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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第9章 愚者の聖地と七人の御使い
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第9章幕間 リンク・ナビゲーション

 分身体とのリンクは、本来なら別々の場所にある2つの意識が、その同一性を維持するため、それぞれの主体が観測したデータを統合し、『わたし』という一個体が認識したものとして整理するためのものです。


 わたしはそのリンクを『亜空間』を利用して、同一世界内にチャンネルを設定し、それこそ次元を隔ててでもいない限り、いつでもリアルタイムに情報共有が可能なシステムを確立していました。


 それが今、通じていないということはすなわち、本体であるわたしがいるこの空間と、分身体がアンジェリカたちともにいるあちらの世界とが、異なる次元に存在するということです。


「リンクが回復すれば、すぐにでも情報の同期は可能です。しかし、リンクが切れる直前、向こうの『わたし』が何らかの異常を感知したらしいことが気になりますね。この機に乗じた『教会』の襲撃でなければよいのですが……」


 わたしたちは依然として、殺風景な石畳と石壁に囲まれた空間に閉じ込められていました。それまでこちらを激しく攻撃してきていた大白蛇も姿を消しており、戦闘こそ生じてはいないものの、はっきりとした『空間座標』が認識できない現状では、うかつな転移も行えません。


「直前だったの? だとしたら、いくら何でもタイミングが良すぎるね。まるで僕らがこの空間に入る瞬間がわかっていたみたいじゃないか」


 マスターは、先ほどから目の前に立つ相手の『変化』を観察しているらしく、こちらを振り向くこともしないまま、問いかけの言葉を口にします。


「いえ、何らかのスキルでマスターの状況を確認していたのかもしれません。そこにいるミズキ女史もかつてはマスターの能力を解析していたようですし、可能性はあるでしょう」


 わたしは、つい先ほどのマスターによる衝撃発言「お兄ちゃんと呼んでほしい」があって以降、抜け殻のように立ち尽くすミズキ女史を見ながら言いました。


「は、ははは……。『お兄ちゃん』だって? 相手は『世界の純真』だぞ? 話しかけるだけでもどんな影響があるかわからないというのに、よりにもよって『関係性』を定義するだなんて………」


 頭を抱えてつぶやく彼女は、なぜだか着ている白衣までもが、くたびれてしまっているように見えました。


「……お兄ちゃん。お兄ちゃん。クルスは、『わたし』のお兄ちゃん?」


 新たに聞こえた声の方に目を向ければ、世界の敵とも恐れられる『愚者』たちの中でも最強の力を持つであろう三人の『絶禍の愚人』に囲まれて立つ少女が一人。


 そう、『少女』です。最初に大白蛇の中から姿を現した彼女は、幼女と呼ぶべき幼い容姿をしていました。

 ですが、それが今や、十歳ほどの少女の姿にまで成長しているのです。


 純白の髪に純白の肌。そして……どこまでも黒く、深い……けれどもまるで、『鏡』のような瞳。

 透明感のある不思議な色彩を宿していた彼女の瞳は、まるでマスターのソレを写し取ったかのように、その色を変じていました。


 白い裸身に長い白髪を絡ませただけという、あられもない姿でありながら、神々しささえ感じられる彼女はまさに、世界の化身とも言うべき存在なのでしょう。


 しかし、マスターにはそんな『神々しさ』よりも、目の前の少女が裸身をさらしているという事実自体が気になるようです。落ち着かなげに、そわそわと視線をさまよわせていました。

 見たいという思いはある一方、当人を前にしては直視もできないというあたり、相変わらずのチキン……いえ、ヘタレというべきでしょうか。


「……なんだか、ヒイロに随分と失礼なことを思われている気がするんだけど」


「気のせいでしょう」


 無駄に鋭いマスターです。もっとも、今回の場合は相手の外見年齢が幼すぎることもあり、直視することに罪悪感を覚える気持ちはわからなくもありません。


 一方、少女とマスターの会話を呆然と聞いていた二人の『愚者』は、ようやくここで我に返ったようです。


「いいえ、母上! 騙されてはいけません。あのような男が、母上の兄などであるはずはないではありませんか!」


「そうですとも。あなたは他の何者でもない、我らが『愚者』の大いなる母なのです!」


 プロセルピナとヴァナルガンドの二人は、ほとんど縋りつかんばかりに少女の傍に跪き、必死の訴えを続けています。すると少女は、そんな彼らを見下ろして、にっこりと笑いました。


「うん。そうだね。あなた達は、わたしの可愛い子供たち。ねえ、お名前は?」


 邪気の欠片も感じさせない笑顔。優しさと慈しみに満ちた麗らかな声。自分よりずっと年下に見える少女から、それらを向けられた二人の『愚者』は、見る見るうちに頬を紅潮させると、我先にと自身の名乗りを口にしました。


 ですが、それを聞いた少女は、軽く小首を傾げると、こう尋ね返します。


「プロセルピナとヴァナルガンド? 覚えにくいから……ぷーちゃんとヴァンくんでいい?」


「喜んで!!」


 即答でした。ヴァナルガンドの豹変具合も驚きですが、なにより『ぷーちゃん』と呼ばれることをかたくなに拒否していたはずのプロセルピナまで、感極まった顔で頷きを返したのです。


「うわあ、ひどいな。差別だなあ。僕とメルティが呼んだときは、あんなに嫌がってたのに」


 マスターはそう言って肩をすくめた後、続けて少女の傍に立つもう一人の『愚者』、メルティに問いかけました。


「メルティ。その二人はそんな感じだけど、君もその子のことを『お母さん』だと思うかい?」


 するとメルティは、即座に首を振りました。


「ううん。思わない」


「そっか。メルティにとっては、やっぱりアリアンヌさんがお母さんなんだね」


「うん。それもそうだけど……」


「ん? まだ何かあるのかい?」


「うん。だって、キョウヤがこの子のお兄ちゃんなら……わたしはこの子のお姉さんでしょ?」


 少女の背後に回り込み、その両肩に軽く両手を置きがら、悪戯っぽく笑うメルティ。


「え? それってどういう意味?」


「知ーらないっ!」


 けらけらと笑うメルティですが、その頬には、少しだけ赤みがさしているようにも見えました。


 すると、直後……


「うふふ! 知ーらないっ!」


 自分の両肩に置かれた手の感触に少しくすぐったそうな顔をしながら、少女がメルティの口真似をして笑いました。


「あはは。そうしていると、本当に姉妹みたいだね。……ええっと、そういえば、君の名前は何なのかな?」


「なまえ? マザー?」


「うーん。それはさっきの白蛇の人格の呼び名だったからね。君にはちょっと、しっくりこないような気がするんだけど……」


 マスターは少女を見下ろしたまま、何やら首を捻っています。

 するとここで、そんな彼の様子に気付いたミズキ女史が、弾かれたように顔を上げました。


「ちょ、ちょっと、待て! キョウヤ君! きみ、まさかとは思うが……」


 しかし、時すでに遅し。いえ、マスターがここにいるという時点で、あらゆる心配は、遅きに失しているのでしょう。


「そうだね。雪みたいに真っ白な髪と肌だし、小っちゃくて可愛い女の子だし……『小雪』って名前はどうかな?」


「こゆき? それが、『わたし』の名前?」


 可愛らしく、小首を傾げる少女。その仕草は、先ほどのマスターの真似をしているのかもしれません。


「やっぱりかああああ! 名づけるとか! 名づけるとか! 一番やっちゃあいけないことじゃないかね!?」


 再び頭を抱え、絶叫するミズキ女史ですが、すでに誰も、彼女の話を聞いている者はいませんでした。


「……く、クルス・キョウヤ。まさか、貴様が母上の『名付け親』になろうとは! 何という大罪を! 何という許しがたき所業だ!」


「屈辱だ! プロセルピナは、これほどまでの屈辱を、今まで生きてきて味わったことはない!」


 『小雪』の両脇に跪いていた二人の『愚者』は、その場で勢いよく立ち上がると、そろってマスターに非難の言葉を浴びせかけました。


 しかし、『小雪』の背後に立つメルティは、そんな二人とは対照的ににんまりと笑みを浮かべ、そのまま少女の首に腕を巻き付けるように抱きつきました。


「そっか! 小雪ちゃんか! 可愛いね! 可愛いお名前!」


「くすぐったい! くすぐったいから、ちょっと離れてってば! あはははは!」


 当の『小雪』は、頬摺りせんばかりに少女の頭に顔を寄せるメルティに少しだけ迷惑そうな顔をしながらも、褒められたことは素直にうれしいのか、頬を紅潮させて笑っています。


「ぬぐ……確かに、今の母上のお姿に相応しいお名前であることは認めるにやぶさかではないが……ですが、母上。本当によろしいので?」


「うん。わたしも気に入っちゃった。ふふふ。小雪、わたしは小雪。いいじゃない」


 筋骨隆々の厳つい顔の大男が、自分よりはるかに身体の小さい少女に『母上』と呼びかけている。

 わたしが後ろから見る限り、マスターはそんな彼の姿に、肩を震わせて笑いをこらえているようでした。


 とはいえ、あまりのんびりしていられる状況でもありません。できるかぎり早期に、わたしたちはここを脱出し、向こう側の皆の安否を確認する必要があるのです。


「それでは、呼称も決まったところで、小雪さん。あなたのお力で、わたしたちをここから出してはくださいませんか?」


「駄目よ」


 『小雪』はそれまでの無邪気な言葉づかいではなく、明瞭かつ冷静な口調で、わたしの呼びかけに首を振ります。外見の変化こそ止まったようですが、つい先ほど『名前』が定まってからは、さらに大人びた雰囲気を見せ始めており、なおも内面の変化は続いているのかもしれません。


「どうしてですか? わたしたちをここに閉じ込めておくメリットは、すでにないのでは?」


「ううん。閉じ込めてるわけじゃなくて、外殻を解除できないの。わたしたちを包む『マザー』の最外殻の空間障壁は、『今のわたし』に起き続けている変化の影響から、世界を護っているのよ。急激な変化は、『みんな』にとって毒だから」


「起き続けている変化? なんだい、それは?」


 ここで口を挟んできたのはマスターです。


「ふふふ! 決まってるじゃない。『お兄ちゃん』よ」


 弾むような声で言いながら、さきほどのメルティそっくりに笑う彼女ですが、次の瞬間、彼女の身体に赤い布のようなものが巻き付きました。


「立派なレディは、裸で殿方の前に出るものじゃないのよ?」


「え? ありがとう。うふふ!……わたしの可愛い『お姉ちゃん』」


 彼女の身体に巻かれた布は、背後にいたメルティが、『ヴァリアント』の魔法で『ヒヒイロカネ』を布状に変化させたもののようです。


「あは、あはは……。『お兄ちゃん』の次は『お姉ちゃん』か。世界が性質として常に『母体』であることを思えば、彼女が『母』と呼ばれることは問題なかろうが……兄弟姉妹となると……いったいどんな『影響』が出ることやら」


 そんなやり取りに、もはやあきらめ顔で愚痴をこぼしているのは、ミズキ女史でした。


「どういうことですか? ミズキさん」


「どういうこともこういうこともないよ。ヒイロくん。彼女は『世界』だ。この世界に住まう無数の知性が映し出す鏡像をリンクし、同期させ、統合させる『装置』であるとも言える。だが、そんな彼女自身が特定の鏡像を結び、自身が投影する装置に投げ込んだならどうなる?」


「同期と統合が済んだ後のデータに、それらのバランスを考慮していないデータが後追いで混入する……ということですか?」


「そのとおりだ。知性体の『認識』という情報を受け取り、統合して映し出す『世界』そのものが『知性』を持ち、世界を『認識』する。これはすなわち『論理矛盾』、いや『自己撞着』なのだよ。『原初の精神』によって発生した『物理法則』の波が及んでいる通常の『世界』なら、仮に同じことが起きても影響は少ないが……この『世界』だけは別物だ」


 困ったことになったとばかりに、がっくりと項垂れるミズキ女史。たとえ脳髄を『非存在の蛇』に喰われたとしても、『世界を護ること』を第一に考える彼女の本質までもは変わらなかったのかもしれません。


「……ですが、その後追いで混入するデータも含め、全体を再調整すれば問題はありませんね」


「それはそうだろうが、そんなことが誰にできる? 相手は世界だぞ?」


「わたしができます」


 あきれ顔で聞き返すミズキ女史に、わたしは胸を張って堂々と断言しました。


「なんだって?」


「わたしは【異世界案内人ナビゲーター】です。それこそ『世界』なら、ごまんと相手にしてきました。わたしの役目は、その世界にとっての異物であるはずの『マスター』をその世界になじませ、溶け込ませ、何の支障もなく正しい社会生活を営ませることにあるのです」


 もちろん、それとこれとでは問題はまったく別物でしょう。ですが、それでも今のわたしになら、それができそうな気がするのです。

 人々の心を理解し、それによって形作られる世界を解析し、そこに新たな『ピース』をはめこむ。


 わたしの父、ヒュウガ・アカツキ博士がなぜ、『ヒイロ』に【異世界案内人ナビゲーター】という役割を与えようとしたのか?


 ただ、異世界に赴き、新たな可能性と接触することだけで済まさず、そこに『他の誰か』を導き、その人物と新しい世界とをつなぐ架け橋となるべき役目を、どうして彼がわたしに割り振ったのか。


 それはきっと、誰かと誰かの心を結ぶことで、それを為すわたし自身にも、『わたしの心』がつむがれることを望んでいたからではないでしょうか。


「なるほど。確かに、この『社会的不適合者』を君がここまでナビゲートしてこれたということ自体、大変な偉業だというべきかもしれないが……」


「うわ、ミズキさん。ひどい。それ、前にヒイロにも言われたけど、僕だって社会の一般常識ぐらい、ちゃんと持ってるよ?」


「君が『一般常識』だって? 誇大妄想も大概にしたまえよ」


「こ、こだ……!?」


 即答で否定の言葉を返されたマスターは、そのまま絶句してしまったようです。


「……とまあ、それはさておき、……ヒイロ君には、『その意気やよし』と言ってあげたいところだが、失敗すれば取り返しのつかないことになる話だ。やはり危険すぎるし、お勧めはできかねるね」


 ミズキ女史は、『自分には決定権などないだろうが、それでも反対はしておく』と最後にそれだけ言って、マスターに目を向けました。


「誇大妄想って……」


 しかし、マスターは先ほどのミズキ女史の言葉に、本気で落ち込んだらしく、下を向いてぶつぶつとつぶやいています。少し気の毒な気もしますが、そっとしておいてあげる時間もありません。


「そ、その、マスター? いかがでしょう。わたしにお任せいただくわけには、いきませんか?」


 恐る恐る問いかけると、マスターはようやく顔を上げてわたしを見ました。


「……もちろん、任せるよ。前にも言ったけど、ヒイロなら……『人の心のカタチ』を解析して、それを僕にわかりやすく教えてくれるだろうと信じているんだ。だから、その難事に比べたら、こんなの全然、大したことじゃない。そうだろう?」


 にっこりと笑うマスター。いつもと同じ、穏やかな笑み。それは、知らない人が見れば、『何を考えているのかわからない笑顔』に見えるかもしれません。


 でも、わたしは知っているのです。その笑顔の下に、どれだけの思いやりと優しさが秘められているのかを。人形のように育った彼の胸の内には、誰よりも人間らしく、誰かの『心』を求める『彼自身の心』があるということを。


「……では、マスター。これからわたしは、彼女とこの『世界』に、『魔法』をかけます。でも、それには、あなたの協力が必要です。手伝って、いただけますか?」


 全身に広がっていくような、不思議な胸の熱さを自覚しながら、わたしはマスターに呼びかけます。


「え? うん。いいけど。何をすればいいのかな?」


「はい。まずは、こちらに近づいてきてください」


「うん。わかった」


 何の警戒もせず、こちらにゆっくりと歩み寄ってくるマスター。わたしは、そんな彼に満面の笑顔を浮かべて見せると、次の瞬間、彼に向かって飛びつきました。


「えい」


「うわっ」


 驚きながらも、しっかりとわたしの身体を受け止めてくれる彼。

 ……そして、重なり合う、唇と唇。


 さあ、それでは、心と心を結びつけ、世界をつむぐ『わたしの魔法』──《リンク・ナビゲーション》のスタートです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

ここまでが第9章「愚者の聖地と七人の御使い」となります。

次回、「第181話 千年前の悲願」から第10章「鏡のカケラと心のカタチ」が始まります。

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