第19話 メイドの事情
「あ、あの……皆さん? どうしたんですか?」
何と言ったものかわからず、互いに目配せをしあうヒイロとマスターを不思議に思ったのか、リズさんが不安げな声で問いかけてきました。
しかし、そこに空気を読まない人物が一人。
「今、ハイラムとか言わなかったか? 奴ならキョウヤが……むがっ!」
「アンジェリカさん? 少し静かにしていてもらっていいですか?」
「むがふぁむが!」
「え? そうですか。大人しくしてくれるんですね? それはどうも、ありがとうございます」
ヒイロは素早く彼女の後ろに回り込み、その口を優しく押さえて差し上げました。なぜか猛獣のような凶悪な力で抵抗されてしまいましたが、いくつかの【式】を組み合わせれば、彼女の腕力を抑え込むことも不可能ではありません。
「あ、あの……もしかして、ハイラム様をご存じなのですか?」
「リズさん。実は、すごく言い出しにくいことなんですけど……」
「な、なんでしょう?」
悲痛な顔で首を振るマスターに、リズさんの問いかけの声も若干震えているようです。
「ハイラムさんは、既にお亡くなりになっているんです」
「ええ!?」
「ハイラムさんは……世界を救うべく、邪悪な魔物と戦っていたんです。でも、最後の死闘に打ち勝った後、彼も深い傷を負っていて……僕らの見ている前で息を引き取ったんです」
「そ、そんな……」
「ごめん。現場に居合わせておきながら、僕はあの人を……うう! 助けることができなかったんだ……」
声を震わせ、哀しげにうつむくマスター。それを見て、抵抗を止めたアンジェリカが押さえつけていたヒイロの腕を離すように軽く叩いてきました。
「……あの男、とんでもない詐欺師だな。よくもまあ、あんなにスラスラとでたらめが口にできるものだ」
小さな声で言うアンジェリカでしたが、ヒイロは念の為、手を離す前に【式】《サウンド・バリア》を展開しておきました。
「いいですか? 話がこじれるといけませんから、マスターがハイラム老を殺害したことは伏せておいてくださいね」
「ああ、わかっているさ。……にしても、ヒイロ。わたしを抑え込むとは、お前も結構怪力だな?」
「怪力ではありません」
「褒め言葉だぞ?」
「そうは聞こえません」
どこの世界に『怪力』と言われて喜ぶ『女性』がいると言うのでしょうか? などと、ヒイロは無自覚に考えていました。
「じゃ、じゃあ! どうすれば……! エレンお嬢様にかけられた呪いは……」
震えながら、自分の身体を押さえるリズさん。
「とにかく落ち着いてください。罪滅ぼしにもならないかもしれませんが、僕たちにもできることがあるかもしれません。よかったら、もう少し詳しい事情を話してくれませんか?」
マスターの呼びかけに、リズさんもようやく落ち着きを取り戻し、大きく息を吐いて頷いたのでした。
──リズさんの話では、彼女が使えるヴィッセンフリート家は、ハイラム老が《転移の扉》を暴走させた街を含む周辺一帯を支配下に置いているのだそうです。
実のところ、ハイラム老は『ニルヴァーナ』を封印するための《呪縛の縄》を作成する傍ら、『呪い』についての研究も進めており、彼女のいた領地でも随分とその名が知られていたようです。そのためか、彼が起こした《転移の扉》の暴走事件に関しては、領内中に噂話が広まっていたそうです。
ヴィッセンフリート家の一人娘であるエレンシア嬢にかかった『呪い』のことで心を痛めていたリズさんもまた、買い出しに行った街で噂を聞いたのですが、彼女はここで大胆な行動に出ました。
「もう、今しかチャンスは無いと思ったんです。《転移の扉》の通行許可証なら、お屋敷に予備が置かれていました。ほとんど誰も近寄らなくなったあの屋敷には、路銀も含め、わたしが旅に出るのに必要なものは一式、手つかずで残っていましたから……」
そう語る彼女には、もはや感心せざるを得ません。どんな目的であれ、それはつまり、主君の財産に手を付けたということになります。この世界の主従規範がどんな物かはわかりませんが、処罰は免れないのではないでしょうか。
「たとえ処刑されたとしても、わたしはお嬢様をお助けしたいのです。幼少の頃より共に育ち、わたしのような身分の低い娘にも分け隔てなく接してくださったエレンお嬢様……。わたしにとって、あの御方は『すべて』なのです」
この街をメイド服姿で出歩いていたのは、旅の商人に仕える使用人の振りをして、街中での情報収集をしようとしていたからだということでした。
「ハイラム様がこの街に転移してきたことまでは突き止めたのですが……まさか、そんなことになっているだなんて……。でも、これで合点がいきました。ハイラム様が《転移の扉》を暴走させたのも、世界を救うための理由あってのことなのですね?」
「今にしてみれば……そうなのかもしれませんね」
「惜しい人を失くしました」と、沈痛な面持ちでつぶやくマスター。なんというか、ヒイロもアンジェリカも、彼の名(迷?)演技には言葉もありませんでした。
「藁にもすがる思いでここまで来たのに、こんなことって……うう!」
はらはらと涙をこぼすリズさん。マスターはそんな彼女に気の毒そうな視線を送った後、アンジェリカに向かって問いかけます。
「アンジェリカちゃんは、『呪い』とかって詳しくないかい?」
「……『呪い』というのは良く分からんが、それが魔法のことなら……少なくとも並の『魔法使い』が仕掛けた程度のものであれば、わたしが『従える』ことは不可能ではないだろうな」
などと言いながらも、アンジェリカの関心はテーブルに残った料理に向けられているようでした。しかし、マスターは無言のまま、彼女のことを真剣に見つめています。
「……なんだ? どうかしたか?」
アンジェリカは、明らかに『気付かないふり』をしながら、マスターに尋ねました。
「…………」
なおも、黙ったまま彼女を見つめるマスター。
「だ、だから、黙ってこっちを見るな。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」
「…………」
「……ふん! そんな目をされても、わたしは知らないからな!」
ついには、そっぽを向いてしまうアンジェリカ。するとマスターは立ち上がり、ゆっくりと彼女の視線の方向に回り込みます。
「…………」
「ああ、もう! いい加減にしろ! そもそも、そんなことをしてわたしに何のメリットがある? そのお嬢様とやらは、わたしに対価を差し出せるのか? 言っておくが、わたしは金には興味はないぞ」
「アンジェリカちゃん?」
「な、なんだ?」
にこやかにマスターに笑いかけられ、なぜかアンジェリカは気圧されたような顔になっています。
「会ったこともないお嬢様はともかく、リズさんがこんなに困っているんだ。僕は彼女を助けたい。だから……君がリズさんを助けてくれたら、僕は君のために何でもするよ。それじゃ、駄目かな?」
「……どうしてだ? どうしてキョウヤは、そこまでして彼女を助けようとする?」
低い声で問い返すアンジェリカ。その蒼い瞳には、何かを探るような光が宿っています。
「どうしてって……うーん、『何となく』とか言ったら、君には殴られそうだね。じゃあ、思いつくものを挙げてみようか。──リズさんは美人でグラマーで魅力的な女性だし、恩を売りつけておいて、お近づきになれたら嬉しいよね? お嬢様を想う気持ちは健気で心を打たれるものがあったし、そんな彼女を助けてあげたいと思うのは当然だろう? 女性でありながら単身旅に出る勇気は称賛に値するし、そんな彼女は報われてしかるべきだろう? この世界に来たばかりの僕としては、当面の目的みたいなものがあった方が張り合いも出るだろうし、無意味にだらだら過ごすよりましなんじゃないかな? そもそも人助けって、なんとなく気分が良くなるものだと思うし、暇つぶしには最適だと思わないかい? それから……」
「……ああ、もういい。わかった。十分だ」
すらすらと淀みなく話し続けるマスターを見て、アンジェリカは大きくため息を吐きました。
「……なんとも危険極まりない男だな、お前は。そんな生き方で、よく今まで生き残ってこれたものだよ。……くくく! まあ、それはそれで、実に『ニルヴァーナ』好みではある」
優雅に腰を掛けたまま、女王の気品を漂わせる金髪の少女は、愉快げに肩を揺らして笑っています。
「じゃあ、助けてくれる?」
「ああ。だが、もちろん条件がある」
「なんだい?」
「……今は言いたくない。だが、この約束は『遊び』のルール以上に絶対的な物だと思えよ?」
含み笑いを漏らすアンジェリカを見ていると、そこはかとなく嫌な予感がしてきます。とはいえ、嬉しそうに頷きを返し、何度も彼女にお礼を言うマスターを前にして、今さら口を差し挟むことはできませんでした。
「あ、あの……お話にまったく付いていけていないのですが……」
ためらいがちに問いかけてくるリズさん。今もなお、アンジェリカの両手を掴んで喜び続けるマスターは、それに気付いた様子もありません。仕方なくヒイロが応対することにします。
「ご安心ください。リズさんの御主人様は、我々が必ず『責任をもって』お助けいたしますから」
仮にエレンシア嬢の『呪い』とやらが魔法ではなく病気の類だった場合でも、ヒイロの解析次第では十分に治療も可能でしょう。実際のところ、ヒイロたちはエレンシア嬢を救う人選としては、適任だと言えるのかもしれません。
そもそも、出会い頭にマスターが殺してしまった相手が、彼女の探し求める人物だったのであれば、『責任』の一端くらいはあるのかもしれません。
マスターの希望を叶えることがヒイロの『存在意義』ではありますが、同時に彼の後始末のために力になることも、ヒイロにとっては大きな喜びなのです。
「あ、ありがとうございます! でも、あなたたちは一体……」
御礼の言葉こそ口にしてはいますが、得体の知れない人間を自分の大事な主に合わせることへの不安はあるのでしょう。リズさんはこちらに、探るような目を向けてきます。するとそこに、こちらの会話を聞きつけたらしいマスターが口を挟んできました。
「心配はいりませんよ。僕はともかく、この二人はすごい女の子なんですから!」
我がことのように誇らしげに胸を張るマスターに、ヒイロは嬉しさのあまり心が弾むのを感じました。ちらりと横を見れば、アンジェリカも嬉しそうに、にやにやと笑っています。
そしてさらに、マスターはヒイロたちを賞賛する言葉を続けます。
「アンジェリカちゃんは『ニルヴァーナ』だから、ものすごく強力な魔法も使えるし、ヒイロがヒイロで……えっと、優れた知識や技術を持った科学者でもあるんです」
得意満面の笑みで語るマスター。しかし、ここでヒイロは思わず顔を引きつらせてしまいました。
「い、いえ、マスター、それは……」
アンジェリカの正体を話すのは、さすがにまずいでしょう。『ニルヴァーナ』が世界にとっての『邪悪な存在』だというのがハイラム老の誇張だったとしても、あの時の野盗の反応を見る限り、人間たちに畏れられていることは確かです。
「え? ……『ニルヴァーナ』と学者様、ですか?」
案の定、驚愕に目を見開き、ヒイロとアンジェリカを見比べるリズさん。特にアンジェリカに対しては、少し怯えるような視線を向けています。
そして、そんな彼女に向けて、調子に乗った金髪美少女の口から、極めつけともいうべき一言が放たれました。
「ふふん。なんだ? 信じられないといった顔だな? だが、もうすぐ日も暮れる。そうなればすぐにでも、わたしの恐ろしさをわからせてやれるぞ?」
……だから、誇らしげに胸を張って言わないでください。何故か椅子の上に仁王立ちしたアンジェリカの姿に、ヒイロは思わず頭を抱えたくなってしまったのでした。
次回「第20話 魔法少女の変身」




