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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第2章 世話焼きメイドと箱入り娘
34/195

第33話 薔薇屋敷

 マスターのリクエスト。それは……


「はい。じゃあ、よろしく」


 マスターは自分の頬をリズさんに軽く差し出し、催促するように言いました。


「うう……ほんとにやるんですか?」


 対するリズさんは頬を赤くしたまま、茶色の瞳でマスターのことを上目づかいに見上げています。


「うん。何でもやってくれるって言ったでしょ?」


 どうやらマスターは、これを機にリズさんへの敬語をやめたようです。頬を差し出し、わずかに赤みの残るその部分に指をさすマスター。


 リズさんはやがて、意を決したように一歩前へと進み出ました。


「お、おい、まさか……」


 アンジェリカが心配そうに見守る中、リズさんはおもむろに口を開きました。


「……そ、それでは、ご、御主人……し、失礼いたしますね」


 自分の台詞にますます顔を赤くするリズさん。彼女は、その手をゆっくりと伸ばすと、マスターに自分の身体を軽く寄せるようにして……


「い、痛いの……痛いの、と、飛んでいけ~。……うう」


 彼の頬をさすりながら、恥ずかしそうにそう言ったのです。


「…………」


 これにはもはや、絶句するしかないヒイロでした。


 なるほど、さすがはマスターです。いつもマスターは、ヒイロの想像のはるか斜め上を行きます。

 

「駄目だよ、リズさん。まだ、照れが残ってる。もう一回!」


「は、はい! 申し訳ありません。御主人様……うう……い、痛いの、痛いの……」


「まだまだ! そんなのじゃ、痛みもなかなか飛んでかないよ?」


 なかなかにマスターの指導は厳しいようです。

 

「い、痛いの、痛いの、飛んでいけー!」


 ついにリズさんは、吹っ切れたように大きな声を上げました。それから、これも『指示』されていたことなのか、続けて彼に上目づかいを向けながら問いかけます。


「ご、御主人様? もう痛いところはございませんか?」


 それに対し、マスターは実に嬉しそうな顔で笑いながら、首をかしげて見せています。


「……うーん、どうかなあ? 確かに声は大きくて良かったけど、いまいち真心が……というか、『ご奉仕の精神』が足りなかったんじゃないかな?」


「ご、ご奉仕の精神、ですか?」


「うん。ほら、僕としては頬を叩かれたことの身体の痛みより、大好きなリズさんに叩かれたことによる心の痛みの方が強かったんだよね。それを癒すにはやっぱり、リズさんの真心がないとねえ……」


 にやにやと楽しげに、そして意地悪そうに言うマスターは、まだまだリズさんを解放してあげる気はなさそうです。実はマスター、叩かれたことに対しても意外と根に持っているのかもしれません。


「うう……キョウヤさん、もう恥ずかし過ぎて死んでしまいそうです……」


 涙目で訴えかけるリズさん。


「キョウヤさん?」


 しかし、マスターは容赦しません。なんて残酷なお人なのでしょう。


「い、いえ! ご、御主人様……」


 あわてて言い直したリズさんは、それから再びマスターに身体を寄り添わせるようにしながら、今度はゆっくりと、声に感情を込めるように言いました。


「……い、痛いの、痛いの……飛んでいけ~」


 ヒイロはここで、気配を感じて横に目を向けました。するとそこには……


「……な、ななな!」


 目を見開き、身体を震わせるアンジェリカの姿があります。さすがに変態チックな行動でリズさんを追い詰めるマスターに怒りを感じているのでしょうか?


 ……かと思いきや、彼女は二人に走り寄っていくと、


「なにそれなにそれ! すっごく楽しそうじゃない! わたしも混ぜてー!」


 二人の周りをぴょんぴょんと飛び跳ねていました。

 ……アンジェリカさんの精神年齢は、見た目よりさらに幼いのかもしれませんね。




 ──そうした些細な出来事の後、いよいよ屋敷への突入を図ることになりました。その頃には、日はすっかり落ちてしまい、青白く輝く月の光が屋敷を淡く浮かび上がらせていました。


 屋敷の外の『動くいばら』は、たとえリズさんであっても関係なく、近づくものを自動で攻撃してくるようです。そのうえ、マスターの《レーザー》などで焼き払ってもすぐに再生してしまうため、まともに進もうとすれば、かなり難儀することでしょう。


 この一行の中に、『彼女』がいなければ、の話ですが。


「くっくっく! さあ、楽しい夜の始まりだ! 下賤なる植物どもよ。ようこそ、わたしの世界に! 狂乱の宴に踊る、妙なる熱の調べを聞くがよい!」


 傲然と胸を張って背中の羽根をパタパタさせながら、アンジェリカは一人、哄笑をあげています。


「うん。わかったから、アンジェリカちゃんは十分かっこいいから、そろそろ出発しようか? リズさんがお嬢様に会うには、君が頑張ってくれなきゃなんだからさ」


「む……。わ、わかっている。さあ、行くぞ!」


 それからヒイロたちは、アンジェリカのすぐ後ろにリズさんが続き、その両脇をマスターとヒイロが固めるようにして先に進むことにしました。


 屋敷を囲む塀に張り巡らされた『動く茨』には、真っ赤なバラが咲き乱れていました。そしてそれらは、ヒイロたちが外門に接近するや否や、花びらを散らしながら一斉に押し寄せてきたのです。


「ふん。近づくものを自動で排除する『いばら』というわけか? だが、わたしの『力』の前には、無意味だな」


 一行の先頭に立って歩くアンジェリカの頭上には、真紅の球体《クイーン・インフェルノ》が浮かんでいます。実のところ、ヒイロはあの球体は敵にぶつけて攻撃するものだと思っていたのですが、どうやらそれは見当違いのようでした。


 鋭い棘をはやした茨。一斉にヒイロたちめがけて殺到する緑の凶器は、しかし、ある程度の距離まで近づいた瞬間、激しい炎を上げて燃え尽きてしまったのです。


「熱そのものを自在に操作する魔法。……これがアンジェリカさんの《クイーン・インフェルノ》ですか」


「ここまで精密に操るには、この程度の距離が限界だがな。それでも、防御という面でみれば十分だろう?」


 アンジェリカの言うとおり、ヒイロたちの周囲には、いかなる生物も侵入することなど叶わないでしょう。


 ──マスターの世界で言うところの、『セ氏』にして二千度に近い超高熱。それがヒイロたちの半径数メートル外側を半球状に覆っているのです。しかし、当然、これは通常なら起こりうるはずのない現象でした。そんな熱量の熱源体が近距離にあれば、アンジェリカはともかく、マスターやリズさんには耐え難い暑さとなっているはずなのです。


「『熱の膜』……熱源体ではなく、熱そのものを特定の空間に滞留させ、その周囲を完全に断熱する力……というわけですか。すさまじいですね」


「うん。でも、考えてみれば……このまま屋敷に入ると、屋敷が火事になっちゃわないかい?」


 ヒイロが感心したように言うと、マスターが思いついたように口を挟んできました。


「心配いらん。確かにわたしの作った『熱の膜』が廊下の壁にでも接触すれば、燃えることは間違いあるまい。だが、火が付いた直後に、わたしがその熱を操作して鎮火すればいいだけのことだろう?」


「……つくづく、夜のアンジェリカちゃんは万能だね」


「ふっふっふ! 褒めて何も出ないぞ?」


 たわいない会話を続けながら、ヒイロたちは扉をくぐり、リズさんの指示に従って中を進んでいきます。


「うひゃあ、内部はびっしり茨に覆われてるんだね」


「ですが、中に入った途端、こちらへの攻撃も止んだようです」


 床や壁に這うようにして繁殖する茨は、《クイーン・インフェルノ》の熱によって焼かれはするものの、ほとんど動くことなくその場にとどまり、燃えたそばから再生を繰り返していました。


「……エレンお嬢様」


 リズさんはメイド服の胸元をぐっと押さえ、不安そうな声を漏らしました。彼女自身、実際にエレンシア嬢に会ったところで何ができるのか、迷いはあるでしょう。


 しかし、その点についてマスターは何も言いません。何か考えでもあるのでしょうか。


「もうすぐ……エレンお嬢様のお部屋です」


 一階の応接間を抜けた先、日当りのよさそうな中庭に面した広い寝室が、エレンシア嬢の部屋だということでした。


「さすがに部屋に近づくと、『茨』の勢いがすごいことになってるね」


 マスターの言うとおり、部屋の直線の廊下に着いた途端、奥の扉から緑の奔流と化した大量の茨が伸びてきました。ですが当然、それらは例によってアンジェリカの『熱の膜』に接触すると同時、炎を上げて燃え出しました。


「……駄目です。燃えながら突き抜けてきます!」


 圧倒的な質量を武器に、焼かれながらも留まることなく後方の茎に押されるように『熱の膜』内に侵入する『動く茨』。しかし、アンジェリカはあわてず騒がず、燃える茨の塊に手を伸ばし、軽く触れました。すると、どうでしょうか。それまで怒涛の勢いで押し寄せていた『茨』は途端に動きを止め、燃えていた炎までもが鎮火してしまったのです。


「……アンジェリカさんの『傲慢なる高嶺の花クール・ビューティー』の真価は、これだったのですね」


 彼女のSランク熱耐性スキルには、熱そのもののみならず、一定以上の熱を持った事象が自身に接触した際に、その事象が有する『エネルギー』そのものを奪い取り、自身の力に変える性質があります。


 そして彼女は、近づくものに強制的に『熱』を与える膜を周囲に展開することで、『完全なる防御』を実現しているのです。


 とはいえ、無限とも思える茨の襲来に、アンジェリカがしびれを切らしたように言いました。


「どうだ? まだ奥には、『茨』の姿はあるか?」


「はい。……このままではキリがありませんね。この再生速度からすれば、あたり一帯が灰に埋め尽くされてもなお、攻撃が続きそうな勢いです」


「だが、このまま夜を明かすわけにはいかないぞ。先のスキルのせいで、わたしは眠らなくてはいけないのだからな」


 アンジェリカとヒイロがそんなやり取りを交わしていると、マスターがリズさんに声をかけました。


「リズさん。エレンお嬢様に呼びかけてきてくれないかい? きっとここからなら、声くらい届くだろうし」


 マスターにそう言われ、リズさんはようやく気づいたように顔をあげました。


「は、はい! そうですね。……お嬢様! わたしです! リズです! どうか、中に入れてください! お会いしてお話したいことがあるんです!」


 リズさんの声をヒイロが【因子演算式アルカマギカ】で増幅し、廊下の奥の部屋に向かって投射します。するとその直後、『動く茨』の動きが止まり、奥から女性の声が聞こえてきました。


「……リズ? リズなの?」


 その声は、うら若い女性のものです。特にかすれているとか、裏返っているとかいうこともない、耳に心地いい波長の綺麗な声でした。この波長の音は確か、ヒイロが知る限りでは、植物にとっても『心地いい』ものであったはずです。


「ああ、エレンお嬢様! 今、まいります!」


 感極まった声でリズさんが叫び、アンジェリカの後ろから飛び出していきました。


「お、おい! 危ないだろう! あと一歩で『熱の膜』に焼かれるところじゃないか」


 とっさに魔法を解除したアンジェリカは、呆れたように言いながらも彼女の後について走り出しました。当然、マスターとヒイロも、それに続きます。


 しかし、リズさんが手に怪我をしながらも『茨』をかき分け、ようやく見えてきた『寝室』の光景は、かなり異様なものでした。


「……花畑だね」


 感心したように言うマスター。室内には中央に天蓋とカーテンに覆われた寝台が置かれ、それなりに整えられた調度品の数々は、ここが高貴な身分の女性の部屋であることを示すのに十分なものでした。


 しかし、それでもなお、この空間を一言で表すなら、『花畑』です。足元の絨毯を覆い尽くす、色とりどりの可憐な花々。カスミソウのような小さなものから、大輪の薔薇に至るまで、その種類をひとつずつ挙げようとすれば、それこそ夜が明けてしまいそうでした。


「これは綺麗だな」


 アンジェリカも目を丸くして、そんな光景に見とれているようでした。


「お嬢様! そちらにおいでなのですね? ……ご無礼を承知で、直接顔を見てお話をさせていただきます!」


 リズさんはためらうことなく花畑の中に歩を進め、天蓋からつるされたカーテンを左右に大きく開け広げました。すると、そこには……


「え? 誰もいない?」


 カーテンを開けた姿勢のまま、驚きに身体を硬直させるリズさん。するとその時、部屋の外から声がしました。


「リズ。どうして来てしまったの?」


「お嬢様? まさか、中庭にいるのですか? それでは、今そちらに!」


 リズさんは勢いのままに、今度は中庭に面した戸を大きく開きます。


「よし、僕らも行こう」


 しかし、マスターの言葉に頷きを返したヒイロたちが、リズさんの後に続こうとした、その時でした。


「来ないで!」


 拒絶の言葉とともに、無数の茨がリズさんの視界を覆いました。気づけば、庭に抜ける出入り口にもなっているその大窓の正面をふさぐように、『茨の壁』が出現しています。


「お嬢様!」


「駄目よ、リズ。あんなにひどい言葉で追い立てたのに……どうして戻ってきてしまったの? いくらあなたがわたくしの専属だからと言って、こんな『化け物』のために、あなたの人生を犠牲にしていいはずがないでしょう?」


「犠牲だなんて……そんなこと!」


「なのに……どうして? わたくしは化け物で、お父様もお母様もわたくしを『いないもの』としてこの屋敷に閉じ込めて……だからわたくしは……自分の存在も……消してしまえればいいって……思ってたのに!」


「お、お嬢様……」


 自らの主の悲痛な叫びに、言葉を失い黙り込むリズさん。


 しかし、ここで代わりに口を開いた人物が一人。


「だからそうやって、自分の『箱庭』に閉じこもっているってわけかい? くだらないね」


 馬鹿にしたような口調で言ったのは、マスターでした。

次回「第34話 その本物を否定する」

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