第20話 魔法少女の変身
どうにか状況を改善するべく、ヒイロは一人、リズさんへの説明を繰り返していました。彼女はもはや『不信感で一杯です』といった顔でヒイロたちを見つめていて、説得には相当難儀してしまいましたが、少なくともこちらが彼女の力になりたいと考えているという点だけは、理解してくれたようです。
しかし、何故、ヒイロだけがこんな苦労をしなければならないのでしょうか? マスターのための苦労なら厭わないヒイロですが、彼とアンジェリカのあまりにお気楽な姿を見ていると、ついそんなことを考えてしまいます。
それはさておき、残る問題は、ヒイロたちがエレンシア嬢を助ける力を持っていることを理解していただく点です。しかし、ここまで来れば、開き直るしかありません。幸いにも(不幸にも?)アンジェリカが『ニルヴァーナ』であるという話はしてしまっているのですから。
まずは、アンジェリカの言うとおり、その証拠を見せてしまうべきでしょう。
「ああ……ここ数日、ずっと縛られたままで変身もしていなかったし……久しぶりに力を解放できると思うと……うふふふ」
高ぶる気持ちに頬を赤く染め、蒼い瞳を潤ませて身震いを繰り返すアンジェリカは、少女のようでありながら、酷く艶めかしく見えました。
「お願いですから、暴れないでくださいね?」
「……わかっているさ。さあ! そろそろ時間だぞ」
ヒイロの注意を軽く受け流すと、アンジェリカは皆の見ている前で食事が片付けられた後のテーブルに飛び乗りました。
「さあ、皆のもの。見るがいい! ──夜の支配者たる|『ニルヴァーナ』の真の姿を!」
彼女の叫びと同時、その身体がまばゆい光に包まれていきます。相変わらず、【因子】の影響ではない力で発光しているらしく、ヒイロには不可解そのものの現象でした。
「おお! ついに、アンジェリカちゃんの本当の姿が明らかに!」
なぜかヒイロの隣では、マスターが握り拳を両手でつくり、真剣な顔で叫んでいます。期待感たっぷりに目を輝かせ、固唾を飲んで目の前の光を見つめるマスターを見ていると、少しだけイラっとしてしまいますが、きっと気のせいでしょう。
……ヒイロだってその気になれば、変身ぐらいできるのです。
「光が……収まってきました」
同じく真剣な眼差しでアンジェリカの『変身』を見守っていたリズさんから、そんな声が聞こえ、ヒイロは慌てて視線を前へと戻しました。
「おおー!」
興奮気味に叫ぶマスターの声。
「ふっふっふ! 平伏すがいい。これこそ、このわたしの真の姿だ!」
得意げなアンジェリカの声。そして、徐々におさまっていく光の中からは、すっかり『変身』を遂げたアンジェリカの姿が現れました。
「おおー! ……お? ん? あれ?」
不思議そうに首を傾げ、何度も目を擦るマスター。アンジェリカはそんな彼を見て、満足げに笑っています。
「どうした? キョウヤ。わたしの高貴なる姿に、驚いて言葉もないか? くふふ! 素直な奴だ」
「……えーっと、アンジェリカちゃん。一個聞いていい?」
「なんだ?」
テーブルの上に仁王立ちしたまま、アンジェリカは可愛らしく首を傾げました。何にせよ、膝上丈のスカートで高いところに上がるのは止めた方がいいと思うのですが……。
「それだけ?」
「それだけ……とは?」
おうむ返しに聞き返すアンジェリカの瞳は、蒼から金にその色を変えています。それ自体が光を放つような金の瞳は、見つめているだけで思わず吸い込まれてしまいそうでした。
しかし、その瞳と『ある一部』を除いては、彼女の外見に大きな変化はありません。
「いや、ほらさ? 変身なんていうから僕、てっきり身長も大きくなって身体もボインバインのナイスバディになっちゃったりなんかして……って予想していたんだけど」
「なん…だと……?」
愕然としたように目を見開くアンジェリカ。彼女の背中では、パタパタと鉤爪付きの翼が可愛らしく羽ばたきの音を立てています。なるほど、彼女のドレスの背中が大きく開いていたのも、このためだったのですね。
「まさか、背中からコウモリの羽根が生えるだけとか……」
「ちがーう! コウモリじゃないもん! ドラゴンだもん! わたしたち『ニルヴァーナ』は、古の時代に滅びた『竜種』の血を引く由緒正しい一族なんだもん!」
ほとんど涙目になって叫ぶアンジェリカの背中には、彼女の感情を表すかのように、パタパタと激しく動く羽根があります。
「ぷくく! いやいや、可愛い! その羽根、超可愛いよ! アンジェリカちゃん。君って最高!」
「ば、馬鹿にするなあああ!」
アンジェリカは、顔を真っ赤にして叫びます。ヒイロとしては、彼女がいつマスターに飛び掛かっていかないか冷や冷やモノでしたが、彼女は何故か、そうした行動にだけは出ませんでした。
「うう、くやしい! 満を持しての変身だったはずなのに……」
がっくりと肩を落とすアンジェリカ。頭を乱暴に抱えたせいで、ツーサイドアップの髪型が大きく乱れていました。
「……えっと、ごめんなさい。悪気はなかったんだけど、『魔法少女の変身』ってイメージからは、あまりにかけ離れていたからさ」
申し訳なさそうに声をかけるマスターでしたが、そんな彼をアンジェリカはきつい目で睨みつけるようにして叫びました。
「じゃあ、何? キョウヤは、この身体じゃ不満だって言いたいわけ!? 大体……ボインがなにさ! バインがなんだっていうのさ!」
「へ? い、いやそういう意味じゃ……」
「わ、わたしだって! もう少し成長すれば……」
話がとんでもない方向へ向かいかけたところで、リズさんが彼女に声をかけました。
「そんなに気を落とさないでください。アンジェリカさん。わたしは、とても感動しましたよ」
「え? そ、そう?」
「あんな風に光を放って……本当に凄い変身でした」
「そうかな? わたし、すごい?」
リズさんの賞賛の言葉に、アンジェリカは金の瞳を輝かせて顔を上げました。嬉しさのためか、頬も赤く上気しているようです。
「はい。とてもすごいです。さすがは伝説の『ニルヴァーナ』ですね」
「えへへ……」
優しく笑いかけるリズさんに、子供のように無邪気な笑顔を浮かべるアンジェリカ。しかし、彼女はその直後、我に返って顔を赤くしてしまいました。
「あ……えっと……ふ、ふん! ま、まあ、当然だな」
どうやら、微笑ましげに自分を見つめるマスターの視線に気付いたようです。
「そ、それより、夜の『ニルヴァーナ』の真骨頂は姿ではなく、昼間とは桁違いの『強さ』にあるのだ。その証拠をこれから見せてやろう。……我は熱を統べる女王。従え世界。《クイーン・インフェルノ》」
アンジェリカは気を取り直したように頷くと、胸の前で掌を上に向けてかざします。するとその直後、彼女の頭上に真紅の球体が出現しました。
「お! すごい。一瞬で火の玉が出てきた」
呑気な声で感心するマスターですが、ヒイロはそれどころではありませんでした。
「そんな馬鹿な……」
「おや? さすがにヒイロは気付いたか」
口の端を歪めながら、意地悪く笑うアンジェリカ。
「ヒイロ? 大丈夫?」
心配そうに問いかけてくるマスターに、ヒイロは頷きを返しつつ、目の前で起きている現象を改めて解析しました。
「……マスター。良く聞いてください」
「なんだい?」
「彼女の頭上にあるあの球ですが……」
「うん」
「単純な熱量だけで言えば、昼間に見た魔剣イグニスブレードを上回っています。どころか、鋼鉄ですら蒸発しかねない温度です」
「へーそうなんだ……って、え?」
適当に相槌を返しかけて、マスターが驚いたようにこちらを見ました。
「いや、ちょっと待って? あの時の剣だって、傍にいるだけで滅茶苦茶熱かったよね?」
「そうですね。ですが、あの球体の場合、それ自体の熱量は高いものの、輻射熱の類は一切こちらには届いていません。……どうやら今のアンジェリカは、炎だけでなく、熱そのものを完全に支配下に置いているようです」
自分で言っていて信じられないような話ですが、そうとでも考えなければ説明がつきません。
「そのとおり。さすがにヒイロは鋭いな」
「熱そのものを支配下に? ……それってまるで、超能力バトル漫画にでも出てきそうな凄い力じゃん!」
感動したように声を上げるマスター。するとアンジェリカは、嬉しそうに胸を張って笑います。
「くくく! やっとわたしの偉大さがわかったのか? それでは、改めて名乗ろう。我が名は、アンジェリカ・フレア・ドラグニール。宵闇に踊る夜の天使にして、炎熱の支配者! 天より落ちた竜種の末裔なり!」
「おお、かっこいい!」
格式ばった名乗りを上げるアンジェリカの言葉に、勢いよく喰いついているマスター。どうやら彼は皮肉ではなく、本当に『かっこいい』と思っているようでした。ヒイロには……正直ついていけない感覚です。
ここで、ヒイロの制服の袖を引っ張る人がいました。
「……えっと、ヒイロさん。すごいのはわかったのですが……何と言うかその……」
「いえ、リズさん。何も言わないでください。彼らは確かに少し……いえ、かなり変わっているかもしれませんが、その実力は十分ですから」
変人ばかりで、ごめんなさい──本当ならそう言いたかったくらいですが、ヒイロは最後の良心でそれを押しとどめ、フォローの言葉を口にします。
「は、はい……」
なおも続くアンジェリカとマスターの会話に、彼女は若干引いているようです。
「……それはさておき、夜になると翼が生えてくる種族というのもまた、不思議なものですね。日光と生体活動のサイクルの問題なのでしょうか?」
ヒイロはとりあえず、適当な疑問を投げかけることで、二人の恥ずかしいやり取りを中断させようと試みました。
「む? 難しい話はよくわからん。だが、別に『ニルヴァーナ』の全員に翼が生えるわけではないぞ。爪や牙、尻尾が生える者もいれば、角が生える者もいる。……わたしのお父様にいたっては、頭が丸ごとドラゴンのそれに取って代わっていたな」
「……そ、それはあれだね。アンジェリカがそんな変身の仕方じゃなくて、ほんとに良かったね。もしお父さんと同じだった日には、僕……それこそしばらく立ち直れなかったかも……」
その姿を想像してか、マスターは身震いするように言いました。
「ふん。やっとこの姿の素晴らしさがわかったか。……生まれて初めて変身した時など、高貴さと美しさを兼ね備えた素晴らしい姿だと、他の皆から褒め称えられたものだ」
得意げに胸を張り、羽根をパタパタさせるアンジェリカです。
「……まあ、とにかくそういうことですから、リズさんは何も心配しなくていいんですよ。大船に乗ったつもりで、すべて僕らに任せてください」
胸を叩いて請け負うように言ったマスターですが、きっと彼は、ここの宿代も食事代も、そのすべてがリズさん持ちなのだということを忘れてしまっているのでしょう。
第1章最終話です。
次回「第1章登場人物紹介(アンジェリカとの対話)」の後、第2章になります。




