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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第10章 鏡のカケラと心のカタチ
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第185話 女神の聖餐と愚者の参集

 黒く歪んだ刀身から禍々しいオーラを放つ『パンデミック・ブレイド』を振りかざし、強化された身体能力で一瞬のうちに教皇ヨハネへと間合いを詰めるマスター。

 教皇はそれに反応して何らかの『魔法』による攻撃を放ったようですが、マスターはそれを黒剣の一振りで打ち払うと、そのまま相手の身体に斬撃を叩きつけました。


 しかし、マスターは切り裂かれた教皇の身体が黒い靄へと変わっていくのを見届けもせず、上空へと顔を向けています。


「あれが……『女神』の瞳?」


 呆然とつぶやくマスターの視線の先にあるもの。それは、猛り狂う『竜神』の身体に重なるように出現した、半透明の巨大な『瞳』でした。

 その『瞳』は、人間の目の部分を正面から見たイメージそのものの姿をしていますが、なぜかどの角度からでも、まるで正面から相対しているように見えてしまうものでした。


「……あの特性は、マスターの『黒い鏡』と同じ?」


 幻想世界こちら側にいるわたしに対してすら正面から相対してくるその『瞳』を見て、わたしはかつてマスターが暴走するメルティに『真理を語る愚神礼賛モリアーズ・スピーチ』を使った時のことを思い出していました。


「深淵を覗き込むものは、同じく深淵からも覗かれている……かね? だが、これはどちらかと言えば、その逆なのだよ。『彼女』から見られてしまえば、『彼女』を無視することはできない。否応なく、『彼女』を見なくてはならなくなる。この世界のすべての『知性体』は、等しく深淵を覗き見ることになるのだよ」


 その声は、わたしからそう遠くない位置に立つ法衣姿の青年から発せられたものでした。自身の『分身体』が見るも無残な『不完全の病』に変化させられたにもかかわらず、彼には微塵も動揺する様子が見えません。


「不思議に思うことはないさ。確かに、あの『病の剣』は恐るべきものかもしれないが、しかし、わたしには見慣れたものでもある。先にも言ったが、わたしは『亜空間』における資源探索型の人工知性体なのだ。少なくとも【ダークマター】に関してなら、君よりも精通した知識を備えているつもりだよ」


 にこやかに語り掛けてくる『教皇』を、わたしは強く睨み返しました。


「そうやって……わたしの心を読んでみせるのも、演出というわけですか」


 読みにくいとは言っても、こうして面と向かって対峙していれば、多少はこちらの思惑を感じ取ることができる。そんな事実を突きつけられれば、誰もが無意識のうちに委縮し、次の行動をためらうことになるでしょう。


「それは買いかぶりすぎだよ。わたしはただ、同業者との会話を楽しんでいるだけだ。……とはいえ、『演出』か。それはよい表現ではないね。わたしが自身の部下のうちでも最優秀の戦闘員たるクリシュナを犠牲にしたのは、まさに断腸の思いだったのだからね」


「しらじらしい言い訳ですね。あえて『こちら側』で彼を殺して二対一になる状況を避けたのも、自身がわたしと同じ『人工知性体』であることを打ち明けたのも……すべてはわたしに判断を保留させ、マスターと合流させないための手段だったということでしょう?」


 こちら側の世界と向こう側の世界における『危機感』のバランス。彼は自身の言動を通じて、そのさじ加減を調節していたのです。


「ふふふ。見るがいい。向こう側では今まさに、狂気の祝宴が幕を開けようとしているぞ」


「……な! あ、あれは……?」


 空に浮かぶ『真紅の竜神』に向け、必死に『世界蛇の大顎』を撃ち放つメルティと彼女の元へと駆け寄っていくマスター。その背後で、何かが大きくうごめきました。

 依然として続く激しい戦闘や『竜神』の上空への飛翔によって割れ砕け、うずたかく積みあがった壁や天井のガレキの山。それらがグニグニと形を変え、生き物のように動き出したのです。


〈マスター! 後ろです!〉


 わたしは思わず警告の呼びかけをしてしまいましたが、当然、マスターもそれには気づいています。メルティを護るように後ろを振り返り、『パンデミック・ブレイド』を構えていました。


 しかし、普段から滅多なことでは余裕の笑みを崩すことのない彼でさえ、ソレを目の前にしては、わずかといえ顔をしかめざるを得ないようでした。


「人間? いや……もっと悪趣味なナニカだね」


 無機物であるはずのガレキの塊が、次々とヒトガタとなって立ち上がっていく様は、まるでマスターの『冒命魔法』を思わせなくもありませんが、これはある意味、それとは逆の現象と言えるでしょう。


「クルシイ、クルシイ……」


「タリナイ、タリナイ……」


「サビシイ、サビシイ……」


「クルシイヨォォォォ!」


 赤黒い肉の塊が、かろうじて人型を成しているだけのモノ。しかし、それは、決して『人形』などではありません。意思や感情、自我というものを不完全な形で備えてしまった『出来損ないの人間』とも言うべき存在だったのです。


 『女神の瞳』によって観測された世界は、激しく変質を繰り返し、そのたびに世界に散りばめられた残留思念や想いのカケラを拾い集め、宿るべき『肉体』を強引に世界のうちに創り出し、それをヒトガタに変えていく。周囲の瓦礫の山だけではなく、床や壁、まだ壊れていない天井などにも一面に人の顔や腕、足などが生み出されていきます。


 しかし、そうした固定された場所に生み出されたモノは、満足に動くことさえもできず、苦痛のうめき声を上げ続けていました。あたかもその様は、正真正銘、文字通りの『阿鼻叫喚の地獄絵図』といったところでしょう。


「なんて……酷いことを。……く! こんなことをしている場合では!」


 あまりにもおぞましい光景を目にしたわたしは、ただちにマスターの元へと転移しようと試みました。しかし、空間操作が思うように実行できません。


「展開した【式】が作用しない?」


「悪いが、君の行動は先ほどから一手遅れが続いているよ。この状況に至るまで、わたしがこの空間に何の細工もしていないと思うのかな?『亜空間』の扱いに関しても、『幻想世界』の扱いに関しても、わたしには君に対して一日の長がある。それこそ一朝一夕に、ここから出られるとは思わないことだ」


「く! いつの間に……」


 声のする方に目を向ければ、教皇の周囲から広がる波紋のような【因子アルカ】の波がわたしの空間転移用の【式】を妨害するように展開されていることが見てとれました。


「……なめないでください。こんな空間干渉、すぐにでも!」


 そう言ってはみたものの、教皇による転移妨害を打ち破るのは容易ではなさそうです。わたしは祈るような思いとともに、『向こう側』の世界へと目を向けるしかありませんでした。


 わたしの『視界』の中では、マスターがメルティを背後にかばうように異形の存在たちと対峙しながら、彼女に語りかけていました。


「メルティ、大丈夫かい?」


「う、うん。アンジェリカは任せて! でも、他は無理かも……」


 メルティは依然として、空を飛び回る『真紅の竜神』との戦闘を続けています。しかし、彼女は掌の『隻眼』から無数の細かい『世界蛇』を生み出し、『竜神』の放つ炎熱や光球を相殺してはいるものの、機動戦へと戦い方を変えつつある『竜神』に対し、有効打を与えることができていないようです。


 いずれにしても、アンジェリカの現実の肉体は安全な空間に隔離してありますので、あの『竜神』の正体は、いわば彼女の『精神体』が『賢者の石』によって強引に実体化させられているものだと考えるべきでしょう。だとすれば、彼女を救うためには、あの『竜神の身体』を破壊するわけにはいきません。何か別の戦い方が必要となるはずでした。


 そのためにも、何としてでも、『時間』を稼がねばなりません。

 今となっては、わたしが『荒唐無稽』と考えていた作戦こそが、アンジェリカはおろか、世界を救うために必要不可欠となっているのですから。


 しかし、一方でガレキや調度品から生み出され、動き回ることが可能なタイプの『不完全なヒト』たちは、その数をますます増やしていきます。

 そして、彼らは一様に、この世界の『完全な意識』を持つ者たちを羨み、怨嗟の声を上げるのです。


「タリナイ! サビシイ! クルシイ! ヨコセ、ヨコセ、ヨコセ!」


「……ここでこれ以上、『病』を増やすのは危険かな」


 マスターは足元の床から出現した『出来損ないの腕』を切って捨てた後、それが『不完全な病』に変わるのを見て、やむなく『パンデミック・ブレイド』を手放すことにしたようです。


 しかし、彼が代わりに『マルチレンジ・ナイフ』を取り出すよりも早く、『不完全なヒト』の群れは一斉にマスターとメルティめがけて襲いかかりました。

 そして……なすすべもなく、肉塊の奔流とも言うべき暴威に呑み込まれていく二人の姿。それを見て、わたしは思わず悲鳴にも似た声を上げてしまいました。


「マスター!」


「くははは! そんな幼子のような声を出すものではないよ。ヒイロ。あの時の『彼女』を思い出して、ゾクゾクしてしまうじゃないか」


 愉快気に、こちらの精神にやすりをかけるかのような声で、笑い続ける教皇ヨハネ。しかし、次の瞬間には思い直したように表情を引き締めると、『向こう側』の世界に向けた目を、わずかに細めたようでした。


「……ふむ、『彼女』が生み出した『精神の化物』たちも、彼の【スキル】では『知性体』として対象に含まれるようだね」


 大広間の中央に立っていた二人の上に、まるで死体の山のように被さる『不完全なヒト』たち。しかし、彼らの身体には今や次々と攻撃が打ち込まれ、手や足が千切れ飛び、胴体に風穴を開けて崩れ落ちていっています。


 彼らの身体を攻撃しているもの。それは、彼らの背後に出現した無数の『鏡』であり、その中から現れる様々な種類の『害意のある攻撃』でした。


 そして、崩れていく肉塊の下からは、マスターとメルティ、二人の無事な姿が現れます。二人の周囲には、同じく無数の鏡が浮かび上がっており、ヒトガタたちの攻撃を防いだのは、おそらくあの『鏡』だったのでしょう。


「あれは……『世界の平和は君次第パーフェクト・ワールド』? よかった。あれが使えるなら、あんなヒトガタたちなど物の数ではありませんね」


「君ともあろうものが【スキル】の発動にも気づかないとは、よほどに彼が大事なんだね」


「……」


 安堵の息を吐いたわたしに、なおも上から目線で語りかけてくる教皇。しかし、今のわたしには、彼が気づいていないだろうマスターの狙いに、この時点で気づくことができていました。


 それは、マスターの【スキル】の特性を踏まえてのものです。


〇特殊スキル

世界の平和は君次第パーフェクト・ワールド

 世界全体を対象に、自身が知覚する殺意や害意の伴う攻撃について、任意の『知性体』に増幅反射する。なお、このスキルで護った『知性体』に対し、このスキルで攻撃を受けた『知性体』の不運に相当する幸運を与える。


〈なるほど。だからこそ、マスターはあの立ち位置から動かないのですね〉


 ただ彼女を護るだけなら、あそこまで近づく必要はなかったはずです。むしろ、彼女を巻き込まないために、『パンデミック・ブレイド』が使いづらくなるデメリットさえありました。

 しかし、今もなお次々と無限に湧き出る敵を前にして、その敵の攻撃を分散させず、自分への攻撃がイコールでメルティへの攻撃にもなるように引きつけること──それはすべて、彼のこの【スキル】の『副次的な効果』を最大限に発揮させるためのものだったのです。


「え? すごい! これならいけるかも!」


 それまで、一進一退の攻防を続けていたメルティと『アンジェリカ』。しかし、ここにきて、その形勢が大きく傾きはじめていました。『竜神』の攻撃はことごとくが狙いを外し、メルティの攻撃は逆に、敵の攻撃を防ぐため、弾幕の形で適当に放たざるを得なかったものでさえ、高速で飛翔する『竜神』の身体を捕えはじめていたのです。


「ふむ。発生を阻止した事象の可能性を、別の事象に反転して移し替える……か。『彼女』にも不可能な所業だな。さすがは君の見出した『狂える鏡』だけのことはある」


 わたしに遅れてそんな分析を行った教皇は、それでも取り立てて余裕を失うことなく笑っています。

 そして彼は、それをいぶかしく思うわたしの心情を察してか、ゆっくりとこちらに振り向くと、冷水を浴びせかけるかのような声音で言いました。


「さて、先にも言ったとおり、わたしには君たちの心を完全に読むことはできないが、今ああして『時間稼ぎ』に徹している理由ぐらいなら理解できるぞ」


「……」


 表情に出さない。精神も強引に安定させる──この時、わたしは、彼に悟らせないようあらゆる自身の能力を総動員していたのですが、彼はそんなこちらの様子など、まるで気にも留めずに言葉を続けました。


「君らが『愚者の聖地』に行き、無事に帰ってきたのなら、心など読むまでもなく、答えはひとつだ。すなわち、『愚者』たちとの取引──彼らにとって邪魔な『女神』をともに滅ぼす。そういう協力でも取り付けたのだろう? だが、今に至っては、意味がない。そもそも、その程度のことは、君らが『聖地』に向かうと知った時点で予想の範疇であったのだ」


「……どういう、意味です?」


 こうも余裕たっぷりに言われてしまえば、さすがにそう問い返さざるを得ません。

 すると彼は、こう答えました。


「愚かだな、君は。言っただろう? 『彼女』は世界を睥睨へいげいするのだ。すなわち、今、この現象はこのドラグーン城内だけではなく、『全世界』で起きているのだ」


「……全、世界?」


 彼はおそらく、今や世界全土であらゆる無生物が『精神の化物』と化し、世界中の人々を襲っていると言いたいのでしょう。


「だというのに、この場に『愚者』が参集してこられるはずはない。人間や『王魔』はもとより、彼らもまた、無限に湧き出る『精神の化物』との死闘に巻き込まれているだろうからな」


 だからこその、余裕の笑み。二重・三重にも張り巡らせた心理的な罠や策略が完全に成功し、決定的な勝利を既に得たものと確信しているからこその饒舌。


「……教皇ヨハネ」


 わたしは彼を強く睨みつけながら、言葉を絞り出すように口を開きました。


「あなたという人は……」


「ああ、わたしには、見えるようだよ。『彼女』の力は絶対だ。彼女が誰かを愛し、誰かを思うだけで、その誰かは死ぬ。滅びる。取り込まれ、侵食されてすべてを失う。ああ、こんなはずはなかったのにと、『彼女』が悲嘆に暮れ、絶望に打ちひしがれるその姿の、何と美しいことか!」


 こちらの呼びかけを無視し、芝居がかった仕草で両手を天に掲げる教皇ヨハネ。わたしはそんな彼の背中に、なおも声をかけ続けます。


「どこまでもおめでたい人ですね。残念ながら、あなたの『女神』は近眼のようですよ?」


「……なに?」


 ここでようやく、彼はわたしの言葉に振り返り、探るような視線を向けてきました。


「近眼……だと? 何を言っている?」


「そのままの意味ですよ。そして、あなたに言われた言葉を、少しアレンジしてお返ししましょう。──『ここ』に至るまで、わたしたちが『この空間せかい』に何の細工もしていないとお思いですか?」


「細工? いったい……何を」


 なおも気づいた様子のない教皇。とはいえ、無理もないでしょう。この『細工』は、わたしたちが『愚者の聖地せかいのそとがわ』にいる時に行ったものです。たとえ『二重世界』を自由に行き来できる力があろうと、精神領域を見渡せる力があろうと、『世界の内側』にいた状態で、この仕掛けに気付くことは不可能です。


 もともとは『アンジェリカ』の状態を知ったわたしが、彼女の暴力的な力から周囲の世界を護るための措置だったのですが、ここにきて、それは別の意味を持つようになっていました。


「ですから、『女神』はこのドラグーン城周辺以外の場所を『直接』見てはいないのですよ」


「まさか、このドラグーン城を、隔離したと? だ、だが、『女神』の視界は精神領域にも及ぶのだ。それが断絶しているのなら、このわたしが気づかないはずはない」


「精神領域が見えると言っても、あなたはそこに手を伸ばし、触れて確かめているわけではないでしょう? 見ている景色が『ガラス越し』になったところで、手を伸ばさなければ気づかない」


「ガラス……だと?」


「どこまでも透明な、綺麗なガラス。いえ、『眼鏡』を用意して差し上げました、と言うべきですかね。直接世界を見ては『瞳』を痛めるでしょうし、何より、レンズによって『遠近感』を変化させることができる。……『愚者』はもう、間もなく参集するでしょう」


 わたしの言葉を聞くたびに、教皇の秀麗な顔から余裕の笑みが消えていくのがわかります。しかし、そこには怒りや焦りと言った感情はまるで見当たらず、ただただ、無表情に、現在の状況を『演算』しているかのような顔つきに変化しているようでした。


「だが、ガラス越しでも『彼女』の観測の影響を防ぐことなどできない。……だとすれば、本物と寸分たがわぬ『鏡像』をガラスの向こうに用意したと見るべきだろう。そうか。他にも協力者がいるのだな? いかに君と言えど、たった一人でこんな真似ができるはずがない。『外側』にももう一人、高度な演算処理能力を持った存在が必要なはずだ」


 そのとおり。ただの隔離措置に使うはずだったわたしの『ガラス板』を教皇を騙すための『鏡』に変えてみせたのは、マスターの指示を受けた別の人物なのです。


 しかし、わたしが彼に言葉を返そうとした、次の瞬間でした。


 それまで世界を構築していた何かが砕けるような音を立て、二重世界が強引にひとつに重なっていきます。何か外側から、『幻想世界』の存在を許さない、すさまじい力が働いたかのようなこの現象。


 その原因は──幾千、幾万にも及ぶ赤い光。血のように赤く輝く『愚かなる隻眼』は、その圧倒的なまでの数の暴威により、ドラグーン城を囲む『世界のガラス玉』を破壊し、二重世界を解消し、『真紅の竜神』とそこに映る『女神の瞳』を減衰していきました。


「忌々しい……『愚者』どもの参集か。まさか、これほどの数を……どうやって短時間で?」


 今やマスターたちと同じ空間で、破壊された大広間に立ち尽くす教皇ヨハネ。法衣をまとう金髪の美青年は、その表情をわずかに歪め、空を覆う『愚者』たちの群れを見上げています。

 きっと城壁・街壁の周囲にも、地平を埋め尽くさんばかりの『愚者』たちが集まっていることでしょう。


「……まったく、キョウヤ君は人使いが荒くていけないね。『空間歪曲』による距離短縮だけならともかく、世界を映す『鏡像』の術式までもを同時並行でこなせとは……いくらわたしが『法王の筆』を持っているからと言って、無茶ぶりにもほどがあるぞ」


 頭上からは、場違いなほどに陽気な声が降ってきます。彼女、ミズキ女史は白衣の裾を抑えながら、ゆっくりと『愚者』の群れの中から空中を降下してきました。


「やあ、ミズキさん。君ならきっとやってくれるって、僕、信じてたよ」


「ああ、そうかい。それは光栄だね」


 彼女はにっこりと笑いかけるマスターに嫌そうな顔をした後、再び楽しげに頬を緩ませ、なぜかドヤ顔でこちらに近づいてきました。


「ヒイロ君、ヒイロ君! 今の見たかい!? 我ながら惚れ惚れするような術式じゃあないかな?」


「……そうですね。わたしは絶対無理だと思っていましたし、だからこそ、こんな事態を未然に防ぐつもりでいたのですけど……」


 得意げに胸を張るミズキ女史に、わたしは少し悔しくなって、そんな憎まれ口をたたいてしまいます。

 しかし、彼女はそんなわたしを見て、さらに嬉しそうに笑みを深めた後、今度は別の人物にその稚気の矛先を向けはじめます。


「いやあ、何といっても……この世界で一番偉い『教皇サマ』の目を騙し切ったのだからね。本当に大したものだろう? ねえ、君? どうせ君のことだ。わたしのことなんて、眼中になかったんだろう? 文字通りにね。でも、そんな奴に自分の『眼』を騙されて、どんな気分だい? ねえ。ねえ、教えてくれないかい?」


 ミズキ女史は馬鹿にしたように教皇を指差しながら、向けられた当人からすれば、即座に殴りかかってもおかしくないような、実に憎たらしい笑みを浮かべたのでした。

次回「第186話 竜神姫の帰還」

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