第164話 彼らはソレを許さない
これまでの道中において、『女神』の使徒が襲撃を仕掛けてきたのは、ベアトリーチェの孤児院にいた時の『ヨミ枢機卿団』だけでした。考えてみれば当然のことで、それ以外の時にわたしたちがいた場所は、『ドラグーン王国』、『アルカディア大法学院』と、いずれも『教会』とは別勢力となる『王魔』や『法術士』たちの本拠地だったのです。
では、現在わたしたちがいる場所はと言えば……『フェアリィの森』。かつての『王魔』の聖地のひとつでこそありますが、かつての主の姿はなく、特別な勢力に属しているわけでもない、ただの森でなのです。
「とはいえ、人目に付きにくいという意味で言えば、襲撃には適した場所かもしれません」
朝食を食べ終えた後、改めて騒ぎの収まった場を整えるべく、わたしは【因子演算式】で会議用の机と椅子を用意しました。森の中に置くには不似合いなものですが、こうして形だけでも整えておかないと、このメンバーでは本格的な話し合いが始められそうになかったのです。
努めて冷静を装い、現在の状況を分析して皆に伝えたわたしですが、自身の『素体』の心臓の鼓動を抑えるのに、内心で苦労を続けていました。
もはや今となっては、この『身体』を『素体』と呼ぶのも無理があるのかもしれません。
「まったく、僕女の子を褒め慣れていないだけなんだから、少しばかり行き過ぎた表現があっても大目に見てもらいたいんだけどなあ」
「まだ、言いやがりますか、マスター。いい加減、話を先に進めましょう」
「ヒイロさん、言葉遣い、言葉遣い」
わたしのむなしい努力をぶち壊しにする彼の発言に、思わず口汚い言葉が出てしまっていたようです。リズさんが慌ててたしなめてくれました。
「つまり、こういうことじゃろう。移動するなら一刻も早く。行先は『ドラグーン王国』。あの国にまでは『女神』の使徒どもも簡単には攻めてこれないからな」
「なるほどね。じゃあ、善は急げだ。なんだか毎回、とんぼ返りみたいになってるけど、今回もアリアンヌさんのところに帰ろうか?」
「お母さんのところ? うん! 帰ろう!」
マスターの言葉に嬉しそうに笑うメルティ。マスターはさっそくとばかりに、小道具入れから黒光りする《訪問の笛》を取り出しました。
対象となる『知性体』を視認しただけで、その傍まで瞬間移動できるという、規格外の性能を有するマスターだけの『法術器』。
しかし、彼の周囲に皆が集まってその身体に触れ、エレンシア嬢の『世界に一つだけの花』によるアリアンヌさんの邸宅の植物を通じた『知性体』の認識を終え、これからまさにマスターが《訪問の笛》を発動しようとした、その時のことです。
「キョウヤ! 危ない!」
響き渡る鋭い女性の声とともに、わたしたちの頭上に広がる『シェルター』のようなもの。
メルティの『変化魔法』《ヴァリアント》によって傘状に展開された『ヒヒイロカネ』は、わたしたちの視界をふさぐように、真っ赤な輝きを放ちながら周囲を覆いつくしていました。
「え? なに?」
さらに、わたしたちが彼女に事情を問いかける暇もなく、それは起こりました。
「きゃああ!」
「く! これはまさか……」
大きく揺れる足元の地面。『シェルター』の向こうから伝わる熱気。それらが意味するものは、わたしたちの周囲で激しい爆発が起きているという事実に他なりません。
「ヒイロ、分析できる?」
マスターは転びかけたリズさんの身体を支えながら、冷静な口調でわたしに確認を求めてきました。
「はい。……今の攻撃は、『爆発物』によるものです。それも相当な威力と熱量です。今、わたしが《リフリジレイター》の【式】で周囲の冷却・消火作業に努めていますが、できればマスターにもご協力を」
「そっか。うん。じゃあ、アンジェリカちゃん」
「ふえ? あ、あ、そっか。今日はまだだっけ……」
いきなり呼びかけられて驚いた顔をするアンジェリカですが、時間の猶予はありません。マスターは少し強引に彼女の身体を引き寄せると、その唇に軽く口づけを行い、すぐに『冷却魔法』の準備に取り掛かりました。
「うう……なんか、今の、もったいないよう……」
あっさりと口づけを済まされてしまったせいか、アンジェリカが何やら危険な発言をしていますが、この際、聞かなかったことにしましょう。
「メルティ、次はマスターが対処してくれます。周りが見えるようにお願いします」
「うん。わかった」
『ヒヒイロカネ』の傘が収縮すると、その向こうには、わたしがセンサーで確認していたとおりの惨状が広がっていました。
焼け焦げた木々、そこから立ち上る煙。くすぶる炎。わたしとマスターの冷却作業によってあたりに立ち込めていた熱気こそ失われつつありますが、美しい森の景色は、今や周囲数十メートルにわたって焼け野原と化しています。
「……酷いですわね。あとでわたしが再生してあげますわ」
植物の化身たる『ユグドラシル』としては、この光景には心を痛めるものがあるのでしょう。エレンシア嬢は焼けた木々に語り掛けるようなつぶやきを漏らしています。
「爆発物って……僕のいた世界で言う『爆弾』のこと? だとすると、『魔法』とは違うものなのかな?」
「とっさのことで、そこまでは解析できませんでした。ただ、わたしの【魔力センサー】はマスターのおかげで、かなり精度の高いものなっていますが、にも関わらず、『魔力』自体は感知できませんでしたのでおそらくは……」
「でも、メルティはよくわかったのう。おかげで助かったぞ」
ベアトリーチェが感心したように言いますが、褒められた当のメルティは、上空のある一点に目を向けたまま、厳しい顔をしています。
「どうしたの、メルティ?」
「……キョウヤ。ここでは、『空間転移』の魔法は使っちゃダメだって」
「え?」
「ここは……『マザー』のいるところだから、『彼女』の懐に手を突っ込むような無作法は許さないって……言ってる。次は、警告で済ますつもりはないって……」
「言ってる? 誰が?」
要領を得ないメルティの言葉に、首をかしげるマスター。
「よくわかりませんけど……今のは『マザー』という人が警告してきたと、そういうこと?」
リズさんが言葉の意図を確かめようとして聞き返すと、ここでようやくメルティは視線をこちらに戻しました。
「……ううん。マザーはきっと、怒らない。彼女はただ、悲しむだけ。でも、『みんな』はそれが許せない。だから、攻撃してきたの」
「『みんな』……? あなたが言う『みんな』って……『愚者』たちのこと?」
「うん。オウマは嫌いだけど、わたしのことは仲間だと思ってるって。だから、警告だけにしたんだって、言ってた」
少し悲しげな顔で言うメルティ。
「じゃあ。『マザー』のいるところというのは、『愚者』の聖地のことなんだろうね。今の話からすれば、『フェアリィ』が滅ぼされた理由も見えてきたかな」
「と、言いますと?」
一人、納得したように頷くマスターに、わたしは先を促すように問いかけました。
「今のメルティの言葉からわかるのは、この世界の元の主である『愚者』にとって、『魔法使いの空間転移』は無作法……というか極めて不愉快な行為なんだということだよ。だから、『フェアリィ』は滅ぼされた。そう考えると筋が通るかなってね」
するとここで、ベアトリーチェが疑問を口にします。
「でも、それを言うなら『法術士』どもは、どうなのじゃ? 奴らこそ『空間転移』を代名詞のように使っておるではないか」
「うん。でも、『愚者の聖地』の傍でじゃない。もっとも、『アルカディア大法学院』は『フェアリィの森』の上空にあったわけだし、彼らは逆に『愚者』の目をごまかす手段を持っていたってことになるかな?」
マスターは自身の得た膨大な知識の中から、それに関するものを『思い出そう』としているようでしたが、なかなかうまくいかないようでした。
「いずれにせよ、そうなるとまずはこの場を『空間転移』以外の方法で離れる必要があるということじゃな。ならば、わらわが移動用の『幻想生物』でも出してやるしかないか……」
やれやれと首を振りながら、『侵食する禁断の領域』を準備しようとしたベアトリーチェでしたが、ここでアンジェリカが止めに入りました。
「いや、空間転移以外の何が『彼ら』の逆鱗に触れるかわからないぞ。まずは地道に徒歩で離れるしかないんじゃないか?」
「ううむ。それもそうか。歩くのは疲れるから嫌なんじゃがなあ」
「こうも足場が悪いとつまずきそうだから嫌だ、の間違いじゃないか?」
「アンジェリカちゃんよ。今のわらわは『肉眼』でも物が見えるのじゃ。かつてのようなへまはせんぞ」
「ふうん。じゃあ、メルティの介添えはなくてもよかったかな?」
「ああ! なんということを! いや、わらわはまだ足元がおぼつかないし、メルティちゃんに支えてもらわねば歩くのも不安じゃぞ!」
「いまさら遅い。ねえ? メルティ」
にんまりと、いじわるそうに笑うアンジェリカ。
「自分で歩けるように頑張らないと駄目よ? ベアトリーチェお姉ちゃん」
「うう……どうしてわらわは目が見えるようになってしまったのじゃろうか……」
そんなやりとりはさておき、当面はアンジェリカの言うとおり、この森を歩いて『魔法』を使わずに脱出する必要がありそうです。
「わたしの【因子演算式】なら『魔法』ではありませんので、重力制御による飛行は可能でしょうが、いかがしますか?」
しかし、マスターはわたしのこの問いかけに対し、小さく首を振りました。
「うーん。よく考えたら、僕らはこの『世界の謎』を確かめるために行動しているんだよね?」
「はい。世界を救うかどうかはともかく、異世界間移動にも必要なことなのでそうしようとの、マスターからのご提案だったと思いますが」
「だとしたら、『女神』の使徒さんたちをぷちっと潰すより、この先を見てくる方がずっと大事なんだと思うけど」
「この先? ……まさか、『愚者』の聖地ですか?」
「うん。ほら、前に言ってたじゃん。みんなでピクニックに行こうって」
そんな言い方ではなかったとは思いますが……と言い返そうとしたところで、わたしのすぐそばから悲鳴のような大きな声が上がりました。
「えええ!? キョウヤ! 何を考えてるのよ! そんなの、駄目に決まってるでしょ! 『愚者』の聖地よ? あんなのがうじゃうじゃ、五万といるのよ? いくらなんでも危険すぎるわ!」
血相を変えて叫んだのはアンジェリカでした。彼女は『ニルヴァーナ』の国で生まれ、群れを成す『愚者』の恐ろしさを誰よりも教えられて育ってきたのです。
無理もない反応ですが、マスターの襟首をつかみ、ガクンガクンと前後に揺さぶるのはやめてあげてもらえないでしょうか。
「あ、あはは……。確かに危険だし、『ピクニック』ってわけにもいかないからね。みんなを連れていくつもりはないよ」
「駄目よ! どうしても行くなら、わたしもついてく! だけど、どうして? この世界の謎を知りたいから? 世界を救いたいから? 異世界に移動できるようになりたいから? そんなの、どれもキョウヤがあんなところに行く理由にはならないわ!」
叫びながらアンジェリカが視線を向けた先には、突然の事態に目を丸くするメルティの姿があります。
「メルティが、……『オロチ』に飲み込まれたときのことよ。確かにその時まで見たこともない惨禍級の『愚者』の力は脅威だったけど、『ニルヴァーナ』の力で絶対に撃退できないほどの相手じゃなかった。でも、それでも『それ』は起きてしまったの! ……ちょっとした油断で! ふとした『間違い』で! 取り返しのつかなくなることはあるの! 彼女が生きて帰ってこられたのは、奇跡みたいなものなんだから!」
「うん。もちろん僕だって、自分が強いから絶対大丈夫だ、なんてことは考えないよ。でも、それでも『この僕』は、あの先に行かなければならない。そんな気がするんだ」
「どういう意味?」
「『大法学院』でミズキさんに言われた言葉。『反存在』って奴はどうもしっくりこなかったけど、でも、僕が僕を理解する上でのヒントにはなった。それに彼女は、こうも言っていたんだ。……『君の性質は、他の場所ならいざ知らず、特に「この世界」においては「最悪」だと言っていい』」
確かに、マスターの危険性を指摘した際、ミズキ女史はそんな言葉を口にしていました。
「彼女が僕の本質を誤解していたのだとしても、目に見える『性質』自体に大きな間違いはなかったはずだ。だったら、『この世界』にとって、それがどうして『最悪』なのか、僕は知る必要がある。この世界の主である『愚者』……それもマザーなんて呼ばれる存在がいるのなら、『法王』ですら知りえない、この世界のことを知っているかもしれない」
「で、でも、それこそ、『何があるかわからない』ってことじゃない!」
なおも縋りつくように不安の声をあげるアンジェリカでしたが、震える彼女の小さな肩を、リズさんが優しく手をかけるようにして押さえました。
「リ、リズ?」
「アンジェリカさん。わたしも同じ気持ちです。キョウヤ様に、危険な場所に行ってほしくはありません。でも、彼が自らのするべきことを決意したのなら、わたしたちがそれを邪魔するべきではありません」
「邪魔……って、でも、そうじゃなくて……」
「わかっています。でも、相手が『女神』の使徒や『法術士』たちならばともかく、『愚者』が相手では、むしろ、わたしたちの方が彼の足手まといになってしまいます」
『愚者の隻眼』の魔力無効化能力を気にせず、『魔法』が使えるのはマスターだけです。リズさんはその事実を冷静に認識し、そんな結論を出したのでしょう。
「ふふふ。それにね、アンジェリカさん。ほかのみんなと違って、わたしはいつだって、危険な場所に出かけていくあの人のことを見送っていたんです。あの人の帰りを……信じて待っていたんです」
「……リズ。……そうね。ごめんなさい。あなたの言うとおりだわ」
ふわりと包み込むように自分を抱きしめてきたリズさんの身体を抱き返すようにして、アンジェリカは小さく嗚咽を漏らしはじめました。
「……ふふふ。それに、僕は一人じゃないよ。ヒイロとメルティには一緒に来てもらうつもりだっていうのもあるけど……そうじゃなくても僕には、いつでもみんなと一緒に戦ってもらうためのスキルがあるんだからね」
そういって、彼が皆に説明したスキル。
それは、わたしがマスターに昨日の夜にお伝えした新たなスキルのうちのひとつです。
『鏡の中の憧れの君』
自身の隣に自由に魔法を使う仲間の『鏡像』生み出すスキルですが……このスキルの発動条件はといえば、『白馬の王子の口映し』が発動中であることです。
「僕としても、『全員といつも一緒』にいられた方が寂しくないし? ここはもう、仕方がないよね?」
まだ朝方のこの時間──後者のスキル発動に必要な『儀式』は、先ほどのアンジェリカを除き、まだ『未済』なのでした。
「……なにそれ、どこまでキョウヤに都合がいいスキルなのよ」
彼の説明を受け、先ほど簡単にキスを済まされてしまったアンジェリカなどは少し不満げに頬を膨らませただけでしたが、他の皆はといえば、それぞれが恥ずかしそうに頬を赤らめているようでした。
次回「第165話 日向彩羽」




