第177話 奉仕と勤勉の御褒美
リザベル・エルセリア。
これまで、危険な戦闘の場面にこそ立ち会うことはごくまれでしたが、それ以外の日常生活に限定すれば、彼女ほど長い時間、マスターと接していた人は他にいないでしょう。
──ある日、彼と彼女はこんな会話を交わしていました。
「前からキョウヤ様には、お聞きしたいことがあったんです」
「なんだい? リズさんの質問になら、僕がひた隠しにしている、あんなことやこんなことも、全部暴露してあげちゃうよ」
マスターはどんとこいとばかりに、胸をたたいて微笑みました。
「い、いえ! そんな大したことでは……。お聞きしたかったのは、その、どうしてキョウヤ様は、『メイド』に対してこだわりのようなものをお持ちなのかという点についてです」
リズさんがその言葉を口にした時、ちょうどその場に一緒に居たわたしとアンジェリカは、思わず顔を見合わせました。それはわたしたちが、常々思っていた疑問だったからです。
するとマスターは、少し驚いたように目を丸くしたものの、すぐに表情を引き締めると、こう言いました。
「それは違うよ。僕は『メイドさん』にこだわりがあるんじゃない。僕は『メイドさん』を愛してやまないのさ」
「あ、愛……ですか?」
きらきらと目を輝かせるマスターに、引き気味で言葉を返すリズさん。
「まあ、そのルーツを説明するとなると、本来なら一晩は語り明かす必要があるんだけど、他ならぬリズさんの頼みだし、ここは少し端折ってお話ししようか?」
「……は、はい。お願いします」
ぎこちなくそう返事したリズさんは、マスターの鬼気迫る様子に圧倒されているようです。若干顔を引きつらせているあたり、早くも先ほどの質問を後悔しているのかもしれません。
「実を言うと……僕の家にも昔は『家政婦さん』ってやつがいてね。無駄に広い家の掃除や無駄に多い衣類の洗濯を一手に引き受けてくれていたんだ。僕は幼いころから、通いで我が家にやってくる彼女たちの姿を見て育った」
「それで、メイドに親近感を持つようになったということですか?」
「違うよ。むしろ逆さ。いいかい、リズさん? 彼女たちは間違っても『メイドさん』なんかじゃないんだ。それはメイドさんに対する冒涜だよ。概ねその手の家事労働のエキスパートは結構な年齢のマダム達が多かったし、それは抜きにしても、お給金で雇われて掃除・洗濯するだけの彼女たちには、決定的に欠けているものがあった」
そこで言葉を溜めるようにして、リズさんを見つめるマスター。
「それが何だかわかるかい?」
「い、いえ……」
リズさんは、マスターの真剣なまなざしを受け、ごくりと唾を飲みました。
「……彼女たちに足りなかったモノ。それはね……『メイドさんとしての生き様』なんだ」
「……は?」
リズさんは、メイド服の胸元に手を当てた姿勢のまま、首をかしげて固まってしまいました。肉眼では当然確認できませんが、彼女の頭上には間違いなく、大量の疑問符が浮かんでいることでしょう。
「いいかい? メイドさんというのはね。『職業』なんかじゃないんだ!」
いえ、どう考えても職業だと思います──と、わたしは心の中で突っ込みを入れてしまいました。一方、隣に目を向ければ、アンジェリカはこの時点ですでに話についていけなくなったのか、死んだ魚のような目であらぬ虚空を見上げています。
「は、はあ……。つまり、家政婦の方たちには義務感しかなくて、忠誠心が足りなかったということですか?」
なおも辛抱強く会話を続けるリズさん。これだけでもすでに彼女は褒められてしかるべきでしょう。きっと、わたしだったら耐えられません。しかし、マスターは見る者を苛立たせることこの上ないドヤ顔をしたまま、さらに追い打ちをかけるように言葉を続けました。
「ちっちっち。忠誠心じゃなくて、『御奉仕の精神』さ。やらされるんじゃなく、その相手に尽くすこと自体に自身の喜びを見出す存在。まさに『生き様』だ。それこそが僕の理想とする『メイドさん』の姿なのさ!」
『人形の子供』だった彼が、いわゆる普通の『中学生』や『高校生』の在り方を真似するべく、10歳のころから行ってきたサブカルチャーに関する情報収集。おそらく、その過程で彼が接触した『メイドさん』に関する情報が影響しているのかもしれませんが、どうしてこんなに偏りが生じてしまったのか、そればかりが悔やまれてなりません……。
それはさておき、この言葉を聞いたリズさんは、少し不思議そうな顔をした後、にっこり笑ってこう言いました。
「あら? それなら、わたしも理想のメイドさんになれるかもしれませんね。わたしにとって、貴方のために何かをして差し上げられるのは、それだけで何よりの喜びですもの」
あどけない少女の顔に、優しい母性を感じさせる身体つき。彼女がたおやかに首を傾けるしぐさに合わせ、栗色の髪がふわりと流れるのを見ているだけで、胸の内が暖かくなるような安らぎさえ感じてしまいます。
「あ、う……」
そんな『理想のメイドさん』の姿に、この時のマスターが顔を真っ赤にしてあっさりと撃沈されてしまったことは、言うまでもないことでしょう。
──思えば彼女は、わたしたちの中で最も特殊で、最も異常な人でした。彼女には、種族としての強大な『魔法』の力も、文字通り次元の違う科学技術の持ち合わせもありません。にもかかわらず、彼女は、いわゆる一般人としての能力を大きく逸脱することもなく、自然に、ありのままでマスターに付き従い、わたしたちとともにあり続けたのです。
世界を呑み込み、歪めて映す魔の鏡──クルス・キョウヤの性質は、彼の新たな融合スキル『境界線のない鏡面体』が象徴するとおり、他者の力を自身の中で変質させ、対象に再反映するものです。
彼女には、彼が呑み込むに値する力などありません。しかし、彼女はただ一人、マスターと相対しながら、彼に映った『新たな自分』の影響を受けるのではなく、彼自身の性質の影響を受けた存在でした。
いずれにせよ、そんな彼女がアンジェリカの背中に貼った『護符』は、現在の戦局に劇的な変化をもたらすことになりました。
「え? こ、これでいいの? ……《クリムゾン・スピア》」
《女神の暁闇》の漆黒を切り裂くように、宙を走る真紅の閃光。エレンシア嬢が繰り出す『いばらの嵐』をかいくぐり、今にも彼女に切りつけようとしていたクリシュナは、竜の王女が放った超高温の槍を受け、炎に包まれながら吹き飛ばされていきました。
「ぎああああ! くそ! 代替限界を超えやがった! 嘘だろう!? なんでこの闇の中で、こんな『魔法』が!」
彼が吹き飛ばされた闇の向こうからは、狂ったような苦悶の声とともに、バタバタと転げまわるかのような音が聞こえてきます。
「くそ! くそ! 火傷の範囲がでかすぎる! 傷が炭化してやがる! これじゃ回復がなかなか進まねえじゃねえか!」
通常であれば明らかに致命傷を与える一撃だったはずですが、クリシュナの叫び声を聞く限り、さすがにそこまでは至らなかったようです。
「う、うそ? 今のって……」
しかし、当のアンジェリカは、驚きに目を見開いたまま、自分の両手を見つめています。
「おお! では、わらわも試してみるか! いでよ! 《女神の拷問具》」
続いてベアトリーチェがそう叫ぶと、無数の《拷問具》が彼女の周囲に展開し、その中から選ばれたかのようにひときわ強い光を放つ《鉄の鎖》が闇の中へと伸びていきました。
「ぐあ! なんだと!? そ、そんな馬鹿な!」
するとその直後、鎖の先端が消えた闇の向こうから、何かに鎖が激突したような音が響き、苦痛にうめくシヴァ枢機卿らしき男性の声も聞こえてきました。
「ふむふむ。なるほどのう。見えない敵には、やはり、射程や範囲を限定しない『鎖』のようなものが最適というわけじゃ」
かつてヨミ枢機卿を『鎖裂き』した《拷問具》を手繰り寄せながら、聖女様は自身の放った『魔法』について、まるで人ごとのように分析しています。
やがて、ずるずると引きずり寄せられるように闇の中から現れたのは、過去に見た『教会』の聖職者たちの白装束とは対照的な、真っ黒な法衣に身を包む男性の姿でした。金の装飾こそ施されているものの、漆黒の闇の中でも、なお一層、周囲の光を飲み込むような黒い布地の衣服です。
「漆黒の法衣──それがうぬの《暁闇》を生み出す『神器』の正体か。『鎖裂き』がすぐにできぬところを見ると、それなりに高い防御性能はあるのじゃな」
ベアトリーチェは勝ち誇ったように言いながら、さらに鎖をぎりぎりと締め上げたようです。
「ぐああああ! な、なぜだ! 我が《女神の暁闇》の中でなぜ、こんな『魔法』が使える!?」
両手両足を鎖に拘束され、驚愕に震える声で叫ぶシヴァ枢機卿。身長こそ高いものの、その顔には深い皺が無数に刻まれていることから、かなりの高齢であることがうかがい知れます。
「そ、そうだよ。リズ。わたし、全然まったく『魔力』の制御なんてしなかったのに、なんであんな『魔法』が使えたの?」
「うむ、わらわも気になるな。リズよ、いったい何をしてくれたのじゃ?」
アンジェリカとベアトリーチェ、二人の問いかけにリズさんは、にっこり笑って両手を広げて見せました。
すると、彼女の周囲で何枚もの『護符』が宙に浮かびあがり、ゆっくりと回転しはじめたのです。
「失礼とは思いましたが……お二人の背中に、《最適化の護符》を貼らせていただいたんです」
「最適化……ですか?」
彼女の口から出るには馴染みのない言葉に、わたしは思わず問い返します。
「『魔法』の発動に必要な構成や『魔力』の集中と展開手法、その他もろもろの要素を、自動的にお二人がイメージする効果に合わせて最適化するものです。つい先ほど、わたしが創ったものなのですが……」
リズさんは、彼女にしては珍しく、得意げに胸を張って頷きましたが、わたしの方はそれどころではありません。いくらなんでも、耳を疑いたくなるような話です。
「ちょ、ちょっと待ってください。さ、最適化って……マスターの『真理を語る愚神礼賛』じゃないんですから、そんなことができるはずが……」
と、そこまで言いかけて、わたしは気づきました。マスターが『暗黒因子』を不安定な形で生み出していたこのスキルには、【ファージ・モード】と呼ばれる最適化能力がありました。
ですが、マスターの【スキル】は、大法学院での戦闘を経て、【融合スキル】へと変化し、その元となった多くのスキルは、彼の中から失われたはずなのです。
しかし……
〇リズの特殊スキル
『奉仕と勤勉の御褒美』
鏡に映る光を受け入れ、鏡が飲み込む闇にまで想いを至らせる心の形。知識や経験、技能や魔力といったあらゆる要素について、キョウヤの影響を受けることができる。
「はい。さすがにすべてというわけにはいきませんが、わたし自身が理解可能な作用のものであれば、キョウヤ様の『魔法』や能力の効果を《護符》に付与することができるみたいですね」
わたしの言いたいことを察したかのように、あっさりとそんな言葉を口にするリズさん。それがどれだけ常軌を逸したことか、まるで自覚もないようです。
「馬鹿な! そんな馬鹿なことがあってたまるものか!」
わたしでさえ、信じられないような話なのですから、当然、敵であるシヴァ枢機卿にとってはなおさらでしょう。
「貴様が『法術士』だとしても、わが《女神の暁闇》の中では、『法術器』を作ることはおろか、『知識枠』の割り当ても術式の発動もまともにできるはずがない! 己の知識と技術の研鑽が何より重要な『法術士』こそ、すべての『進化』をなかったことにする我が『始祖の力』の前には無力であるはずなのに!」
なおも四肢を鎖で締めあげられながらも、シヴァ枢機卿は苦痛を感じさせない様子で声を荒げています。大変な迫力ですが、リズさんは怖れる様子もなく、冷静に言い返しました。
「あら? まるでこれまで何人もの『法術士』さんを、同じ手口で実際に陥れてきたかのような口ぶりですね? でも、残念ながらわたしには、『不可能を可能に』することができるんです」
「不可能を、可能にだと? 何をふざけたことを!」
「もちろん、貴方たちのような強い人を打ち倒すような無茶はできませんけれど……でも、短時間で『法術』の基礎を習得し直す程度のことなら、十分に可能なんですよ」
〇リズの特殊スキル
『陰に咲く可憐なる花』
常に発動。心に決めた相手に対する支援行動に関してのみ、自身の不可能を可能にする。可能にできる不可能の程度は、相手に対する愛情の深さに依存する。
「わたしには、戦う力なんてありません。でも、キョウヤ様の帰る場所を護ることなら……できるんです。たとえできなくても、やってみせます。それが……わたしの『生き様』ですから!」
彼女は鋭く声を上げると、周囲に展開した『護符』のうちから一枚を手に取り、それを足元に叩きつけました。
「《領域還元の護符》」
彼女の新たな《護符》が発動させた力は、マスターの『還元魔法』のひとつ、《グラウンド・ゼロ》です。これも作用とすれば単純で、ある領域内で起きた最も不自然な変化を『戻す』というものです。
マスターが最初にこれを使ったのは、ヨミ枢機卿の『音を消す能力』の解除の際でした。そして今回はもちろん……
「すごいですわ! リズ! 闇が晴れていきますわよ!」
クリシュナの猛攻を防ぎ続けていたせいか、疲労の色が濃かったはずのエレンシア嬢ですが、長年連れ添ってきた親友の少女の活躍に、笑みをほころばせて傍に駆け寄り、その身体を抱きしめています。
「ふう……ようやく、突破口が見えてきたようじゃな」
ベアトリーチェもまた、徐々に薄くなっていく『闇』を見渡しながら安堵の息を吐いています。
しかし、『闇』が晴れた先に広がっていたもの……それはあまりに予想外の光景でした。
「え? 嘘でしょう? なんで、こんなことが……」
敵の奇襲を警戒し、炎の短剣を油断なく構えていたアンジェリカですが、その光景を前にしては、衝撃のあまり声も出ないようでした。
「……空間座標は、変わっていなかったはずです」
わたしは【因子観測装置】を起動し、あらためて解析を試みましたが、その結果に変わりはありません。つまり、空間座標そのものは、ベアトリーチェの生み出した『竜王』の背に乗り、空を飛んでドラグーン王国に向かう途中、のはずなのです。
にもかかわらず、わたしたちが目にしているものは……
「『ドラグーン王国』じゃな……」
「……王都、ですわよね」
呆然とつぶやくベアトリーチェとエレンシア嬢。それぞれの目に映るのは、まぎれもなく『ドラグーン王国』の首都ドラッケン。それが見るも無残に破壊された姿でした。
「い、いやああ! お父様! お母さま!」
我に返ったアンジェリカの、絹を裂くような叫び声があたりに響き渡ります。
次回「第178話 世界で最も危険なモノ」




