第161話 ヒイロを守る会
鬱蒼と生い茂る森の中。
段々と日が傾いてきた時間ではありますが、依然として木々の間から差し込む太陽の光は、あたりの緑を美しく輝かせていました。
わたしのデータベースの情報によれば、わたしたちが着陸したこの場所は、『フェアリィの森』と呼ばれており、かつては『王魔』が棲む聖地とされていたとのことです。
ドラグーン王国と同様、この森の豊富な『魔力』は、『王魔』にとっては都合が良い環境であるらしく、ここに棲んでいたとされる『フェアリィ』たちもまた、独自のコミュニティをこの地に形成し、栄華を極めていたようです。
〈……とはいえ、わたしが『ドラグーン王国』の図書館で得た情報では、『フェアリィ』は既に滅びたともいわれているようですが……〉
わたしは『周囲を取り囲む状況』をひとまず脇に置きながら、『隔離した場所』にいるマスターと『早口は三億の得』による会話を続けていました。
〈うん。僕がアルカディアの『法術器』から得た情報だと、『フェアリィ』の力自体は形を変えて、この世界に残ってはいるみたいだけどね〉
〈と、言いますと?〉
〈小人種……『フェアリィ』は同族が存在する地点を結んだ範囲内の空間を支配する魔法使いなんだそうだけど、『法王』は彼らの力に目を付けて、とある装置を実現させたんだ〉
〈装置、ですか?〉
〈うん。《転移の扉》だよ。今でこそ空間転移は『法術士』特有の技能みたいに言われているけれど、何のことはない。もともとは『王魔』の力を横取りして作ったものなんだ〉
〈……なるほど。確かにヒイロのいた世界でも、空間転移は転移先の座標認識ができなければ不可能な技術でしたが……〉
〈うん。同族同士を結ぶ空間を支配する『フェアリィ』の魔法を《転移の扉》に組み込めれば、それも実現できるってわけだね。前に見つけた《召喚の笛》も僕がそこから複製した《訪問の笛》も、認識した『知性体』を『フェアリィ』でいうところの『同族』とみなして使用するものだったみたいだし〉
〈そうなると、『フェアリィ』を滅ぼしたのは、『法学』の魔法使いということになりますか?〉
特殊性のある『愚者』を除けば、この世界の魔法使いの中では最弱の部類に入る『法術士』が『王魔』の一角を滅ぼしたというのであれば、それは驚くべき事実です。
〈ううん。それはどっちかっていうと、この森の立地条件が大きいみたいだよ〉
〈立地条件……ですか?〉
〈そう。『ドラグーン王国』の北方って言ったら、この『森』のほかに何があると思う?〉
〈……『愚者』の聖地〉
〈正解。詳しい経緯は僕の得た『知識』の中にもなかったけれど、どうやら過去にこの『フェアリィの森』に対する大規模な『愚者』の参集が起きたらしい。彼らが滅びた原因があるとすれば、おそらくはそれだろうね」
〈空間転移が使える『王魔』でも、彼らからは逃げられなかったと?〉
〈この森から離れられない理由があったか……でなければ転移を完全に封じられるほど強い『隻眼』の光を浴びたか。そんなところじゃないかな?〉
マスターの話は推測によるものとはいえ、大法学院で得た膨大な知識に裏打ちされているだけあって真実味があります。『愚者』たちが本当に『その気』になれば、この世界に生きる他の『魔法使い』たちもまた、いつ滅ぼされてもおかしくはないのかもしれません。
と、まあ、それはさておき。こんな風にわたしとマスターによる世界についての考察……いえ、『現実逃避』が続いている間にも、周囲の環境は刻一刻と変化を続けていました。
この『フェアリィの森』は、滅びたかつての主を偲ぶかのような静寂に包まれています。しかし、この場に『車座』で集まった面々は、そんな深々とした森の空気など、まるでものともせず、剣呑な雰囲気を醸し出しているのです。
「わたくし、以前からずっと考えていたことがありますの」
最初に口火を切ったのは、エレンシア嬢です。彼女は自身が作った『変態どもの牢獄』には目も向けず、ひたすら『車座』の中央にあるものを見据えて言葉を続けます。
「最近のキョウヤ様は、目に余ります!」
「……ええ、そうですね。殿方でいらっしゃる以上、『そうした面』があること自体は仕方がないと思いますが……」
声を張り上げるエレンシア嬢に控えめながらも同意したのは、リズさんです。彼女はそれこそ、毎朝のようにマスターを起こしにいき、そのたびに彼の『被害』にあっているはずです。そんな彼女は同じく、『車座』の中央に目を向け……いえ、視線を合わせると、困ったように微笑みかけてくれました。
「まあな。『英雄、色を好む』とも言うし、『ニルヴァーナ』的には、それぐらい欲望に正直でいてくれた方が好ましいくらいなんだが……ただ、それでも絶対に許せないことがある」
肯定的なことを言いながらも、最後には最も強い否定の意思を示したのは、アンジェリカです。彼女は揺らめく炎を瞳に宿したまま、『車座』の中央から視線を逸らそうとはしませんでした。
「……うーん。キョウヤが見えなくなっちゃって、ちょっと寂しいわ。ねえ、エレンシアお姉ちゃん。まだ駄目なの?」
同じく『車座』の中に加わりながらも、唯一中央から視線を外してくれているのは、メルティでした。彼女だけは『牢獄』の方に目を向けているようですが、問いかけられた当の相手は、目線一つ外さないまま、小さく首を振りました。
「駄目ですわ。アレは『お仕置き』であると同時に、『防壁』でもありますのよ」
そう、まさに『防壁』でした。
鬱蒼と生い茂る森に中で、さらに隙間なくびっしりと生えそろう『樹木の壁』。エレンシア嬢の『生命魔法』《ライフ・メイキング》によって作り出された極めて強固かつ高い再生力を持った壁なのです。
「……あ、あの、皆さん? 何もここまでしなくてもよいのでは?」
わたしは、自身を取り囲む……否、護るようにして座る彼女たちを見回しながら、ようやく口を開くことができました。
「……いいえ、ヒイロ。よろしくて? 貴女は、いくらなんでも無防備すぎますわ」
「無防備、ですか?」
「ええ、確かにキョウヤ様は貴女の『マスター』なのでしょうけれど、だからと言って、どんな破廉恥も許されるというわけではないでしょう?」
顔の前に人差し指を立てたまま、ずずいと顔を寄せてくるエレンシア嬢。
「ハ、ハレンチ、と言われましても……」
「キョウヤ様ご指定の『異世界の制服』は、可愛らしい服ですからよいとは思いますけれど……でも、そのスカートをまくって中身を見せろ、と言われたらさすがに抵抗するでしょう?」
「な、何をおっしゃるんですか! そ、そんなの……」
いきなりの過激な発言に、思わず頬の熱さを自覚し、言葉に詰まってしまいます。
すると、横合いから金髪の少女が同じく間合いを詰めるように迫ってきました。
「ああ、でも、そういえば、前に一度、ヒイロはキョウヤにスカートの中を『半分同意』して見せてあげてるんだっけ?」
意地悪く笑いながら、四つん這いの姿勢のまま、わたしの顔を下から見上げてくるアンジェリカ姫。とても十五歳の王女様とは思えない蠱惑的な表情であり、同性ながらも思わずどきりとさせられてしまいました。
「そ、それは、その……どちらかと言えば罪悪感に付け込まれたと言いますか……」
エレンシア嬢とマスターのデートを『覗き見』していた件をネタに、それこそ冗談半分で迫ってきたマスターを相手に、わたしが強く抵抗できなかった理由。わたしがつい、そのことについて口を滑らせてしまった、その時でした。
アンジェリカが、我が意を得たりとばかりに身体を起こし、わたしの肩を掴んできたのです。
「それだ、ヒイロ! わたしが許せないのは、そうやって立場的に弱いヒイロのやさしさに付け込んで……嫌がることを強要しようとする、そのやり口なんだ!」
右肩を押さえられ、動きを制限されたわたしは、その勢いに圧倒されて何も言うことができません。
「つらかったでしょうね。でも、もう大丈夫ですわ! これからは、わたくしたちが貴女をしっかり守って差し上げます!」
「……ええ、お嬢様。御立派です! わたしも微力ながら、御協力いたしますわ」
なぜか感極まったように声を震わせたリズさんは、アンジェリカとは反対側からわたしへとにじり寄り、わたしの左手を包み込むように握ってくれました。
「……うう」
『委員長の眼鏡』のせいか、彼女たちの手のぬくもりがこれまでより強く感じられているようです。
「うん。それじゃあ、メルティもヒイロを護る!」
「え? って、ひゃあ!」
元気の良い声と同時、わたしに後ろから覆いかぶさってきたのは、メルティでした。わたしの首に手を回し、ふくよかな胸を押し付けてきます。距離が近いせいか、ほのかに甘い香りまで漂ってくるような気がします。
と思っていたら、本当に花の咲いたような新緑の髪の少女の顔が、わたしの目の前にせまっていました。
「ヒイロ。浮かない顔をしていますわね?」
「え?」
こちらの目を覗き込み、不思議そうな顔をするエレンシア嬢。
「まさか……キョウヤ様からのセクハラを喜んでいるとか?」
「ええ!?」
続けざまのリズさんの爆弾発言に、わたしは思わず叫び声を上げてしまいました。
「なに? それは聞き捨てならないなあ。そうか、ヒイロはキョウヤに喜んで下着を見せるような子だったのか」
アンジェリカは、わたしの肩に手をかけたまま、意地の悪い笑みを浮かべて言いました。
「な! な、何を言って!?」
羞恥と激情のあまり、自分の視界が真っ白に染まってしまったかのようです。優れた観測装置を有するわたしにとって、これは極めて異常な事態と言えました。
「うわあ、それはさすがに『はしたない』かも……」
さらに追い打ちをかけるメルティの呆れたような言葉は、そんなわたしにとって、とどめにも近いものでした。
「う、うう! で、でも! み、皆さんだって!」
身体にまとわりつく四人の手を振り払い、立ち上がって声を張り上げるわたし。
四人は目を丸くし、驚いた顔でわたしを見上げていますが、頭の中まで白く……いえ、真っ赤に染まったわたしは、まったく抑えが利かない状態になっていました。
「皆さんだって、毎日! マスターとキスされているじゃないですか! マスターの『魔法』のためだなんて言って! メイドさんの仕事だなんて言って! みんな、みんな、嬉しそうに……しているんじゃないですか!」
ああ、この時、わたしはもっと早く気付くべきだったのです。ここに至るまでの一連の流れ。そのすべてにおいて、四人の息があまりにもぴったりと合っていたという事実に。
もはや自分でも何を言っているのか、わからなくなっていたわたしですが、その直後には、わたしは極めて恐ろしい現実に直面させられてしまいます。
「ふふ! うふふふ! あはははははは!」
「駄目ですよ、お嬢様。そんなに笑ったりしては」
お腹を抱えて笑い転げるエレンシア嬢を困ったようにたしなめるリズさんですが、彼女もまた、生暖かい笑みを浮かべてわたしを見上げてきています。
「あ? え?」
「ふふふ。ヒイロ。それがお前の本音だろう? まったく、素直じゃない奴はこれだから面倒だ」
中でも特に嬉しそうな顔で笑っているのは、アンジェリカです。そんな彼女のしてやったりといった満足げな笑顔を見て、わたしはようやく気づきます。
「ま、まさか……」
「うん。そのまさかだよー」
「うそ! メルティまで!?」
みんなグルでした。しかし、それこそまさか、メルティまでとは……。
「だから言ったでしょ? メルティは今ではもうずいぶん大人っぽくなったし、頭もすごくいいんだって」
飛び跳ねるようにして立ちあがったアンジェリカは、晴れ渡る青空のような瞳に好意的な光をたたえたまま、わたしに手を差し出してきました。
「ヒイロ。わたしたちは仲間だろう? それも同じ男に惚れた者同士だ。それこそ弱みに付け込まれて言うことを聞かされているというのでもない限り、わたしたちは対等だ。お前が遠慮なんかする必要はないんだぞ?」
「そうですよ、ヒイロさん。そういう意味では、きっと貴女が一番先輩なんです。いいえ、それどころか、この世界に彼を連れてきてくれた人は貴女なんですから」
リズさんは、さきほどの王女様とは対照的に、おしとやかな所作で立ち上がると、同じくわたしへと手を差し出してきてくれました。
「リ、リズさん……」
「うふふ! 今度一緒に、キョウヤの布団に潜り込みに行こっか?」
「……メルティ。それ、わざと言ってますね?」
「あれ? ばれた? あははは!」
けらけらと笑うメルティは、まさに年頃の少女のようにはにかんだ表情を見せてくれました。
「……もう、いくらなんでもこんなやり方をしなくてもいいじゃないですか」
わたしは自分の『心』に湧き上がる温かさと恥ずかしさを誤魔化すように言うと、差し出されたままの彼女たちの手を握りました。
「……というか、いつまで笑い転げているんです、エレン?」
「あは、あはは……ご、ごべんなざい」
最後に立ち上がったのは、ようやく笑いの発作が収まったらしいエレンシア嬢です。彼女は目じりに残った涙をぬぐいつつ、わたしの手を掴んでくれました。
「ねえ、ヒイロ……わたくしたちの最初の約束、忘れては駄目ですわ。誓いましたでしょう? 一緒に頑張りましょうって」
「そ、そうでしたね。……はい。みなさん、本当に、ありがとうございました」
「でも、ヒイロ? あなたが無防備すぎるのは本当ですわ。恋の駆け引きは、殿方を焦らせることも大事ですのよ?」
「うう……」
悪戯っぽく笑うお嬢様の言葉に、ますます顔を赤くしてしまうヒイロでした。
次回「第162話 聖女の気持ち」




