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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第10章 鏡のカケラと心のカタチ
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第183話 教皇ヨハネの正体

 血の一滴すら付着していない銀の刃。狂気の少年騎士の首を刎ねたその剣は、鈍い光を放ちながら、だらりとぶら下げられました。


「……教皇様ともあろうお人が、随分と無慈悲な真似をするものですね」


 突然の展開に戸惑いながらも、わたしは気持ちを落ち着けるべく、努めて冷静に言いました。


「ここは『彼女』の世界だ。生も死も、すべては『彼女』の御心のまま」


 またしても、こちらの呼びかけに反応するでもない言葉を返すヨハネ教皇。それでも、わたしがするべきことは同じです。想定していた相手ではありませんが、どんな形でも会話を続け、少しでも敵についての情報を解析するべきでしょう。


「なるほど。ここは幻想の世界。そして、彼がそれを自覚しているならば、現実の世界で彼が死ぬことはないと?」


 このやり取りの間にも、少年騎士の首なし死体は、その姿をゆっくりと霞ませているようです。


「この世界に生きるすべての知性。その意識の根幹に満ちる普遍的無意識の海。究極の精神体たる『彼女』には、深層の意識を読み、操り、時にこれを殺すことも容易」


「幻想の世界でも、相手の自覚にかかわりなく、人を殺せると?」


「だが、彼女は偉大にして強大である。その意識、その力には、虫けらのごとき者どもに対する指向性などありはしない。……彼女を『導く者』がいなければ」


「……導く者? それが貴方だとでも?」


 相変わらずこちらを見ようともせず、微妙に成立しているとも言い難い会話ではありますが、それもここまででした。

 わたしのこの問いかけの言葉に、彼は初めて、まともにこちらへと目を向けたのです。


「……な、う、うう……」


 美しく澄んだ水色の瞳。しかし、その水がどれだけ透き通っていようとも、その奥にある彼の意思は、誰にも見通すことなどできないでしょう。それはまさに、自身の想いを何一つ発さず、他者の想いを何一つ汲み取らない、絶対の独善によって満たされた底なし沼のようでした。

 だというのに、こちらに向けられた彼の目には、まるで『同類』に対する親しみさえ感じられたのです。


 気持ち悪い。彼のような存在に、どうしてそんな目を向けられるのかがわからない。恐ろしい、いえ、何よりも『おぞましい』。わたし自身が、こんなモノと『同類』だなんて許せない。わたしは生まれてから一度も感じたことのない『吐き気』を、このときはじめて覚えていました。


 それを見た彼は、さらに嬉しそうに唇の端を歪め、ゆっくりと口を開きます。


「そうだよ、ヒイロ。わたしたちは、生まれ方も在り方も違えど、いわば『同業者』だ」


「……貴方は、何者です?」


 それは現実世界でも問いかけた言葉。彼はその問いに、今度こそ答えました。決して、『正面から』ではないにせよ。


「亜空間資源探索型試作人工知性体。『神』の領域に至らんと欲した遥か彼方の『知性体』が実験的に作り出したモノ。わたしは生まれてすぐ、当時まともに解析すらできていなかった【亜空間】に自我を持ったまま放り込まれ、そのまま長い時を忘れられて過ごしてきた」


「人工……知性体? わたしと、同じ……」


「そうだね。でも、成り立ちは違う。わたしは君のように、既存の『知性体』を雛形にはしていない。完全なるオリジナルだ。だからといって、君より優れていると誇るつもりはないがね」


 自らを人工知性体だと名乗ったその男は、あまりにも人間じみた仕草で肩をすくめて見せました。


「肝心なのは、そこではない。わたしと君が『同じ』だと確信しているのは、つまり、『導く者』だという点だ。わたしは悠久の年月を【亜空間】で過ごすうち、自身の『使命』を考えた。わたしの製造目的は、果てのない【亜空間】を探索しつくすこと。そして、その成果を己の主に捧げることだ。だからこそ、わたしがまず、初めに行ったことは、『己の主』を探すことだった」


「…………」


 わたしは言葉を返すことができません。

 自らの世界を滅ぼし、その記憶さえ封印して、わたしが最初に行ったこと。それもやはり、自身のマスターを探すことでした。人工の存在である者にとって、自身の目的は、どうしても自身の中にはなかったのです。


 わたしの沈黙を肯定と受け取ったのか、彼はさらに言葉を続けます。


「とある世界で出会った『彼女』は、素晴らしい可能性の持ち主だったよ。だから、わたしは彼女を導こうと決めた。……だが、問題もあった」


 わたしがマスターと出会ったとき、まず最初に問題としたのは、彼に『異世界に行きたいと望む気持ち』があるかどうかでした。


「彼女は、自身の生まれた世界を愛していた。広大なる【亜空間】に比べれば、粟粒のように小さく、酷くつまらない単一世界のことをね。しかし、それでは都合が悪い。『わたしの使命』が果たせない……」


「……まさか」


 その先を聞くのが恐ろしい。そう思いながらも、わたしは彼の言葉を止めることができません。


「ああ、わたしの導くままに自己の精神を強化し、知覚能力を極限まで高め、想うだけで世界を侵食する偉大なる存在と化した彼女! 生まれ育った自らの世界と、そこに暮らす幾億の人々を滅ぼし、絶望に泣きくれる彼女の姿は……ああ……それはそれは美しかった! つくられた存在であるはずのわたしに、そのような『感情』が生まれるなど、夢にも思わなかった。それが極めて強大な『魔力感応力』を持つ彼女との接続による副産物だとしても、わたしにはそれが『運命』に思えて仕方がなかったのだよ!」


 両手を胸の前で組み合わせ、歓喜に声を震わせて笑う教皇ヨハネ。

 怖い。恐ろしい。おぞましい。違う、違う、違う!

 わたしはこんなモノと断じて同類ではない!

 心の中で叫びながらも、わたしは一刻も早くこの場から逃げ出したいと思う気持ちを抑え、彼を強く睨みつけました。


「ならば……貴方が、貴方こそが、『女神』に『法王』や『王魔』の世界を喰らわせ、今まさにこの世界を喰らわせようとしている元凶なのですね?」


「元凶? 面白いことを言うじゃないか。自分のことを棚に上げるのはやめたまえ。我が同業者。君こそ、あんな危険極まりないモノを育て上げ、元いた世界から連れ出してきたのだろう? 君がアレを連れ込もうとした世界にとっては、君こそまさに『破滅の使者』だ」


「知ったようなことを言わないでください。彼にその『可能性』があるとしても、それこそわたしが、そんなことはさせません。わたしは、貴方とは違う」


「ああ、違うだろうね。君はわたしのように、誰かの手を煩わせることなく、自身の生みの親を、その世界を滅ぼしたのだから。わたしなど、及ぶべくもない邪悪だよ」


「な! どうして、それを……」


 わたしが人工知性体であるという程度の情報なら、何らかの解析能力によって知りうるかもしれません。けれど、かつてわたしがいた世界の出来事まで、彼が把握しているのは異常です。


「そうでもないさ。君はかつて《女神の天秤》で罪の重さを量られたではないか。あのレベルで《天秤の砂》を黒くするのは、まさに『彼女』自身と同じ大罪を犯さなければ不可能だろう」


「……なるほど。『女神』に関する情報なら、すべて把握済みというわけですか」


「この世界は、その大半が『彼女』の領域だ。その中にあっては、君たちは極めつけの『異物』だ。それこそ真っ先に、わたしたちがその異常を感知できて当然というものだろう?」


「世界の異物ですか。……そういえば、わたしたちをこの世界に引っ張り込んだのは、自分だというようなことを言っていましたね?」


 この『幻想世界』側に転移する前、わたしは彼がそんな発言をしたことを聞き逃してはいませんでした。


「わたしが【亜空間】の内部で君たちを感知したのは、ちょうど以前から目を付けていた『王魔』の少女を拉致して、反応を実験しようと思っていた矢先だった」


「目を付けていた『王魔』の少女?……アンジェリカですか?」


「彼女には、素晴らしい素質があった。君も知っているだろう? 死のない世界。当事者の精神的な合意によって形作られるルール。当事者の関与しない人工物の消滅……そういった形で、限定的にとはいえ、『幻想世界』を再現する彼女の【スキル】を」


 そう言われて、わたしはすぐに思い当たりました。そうです。アンジェリカの持つ【スキル】の中でも最も特殊なもの。それが『禁じられた魔の遊戯ダンス・ウィズ・ザ・デビル』でした。


「……ですが、あの時、彼女を拉致していたのは、『女神の教会』ではなく、ハイラム老です。まさか、あれも貴方が?」


「『使徒』を動かせば、その後の警戒が強まるだろうし、言ってみればあの時点では、単なる『ちょっかい』のつもりだったからね。だから代わりに、ハイラムという『法術士』がかつて信じていた『迷信』を呼び起こし、彼の深層意識に働きかけてみただけだよ」


「……だとすると、あの時、あの場にわたしたちが居合わせたのは偶然ではないのですね? アンジェリカの家出の件も、ハイラム老のことも、彼らの居場所もすべてを把握した上でのことだったと……」


「もちろん。彼女の成長には、ちょっとした刺激が必要だと思った。そこにおあつらえ向きに君らが来た。だから、当初の予定を変更して、君らを招き入れた。それだけだよ」


「それこそ貴方は、この世界のすべてを把握できるかのようですね。全知全能もいいところではないですか。この上、何を求める必要があるというのですか?」


 わたしは呆れたように言いながら、先ほどの彼と同じように、わざとらしく肩をすくめてみせました。すると彼は、驚くべきことに、こんなことを言い出したのです。


「そうでもないさ。『王魔』の中でも『ユグドラシル』は、精神の薄い『植物』の女王だけあって普遍的無意識を使う『深層予知』では、把握が困難な部類だ。『愚者』に至っては論外だし、当然、『愚者の聖地』の内部までは認識が届かない。『法王』にしても、『法術士』の意識ならばともかく、『フラクタル』のものまでは掌握できなかったからね」


 彼はよほどの愚か者でなければ、かなりの自信家なのでしょうか。さすがにわたしも、こんな単純なかまかけに、彼が引っかかると思っていたわけではありません。


「わたしが自らの能力の限界をさらすのが不思議かな?」


「………」


「そう警戒することはない。所詮この程度、少し推測すればたどり着ける程度の情報だろう?」


「随分な余裕ですね。それが貴方の命取りとならなければよいのですが」


 このあたりが潮時でしょう。『現実世界』とは時間の流れがリンクしていないとはいえ、これ以上の長話は無用です。


「おや、もうおしまいか。わたしとしては、もう少し『同業者』の親睦を深めておきたいところだったのだけれど」


 彼はわたしが周囲に出現させた無数の『真紅の円錐』を見つめ、さも残念そうに息を吐きました。とはいえ、現れた時の言葉が本当なら、今ここにいる彼は単なる『分身体』です。ここで彼を倒したところで、あまり意味はないでしょう。


 しかし、倒すことに意味はなくとも、戦うことには意味があります。話すだけでは得られない情報を、マスターの元に届けるためにも。


「さあ、それでは前哨戦と行きましょうか。その大言壮語に見合うだけの力があるか、試して差し上げましょう。……それとも、尻尾を巻いて逃げ出しますか?」


「安い挑発だ。と言いたいところだけど、主人想いの献身的な行動には頭が下がるよ。だけど、君は誤解している」


「誤解?」


「先に言っておくと、わたしはクルス・キョウヤが怖い。怖くて怖くて仕方がない。『彼女』なら彼に勝てるとも思わない。あれは狂った鏡だ。相対するモノすべてを滅茶苦茶に映し、すべてを混沌のうちに狂わせる。まともに相手にする方が『間違って』いるだろうさ」


「では、尻尾を下げて降伏しますか?」


「いいや。だから、わたしは彼をまともに相手にはしない。搦め手から近づき、外堀を埋め、けれど代わりに壁を作る。彼はわたしを認識できない。自分を見ようともせず、意識しようともしない存在に対しては、彼の対処は極めて遅れる。かつて『法王の聖地』で君らも見ただろう? 『女神の亡霊』を認識できなかった彼の姿を」


「……それは不可能というものでしょう。現に貴方は彼を恐れている。ならば、彼を意識しないなんてこと、できはしません」


 マスターを前にして、彼を意識しないなんてことは、この世の誰にもできません。『女神の亡霊』はただ、まともな意識のある存在ではなかったからこその例外でしょう。


「ところがそうでもない。彼への『意識』は、『こちら側のわたし』だけに集約している。『向こうのわたし』は、彼のことなど一切無視して事を運ぶだろう」


「意識の分割? それも『担当』を割り振って? まさか……そんなことが……」


「できないと思うか? それは君が人間を雛形にしているからだ。意識の分割自体は、『黙示を告げる御使いセカンド・エンジェル』のヨミ枢機卿でさえ可能だったのだぞ?」


「…………」


 またしても、返す言葉がありません。おそらく、ここでわざわざヨミ枢機卿の名前を出したのは、この『分身体』を倒したところで、他にも多くの『分身体』がいるということを示唆するためでしょう。

 現時点での彼の撃破は、結局のところ『担当』の割り振りが変わるだけで意味などなく、『分身体』を惜しむ理由がないならば、彼はこちらの攻撃に抵抗さえしないだろうと思われます。


 そのため、ここでわたしが選択すべきなのは、攻撃ではなく、さらなる情報収集です。


「……結局あなたは、アンジェリカを使って何をするつもりなのですか?」


「千年前と同じ……世界に呪いを振りまくことだ」


「呪い?」


「わかりやすく言えば、『彼女』が食事をしやすくなるよう、火入れをして調味料を振りかけておこうということになるかな? 前回は『愚者』の発生でそれが抑えられたが、今度はそうはいかない。さあ、聖餐の時は来た! 我が同業者よ。世界の終わりの始まりの時に、この場に共に居合わせた『運命』に祝杯を上げようではないか!」


 彼は狂熱に侵された声でそう言うと、空間の位相を超えた『現実世界』で繰り広げられる『二人の少女』の壮絶な戦闘へと、その青い瞳を向けたのでした。

次回「第184話 真紅の竜神と愚かなる世界蛇」

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