシア嬢はゆっくりとベンチから立ち上がり、悲しげな顔で首を振ったのです。
「ありがとう。リズ。本当にうれしい。……でも、ごめんなさい。わたくしも、あなたが大事だから……あなたと一緒にはいられない。あなたが良くても、仮に外見をごまかせても、いざとなればわたくしは、人間離れした力を振るってしまうかもしれない。人は自分とは異質で、自分より力あるものを嫌うものよ。それは、お父様やお母様の豹変ぶりを見ても明らかだわ」
「そんな……」
これだけ言ってもまだ駄目なのかと、絶望的な顔でうめくリズさん。するとここで、それまで黙って事の成り行きを見守っていたマスターが動きました。
「じゃあ、僕が君に思い知らせてあげるよ」
「え?」
突然の言葉に、驚いた顔でマスターに目を向けるエレンシア嬢。
「君が化け物かどうかなんて、大した問題じゃないってことをね」
「……どういう意味かしら?」
「それがわからないから、君は駄目なのさ。悲劇に浸り、自分だけの箱庭に閉じこもる今の君には、どうせ言葉で言ってもわからないだろう? だから、この僕が『力尽く』で教えてあげるよ」
エレンシア嬢の問いをはぐらかすように言いながら、マスターは手にした剣をだらりと下げたまま、ゆっくりと前に進み出ます。
マスターの言うとおり、このお嬢様は『自分が他人と大きく変わってしまった』ことを苦に思いつつも、同時に特別な悲劇に陥った自分に溺れてしまっているのです。
悲劇のヒロイン症候群とでも呼ぶべきしょうが、この場合の『悲劇』は間違いなく本物であり、その点では彼女の態度も無理からぬものです。
しかし、マスターは、その『本物』を否定しようとしているのかもしれません。
「力尽くで? いったい、何をするつもりですの?」
エレンシア嬢は、マスターの動きを警戒するように身構えました。
「ん? ああ、そうだね。じゃあ……今から僕が、君のことを無理やり押し倒して『手籠め』にしてあげよう」
「ええ!?」
またしても平然と爆弾発言を放つマスターに、ヒイロの隣からアンジェリカとリズさんの驚きの声が聞こえました。当然、当のエレンシア嬢も例外ではありません。
「……あれだけ大量の『愚者』でさえ、意識することなく寄せ付けないだけの力を持ったこのわたくしを……お、押し倒す?」
しかし、彼女は一瞬だけ狼狽えた表情を見せたものの、すぐに馬鹿にしたように笑い出します。
「あはは! ……何を言い出すかと思えば。そんなこと、ただの人間にしか見えない貴方にできるとでも?」
「うん。確かに僕は見てのとおり、平平凡凡な、どこにでもいる当たり前の男だ。まあ、少々男前なことを除けばだけどね」
「……ふざけないで」
マスターの軽口に顔をしかめるエレンシア嬢。
「でも君は、そんな平凡な僕と戦って敗れるのさ。その後、君がどうしようもなく『女の子』なんだってことを……その身をもってしっかりと思い知らせてあげるよ」
ますます不穏な言葉を放つマスターですが、彼の言葉はいつだって、そのまま額面通りに受け取っていいものではありません。何が目的なのか、何をしようとしているのかは、彼がそれを為した後でなければ、わからないのです。
「汚らわしい男ね。……後悔することになるわよ。わたくし自身、この力がどれだけのものか、本当の意味では計り知れていないのだから」
「ふうん。少しは元気になってきたじゃん。じゃあ、始めようか? ……《ランス》アンド《レーザー》」
そう言って、マスターは手にした『マルチレンジ・ナイフ』を最も強力な《レーザー》を放てる《ランス》形態に変化させ、そのまま不可視の光線をエレンシア嬢めがけて射出したのでした。
次回「第35話 秘密の花園」




