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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第9章 愚者の聖地と七人の御使い
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第174話 綺麗な水鏡

 マスターの掲げた手の先に集まる『闇』。


 それは、光を吸収するからではなく、光の作用でさえ定義できない存在であるがゆえの『暗黒』でした。マスターは、右手を前に突き出したまま、ゆっくりと歩き出します。

 

「な、なんだ? あの禍々しい闇は……」


「あの『漆黒の剣』を我が飲み込まずに吐き出し、奴から遠ざけたことも、何の意味もなかったというわけか……」


 プロセルピナとヴァナルガンドの二人は、メルティの【スキル】『艶やかなる魔性の瞳ヴァイラス・ドレイン』によって、周囲に満ちた『マザー』の『魔力』を生命力に変換する能力を獲得しました。

 ただ、それでもなお、彼らが身動きできずにいるのは、身体的なダメージによるものではなく、目の前の『闇』に恐れをなしてのことでしょう。


 しかし、通路の奥──見えない暗闇の向こう側に潜む『マザー』は、特に動揺する様子もなく語りかけてきました。


〈クルス・キョウヤ。あなたはその『闇』を餌に使い、『非存在の蛇』を召喚して『法王』を滅ぼしましたね。物理的な形さえ定まらない敵に対しては、その攻撃は極めて有効と言わざるを得ないでしょう〉


「その割には、随分と余裕だね」


 おそらく『マザー』には、わたしのように相手の発動した【スキル】をある程度解析する力があるのでしょう。彼の手に宿る『闇』を見ても、他の二人の『愚者』ほどの畏怖は抱いていないようでした。


〇特殊融合スキル

鏡を越えた君の願いハッピーバースデー

 体内で生成した『暗黒因子ゼノ・アルカ』を安定した状態で実在世界に固定し、『存在できなかった可能性存在』が持つ『世界への憎悪』を召喚する。


〈悲しいことですが、あなたが呼び出す『憎悪の蛇』も、『わたくし』には意味がありません。なぜなら『わたくし』は世界そのものであり、『存在することを許された存在』なのです。つまり、『存在できなかった可能性存在』でしかない『黒蛇』たちは太古の昔において、すでに『わたくし』に敗北しているのですよ〉


 彼女の言葉と同時、真っ黒だった目の前の空間が、突如として純白に染まりました。


「きゃ! まぶしい!」


 その唐突な変化に悲鳴を上げたのは、メルティでした。彼女は、スキル『精神は肉体の奴隷ツァラトゥストラ』の作用により、感覚器官も含めた身体能力が極めて高くなっているため、そうした変化にも敏感だったのでしょう。


 しかし、マスターの瞳に内蔵された『ヴァーチャル・レーダー』には、肉体の反応よりもなお速い自動調光機能が備わっており、目くらましのような光は効きません。

 そのため、マスターはほとんど瞬きすることなく、純白の空間に現れたものに目を向けていました。


「光というより、『色』を変えたってところかな。……こちらが『黒』なら、そちらは『白』ってわけか」


 真っ白な世界に現れたのは、真紅の光点。おびただしい数の小さな光の群れですが、よく見ればそれらは、必ず二つが一対の位置関係を保持しているのです。


「……わたしの【因子観測装置アルカグラフ】では、はっきりとしたものが観測できないところを見ると……これは例の『可能性の泡アニマムンディ』というものでしょうね」


 純白の空間にあって、レーダーでは形さえ映らず、ただ、肉眼でのみ観測しうるその姿は、無数の『白蛇』の群れでした。シュルシュルという不気味な威嚇音を上げながら、白い体に鮮やかに映える赤い瞳をこちらに向け、今にも飛びかからんばかりに鎌首をもたげています。


〈このような形であなたを排除せねばならぬことを、わたしは本当に悲しく思います〉


 視界を埋め尽くす白蛇の群れ。そのさらに向こう側に存在していたのは、広い通路をほぼ塞ぐようにして巨体をうねらせる、『白い大蛇』でした。

 全身を覆う白い鱗からは、『魔力』と【因子アルカ】──二つの『根源的情報素子』が溢れ出し、渦を巻くように荒れ狂いながら空間そのものを震わせています。


 わたしの【因子観測装置アルカグラフ】には、姿を現した『白い大蛇』のスキルも観測できていました。


〇『マザー』の通常スキル

水面に映る世界蛇ミドガルズオルム』 ※ランクS(EX)

 究極の環境耐性スキル。自身に迫るあらゆる脅威を自らの鱗に写し取り、増幅し、反射する。また、自らを定義するあらゆるものを喰らい、飲み込み、同化し、再生する。


 およそ『環境耐性スキル』と名の付くもので、これを超えるものなど考えられないレベルの【スキル】です。おそらく、彼女の周囲に渦巻く『魔力』と【因子アルカ】は、その鱗に『映ったもの』の増幅と反射を行うためのものなのでしょう。


 どこまでも綺麗に澄んだ水鏡に映る鏡像。彼女の力は、ある意味ではマスターと同質にして真逆のものだと言えるのかもしれません。


 ほとんど陽炎のように肉眼で視認できてしまう『情報素子』の嵐。その中心にたたずむのは、肉眼でしか確認できない『可能性の泡アニマムンディ』で構成された肉体を持つ正真正銘の『神の姿』です。


「へ、へび……」


 それを見て、メルティが怯えたような声を出しました。とはいえ、圧倒的な巨体と、それ以上にすさまじい威圧感を漂わせるこの姿は、『オロチ』にトラウマを持つ彼女でなくても恐怖を覚えずにはいられないところでしょう。


 しかし、マスターはまったく臆する様子もなく、突き出した黒い腕を下ろすこともしないまま、器用に肩をすくめました。


「へえ、それが君の姿なのか。白蛇は神様の使いとは、よく言ったものだね。でも、さすがに図体が大きすぎない?」


〈戯言を聞くつもりはありません。さあ、あなたも『可能性の海』に還りなさい!〉


 『マザー』がそう言うや否や、それまで群れをなす『白蛇』たちが一斉に威嚇音を上げながら、マスターめがけて飛びかかってきました。


「うん。まずは小手調べってわけか。……《サタニック・カーニヴァル》」


 マスターが軽く腕を一振りすると、右手の『闇』の中から無数の鉱石が溢れ出しました。床に散らばったそれらは、次の瞬間には不気味な石人形となって立ち上がります。


『ニルヴァーナ』や『アトラス』、『女神の使徒』など、彼が殺害してきた数多くの『魔法使い』を象った人形たちは、いっせいに『白蛇』めがけて無数の『魔法』を発動させました。


《ショックブラスト》、《スパイラルブレイク》、《バーストナックル》、《女神の鉄槌》


 しかし、次々と放たれる強力な魔法の数々も、『白蛇』たちに直撃した途端、その蛇の身体に貼りつくようにして動きを止め、そのまま蛇たちとともに形を崩して消えていってしまいました。

 たとえそれが魔法攻撃そのものではなく、『アトラス』の強化魔法による肉弾攻撃をしかけた人形の身体でも、マスターが物は試しにとばかりに放つ《レーザー》などの攻撃でも結果は同じのようです。


〈無駄です。あらゆる事象は、『可能性の泡アニマムンディ』から生まれているのです。原初のカタチに接触すれば、それらもまた、原初のカタチを『想い出す』。……あの不完全な『法王の人形』とは違い、世界の主たる『わたくし』には、真の意味で『可能性の泡アニマムンディ』を使いこなすことができるのですから〉


「なるほどね。でも、それならそれこそ、君自身がその巨体で突っ込んでくればよかったんじゃないかい? こんな風に小さい蛇の群れをけしかけてるだけじゃ、いつまでたっても僕を『還す』ことなんてできないぜ?」


〈あなた以外の皆を……特に『わたくし』の子供たちを巻き込むことは、本意ではありません。あなたもこのまま永遠に防ぎ続けているわけにはいかないでしょう? 今からでも遅くはありません。この世界を離れるとあなたが誓うなら、攻撃を中止しましょう〉


「その巨体なら、皆を巻き込むかもしれないからってこと? ……ふーん。なんだか嘘っぽいなあ。まあ、いいや。僕も嘘はついていないにせよ、君の誤解を解かないでいたことは、謝った方がいいかもしれないしね」


 なおも無限に湧き出しつづける白蛇たちを人形の魔法で撃退しながら、マスターはにやりと笑って言いました。


〈誤解? 何のことです?〉


「僕のこの手の『闇』を君は『非存在の蛇』の餌って言ったよね。──まあ、ヒイロの言う『暗黒因子ゼノ・アルカ』のことかな? だけど違うんだ。君のようなモノでさえ、二つの違いを区別できないってことには驚いたけど……『コレ』はね、ミズキさんを飲み込んだ『非存在の蛇』の餌じゃあなく……」


 マスターは右手の『暗黒』から次々と『冒命魔法』の元となる鉱石を『生み出し』ながらも、言葉を続けます。


「未定義物質【ダークマター】なのさ」


 そうです。この時、マスターが発動させていたスキルは、『鏡を超えた君の願いハッピーバースデー』だけではなかったのです。


〇特殊融合スキル

死角だらけの三面鏡トリニティ・ルール

・集合的無意識領域を含むすべての『世界』を知覚できるだけの能力の応用により、逆説的に【ダークマター】を理解(定義)できる。

・【ダークマター】の『未分化』な性質を利用し、任意の性質を持った器物を生成できる。生成条件は、世界で唯一の価値がある物を破壊、あるいは消滅させること。


 かつて彼は、この【スキル】を使って、わたしに【ダークマター】から『委員長の眼鏡』を生成してくれました。


 しかし、今回、彼はまだ、『世界で唯一の価値がある物の破壊』を実行できていないのではないでしょうか? 

 だからこそ、『マザー』もこのスキルの発動を感知しておきながら、特に警戒もしていなかったはずなのです。


 マスターは、そんなわたしや『マザー』の疑問に答えるように言葉を続けます。


「いやいや、ヒイロ。よく考えてほしいね。『暗黒因子ゼノ・アルカ』だって、立派に世界で唯一僕にしか生み出せない価値のあるものじゃないか」


「え? で、では、自分で生み出した『暗黒因子ゼノ・アルカ』を自分で破壊していたと?」


「うん。まあ、破壊するって言っても、もともと不安定なモノだしね。それに……そんなマッチポンプみたいなやり方じゃ、そんなに大したモノは生み出せない」


 そうは言いながらも、マスターの手の中の『闇』は、徐々に凝縮していきます。その形を見るにつけ、わたしはマスターが先ほどから『生み出して』いた鉱石の数々が、これを生み出すための副産物であったことに気付きました。


〈あなたは……何をしようというのです?〉


「何の効果も持たない、ただの純粋な【ダークマターの鉱石】を生み出そうとしているだけだよ。これがなかなか難しくてね。ちょっとでも調整を間違えると、すぐに何らかの性質を持った『鉱石』になっちゃうんだ」


〈何の効果も持たない【ダークマター】? そんなものに、何の意味が……〉


 『マザー』は、マスターの意味不明な言動に引き込まれるかのように動きを止め、巨大なルビーを思わせる輝きの瞳をマスターに向けています。


「ヒイロに『委員長の眼鏡』を作ってあげた時に気づいたんだけどね。どうやら、『彼女』の意識は、【ダークマター】の中でだけは存在できるみたいなんだ」


 すでに彼の手の中にあった『闇』は、ソレを内包するに十分な大きさを得ていました。

 黒く揺らぐ『ヒトガタの闇』。


「僕の『冒命魔法』は本来、殺した相手の性質を『鉱物』に複写して再現するものなんだけど、その性質に『意識』が備わるとどうなるかは、やってみないとわからなかったんだよね」


〈あはは。結果の予見もできないままに『実験』を試みるとは、相変わらず君は危険な男だねえ〉


 意外なほどに穏やかな声とともに、目の前に出現した一人の女性。彼女は、のっぺりとした他の石人形たちとは違い、白っぽい地味なローブに身を包み、今さらのように眼鏡をかけ、長い黒髪を無造作に首の後ろでひとつに縛るという『生前』の姿そのままでした。


「やあ、ミズキさん。久しぶり」


〈……まだ二日ほどしか経っていないと思うけど、確かに『わたし』にとっては、随分と久しぶりな気がするよ。何せ『あそこ』には時間の概念がないからね〉


 目の前の大蛇など眼中にないと言わんばかりに、『ミズキ女史』は、以前と変わらぬ口調でマスターに語り掛けてきます。しかし、久闊を序すかのごとき、悠長なやり取りをしている場合ではないでしょう。


「そんな……マ、マスター!」


「うわっと! ヒイロ、いきなり大声出されるとびっくりするよ」


「す、すみません。し、しかし、これはあまりに、危険すぎます。彼女がどんな存在か、忘れたわけではないでしょう」


 わたしはすぐにでも【因子演算式アルカマギカ】を発動できるよう意識を集中させ、『ミズキ女史』を睨みつけます。

 すると彼女は、少し悲しげな顔をした後、小さく息を吐きました。


〈心配しなくても、わたしはもう、君たちと戦う気はないよ。彼の『魔法』で召喚されている身の上である以上、そもそも実行自体が難しいだろうけど、それ以前に……『あそこ』で過ごしたわたしの『意識』は、世界に対する見方を変えている。母を求める子供のような『彼ら』に囲まれてしまえば、それこそ情も『移ろう』と……いや、『映ろう』というものさ〉


 力なく笑う彼女は、確かに以前の彼女とは異なるように見えました。


〈……未定義物質を具現化して、非存在の狭間から『法王の人形』を召喚したというのですか? ですが、それに何の意味があるというのです。『わたくし』は、『法王』や『女神』を超えた世界存在です。いまさら人形ごときに……〉


〈ああ、お話し中悪いけど、わたしは粗悪な『世界の鏡』には用はないのだよ。どうしてわざわざ、このわたしがあの天国のような場所から、彼の召喚に応じてここに来たと思う?〉


〈粗悪な……鏡? 『わたくし』が? そのような言われ方は初めてです。人形ごときに、無礼な口を利かれる筋合いはありません〉


 これまでほとんど感情を激昂させることのなかった『マザー』でしたが、なぜか今の『ミズキ女史』の一言には激しい反応を見せました。


「かつて『女神』に世界ごと取り込まれ、同化していた『法王』が、この世界に来た途端、その『女神』と袂を分かってまでも求めたモノが、ここにあるからさ」


 気づけば、『ミズキ女史』はその身体を完全に実体化させたらしく、それまで精神に響くように聞こえていた声も、肉体を使ってのものに変わっていました。


「へえ、なんだい、それは?」


「……やれやれ、そんなこともわからずに、わたしをここに呼んだのか? まあいい、教えてあげよう。わたしは人に物を教えるのが大好きだからね」


「いいから、もったいぶらずに教えてよ」


「まったく、重ねてやれやれだよ。教え甲斐のない男だな。君は」


 親しい友人同士のように会話を続ける彼らですが、その向こう側で吹き上がる怒気にも似た『魔力』と【因子アルカ】の奔流には気づいていないのでしょうか?


 しかし、『ミズキ女史』は『アルカディア大法学院』で相対したと同じく、やけに芝居がかった仕草で懐から『筆』のようなものを取り出すと、それを頭の上でくるくると回すようにして言いました。


「その『白い大蛇』と『マザーの人格』の殻の奥には、『原初の意識』に乱される前の『綺麗な水鏡』があるのだよ」

次回「第175話 狂える鏡と世界の純真」

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